* モアザンパラダイス【第7話】 *


 六時過ぎ、迎えに来た車に乗り込むと、彼から「友達ってことになってるから、もう完全に敬語はナシ。サン付けもやめてね」と耳打ちされた。気にしていたらしい。真幸も友達として振舞うつもりで頷く。
 居酒屋に着くとすでに盛り上がっていた。貸し切られた店内には、総勢三十人いるだろうか。圧倒的に男性が多い。
 しかも、全員がすでに真幸の名前を知っていた。どうやら水族館で会った辰良が言いふらしていたらしい。
 自己紹介をする必要もなく、顔を向けてくる面々に挨拶される。この人数すべてが宏和の親戚ということにもびっくりしたし、大きな式典ときはこの一〇倍くらいの親戚が集まると聞いてさらに驚いた。皆、彫の深い風貌で個性的だ。宏和に似ている顔立ちの人もいる。年上が多いのは、なんとなく察せられた。
 知らない土地の飲み会に参加してしまった緊張はあったが、宏和が気遣って持ってきた泡盛のコーラ割りとイカ墨汁には、どうしてこのチョイスなんだろう、と笑ってしまった。昨日からどうも彼の選ぶ食べ物と飲み物の組み合わせがおかしい。
 ……両方、すごい黒い。このお汁、はじめて見るけど美味しいのかな。
 宏和の食のセンスについて一度訊いてみようと思ったが、彼は親戚に呼ばれてどこかへ行ってしまった。コーラ割を飲みながら物珍しいイカ墨汁を眺めていると、辰良に話しかけられ、沖縄独特の料理について説明をされる。すると、会話に乗って別の親戚たちも話しかけてくる。
「キミは東京から来たのかー」
「はい。生まれも東京です。郊外なんですけど」
「宏和とはあっちで仲良くなったのか。アレの大学は東京だったよなあ?」
「大学だけで、あとは仕事も高校も埼玉だったか」
 確認するように訊かれても、真幸も今知ったのだから曖昧に返事をするしかない。突っ込んだ話をされると困るので、先に疑問に感じていたことを問いかける。
 自分の名前がややこしい、と言われたことだ。
「あの、僕の苗字って、ここでは言いにくいんですか?」
 その回答は早かった。どうやら『東原』という姓は、沖縄で『アガリバル』と読むらしい。方言が身についているから、『ヒガシハラ』は読み慣れないということだった。
「うん。アガリバルマサキのほうが格好いいさー」
 と、口々に言われる。すでに酒の肴扱いだ。そこから沖縄北部は琉球言葉が根強く残っていることを教わり、ついで東京生まれ育ちの珍しさから、都会の生活について質問責めされた。
 ほろ酔いの男たちから解放されると、一息ついてカウンターに腰をかけた。
「真幸くんだっけ? 皆酔っててごめんね」
 顔を向けると、真幸より背の低い女性がビールジョッキを持って微笑んでいた。セミロングの茶髪にシャツワンピース。宏和に顔の系統が似ている。近しい親等なのだろう。
「大丈夫です」
「あまり気にしないでね。ビールいるかな?」
「そんな、自分の取ってくるので」
「いいの、お願い飲んで? 私、今妊娠してるから飲まないの」
 妊娠という言葉は説得力があった。彼女の下腹部を見る。目立ってはいないが、少し膨れてきているのかもしれない。
「いただきます」
「さっき、宏和から黒い酒と黒い汁を渡されたのを見たわよ。私は鈴与って言います」
 彼女は笑いながら自己紹介すると隣に座った。男だらけの宴会で数少ない女性の一人だ。妊娠五ヶ月、宏和の従姉で一つ上。元々宴会の席が好きなのと、旦那が飲み会に参加しているということで、運転手代わりに来ているらしい。帰り際に、何人も飲んだくれた男たちを家まで運ぶのだと話してくれた。気さくな鈴与に真幸の心もほぐれた。
「僕、実は宏和と仲良くなって、そんなに経ってないんです。それで、こんなところに来ていいのかなってちょっと思っていたんですけど……」
 呼び捨てするのは気が引けたが、友達のふりをして、思っていることを伝える。
