* あい繋ぐ星に【第22話】 *


 キャリーケースを開ける気力もなく、夕飯より入浴を選択してベッドへ直行する。今は自宅の布団にくるまって泥のように眠りたかった。
 スマートフォンをオフにして横になると、時間のない空間になった。暗闇からじょじょに場面があらわれてくる。モノクロの景色を歩く自分。眠りながら夢だと気づく。不穏な気配から逃れたくて、意識が浮上する。
 変な気分で目が醒めた。不安を煽るのは悪夢でしかない。
 ……見るならもっと、楽しくて幸せな夢がいい。
 せめて夢の中だけでいいから、自分の思い通りの世界でいてほしい。
 寝返りを打って瞼を閉じる。グルルとお腹が鳴った。
 押し寄せる空腹感に耐え切れず、明史は息を吐いた。スマートフォンの電源をつけて午前四時半という時刻を確認し、さらにガックリする。
 ……あーあ、時差ボケだ。こんな時間にお腹が空いても、カップ麺は食べたくないしなあ。
 天気予報を見て電源を切る。目を瞑って布団を被った。
 櫂人から一切連絡が届いていないことにも、かなりショックを受けていた。
 明史自身も、着信音をサイレントにするだけでなく、SNSの非表示設定までしていたので言えた義理ではないけれど。毎日連絡しあっていた櫂人から、なにひとつこないのは不自然だ。あの本命女性になにか吹き込まれたか。完全に自分に飽きてしまったのか。
 すべて嫌になる。
 こんな夜明け前から死にたくなるような考えに耽る自分。
 ……やっぱりコンビニに行こう。おでんでも食べよう。
 自棄になって布団を剥いだ。電灯をつけて家を出る用意をする。なんでもいいから気を紛らわせたかった。幸い外は晴れで、太陽は地平線に埋もれたまま。厚めのジャケットを羽織る。
 鍵と小銭入れを取ってドアを開けると、足はすぐ固まった。
 目の前にいる壁のような存在に、瞳を見開く。息をするのも忘れてしまった。
「明史」
 櫂人が、怖いくらい真剣な顔をして立っていた。唖然とする明史にかまわず、ドアの縁を掴んで引き広げてくる。突然すぎる出来事に手を離したのが失敗だった。問答無用で室内へ入ってくる男に、脳内の警告音が鳴り響く。
 ……早く、逃げなきゃ。
 慌てて硬直を解いてスニーカーを脱いだ。狭い玄関から離れようと後ろを向く。
 しかし、瞬く間に右肩を引っ張られた。
 自宅に逃げるほどの広さはない。バランスを崩した身体。後ろから抱きしめてくる両腕。勢いよく櫂人の背が壁に当たり、ドンッと鳴った。振動を拾ってずるずると二人で崩れ落ちる。
 沈黙は賑やかだった。心臓が飛び出さんばかりに、バクバクと波打っている。
 こんな真夜中に、最も会いたくて会いたくなかった男から抱き竦められているのだ。なにをしでかすかわからないところがある櫂人だが、今の行動と気持ちが一番読めない。
 でも、動悸と混乱は長く続かなかった。密着する熱の低さが、明史に落ち着きを与えた。
 ……櫂人、もしかして待ってたのか? ずっと家の前で?
 酔狂だと思うより、どうしてそんなことをしたのか? という疑問が頭を駆け巡った。確かめたくて彼の手に触れる。やはり冷えていた。
「ごめん」
 闇を切り裂く声に、ビクッと身体がふるえた。
「姉貴が驚かせたみたいで、本当にごめん」
 一瞬で、あの出来事が自分の誤解だったと悟った。
 ……お姉さんだったのか。でも、本当に?
 櫂人には二人の姉がいるのは知っているけれど、会ったことはない。思い返せば、目元が櫂人に似ていた気もするが、……澱になった負の感情は、信用したい気持ちに覆いかぶさった。
「似てないんだな」
 否定的な言葉を衝動的に返して後悔した。彼が「ごめん」と再度謝ってくる。
「よく言われる。二番目の姉貴は似てないんだよ。地元で美容サロンを開いてて、年に一、二回都内の用ついでにうちに泊まるんだ。今回はそれを明史に言うのをすっかり忘れてた。びっくりさせて悪かった」
 続いた弁解は、切羽詰っているようにも聞こえた。
「姉貴にはちゃんと言ったし、もう地元に帰った。次姉貴が来るときは忘れないように事前に伝えるから、またうちに来てくれよ。明史の好きなように使っていいし。置いてった家の鍵、持ってきたんだ。あ、生姜湯もありがとう。風邪は治った。咳もなくなったよ。明史のおかげだ」
 捲くし立てる言葉を聞けば聞くほど、明史は異様なくらい冷静になった。
 ……そんなことなら、SNSでさっさと伝えてくれればいいのに。
 誤解させたと気づいた時点で教えてほしかった話だ。たとえ明史がSNSを無視したとしても留守電という手段があるし、家の前に置き手紙を差し込んでくれれば読む。身勝手な憤りかもしれないが、連絡もせず家の前でひたすら自分を待つ、という無謀な行為が許せなかった。
 ……ようやくあのひどい風邪が治ったのに、ぶり返す気か。忙しいって言ってたのに、大事な仕事の合間になんてことをしてるんだよ!
