* あい繋ぐ星に【第11話】 *


「宝石箱の中みたい」
 香蓮の感想が二歩先で聞こえた。高台から広がる下界。星以上にいろんな色の光がひしめき合っている。
「おーい」
 新たな声が聞こえる。顔を向けると黒っぽい服を着た二人が手を振っていた。先を行く櫂人が、手を挙げて近寄っている。香蓮にあわせて明史も一緒に向かった。ライダースーツの男女は、二人して背が高い。
「先に来てたのか」
「迂回して来たつもりだったんですけど、道が空いてたせいでついつい飛ばしちゃって」
「ゆっくり行こうって話してたのに、誉(ほまれ)はすぐ暴走するんだから」
「姉ちゃんもあのスピードについて来なきゃいいのに」
「とか言いながらすぐどっかに行っちゃうのは、あんたよね?」
 元気な姉弟はバイク乗りらしい。
「まあまあ」
 そばのベンチにリュックを置いた櫂人が嗜める。
「とりあえず自己紹介。俺の学生時代の友人、明史です」
 取り持ってくれるまま、明史も挨拶をした。姉は、外村のどかという名でデザイナー。カメラを首にかけているだいぶ年下の弟が外村誉。彼は櫂人の後輩にあたるモデルだという。香蓮は知り合いらしく、お久しぶりです、と二人に声をかけた。
「あとはアイツだけか。まあ、全員集まったところでそんなすることはないんだけど」
「仲良く鬼ごっこでもしちゃう?」
「したら温かくはなるかもな。って、のどかさんと話すのも久しぶりだ」
「そうね。けっこうすれ違ってたもの」
 年長組であるのどかと櫂人の会話を聞く。香蓮は挨拶の後、ふらーっと景色を前にどこかへ行ってしまった。誉もすでにいない。
「二人どこかに行ったけど、いいのかな?」
 暗闇でも奔放な年少組を心配して訊ねる。最初から知っているように、櫂人ものどかも軽く頷く。
「懐中電灯持ってるし、大丈夫だと思うよ」
「誉のカメラ小僧っぷりはいつものことだから。香蓮ちゃんは……曲をつくる子だからね。インスピレーションを求めに行ったんじゃないかなあ。そんなに遠くへは行かないはずよ」
 クリエイティヴなことを言われて、そういう感じなのか、と思う。さばさばした話し方をするのどかは、キツネ目でエキゾチックな風貌だ。櫂人も女性相手というより、ユニセックスな感じで接している。二人は半年ぶりくらいに顔をあわせたようで近況を話しはじめた。明史にはわからない内容だ。
 瞳を外へ移す。展望台のように整えられた頂上の世界。明史も踏み込んでみることにした。
 柵のところまで赴く。すると外灯もなくなって、広がる光の洪水が際立った。
 ……こんなふうに長年住んでいる街を眺めるのは、はじめてかも。
 大学進学で上京して十二年。都心のタワーに登ったこともなければ、空もくすんだものしか知らない。東京はそういうものだと思っていたからだ。
 でも、ここでは都心で隠れてしまう微かな瞬きもよく見える。そして、この光ひとつひとつが、誰かの家で、職場で、学び場で、人々の暮らしを支えるもので。
 ……でも、さっき田河さんが言っていたとおり、巨大な宝石箱の中みたいにも見える。
 側面が山で覆われているから、そう感じられるのだろう。瞬き方は違うが天上もまた美しい。
 ……星も綺麗に見える。って、櫂人も車の中で言ってたっけ。本当、今日はツイてる。
 見上げても見下ろしてもそれぞれの光が映えるのは、冬の澄んだ空気のおかげだ。しかも快晴。天候の条件がうまくかみ合わないと、こんな景色は見られない。惚けたように眺めて目に焼き付ける。
 むきだしの指がかじかんできた。ポケットから使い捨てカイロを取り出して手を温めながら、明史は振り返った。先ほどのところに櫂人とのどかは留まったままだが、夜景から背を向けている。見つめていると人影が現れた。