「あら、そうなんだ。気にしなくていいのよー。酒飲みばかりで女性陣は毎回呆れてる飲み会だけど、一応宏和の会みたいなものだから」
「そうなんですか? 主賓っぽくはないけど」
「宏和が来るって真っ当な理由をつけて、ただ酒が飲みたいだけだからね。でも宏和来ないと意味ないねえ」
「毎年やってるんですか?」
「アレが未成年のときから、この飲み会してるのよ。ワルイ大人たちさー。宏和もかまわれるのが好きだから、こっちに戻って来ないでしょう? 友達置き去りにしていいのかしらねえ」
 視線を向ける先に、おそらく宏和はいるのだろう。立っている男たちに邪魔されて姿は見えない。
「宏和って、いいひとですよね。普段もそんな感じなんですか?」
 気になっていたことを、よく知る従姉に尋ねる。真幸には彼の良い面ばかり映るのだ。お人好し過ぎて、少し疑いたくもなる。ところが、鈴与はあっさり同意した。
「ちっちゃいときから変わらないね。やさしくて世話焼き。いい子よ」
「人として完璧じゃないですか」
「それは、どうだろう。物も人も好きになったらとことん一途で尽くすけど……ただ、なんかズレてるところがあってね。思い込みも激しいのよ。たとえば、好きなものと嫌いなもの反対に覚えてプレゼントしちゃったり、自分がいいと思ったことを勢いでぐいぐい押し付けちゃったり。昔、内地からの土産で沖縄にはないからってわざわざどこかの上等な和菓子を買ってきたことがあるんだけど、すぐ腐れちゃって結局食べられなかったってこともあったねー、……こんなこと話すと、あとで怒られちゃうか」
 やはり宏和にも欠点はあるらしい。しかし、幻滅するどころか短所を知れてよかったと思った。また少し彼のことが好きになる。
 ……いいひとだけど、おっちょこちょいというか、お節介なところもあるのかな。でも、完璧よりかはいい。
 鈴与は宏和が側にいないことをいいことに、その他の弱点も教えてくれた。
「あとね、宏和は子どもが嫌いなのよ。中学生の途中までは子どもの世話もしてくれてたんだけど、やさしいから悪ガキどもによくからかわれて。それで子どもたちの度が行き過ぎて、ある日崖から突き落とされたのよ。すごい高いところから。宏和、入院するくらいの大怪我したの」
「そんなことあったんですか!」
「うん、それで夏休みから復帰できなくなっちゃって。中二のときかな。十月くらいにようやく内地戻って、学校も出られるようになったものの、その翌年は受験でしょう。部活も満足にできなくなって、勉強の挽回も大変になって、すごく苦労したみたい。子どもたちは大目玉を食らってすぐ宏和に謝りにいったんだけど、本人はずーっとショックを引きずっちゃって。理由も悪気がなくて突き落としちゃったっていうから余計ね。感情のやり場がわからなくなって混乱しちゃったみたい。それから今も小学校四年生くらいまでの子が嫌い……というか、恐怖みたいよ」
 でも、相変わらず動物は好きで、昔はよく捨てられた子猫や子犬を拾ってきては祖父母の家に連れて帰っていたそうだ。
「根っからやさしいヤツなんだけど、子ども嫌いはいろいろ致命的よね」
 ……子どもが怖くなっちゃった話は同情しちゃうけど。
「お腹にいる子産んだら、一〇年くらいは私に近寄らないかも」  彼女は笑うと、とても宏和に似てる。子どもがくっつきたくなるような笑顔だ。
「そうかもしれないですね」
 ふと、出逢った初日に、親戚の家は出産ラッシュで泊まれないと言っていたことを思い出した。今の話を聞いて、おそらく実際は、小さい子どもと触れ合うのが嫌だからホテル泊を選んでいる、ということなのだろう。
 ホテルに泊まらないときの宏和はどこに滞在しているのか、と尋ねる。鈴与は上を指した。今回はこの二階にある甥の部屋に泊まる予定だったそうだ。ただ、高校生の甥は毎日部活で忙しいらしい。
