* 水曜日【第24話】 *


 安心したように眠る夏紀の首許を撫で続ける。則之の目は冴えていた。
 自分の聖域である寝室で、夏紀が眠っている。則之自身が連れてきたのに、不思議に思っている自分がいる。長い期間この部屋に他人を入れたことはなかったのだ。恋人である美加子すら、まだこの部屋に入ったことがない。そんな則之の最もプライベートと言える部屋で、夏紀が自分の腕を枕にして眠っているという現実。
 この部屋で彼と眠ることにしたのは、プレイルームがケーキまみれになっていて身の置き場がないからだ。冷房の温度を一番低くしてドアを閉めているが、間違った生ものの扱いかたをしたのだ。後片付けは大変だろう。翌朝は部屋の清掃という大仕事を最初にしなければいけない。……そう則之は寝室に連れてきた理由に説得力をつける。しかし、真意には遠いと我ながら気づいていた。
 夏紀はこの家のリビングを気に入っているから、床に敷物を敷いて寝たとしても嫌がらなかっただろう。二人がけのゆったりとしたソファーは恰好の昼寝場所だ。この家には夏紀以外にも、いろんな人がいろんな理由で泊まりに来る。学生時代の友人六人が集まった家での飲み会では、プレイルームとリビングが寝床になった。いつのときも則之の寝室だけは開放しなかった。高校を卒業以降、この自室に親以外の人間が入ってきたことがないほど、ここは不可侵の領域だった。人と交わるためにプレイルームをつくったのも、寝室をそういったものに使いたくなかったからだ。
 そういっても則之は特に潔癖でも神経質でもないし、秘密主義でもない。寝室に人を招きたくないのは、単純に気分の問題だ。入れたい人しかこの部屋に入れたくない。寝室はセックスの場であってはならず、自分の素が出せるところでなければならなかった。世間や欲に惑わされない自分らしくいられる、安心して眠れる場所。そこに夏紀がいる。則之にとって彼が深いところまで入り込んだ存在になっていたことを、自らの無意識の行動で改めて気づかされた。
 間違いなく、則之の中で夏紀は確実に他とはなにか違えていた。寝室に招くことも自然とできたし、無体を強いられても応えられるし、主張は無視できない。自分のことを好きだという彼の気持ちはホンモノだろう。
 はじめは自分の身体と性癖にしか興味がないと思っていたが、ここまで真剣に同性の男を追いかけてくるのは尋常ではない。自分を求めてくる彼の行動や言葉を、則之は跳ね除けるどころか好ましく感じていた。
 だからこそ、則之は夏紀のことを真剣に見定めようとしていた。本気で彼のことを考えようと思ったのは、夏紀に想いを告げられた先々週の日曜日だ。美加子たちが則之の動向を疑いはじめているという外的な部分も、夏紀への対処を早急にしなければまずいと思わせる一因だったが、それより夏紀へきちんと気持ちを伝えなければならないと思ったのだ。
 きちんと大人としてけじめをつけなければならない。こんな宙ぶらりんな状態で、夏紀も則之もずっと関係が続けられるわけがないのだ。
 気持ちを則之に聞かせた夏紀は、不安な表情を見せるようになっていた。本人に自覚はないようだが、時々則之を窺うように見つめてくる。先月はもっと堂々としていた気がする。その前の月は、もっと高圧的な態度をとっていた記憶がある。会えばあうほど彼が不安な表情を見せていく。それが、則之を居たたまれない気持ちにさせた。夏紀にとってもこの状況は良くない。間違いなく道を踏み外している。大人として軌道修正させなければならない。そう思うのに、今、腕の中で彼はあどけなく眠っている。
 則之の心は、この体温を前にせめぎあっていた。夏紀が意識を落とす寸前でつぶやいた、「しあわせだ」という言葉。それが則之の琴線に触れて留まっている。このいびつな関係に添えられた、幸いの意味。

