* あい繋ぐ星に【第17話】 *


 けたたましく鳴る音。次の日が来たことを知った明史は、身体を起こして機能をオフにした。室内はうっすらと明るい。
 六時前のひんやりした空気。ゆっくり吸って伸びをする。あまり寝た気はしなかったが、頭は重くないし元気に月曜日をはじめられる。
 ……今日はいつもより遅く出られるって言ってたし、マネージャーさんにも鍵を渡してるっていうから、生姜湯と軽く食べられるものを用意しておけばいいか。
 櫂人の様子を確認すると、素早く行動をはじめた。一時間で自分のできる範囲のことを終え、もう一度寝室に行く。ちょうど咳き込んでいる彼に遭遇して、ベッドへ駆け寄った。
「大丈夫か?」
「ん、昨日より、まし、だるくない」
 ゆっくり呼吸をする櫂人が目元を緩める。熱は引いているようで安心した。
「朝飯は昨日と同じものにしたから食べてくれよ。あと、ガラスポットとボトルに生姜湯も用意しておいた。ポットのはレンジで温めて飲んで。あと、生姜湯のつくり方もテーブルにメモ書きして置いておいた。簡単につくれるよう下準備してあるから」
「ありがと。ごめん、ほんと」
 テンションがすっかり下がっているのか、寝起きから項垂れている。痛いくらい気持ちがわかって、つい手が伸びた。ポンポンと頭を撫でる。
「こういうときはしょうがないよ。まずは治すことと仕事に穴を開けないことだけ考えて。オレはもう帰らなきゃだけど、水曜はなるべく定時で上がってここに来る」
「会社があるのに、悪い」
 もごもごと返す彼が、なにかを思い出したように顔を上げる。
「明史は風邪、移ってない? 来週、海外出張?」
 気にするなと言ったのに、自分のことより明史のことを考えてしまったようで、不安な表情になる。明史は苦笑を殺してことさら元気に答えた。
「オレは大丈夫。出張は行くけど一〇日間くらいで帰ってくるし、来週にはさすがに治ってるって」
「うーん、本当に治るかなあ」
「ちゃんと治るよ! 病は気からって言葉があるだろ、気をしっかりもって」
「そうだよなあ……本当に風邪なのかなあ」
「櫂人、大丈夫だから!」
 凹む彼を励ましていると、びっくりするくらい時間が経っていた。慌ててしばしの別れを告げ帰宅する。バタバタと出社の用意をしてまた自宅を離れた。
 ちゃんと治る、大丈夫、と励ましていた明史だが、櫂人のいない生活に戻ると不安に苛まれた。彼のことを考えすぎて、気づけば手が止まっている。
 ご飯は食べられているだろうか。倒れていないだろうか。不安が募ってメッセージを何度も送ってしまった。病を押して仕事をしている彼の負担になりたくないと思いながら、行動は正反対。
『今は大丈夫。なんとかがんばる』
 こちらを安心させるための返信を目にした明史は、大きく反省した。
 ……オレがしっかりしてやらないとダメなのに。遠いから不安なんだ。早く櫂人に会いたい。
 翌朝も目を覚まして真っ先に櫂人を探してしまう自分がいた。自宅のベッドから降りて溜息をつく。
 この心配ぶりは重症だと思った。でも、心配以外ないのだ。
 ……もう、さっさと明日にならないかな。
 朝の時点で思いながら、火曜日をこなす。櫂人がくれた連絡によると、ピークは越えたようだが咳がおさまらないという。なんだか体調よりも、精神的に落ち込んでいるようでこちらも気が落ち着かない。
 そろそわしたまま水曜日を迎えた。
 寝足りない感覚はあったが、テンションをあげて一気に仕事を片付けた。すべては定時に上がって櫂人の家へ行くためだ。
 誰よりも早く退勤し、自宅へ帰ることができた。急いで用意をしてマンションへ向かう。櫂人には家に行くと事前に伝えてあったから、合鍵を使った。わざわざ開錠しに動かれるくらいなら、寝ていてくれたほうが嬉しい。
 しかし、ドアを開けると、トレーナー姿の櫂人が目に飛び込んできて驚いた。
 真っ暗な玄関前の廊下で、布団をくるみ蹲っている。
「おい、櫂人!」
 慌ててスニーカーを脱いでしゃがみこめば、彼がゆっくり頭を上げた。口を開こうとして、顔を歪めすぐ俯く。痛々しい咳がはじまった。言葉ひとつかけられず背をさする。
 ……早く治ってほしい。櫂人、だいぶまいってるよな。
 寄り添って咳が落ち着くのを待っていると、その傍らで彼の腕が動いた。
 疲れの籠もった呼吸で、身体を傾けてくる。縋るような熱っぽい手。視界に入ると同時に重なった。
 抱きつかれて密着する二つの熱。心の準備をする間もなく息が止まった。
「明史、やっと来た」
 嗄れた声に櫂人の汗のにおいが交じる。抱きつく力が増すと、肌がさらに硬直した。
 鼓動だけが喧しく身体の中で鳴り響く。
 何分間、じっとしたままになっていたのだろう。また、苦い咳が耳元に届いた。
 ようやく櫂人が病人であることを思い出して、明史は我に返った。今しがた思い切り顔を出した情を意地でかき消し、背中をさすりなおした。
「本当に大丈夫か?」
 自分にも言い聞かせる言葉。なにも知らない櫂人の髪が肌に触れる。
 ……冷静になれ。オレが、しっかりしないでどうするんだ。今は余計なことを考えてる場合でも、感じてる場合でもないんだよ!