 泊まるのをやめたのは宏和の性格的に気が引けたのかも、と話す鈴与の声を真幸は黙って聞いていた。それも一理あるが、一番は真幸が「一人にしないでほしい」と頼んだからだ。
 ……でも、ホテルに全泊してほしいって、言ってよかったかな。
 会話を弾ませていると、不意に楽器が鳴り響いた。サンシンの音だ。メロディーにあわせて皆が歌ったり踊ったりしはじめる。宏和が言った通りだ。
 今まで経験したことのない、明るく和やかな飲み会に真幸は魅入られた。親戚も皆わだかまりなく屈託もない。ただ、一族の繋がりの濃さは感じる。訛りも強く、聞こえてくる話が半分理解できない。
「あんまり内地にはないでしょ。こんな感じ」
 鈴与に言われてコクリと首を動かす。少なくとも、縁が薄い自分の親戚でこんな集まりは不可能だった。
「来てよかったです」
「また、おいで。ここに来たなら、いちゃりばちょーでーさー」
 彼女が方言のようなフレーズを使う。
「いちゃば?」
「いちゃりばちょーでー、よ。出会ったらもう皆兄弟って意味。ここの方言さ。来年も宏和は来るし、一緒にくっついて来なさいよ」
 てらいなく鈴与は微笑んで、お腹をさすった。
 来年、という言葉。それは、真幸にとってとても不思議な響きだ。
 宏和とはまだ出逢って三日しか経っていないのだ。
 でも、とても前から知っているひとのような安心感があった。鈴与と話してその温かい感覚は深まる。
 小さく頷くと、彼女は飲みきったビールを片して、泡盛の水割りを持ってきてくれた。すると、ようやく宏和も後ろからやってきて隣に座ってくる。
「放っておいてごめん、楽しくやってる?」
 心配気に聞かれたが、真幸は充分なほど宴に酔いしれていた。琉球独特のメロディーが心地よく流れていく。
「うん。踊りとか歌とか見てるだけでも、面白いよ」
「なら、よかった」
「そういえば、宏和ってサンシン弾けたんじゃない? 久しぶりにやってみなよ」
 鈴与の声を聞いた連中が振り向いて反応した。
「鈴ちゃん、なんでそういうこというの!」
「そう言いたくなる時間帯なのよ」
「からかってるだろ」
「弾くの? 弾けないの?」
「内地行ってもう忘れたか?」
 親戚の声にも耳を向けた宏和が、真幸を見た。隣で鈴与がにんまりと待っている。従弟をけしかけて遊んでいるのだろう。見つめられた真幸は尋ねた。
「弾けるの?」
「弾けるさ」
 問いに弾かれたような返事をして、宏和が立ち上がった。先程いたところへ戻っていく。
「すぐムキになるのも、小さいときから変わらないねー。だから、からかいたくもなるっていうか」
 鈴与に、おいで、と手で招かれ前へ向かう。畳席に座る宏和は慣れた手つきでサンシンを抱えていた。簡易椅子を用意されて、すぐ近くに座る。
「俺、三曲くらいしかソラで弾けねえよ」
「三曲も弾けるか?」
「ほら、弾いて弾いて」
「なんだよ、俺、ちょっと酔ってんだぞ。ええと、」
 親戚の野次にムッとながらも、彼は音を鳴らした。しっかりした旋律がはじまる。民謡だ。皆がくちづさんで、まるで合唱になる。
 親切で楽しくて、楽器も弾ける。真面目な顔をして弾く宏和を見て、真幸は心の底から格好いいと思ってしまった。
「宏和って、イケメンですよね?」
 酔いの勢いで鈴与に耳打ちする。すると、うーん、と、彼女は唸る。
「うちの親戚の中では、確かに一位二位を争う格好よさかな。おじいに似てるのよね、背が高くて。あのサンシンは祖父がつくったのよ。ヘビ取ってさばいて、木削って組み立てて。宏和も手先が器用だねー」
 新たな逸話を聞いて、彼をもう一度眺めた。宏和は祖父に似ているらしい。はじめは隆章にすごく似ていると思っていた。でも、今はそう感じない。彼の親戚に囲まれると、宏和の顔立ちに沖縄っぽさがあるとわかる。
