* あい繋ぐ星に【第4話】 *


 ……だから、マズイパターンだと思ったんだ。オレは本当に悲しいくらい押しに弱い。
 あーあ、と大きく溜息をついて細かく震えたスマートフォンを見る。帰省から戻ってきた新幹線のホーム。連絡をしてくるのは櫂人だ。
『今週土曜日の十八時、俺の家でよろしく。こないだのコンビニのお金もそのとき返すから! 忘れててごめん』
 表示されている文面に諦めの境地で『いいよ。また土曜日に』と打ってポケットへ戻した。再会の夜、彼は明史の携帯電話番号も確認してきて、SNSで空いている日にちと時間を細かく伝えてくれた。
 この強引さは櫂人の良いところでもあり、悪いところでもある。大学時代には何度か友人に、織茂の世話焼くの好きだよね、と呆れられたことがあった。別に世話を焼くのが好きなわけではない。櫂人が単に放っておけない性格なのだ。頼まれたり失敗を見たりすると、フォローしたくなるスイッチが自動的に押されてしまう呪いがかけられている。
 ……あんなに避けてたのに、結局ドツボにハマッてる。
 八年前の自分が知ったら激怒するだろうと思いつつ、キャリーをコロコロと転がしながら地下鉄に乗り換える。今思えば、一生のお願いとぐいぐい押してきながら、「でも明史がものすっごく忙しいなら諦める」と悲しそうな表情をしてきたあたり天然の演技派だ。全国区レベルで活躍する俳優なだけある。
 ――海外の仕事は台本もあるんだろうけど、少しでも日常的なイタリア語が話せたら、スタッフにも見栄えがいいし撮影で使われるかもしれないし格好いいんだよ。だから、少しでもできるようになりたいんだ。
 要は格好をつけたいから、というのが依頼する理由だ。そんなどうでもいいことでオレは借り出されるのか、と他の相手ならば思うが、櫂人の職業は『格好良いこと』が重要な条件なのだ。いずれ外国の映画にも出演したいそうで、英語はすでに講師を雇っていると言っていた。素の櫂人はどこか抜けているが努力家だ。
 ……十二月まででいいって言うし、母親にも櫂人用のお土産渡されちゃったし。
 帰省は、弟の結婚するかもしれない問題を気にしながら向かったわけだが、蓋を開ければ織茂櫂人と再会した話のほうが盛り上がった。オペラから日本のお芝居に趣味が移行しつつある母親には「イタリア語やっててよかったわね。織茂くんに教えてあげなさいよ」と言われ、結婚から縁遠い明史は少し救われた。
 ……今の櫂人も好きかって訊かれたら、昔よりドキドキするとかはなくなってるんだけど。
 大学時代の後半は、本当に好きで好きで苦しかった想いばかりだった。でも、久しぶりに再会した櫂人には、誰が見ても格好良くて惚れるだろという冷めた想いと、やっぱり生きる世界が違ってきているなあという諦観が強い。いつ『社長令嬢と見合い結婚する』なんていう過去の大嘘が暴かれるのだろうかという緊張感もあるが、突っ込まれたら誠実に謝るつもりだ。櫂人に卑屈さがないのはよく知っている。
 駅から徒歩十二分。夏の空気がむわっと籠もる狭い部屋に着く。換気の間にテレビをつけると、また櫂人がCMに出ていた。でも、もう鼓動が跳ねたり嫌な感じも受けたりしない。本物と再会してしまったせいだ。
 ただ、胸はモゾモゾする。CMが終わって消した。
 ……モデルのスカウトを受けるかどうか、悩んでいた櫂人の背を押したのは自分なのに。
 彼の活躍を心の底から応援できない自分がいるのは前々から知っている。やりがいがある仕事をしてお金をたくさんもらっていることが妬ましいからじゃない。煌びやかな世界が羨ましいからでもなく、その反対。
 織茂櫂人は皆のものだという疎外感と、彼と関わる美しい女性たちへの嫉妬。自分の一番見たくない感情が、櫂人の活躍を通して出てきてしまうのだ。それがずっと嫌だった。だからずっと避けてきた。
 ……でも、再会した。逃げられなかったのは、昔の惚れた弱みなんだと思う。
 だからこそ、再会したからには、もう同じ繰り返しはしない。
 櫂人とは、友達として接する。
