* あい繋ぐ星に【第2話】 *


 雄哉の結婚招待状はお盆前に届いた。白を基調とした繊細なディテールの封筒は新婦の好みなのだろう。中には返信用ハガキが入っていて、迷うことなく出席にマルをつけた。
 弟との電話を終えた明史は、テーブルに置いていたハガキと財布を手に取った。忘れないうちにポストへ投函したくて革サンダルを履く。家から歩いて行けるポストは二箇所。駅のポストより距離があるほうを選んで玄関を開けた。相変わらずムッとする暑さ。十九時半の空はまだ紺に満たない。
 ……来週は帰省か。実家のほうは、盆過ぎると涼しくなるよなあ。
 猛暑のピークは続いているが、日光がないぶん夜は出歩く気になれる。この土日は引き篭もっていたから気分転換だ。ポストのそばにはコンビニエンスストアもあるから、夕飯を調達しようと思う。
 歩きながら、ハガキを持つ手を上げて文章にもう一度目を通す。結婚式は十月末。
 ……さっき帰省の話をしてた弟も、来年結婚するかも、なんてほのめかしてたし。
 人生で何度か結婚ラッシュが起こるというが、今がまさにそうなのかもしれない。帰省したら親になにか言われるのだろうか。『あなたは良い話ないの?』と訊かれても、答える言葉がない。実家の居心地が悪くなってしまいそうだ。
 ……別にオレは、好きで独り身でいるわけではないんだけど。
 理想が高いわけではないし、とハガキから目を離す。道端で小さな黄色い花が外灯に照らされている。向かいから車が来るのも見えて、明史は路肩に寄った。
 このあたりは都心から電車で一〇分ほどだが、駅から離れると一軒家が目立つ。区の境であるせいか開発の波はあまり訪れず、最近の変化と言えば家の近所にこじんまりとしたカフェが開店したことと、低層のデザイナーズマンションができたことくらいだ。難点はスーパーが遠いところ。歩くのが億劫ではない明史にとってはちょうどいい。
 夕食時のせいか、すれ違う人も少ない。郵便局併設のポストに出欠ハガキを投函し、そこから三〇メートルに満たないところにあるコンビニエンスストアへ足を向けた。
 駐車場が何台も停められる敷地を突っ切り、明るい店内へ入る。買い物客は数人。
 その中で、制服を着た女子高生らしき二人組がお菓子棚を物色しながら元気に喋っていた。今って夏休みじゃないのかなあ、と思いながら夕食を選ぶ。サラダうどんと缶チューハイ。
「ココでさー、すごいゲーノージン見たんだよ」
 菓子棚へ移動すると、黒髪の女子高生が長い毛先を揺らして隣の子へ話しはじめた。
「へー。わたしずっと住んでるけど出会わないよ? 立地的にはいそうだけど交通の便はよくないし。駅から歩くじゃん」
 茶髪ボブの子は半信半疑だ。スナック菓子を選んでいた明史も心の中で頷く。同じく遭遇したことはない。
「でも、ゲーノージンは電車とか使わないでしょ、車持ってるでしょ」
 真っ当な返しに、なるほど、と思い直した。
 ……このあたり、車の所持率高いもんな。家賃高いところだと、かならず駐車場もあるし。
「それで、見たの誰だと思う?」
 問いかけとともに彼女のキラキラした瞳が見えた。表情でどの類かわかる。
 ……おそらく、イケメンなんだろうな。若手の俳優あたり。
 答えを聞いてみたいと思ったが、彼女たちは嬉々と名前を当てるゲームをはじめた。
 ……この様子だと、ここを出るまでに正解は出てきそうにないか。
 栄養ドリンクコーナーでいつも飲んでいるものをチョイスして、レジに進む。店員の手さばきを見て千円札を二枚置いた瞬間、女子高生の高い声が響いた。
「そう、当たり! 織茂櫂人なの!」
 唐突に終わったゲーム。その正解名に、驚きのあまり目を見開いて振り返った。
 すごくない? マジで? と大声で盛り上がる二人。思考が停止した状態で穴が開かんばかりに見つめる。
 ……ここで、アイツを見ただって?