 演奏は完璧で皆から拍手が起きた。真幸も感動のまま褒めれば、彼は照れたように頭をかいた。
「サンシン弾いてよかったなあ」
「よかったでしょ」
「でも無茶ぶりだったからな、今の! けっこう緊張したよ。失敗すると、そのあとずっとからかわれるんだもん」
 発表会を終えた子どもような表情を見せる宏和は、鈴与とかなり仲がいいようだ。幼い頃からの遊び相手だったのだろう。
 ……宏和さんの根っこの部分がたくさん見れた。なんか本当にいいなあ、宏和さんって。親戚の皆さんもいい感じで。
 宴は続き、零時頃になってようやく解散の雰囲気が訪れた。運転手の鈴与が旦那とその他数人を集める。宏和と真幸も彼女の好意に甘えてホテルへ帰ることとなった。
「あの、妊婦さんなのに、すいません!」
「いいさー。いつものことなのよ」
 気が引けて謝ると鈴与は気にしない素振りを見せ、二日酔いには気をつけてね、と返してくれた。着いたホテルは静かだ。車降りた宏和が明るく声を出す。
「また来年な!」
 鈴与は運転席でニヤニヤしながら言葉を返した。
「来年は産まれてるけどね!」
 深夜の駐車場によく響いた台詞を受けて、宏和は途端に渋い顔をした。鈴与の話は本当だったようだ。ミニバンが離れると、真幸もちょっとだけからかいたくなって声をかけた。
「子どもが怖いって聞いたよ」
「えっ、聞いたの? 鈴ちゃんのヤロウ……トラウマなんだよ」
「怖いもの、あるんだね」
「あるよ、そりゃ。動きが想像つかないやつとか」
「動物は好きって聞いたけど」
「ものによるよ。ハブとかクラゲとか……野生系の動物も好きじゃない。何しでかすかわかんないだろ」
「へえ、意外だ」
「動物園にいる動物なんかは、大好きなんだけどね」
 ぐるっとエントランスへ回ってホテル内に入る。聞こえていた波の音は、自動ドアが閉まると途切れた。
「幼稚園の中にいる子どもとかは?」
「いや、あいつらは柵の中にいても、知能ついてて何しでかすかわかんないから嫌」
 子どもの話になると、渋い顔に戻る。その様子に笑いながらエレベーターに乗った。七階に着いて、ひっそりした廊下を渡る。
 真幸は部屋に着くとホッとした。とても満たされた気持ちで宏和を見る。
「飲み会、すごく楽しかった」
「マジで? 俺の親戚は気兼ねないのばっかだからいいかなって思ってたけど」
「自己紹介する前に、皆知ってたのはびっくりしたよ」
「一瞬で広まるからな。話題に飢えてんだよ」
 宏和が冷蔵庫からペットボトルのさんぴん茶を二つ取る。本土でいうところのジャスミンティーだ。ひとつを渡されて、真幸も口をつけた。鈴与からお酒のジョッキを何度も渡されたせいで、いつもに増してアルコールを摂っている自覚はあった。
「おれの苗字、沖縄だと、ヒガシハラじゃなくてアガリバルになるんだね」
 思い出したことを口にする。苗字の読み方すら変わるというのは、海外に行ってもあまりない話だ。改めて沖縄を異文化だと感じた部分で、宏和も大きく頷いた。
「そうなんだよ。だから、下の名前がよくってさ。俺も沖縄に来ると読み方も沖縄脳になるんだよ。西原はセーバルって読んじゃうし」
 真幸を呼び捨てにしたいと言った理由を知る。知れば知るほど、彼に興味が湧いてくる。
「そういうの面白いなあ。勉強になる」
「この島、いいだろ?」
 首を縦に振る。彼のおかげで、旅行は良い思い出に上書きされはじめている。
「ところで。ちょっと込み入ったこと、訊いていい? 嫌なら、答えなくていいから」
 冷蔵庫に飲み物を戻した彼が近づいてきた。
「タカアキって、ひと」
 突然、躊躇もなく響いた名前。
 一瞬にして血の気が引いた。訊かれたのは不意打ちだった。サッと目を逸らす。
 ……ヘンだって、感づかれてた。どうしよう。