 そのためにSNSのやり取りで、先に『友達だから付き合ってやるんだぞ』と大きな牽制を入れておいた。彼も『俺は最高の友達を持った! 明史ありがとう!』と返してきたので……最初からトモダチだったのだろう。返信を見たときは想定以上に凹んだが、おかげで吹っ切れた。
 ……あっちも秋からまたドラマの撮影に入るって話してたから、会う機会もいずれ減るだろうし。ドラマの仕事ってあたりまえに言ってたけど、なんかやっぱり次元違うよなあ。
 遠い星から、また近い存在になった男のことを想いながら明日の準備をする。翌日は会社へ。そして三日後には櫂人の家へ。
 頭で理解していても、土曜日の当日になると妙な緊張で目が覚めた。
 二度寝をしようとしても無駄で、仕方なく明史はベッドから身体を起こす。朝九時。ココアをつくって洗濯の合間、イタリア語の導入に使える教材がないか探す。やはり引越しのときに入門本はすべて処分していた。溜息をついて家事に戻る。昼食の後、必要な勉強の流れを紙に書いた。
 ……まず、今日はアルファベットと英語との違いの説明。そして挨拶の仕方。英語よりも言い回しが多いけど、それが楽しく感じられればイタリア語の勉強も楽しくなってくれるかな。
 そういえば櫂人の第二ヶ国語選択はなんだったっけ? と大学時の記憶を辿る。安易にフランス語を選んで泣きつかれたことを思い出した。文法がそれなりにイタリア語と似ていたから手伝えたものの、当時は大変だったと顔をしかめる。
 ……発音のセンスはあるから、巻き舌はすぐクリアできるな。最初は口頭とボディランゲージで教えたほうがいいか。
 夕方に差し掛かる頃、強い通り雨がやってきた。雷が聞こえる中で、スマートフォンから通知音。『今日来れるよな?』という櫂人の連絡だ。『行くよ。そっちのマンション着いたら連絡する』と打てばすぐ『夕飯はデリバリー使えるから』と返ってくる。
 妙な緊張が戻ってきた。友達と会うだけだ、と何度も念じて時計を見る。マンションの場所はわかっている。徒歩で二十分くらいの距離。雨が止んだのを見計らって少し早く家を出た。
 水溜りが青い空を映す。涼しくなった風は緊張をさらう。でも、ピカピカのエントランスに着くと鼓動はまた波立った。
 ……すごいな、このマンション。セキュリティーがっちりしてて。  居たたまれない気持ちで隅に寄る。トートバッグからスマートフォンを取り出して電話をすると、一コールで櫂人の声がしてホッとした。指示どおりにロックされたガラス扉を通過し、エレベーターのボタンを押す。
 着いた階には長い廊下。ひとつひとつの部屋が広いとわかる。番号を何度も確認して一呼吸する。インターホンを押すと間もなく、滑らかにドアが開かれた。
「来てくれてありがとう。ようこそ、どうぞ」
 笑顔の櫂人が現れる。ファッション雑誌の撮影からそのまま出てきたような、仕立ての良い高そうなシャツと白いパンツ。ほのかな香水の香り。再会時より格好良く見える。
 友達に会いに来たというより、俳優のお宅訪問をするような気持ちになった。促されるまま部屋に入る。案の定、通されたリビングは広い。調度品は黒で統一されていて艶やかに光っている。それなりに物は多いが、すっきりして綺麗だ。
 昔、広い部屋に明史と一緒に住みたい、と言われたことがリフレインした。
「そこのソファーで。好きなようにしていいから」
 ボサボサの髪でもなく眼鏡でもない男が、そんなことを言う違和感。自分の知っている櫂人ではないような気すらしてくる。明史は不安に包まれながら座り、土産のことを思い出した。
「帰省の土産。日持ちする菓子だから」
「おー、ありがとう。明史はけっこう帰ってんの?」
「最近はぼちぼち。新幹線で一時間半くらいだし」
「地元、俺のとこより近いんだっけ。俺は三年くらい帰ってないよ。姉貴たちにはたまに来るから会うけど。今年の正月はなんとか帰れるかなあ」
 普段どおりに会話できているが居心地の悪さは拭えない。
「なんか飲む? コーヒーとか」
「あ、うん、」
「コーヒー用意するよ」
 尋ねられるまま答えると、彼が離れていく。用意、という単語に眉を寄せた。
 ……あの櫂人が、どうやってコーヒーの用意をするんだ?