 そもそも抱きしめている意味も、誤解だと思った彼の胸中もわからない。
 ……大体、お姉さんにはオレのことをなんて言ったんだ?
 無言で頭をフル回転させていると、胴に回る腕が強くなった。
「出張から帰ってきたばかりで、こんな夜中にビックリだよな、ごめん。今夜は運よく空いてたから、朝まで待つつもりだったんだ。でも、家の電気がついたのが見えて、居ても立っても居られなくなって。本当はイタリアに行ければ格好よかったんだけど……ドラマみたいにはいかないよな」
 自嘲気味の呟きは、いつまでも黙っている明史を気にしたらしい。
「なあ、聞いてる?」
 小さく頷くと、彼の髪が首元に当たった。顔を寄せる甘えた仕草に肩が強張る。
「情けないかもしれないけど、俺、明史に拒絶されるのが一番嫌なんだ」
 全身に回っている恋の毒がピクンと動いた。
 櫂人の本音だった。でも、嬉しさには届かず、もっと深く本心が聞きたいと願ってしまう。自分の不安を取り除いて欲しかった。
「櫂人」
 上擦らないように耐えながら、名を呼んだ。
「お姉さんに、なんて言ったんだ?」
 祈る想いで尋ねる。 
「……一番大切な友達だ、って」
 奈落の底に突き落とされた。
 大嫌いな『友達』という単語。はじかれたように激しく身を捩った。本当に捩れるくらい胸が痛かった。櫂人に触れられたくない。鳥肌の立った手で彼の腕を引き剥がそうと暴れる。
 けれど、櫂人は離そうとしなかった。明史をムキになって押さえ込む。病み上がりでも普段ジムで鍛えている彼のほうが腕力は強い。
 とうとう、明史は声を上げた。
「そう思ってるなら、こんなことするなよッ」
 わずかに期待した自分が惨めでバカに思える。
「離したくない」
「おかしいだろ。今の状況、」
 力尽きて乱暴に吐き出せば、腕で封じ込める櫂人から答えが返ってきた。
「離したら、明史がいなくなる気がする」
 ズキッと古傷に刺さった。
 ……だからって、オレはこのままの付き合いなんてできない。
 ワガママに応える余力はないのだ。うまく話を終えて、帰ってもらいたかった。
「SNSで繋がってるだろ。それでいいじゃないか」
 大学時代の決別にはならないことを暗に伝えたが、彼は大きく首を振った。
「あんなかたちだけのやり取りで、俺の気持ちが伝わるわけない。明史がブロックすればそれで終わるんだよ」
 気持ちを先回りする発言に眉をひそめた。彼も自分の性格をわかっているのだろう。
「ここにいるって実感がないとダメだ。姿を見て、こうやって触って」
 なんともいえない気分になったが、櫂人の片手が胴から胸へ上がってきたのには動揺した。手で掴んで止める。
「触るな」
「明史に触るとホッとするんだ」
 怯むことなく、今度は頬を寄せる。居た堪れない気持ちで息が浅くなった。
「……友達同士は、こういうこと、しない」
「明史が、俺のことを『友達』だって言ったんだよ」
 耳元に響いた言葉に身が固まる。自業自得だと言わんばかりだった。
「オレ、の、せい、なのか」
 声はふるえてしまったが、口にせずにはいられなかった。櫂人が頷く。
「友達だって明史が言うなら、俺はそれでいいんだ。時々でも俺に会ってくれるなら、それ以上は望まない。明史の嫌なことはしたくないから」
 そして、抱きしめていた腕を緩ませる。言い回しに違和感をもった。
 ……じゃあ、オレが『友達』だって言わなかったら、どうなってたんだ?
 彼の本当の想いをもっと拾いたくなって、解かれた上半身を後ろへ向ける。意外すぎる表情に目を見開いた。
 櫂人は、死にそうな顔をしていた。
「そうやって、俺だけを見ていてくれよ」
 繋ぎ留めようとする瞳は、瞬きもしない。
「いつもそばにいてくれ、なんて言わない。でも、たまにでいいから会ってほしい。明史がいるってことを確認して、安心したい。お願いだから」
 なんでそんなことを言うのだろう。どうして縋るように自分を見つめるのだろう。
 有名な俳優にそんなことをさせている自分は一体何者なんだろう、と思った。
「櫂人にとって、……オレはなんなの?」
 ずっと気になっていたことを、ようやく口にする。
 彼の澄んだ瞳が煌めいた。




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