 朝、真幸が寝ぼけて甘えるように口にしたことを覚えていた。どういう関係なのか問われてシラを切れるだろうか。露骨に気まずい顔をしたせいで、余計嘘はつきにくい。
「ごめん、でも、俺、大丈夫だよ」
 重くなった場を切り裂いたのは、宏和だった。悪いことをしたように真幸の顔を伺って話す。
「偏見とか、ないから。どうしても、気になっちゃって。それに、勘違いだったら……」
 デリカシーなく訊いたぶん、寛容的な態度をみせる。彼の瞳は澄んでいて嘘ではないと証明しているようだ。
 隆章のことを真幸の恋人だったと推測しているのだろう。宏和のアタリだ。しかし、同性の恋愛は気軽に認められているものではなく、人によっては嫌悪感を抱く。
 違う、と言ったほうがいいのか、素直になったほうがいいのか。
 偏見がないと彼が言ったのを信じて、真幸は正直になることを選んだ。
「引くよね。ごめん」
 カミングアウトは緊張する。しかし、宏和のほうが狼狽したようだ。
「いやいやいや、真幸が謝ることじゃないよ。うかつに訊いた俺のほうが悪い。一度気になると、ずーっと気になっちゃうところがあって。事実を知ったからって、どうこうもないし、ほら、俺は気になんないんだよ。親戚にもいるし」
 意外な話に注目した。先ほど会った親戚の中にゲイはいた気はしないが、一応確認する。
「今日、いたの?」
「いや、今日はいない。そいつは内地に出てる。すごくスタイルいいヤツで、カレシ持ちなんだ。年に一回くらい会うよ。イッコ下でガキの頃はすげー仲良くしてたから」
 身内に同性愛者がいて今も仲良くしているという。信頼できる証だ。
「……よかった」
 本心がもれる。宏和もつられたように安堵をみせた。
「あと、俺も……実は、経験あるのよ」
 さりげなくもうひとつの告白をされて、目を丸くしてしまった。
「えッ?」
「最後までは、してないけど。学生のときに、酒の勢いでイケるなって思ったら、けっこうイケちゃったんだよね。って、なんの話してんだ俺は」
 過去を暴露して頭を掻く。軽く壁を乗り越えてしまえたのは、彼の気質か一つ下の親戚の影響か。どちらにせよ、先入観にとらわれることなく人と接する性格のようだ。
「本当に、偏見ないんだ」
「ないない。俺、性別で人を選ばないから。大事なのは中身だよ」
 真幸の欲しかった言葉を、彼はさらりと言えてしまう。
 宏和がますます格好よく見えてしまった。しかも、男女関係なく恋愛対象としてみれると言われたような気がして、さらに意識してしまう。アルコールのせいで理性的なリミッターも弱まっていた。
「ありがとう。そう言ってくれると、すごく嬉しい」
「俺、ずっと真幸に気遣わせてたよな? ごめんね」
 ほうっと息をついて気持ちを返すと、宏和がまた気にしはじめる。真幸は首を振った。
「いや、そういうわけじゃ、」
「けど、デリカシーのない話、持ち出したの俺だもんな。本当に悪いことしてる」
「そんな、逆におれのほうが、」
 会話に流されてマズイことを話そうとしている自分に気づき、口を噤む。気にしがちなところをもつ彼は、案の定復唱した。
「真幸のほうが? どうしたの?」
「えっと、あの、」
「逆に?」
 心配するような目線に変わりはじめる宏和に、観念して口にした。
「おれのほうが、悪いことしてた」
「そうなの? どこが?」
 白状することはお互い様だ。偽らないほうがいい。
「すごく似てる」
 誰を示しているのか、までは言わなかった。しかし、察しのいい宏和は瞬時に理解する。
「……もしかして、タカアキに?」
 戸惑うような疑問形が返ってきた。慌てて頭を下げる。
「すっ、すいません!」
 大きな後悔が広がった。さすがに引かれてしまったかもしれない。
 同性同士の恋愛に偏見がないと言っても、別れを告げてきた恋人に似ていると告白されて、何も思わないわけがない。しかも、まるで恋人の代わりをしているような状況だ。親切心に甘えすぎている自覚はあった。