 こんなに密着されたのは久しぶりすぎて、本気でドキドキしてしまったことを心底恥じる。救いを求めている病人相手にトキメいている余裕はないのだ。
「ベッドに行く?」
 気をきゅっと引き締め、腕を回したままの彼に声をかけた。暖房は玄関先まで効いているが、このままでは風邪を悪化させかねない。
「ん、ソファー」
 離れない櫂人が答える。本当は寝室に行ってほしかったが、意向に沿ってどうにか立ち上がらせ、半ば引きずってリビングへ向かった。
 ……大体、なんであんなところで蹲ってんだよ。
 自分のことを心待ちにしてくれていたんだろうか、と淡い期待を籠める。しかし、静かで暗い部屋に入れば、すぐ彼の本心を察せた。
 ……この家、病人には広すぎるんだ。独りで寝ていたくなかったんだろうな。
 明史が恋しくて待っていたというより、単純に心細くなって玄関にいたのだろう。残念な気持ちが胸に染みたが、独りで寝込むと寂しくなる気持ちはよくわかるし、勝手に期待した自分が悪い。
 ……でも、様子を見に来てよかった。
 櫂人はソファーに辿り着いても、身体を離してくれなかった。精神的に参っている彼にぬくもりを求められる。嬉しいという気持ちは偽れない。
 肩口に額を押し付けて、彼が安堵の息を繰り返す。上半身を両腕でホールドされているけれど、先ほどよりも緊張感はなくなった。
 疼くような情より、慈しみたい想いに全身が満ちていく。
 大学時代を思い出す。明史が知る若い頃の彼は、けっこうな寂しがり屋だった。八年経ってだいぶ大人になったと思ったが……気持ちが弱ると極端に人が恋しくなるのかもしれない。気持ちに素直な性格だとわかっているから、明史も望むままにした。
 ……櫂人はがんばってるのに、なんでこんな辛い思いをしなきゃいけないんだろうな。
 仕事中は咳も倦怠感も気合と緊張で乗り切っているようだが、そんな生活を毎日は続けていられないだろう。現に櫂人はひどく疲弊している。
 心だけでも慰めたくて、大丈夫だと伝えたくて、彼の身体に手を置いた。やさしく撫でると抱きしめてくる腕に力が籠もる。
 寂しい、助けてほしい、という櫂人の気持ちも切ないほど伝染していた。
「代わってやりたいよ」
 純粋な気持ちが口からこぼれる。
 現実は来週から海外出張だ。でも、明史は最悪代替が利く。
 一方、櫂人に代わりなんていない。織茂櫂人にしか出来ないことがたくさんある。
「代わらなくていい」
 くぐもった彼の声が聞こえてきた。
 間近で顔を上げた櫂人の瞳と重なる。嬉しそうな、困ったようななんともいえない眼差し。
「明史に、こんな風邪になってほしくない」
 小さく伝えてきた想いに心臓を鷲掴みされた。
 見つめ合ったまま、言葉も表情も出てこない。そんな明史に、櫂人も自分の発言のおかしさに気づいたらしく、マズイという顔に変わる。
「ごめん。……でも、ここにいてほしい、頼むから」
 出張が控えているのに無理をさせ、風邪を移しかねない状態を謝ったようだ。が、体勢を変えるつもりはないらしい。それがたまらなく愛しい。
 密着する身体。必要とされる感覚。熱と鼓動。
「大丈夫、安心して」
 労わり愛したい気持ちで、明史は応えると彼の髪に頬を寄せた。
「ここにいるよ」




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