 彼の手さばきを疑っているわけではないが、家事が壊滅的にできない男だったのだ。櫂人をキッチンに立てるようにしたのは他でもない明史である。炊飯器やお茶の入れ方など、ひとつひとつ教えてきた。
 ……出来合いのものが冷蔵庫に入ってるか。もしくは無難にインスタントか。
 待って数分。彼が良い香りとともにコーヒーのセットをお盆で持ってくる。ドラマのワンシーンに放り込まれたような気分で見つめてしまった。渡されたカップ&ソーサー。飲んでさらに度肝を抜かれた。
 ……これ、コーヒー豆から淹れてるやつだ。しかも美味い。
 この八年でこんなこともできるようになったのか。いや、コーヒーメーカーを使ったのかもしれないと思う矢先、横に座った櫂人がにこやかな顔を向けた。
「俺が淹れたコーヒー、どう?」
「え、どうって」
 訊かれて大きく戸惑う。マジでおまえが淹れたのか! と言いたいところだったが、そう答えてはいけない雰囲気だ。
 ……本当に、オレの知ってる櫂人じゃないような気がしてきた。どうしよう。
「ダメだった? 苦すぎ?」
 明史の増大する不安をよそに、隣の男は心配そうに訊いて自分のぶんを味見する。
「いや、美味しいよ。って、櫂人そのまま飲めるの?」
 ブラックで飲めるようになっていることにも気づいて尋ねる。明史の驚く目を見て、櫂人は得意げな顔になって口を開いた。
「もう大人だからね。味もわかるようになってるよ」
「そうなんだ……確かにこれ、良い豆使ってる。上手に淹れてるし」
 イタリアに関係する仕事をしていることもあって、コーヒーとエスプレッソに関しては舌が肥えている。かなり前から淹れ慣れていることすらわかる。
「わかる? 豆の種類で全然味が違うから、こだわってるんだ」
 と、お気に入りのショップで通販していると話しはじめる。狐につままれたような心境で櫂人のコーヒーカップを見つめた。
 ふと、憶測がよぎる。ショップも淹れ方も、今まで浮き名を流したモデルか女優から学んだのかもしれない。
 ……櫂人は教えれば、こうやってちゃんと身につけられるヤツだ。それに気づいた女性に仕込まれたってことか。
 一瞬で、ジェットコースターのようにテンションが下がった。
「おい、明史? 聞いてる?」
 櫂人の声掛けにビクッと背が震えて現実に戻った。うんうんと機械的に頷く。
 ……そんなことで落ち込むとか、オレはこの先大丈夫なんだろうか。
 友達付き合いに徹すると決めていたが、ささいなことから派手に妄想して凹んでいる。やはり無理なのか。どうにか慣れてやっていけるか。心の中で激しく押し問答しはじめるが、表面では平静を取り繕った。
「櫂人、ここのマンションすごいな。綺麗で広いし」
 唐突な感想に櫂人は目をパチクリさせたが、家のことだと知ってカップを置いた。
「ああ、前はもっと広かったんだけど。一人で住むならこのくらいでいいかなって。新築ははじめてだから、綺麗だーって俺も入ったとき思った」
 同調するように返答してくれるが、大学のときと価値観が変わっているのは明白だ。
 ……前はもっと広かったのか! しかもここより都心で、家賃いくらしたんだ?
 これまでになく櫂人が遠く感じてクラクラした。共通の友人であった雄哉の『遠いお星のゲーノージン様』という言葉がそっくりそのまま当てはまる。
「他の部屋も見てみる? 明史なら全然見せられるよ」
 気さくに言ってくる容姿端麗な男に、やっぱり距離をおこうかな、と痛切に思って見詰め合う。
 口を開く前に、ガコンッという変な音が奥から響いた。
 ……今の音、なんだ?
 疑問に感じた直後、ガコッ、ガコンッという音が立て続けに響く。同じく不思議な表情をした櫂人が、なにかを思い出したのか血相を変えて立ち上がった。
「え、待てよ、まさか!」
 嫌な予感だけを撒いて、廊下へ走っていく。彼の行った方角を眺めていれば、すぐに戻ってきた。とぼとぼとうなだれた様子は、大学時代によく見ていたもの。不謹慎にも明史の心が鮮やかに浮上した。
「櫂人さ」
「……はい」
「なにか、やらかしたのか?」
 久しぶりに言った台詞。頷いた顔が救いを求めている。
 いてもたってもいられず、明史は立ち上がった。凹んでいる櫂人に、密かな期待を抱いてついていく。
「どうしよう。買いなおしたばっかりなのに」
 ドアが重そうに開く。ピカピカの洗面ルーム。だが、床は泡だらけだ。ドラム式洗濯機のドアが半分開いて、そこからモコモコと泡を噴かせている。
「最悪だ」
 悲壮感たっぷりに呟いた男の後ろで、明史は耐えきれず笑い崩れた。
 ……そうだよ、オレの知ってる櫂人はこんな感じだ!
 さすがだ! と思うと同時に気持ちが軽くなる。
「笑ってる場合じゃないんだけど。これ、マジでどうしよう」
 そう言いながら、無用心に泡がぶちまけられた部屋へ入ろうとする二枚目俳優を、爆笑しながら制す。 
「ダメダメ、おまえ絶対滑って転ぶから」
 腕を引かれた櫂人は、整ったきれいな眉をへの字にして振り返る。大学のときのように、明史の指示を待つ瞳。
 ようやく、彼のための笑顔を見せられた。
「大丈夫、この程度ならすぐ元通りになるよ。一緒に片付けよう」
 イタリア語どころではない夜になりそうだが、今日はもうそれでいい。
 ……今の櫂人でも、これなら友達付き合いをしていける。
 櫂人が落ち込んだ顔でタオルの用意をはじめる。その横で明史は完全に吹っ切れた思いのまま、こっそり洗濯機に感謝していた。




... back