 最後の一人がやってきたと知る。明史は三人の下へ戻ることにした。
 のどかと同じようにライダースーツを着た新たな男は、おそらく香蓮のカレシだ。あきらかにスタイルが良いのがわかる。櫂人よりも体格が男らしい。
 近づけば近づくほど、自分が場違いなところにいる気がした。
 夜の中で放たれる彼らのオーラが、強すぎるのだ。
 ……住んでいる世界が違う人たちだ。
 くすんだ暗闇でもキラキラ輝くことができる一等星。そんな特別な業界で特別な地位に立つ五人。
 もう櫂人と隔たりを嘆いても仕方ない気がした。ここでは自分だけが違うのだ。
 櫂人のそばに着くと、男が誰かすぐにわかった。自己紹介をされたが名前は聞かなくても知っている。堀越崇之。彼も櫂人と同じくらい有名な俳優だ。
 男の自分でも惚れ惚れするような顔立ちで、彼が香蓮と付き合っていることに驚いた。一〇歳以上離れているし、接点があるようにも思えない。世間にはまだ秘密の関係なのだろう。
「香蓮は?」
「さっきまで、あのあたりのギリギリ見えるところにいたけど。曲のネタ探しにもっと先へ行っちゃったのかも」
 崇之の問いにのどかが答える。
「それなら仕方ないな。飽きたら戻ってくるだろう」
 彼は息をついて夜を見た。その視線の投げ方が、映画のように様になっている。
「ここに来ると、また一年が終わるんだなって感慨深い気持ちになるよ」
「去年は来てなかったじゃないか」
 その低めの声に明史は目を向ける。今の櫂人は素が出ていない。自分のよく知らない俳優モードだ。
「一人で来たんだ、年末に。それを香蓮に話したら次の冬に連れてってと言われて、こうなったわけだ。バイクも彼女は禁止されてるからな」
「そうなの? 香蓮ちゃんって二輪免許持ってるの?」
「持ってない。取ろうとしたら事務所に止められたらしい。危ないからって」
「なによそれ、子どもじゃあるまいし」
「扱いによっては確かに危ないけどな。それに、どうも清楚で初心な雰囲気を保っていてほしいみたいだ。本人は嫌がってるようだが」
 ……パブリックイメージか。彼女も色々あるんだなあ。若いのに。
 裏事情的な話を聞いて、そんな思いに駆られた。特別な存在であるぶん、色々と制約があるのだろう。
「少女っぽいクリーンな感じか。まあ、香蓮ちゃんは確かにそんな印象だ」
 呟きを拾うように、最年長らしいのどかがニヤリと口元を上げる。
「櫂人くんとは間逆ね」
 言われた本人が視線を逸らす。櫂人自身は芸能界で何度も噂を立たせた意識があるようだ。
 心の中にもやが立つ。明史も幾度となく彼の恋愛ゴシップを目にして、そのたびに櫂人のことが嫌になったのだ。再会するまでずっと避けてきた理由のひとつでもあった。
「去年の子はどうなったの? 来年連れてくるって言ってたけど」
「のどかさん。昔の話を蒸し返すなよ。終わったの、アレは」
「遊び人に戻ったのか」
 からかうような崇之の追撃。
「俺は別に遊び人でもないよ。もっとタチの悪いヤツたくさんいるだろ」
 彼は慌てることなく答える。恋多き男ということは、魅力的な男という意味でもある。櫂人は相変わらず格好良く、煌びやかな業界にいるのだ。そうわかっていてもモヤモヤは消えない。
 ……こういう話は聞きたくない。嫌な気持ちになる。
 美しい夜景が台無しになりそうで、また離れようかと足を一歩下げる。
 だが、次の言葉で全部が止まった。
「それに、俺はもう本命以外と付き合わないって決めてるの」
 ……え、なに? 決めてる? って、本命がいるのか?