 このあたりに住んで四年。一度も聞いたことがない話だった。どんな用か知らないが、織茂らしい男が車でこの店に来て、ガムと栄養剤とジュースを買っていったらしい。しかも、先週のことだという。最近すぎる話ではないか。
 ……確かにここは高速のインターも遠くないし、使い勝手はいいかもしれない。いや、まさかアイツがここらに住んでるわけではないだろ。都心に近いって言っても少しはずれだし。そもそも見間違いの可能性もある。もしくは撮影かなにかの仕事か。
 でも、購入物がまたなんとも織茂らしい。彼は甘党だ。大学時代は口寂しいとガムも欠かさずポケットに入れていた。その服をそのまま洗濯して泣きつかれたこともあるのだ。
「お客様、お釣とお品物……」
 レジの向かいから聞こえた声に、ビクッと身体をふるわせて向き直る。
 現実に戻れば、戸惑い顔の若い男性店員が硬貨を差し出していた。愛想笑いを浮かべて「ありがとう」と受け取る。女子高生を凝視していた自分を恥じて、当分ここには来れないと痛切に思った。
 ……仮にアイツの出没スポットなら、なおさら来ないほうがいい。
「毎日ココ通おうよ。したら、また会えるかも!」
「いたら、サインとか。それだけじゃなくて、なんか接点つくる方法とかも考えようッ」
「わー、うまくいけば繋がったりとか、できるかなあ!」
「ちょっとココで待ってみる? この時間くらいに見たから、来るかもよ?」
 楽しそうな二人に薄く顔を引きつらせて出口へ向かう。
 足早に自動ドアを越えると、真っ先に青い車のバックサイドが目に飛び込んできた。車高が低く、明らかに外国メーカーのスポーツカー。入店前は駐車してなかったものだ。
 明史はとても嫌な予感がした。早く立ち去るべきだ、と脳が警告している。でも、心が縛られたように動けなくなった。
 フロントドアが開かれる。日本仕様の右ハンドル。そこから目が離せない。
 Tシャツを着た男が出てきて息を飲む。黒褐色の髪、一八〇を越える背、長い手足。
 予感は的中していた。小さく整いすぎた素顔に、明史は考えるより先に足を動かした。タイミングの悪さと相変わらず無防備な様子に、居てもたってもいられなくなったのだ。
 歩き出そうとした彼は、前に立ちはだかった少し背の低い男を見ると警戒するように足を止めた。だが、すぐに知っている人間だと気づいたようだ。パッと表情が変わる。
「うそ、マジ? 明史だ」
 店内にいる女子高生に負けずと劣らないキラキラした大きな瞳。ラフな服装でも俳優らしいオーラで人を無造作に惹きつける。けれど、織茂櫂人の中身を知っている明史は怯まなかった。この容姿を大学時代散々そばで見てきたのだ。
 ……そもそも、なんでマスクも帽子も眼鏡もしてないんだよ!
 そして、自ら再会を選んでしまったという後悔も同時に襲ってくる。だが、店内の女子高生トークを聞いてしまったせいで大事は避けてあげたいという気持ちが勝っていた。
「櫂人、車に戻って。今、女子高生がおまえを張ってる」
「えっ!」
 深刻な顔で口を開けば、櫂人もすぐ神妙な表情をしてフロントドアに戻った。中退した櫂人が今までどのように生活していたか知らないが、大学時代は数度ファンのような子につけられた。一緒に執拗な女の子を撒いた経験がある明史は、気が気ではない。
 ……大学の頃は眼鏡に帽子をかぶっていたし、服装もテキトーだったからバレにくかったけど。
 顔も背格好も前より男らしく洗練された印象だ。強く放つオーラも明らかに一般人ではない。見つけてくださいと言わんばかりだ。
 そんな櫂人が、高い身長を折り曲げて運転席に戻る。明史を上目遣いで見上げて口を尖らせた。
「ちょっとくらいなら、大丈夫だと思うんだけど」
 偶然で久方ぶりの再会に関わらず、昨日も会っていたかのような素振り。それは自分のよく知っている櫂人で、ドキッと鼓動が跳ねる。八年のブランクをチャラにしようとする己の心を制し、少しだけ開けたドアから訊ねた。
「コンビニに用があったのか? 買い物?」
「あ、うん。ガムと飲み物」
 あっさり頷かれる。櫂人からの信頼は失われていなかったようだ。
「わかった。すぐ買ってくるから、待ってて」
「明史の荷物、こっちに置いておくよ」
 彼の咄嗟の気遣いは大学時代になかったものだ。驚きのままレジ袋を奪われフロントドアが閉まる。
 避けていたのが冗談のように再会を受け入れ、余計な世話を焼いてしまっている自分。
 複雑な感情を抱きながら店内に戻った。女子高生二人はまだ作戦会議で盛り上がっている。お菓子の棚は見ないようにして飲み物を選びに行く。
 銘柄も味も訊いていないが、昔の記憶から甘いソーダ飲料とミントのガムを選ぶ。
 ……好みは間違ってないはず。って、オレはなにをしてるんだろう。
 五分前には想像もしていなかったことが起こっている。
 ずっと櫂人のことは見ないよう聞かないようにしていた。自分の世界からは排除しようと努力し続けていたのに、櫂人がすぐそばにいるとわかったら収めていた気持ちが大きく揺らいでしまった。
 ……アイツが女子高校生に捕まってギャーギャー騒がれても、オレには関係なかったはずなのに。
 本当に見たくない存在であれば、織茂櫂人の目撃情報を聞いた時点で逃げればよかったのだ。でも、できなかった。
 ……オレ、バカかもしれない。
「イケメンの彼氏とか、最高すぎるじゃん?」
「自慢しまくりたいけど、したらヤバイのかなー。事務所とかに言われちゃったり?」
「そこはこっちもプロに徹しないと」
「ゲーノージンと付き合うの大変だなあ。でも、いいよねー。奇跡起きないかな」
「なんて話しかける? 本当に来たらマジでどうする? あーもーヤバイ、早く来ないかなー!」
 お菓子を手にしたまま地団太を踏んで出逢いを楽しみにする女子二人に、使い捨てのマスクも追加して会計へ進んだ。
 ……今まさにそこにいるから。こういう女の子たちはやっぱり怖い。
 一刻も早く離れたくて、そそくさと店舗を出る。運転席に回りこめば、中から助手席に来てというジェスチャーが入った。




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