 謝っても反応がない。恐る恐る首を上げると、間近に彼の真面目な顔があった。真幸の姿勢が戻るのを待っていたようだ。
 ……本当に、今のはマズイ発言だった。後に退けない。
 不安が一気に最高潮へ駆け上がる。宏和は表情を崩さず、視線も外さない。
 見透かされているようで、真幸が視線を逸らす。
 その瞬間、くちびるに柔らかい感触があたった。
 驚きしか出てこなかった。
 突然のキスに、心臓がバクバクと波打つ。
「似てるっていうから、ちょっとしてみた」
 すぐ身を引いた彼はいたずらっ子の顔だ。
「あ、似てるっていうのにこんなことして。俺、また傷つけてる? 軽率なことしちゃってた?」
 あまりにフランクなスキンシップから、一転して真幸の様子を伺う視線を向ける。真幸は弾かれたように手を振った。
「そんなことない! もう似てるって思ってない。それに、全然性格が違うから!」
 ……簡単にできちゃうんだ、同性と! このひと、すごい。
「性格全然違うのかー。ちょっと残念。って、そっちのほうがいいのか」
 押し問答のような独り言を口にする彼を見て、ようやく照れがやってきた。
 ……何考えてるんだろう、宏和さん。キスなんかして。
 沖縄にいる間『代わり』をすると言ったこと。同性間の恋愛に偏見がないと告白したこと。今のキス。
 彼は初日に出逢ったときと変わらない。真幸一人が感情に振り回されている。
 ……ここに旅行に来てから、ずっと調子が戻らない。宏和さんはけっこうマイペースだし。
「真幸、シャワー浴びる?」
 思った通り、彼は次の話に移っている。アルコールの摂取量を思えば、無理に浴びずこのまま寝てしまったほうがいい。
「酔いがまわってて、……朝入ろうかな」
「俺もそうする。じゃあ、寝よっか」
 そう言った宏和が、さっとベッドへ上がる。しかし、そこはどう見ても真幸の使っているほうだ。
「宏和さん?」
「サン付けは、ナシ!」
「……宏和」
「いいねー。もっと親睦深めようぜ。真幸、おいで」
 手を広げてあっけらかんと呼び寄せるが、真幸は展開についていけなかった。
「酔ってる?」
「うん。ほら、大丈夫」
 笑顔を向ける彼は、アルコールのせいでおかしくなってしまったらしい。
 真幸も、彼の行動に抵抗するのは意識しているみたいでおかしいように思えた。仕方なくポンポン叩かれたところに上がって寝そべる。
 彼の体温がすぐ近くに感じられて、鼓動が跳ねた。すぐ近くには、今さっき重なったくちびる。どうしても意識してしまって目をつむる。
「真幸ってさ、ほっとけないオーラがあるんだよ」
 独り言のような台詞とともに、宏和の手が腕に触れてくる。
「ひんやりして、触り心地がいい。いいなー、こんな肌。スベスベだなあ」
 なぞられて、硬直した。宏和の真意を探りたくてもドキドキが邪魔をする。
 でも、触れてくる手を退けることはできなかった。
 ……宏和のにおい、体温。悪くない。
 朝、抱き締められていたときと同じような気持ちよさが浸透していく。このままずっと眠っていたいという、柔らかな幸福感。
「大丈夫だろ。もういきなりキスとか、しないから」
 からかうような声で、彼がささやいてくる。耳元がくすぐったい。
 ……アルコールって、なんて都合がいいんだろう。
 宏和がどんな気持ちで隣にいるのか、もうどうでもよくなった。全部アルコールにせいにして彼に触れる。すると、大胆に抱き寄せられる。深く息を吸って、宏和の体温に包まれる。
 ……このひとになら、またキスされてもいい。
 彼の息遣いを耳と肌で感じながら、不謹慎にも真幸はそう願ってしまっていた。




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