 明史が真意を探って凝視したように、のどかも同じことを思ったらしい。
「本命がいらっしゃるの?」
 カマをかける質問に喉を鳴らす。櫂人は不思議そうな表情を浮かべ、肩を大げさにすくめた。曖昧な回答。のどかは大人らしく追求はせず「あら、そう」と、相槌を打って視線を光へ流した。
「俺は香蓮を探してくる。また戻るよ」
 小さな恋人の行方が気になったようで、崇之は場を離れる。
「そろそろ恒例のやついくか?」
 そう言った櫂人がリュックを掴んで前に持ってくる。
「いいわね、温まりたいから。お願い」


 明史が見つめていれば、リュックから簡易ポットと紙コップを出てきた。こぽこぽと彼が淹れるのは、家で用意してきたと思われるコーヒーだ。いつもの香りを渡される。使い捨てカイロよりも冷たい指にすっぽり馴染んだ。
「ありがとう。こういうこともしてるんだ」
「単に寒い夜、夜景だけ見るっていうのもなんだからさ。これだけ当番制なんだ。今年は俺担当」
「野外で飲む温かいコーヒーは粋よね。去年は誰が担当だったっけ?」
 のどかが去年の話をはじめると櫂人もそれに乗る。明史は耳を澄ませ、じっと飲み物を見つめた。
 単なる夜景観賞かもしれないけれど、なんだか知らない世界に足を踏み込んだ気分になってしまっていた。彼らのスタイルも行動も会話も普通と自分と次元が違う。映画の撮影をしているみたいで、感情が追いつかない。
「明史、大丈夫? 寒いか?」
 言葉の少ない明史に気づいたのか、櫂人が心配そうに顔を覗き込む。
「え、いや、ぼーっとしてた。ここ、綺麗だね」
 用意していた愛想だけは見せて、コーヒーをすすった。舌がチリッと焼けて顔をしかめる。
「ザ・冬の夜景って感じだよな」
 隣で言葉をそのまま受け取った櫂人は、大都会の輝きを瞳に映し込んだ。
「こうして東京の夜景を見てるとさ、俺って本当はなにが欲しかったんだろうって思っちゃうんだよな」
 続いた言葉は、予想していたものを軽々と超えていた。
 なんとか櫂人の生きる世界をうまく咀嚼しようとしていた明史も、思考を急停止させた勢いで「えっ!」と声を上げてしまう。
「櫂人くんどうしたの。そういう弱音吐くキャラだった?」
 のどかも驚いている。櫂人は我に返ったような顔になって、ついで苦笑した。
「そういうキャラのときもあるよ。な、明史」
 素が出たことを軽く白状して、自分を見てくる。「まあ、うん」と答えるしかない。
 ……オレも、こんなネガティヴな発言聞いたのははじめてだけど。
 表向きの織茂櫂人はスマートで弱さは出さない。どちらかといえば女の子を守るナイトのような雰囲気だ。逆に素の櫂人は弟気質。おっちょこちょいで素直。でも、根暗ではないし、愚痴もあまり言わない。悩みも問題も自分で解決する力できる男だ。
 だからこそ、のどかもいるというのに悩ましい発言をするとは思わなかった。本当に心苦しいことがあって、懊悩しているかと心配になる。
「すごい昔のことだけど。この仕事に本腰を入れるときに、偉いひとに言われたことがあるんだ」
 しかし、彼は落ち着いて話しはじめる。明史は綺麗な横顔を見ながら耳を傾けた。
「君は皆の太陽みたいになれ、君ならなれるからって。俳優なんて観てくれる人がいて成り立つ人気商売だろ。それで俺は、自分のためっていうより、まずは観てくれる人、楽しんでくれる人のために演じようって思うようになった。今でこそ演じることそのものが面白くなってるけど、根底は自分を観てくれる人のためだ。だから、自分の公のイメージに沿ったり、観たい人の気持ちに沿ったりして役を演じることに抵抗はなかったんだけど」
「もしかして、恋愛ドラマの相手役とか憧れの先輩役とか格好良い間男とか、あえて選んでたの?」
 のどかの問いに、櫂人は眉を下げた。
「選んでるってより、オファーが来るんだよ。でも、皆の中で俺はそういうイメージで確立されていて、演じることで楽しんでもらえるならそれでいいかな、っていう世間の意向に沿ってたのかな。最近は少しずつ幅を広げているけどね」
「それ、櫂人のやさしい良い部分だよ」
 明史は言葉を選んでフォローした。実際、ファンへの対応が悪いなんて聞いたこともないし、貰い物は家の一室に整理されてあるのも知っている。
「やさしいというか、八方美人というか、主体性がないというか」
 彼の卑下するような単語に慌てて「柔軟とも言えるから」と返す。デリケートな言葉の組み合わせに櫂人自身が、うん、と納得するように頷いた。
「さっき本当はなにが欲しかったんだろうって、つい言っちゃったけど。ちゃんと自分ではわかってるんだ」
 最初の言葉に戻る。本人の中では解決していると知り、少しホッとして続きを聞いた。
「俺は皆の太陽になれるよう、この世界で色んな役を演じながら、……自分だけの太陽を探してたんだ。それさえあればいくらでもがんばれるっていう、俺だけの太陽を」
 彼の欲しいものは、とても抽象的なものだった。
 太陽という単語には力があるが、どういうものかピンとこない。逆に、のどかは自分なりの解釈をしたようで、「そうかあ」と呟いた。
「私はそれが服のデザインにあたるのかな。自分でデザインしたものを身に着けてくれる人たちが、私の太陽みたいな」
 彼女の回答に、櫂人が瞳を向ける。
「それが普通なんだよ。のどかさんは今の職業が天職なんだろうな。俺は、ファンや観てくれる皆が太陽です、なんて言っても嘘になる。太陽は唯一だ。俺は全然格好もつかない、すごいちっちゃい話をしてるんだよ。自分が光り続けるぶん、自分の内を照らし続けてくれる自分だけの太陽が欲しかったんだっていう」
 器の小ささを責めるような言い方は聞いていて、明史も苦しくなる。
「櫂人は十分格好良いよ。小さくもない。俳優、天職だと思う」
 彼の言っていることがすべてわからなくても、確かなことは返せた。のどかも「私もそう思うよ。演技どんどん上手くなってると感じるもの」と同調してくれる。
「うん。そう言ってくれると嬉しい」
 眉を下げて微笑む。明史はなんと言えばいいのかわからなくなった。譲った沈黙にのどかが息を吐く。白いもやはたちまち消える。
「自分の胸にある夜を照らす、唯一の太陽か。私にとってはなんだろう。たださ、すっかり太陽が居ついて輝いて、心が毎日ピーカンの空色になっちゃったら、それはそれでクリエイティヴなものは生まれないと思うんだけど」
「それは確かにあるな」
 絵画を文字に起こしたような言い回し。櫂人は理解したらしいが、明史には余計わかりにくい。
「でも、私の大好きな、夜が明けていくときの青をつくるのもまた太陽なのか。あの海みたいな美しい青を、ずっと胸の内に留めてくれるやさしい太陽なら、私も焦がれてしまうかもしれない」
 彼女は立ち上がった。独白に近い言葉。
 ……夜明けの海みたいな青。それならオレもわかる。あの色、オレも好きだ。
「その太陽が、ホンモノだといいわよね」
 櫂人が微笑むのを見たのどかは、弟を連れてくるとベンチを離れた。
「明史、今度夜明けを観にここへ来ようよ」
 唯一同意できた部分を察したように、彼が言う。
「うん」
 目をあわせ、新たな約束を交わす。静かな夜。
 地上と天上の光の間、現れたのは二つの大きな言葉だった。
 本命と太陽。
 櫂人の心が、昔みたいに容易く読めないものになったと悟る。
 彼の見る景色を共有したくても、いくつもの感情が揺れて瞬いてはじけてしまう。会話を続ける気も起きず隣で彼と夜を見つめる。
 寄り添った沈黙から、ようやく香蓮と崇之が戻ってきた。櫂人が我に返ったように動き出す。コーヒーを飲んで雑談がはじまれば、やがて六人全員集まった。長居するところでもないから、と下山することになった。




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