 幸せ。

 それが一体なんなのか、則之は帰省中ずっと考えていた。
 こんなにひとつの言葉に思いつめたことなどあるだろうか、というくらい考えた。「自分にとっての本当の幸せ」を見つけようと己の内側であがいた。しかし、こんな短期間で明確な答えなど出てこない。散々懊悩する姿ばかり見せたせいか、都内に戻るときも親や親戚から仕事で心配ごとでもあるのか、大丈夫か、と気をつかわれた。
 それでも、ただ考えごとをして夏季休暇を終えたわけではない。一歩ずつでもいいから結果を出して答えに近づこうと思った。帰省中にまず決心して実行したのは、同性の元カレである馨と肉体関係の断つことだった。それが手始めに一番やりやすかったからだ。
 帰省中に、はじめて馨へ自分から連絡して、もう会うつもりはないことを伝えた。最近は馨にも本命の相手が出来たせいか、彼から連絡は数ヶ月来ていなかった。久しぶりに言葉を交わした馨は、兼次から聞いたとおり海外にいた。同性同士の恋愛関係が成立するコミュニティーは情報の分散が早い。バーを経営する兼次はとりわけ噂好きである。
 海外で日本の携帯電話を使っていた馨は、高額な通話料にケチをつけながら則之の宣言をバカにするように受け止めた。彼はかなり気まぐれで性に奔放だが、頭の回転は早く空気を読むのが得意だ。後腐れがないように気をつかってくれたのか、もう二度と電話してくれるな、と吐き捨てられて回線は切れた。馨と関係を終わらせた電話の後、則之はなにもする気も起きずボーっとしていた。
 馨たちと肉体関係の縁を切らなければ、と思ったのはなんとなくだ。則之は自分で馨に連絡しておきながら、なぜそのような決心をつけたのか則之自身がわかっていなかった。だから、電話して馨に言われた長い台詞にまた深く考え込んでしまった。
『あーあ、流されやすい臆病者が本気を出してきたよ。で、本命の相手は男なんだろ? ほらアンタ、女相手にここまでしないもん。カレシつくったときだけだもんね、遊び相手ぜんぶ切ろうとするクセ。オレはそんなパートナーシップ大ッ嫌いだから、いろいろ野郎紹介してアンタを犯させてたの。一途な野郎とか引いちゃう。まあ、ノリちゃんはそもそも好きな男と3Pプレイって発想すらないもんねえ? 風通しのイイトコで道具使われるのが大好きなヘンタイのくせに』
 言われた瞬間は、「そんなことはない」と反論した。しかし、馨は鼻で笑ったようで、「あーあ、ツマンナイ男に成り下がっちゃうわけね」と猫なで声で返してきた。馨はすっかり則之が同性の本命相手をつくったと思っているのだろう。
 そんなことはない。……そう、今は言いきれない自分がいる。
 馨の言ったとおりなのかもしれない。則之は帰省の間に、一時馨との過去を思い返した。
 当時、馨を好きになったのは同性の肉体に慣れ、アブノーマルな性癖も身につけてしまった最中だった。馴染みのバーでよくちょっかいを出してくる馨は則之と似た細身の色白だったが、則之と違って快活さと物怖じしない強さがあった。その頃はまだ自分の性癖に強いコンプレックスを持っていて、精神的にも落ち込む事が多く、そんなときに馨はポジティブな精神で寄り添ってくれた。則之は馨のような自己肯定を真似できなかったが、ポジティブになる考え方は学ばせてもらった。
 彼の強さと知識の深さ、気まぐれな部分に惹かれたのは、当時の自分なら至極自然なことだ。久しぶりに一人の男に自分の身体を使いたいと思った。しかし、二人だけの閉鎖された恋愛に向かおうとする則之に、根っから開放的な馨は抵抗したのだ。恋人としての破綻は早かったが、馨は関係性が変わっても則之を気に入ってくれた。則之も慣れた男の身体に、時々応じた。一番古参のセックスフレンドと言っていい。もう一人のセックスフレンドである兼次は、その後に輪姦された事件から、リハビリ相手として関係を持った仲だ。肉体関係だが、友愛に限りなく近い。
 馨と兼次にたいする感情の種類は違っているが、則之が決心した心の清算には兼次との肉体関係もふくまれていた。馨は電話で関係を断てたが、兼次には義理もあるせいで、きちんと会って身体の関係をやめるつもりだった。余計な感情を生みたくなかったこともあって、帰省中に来た兼次のコールを無視していたのだが……先回りして夏紀と接触していたのは予想外だった。則之がただちに行動しなかったせいで、夏紀に危害が被ってしまった。会ったときの夏紀が機嫌を悪くしていたのは仕方ないことだ。
 耳元に彼の寝息が届く。規則正しく穏やかだ。男同士が複雑に絡み合う世界を知らない夏紀を変なふうに巻き込んでしまった、と申し訳なく思うと同時に、兼次からどんなことを聞かされたのかが少し気になる。則之の男が絡んだ過去はろくなことがない。おそらく、集団輪姦や開発されて男遊びに溺れた頃のことをうるさく聞かされたのだろう。たとえ兼次から幻滅するような話をされたとして、……それでも自分を好きだと言ってくる夏紀は本当に健気だと思う。
 則之の家に来て愛を乞う夏紀はひたむきだった。この夏紀との関係をどうするか。則之はずっと考えていたが、結局帰省中に保留することを選んだ。夏紀のことだけは簡単に考えたくなかった。身体の相性がいいというのが一番にあったし、彼の想いの重さと強引さが嫌いになれなかった。縁を切るのに惜しい面が考えるほど増えていき、夏紀とはとりあえずもう一度セックスをしてから考えようと思った。
 それが大きな過ちだったのは、保留すると決めた時点で薄々わかっていた。会えば磁石の極が引かれるように身体をつなげた。好きだと言われて全身が歓喜に満ちた。やはり、彼の身体に愛されたいと思った。もっと夏紀に愛されたい。
 彼の想いは知っている。さっきもセックスの最中に何度も好きだと言われた。夏紀が則之のことを本当に好きになってしまったのは、視線や仕草や触り方、表情でわかる。身体が好きなのではなく、則之そのものにひどく執着しはじめている。泣かれたのも二度目だ。プライドの高い夏紀が泣くのだ。よほどの感情だ。……明日なんて来なければいい、ずっとこうしていたい、俺をおいていくな。言われた言葉を思い返しても並ではない想いだ。
 そうして全身で則之への愛情を表現した彼は、則之にくっついて眠っている。しあわせだ、と言った言葉の意味。そのとおり寝顔は幸せそうだ。夏紀が見せる感情を、則之はかわいいと思う。ひたむきな感情に、もっと愛されてみたいと願う。抱き締めてほしいと強く想う。夏紀ならば則之の一番好きな愛し方を知っていて、迷いなく愛してくれるのだ。
 でも、そこに則之の大きな戸惑いがある。
 則之の胸に生まれ名前のない感情は、夏紀とつくりあげてしまったまともではない日々の中でできたものだ。それは一時の仮初で、快楽と混同した想いなのかもしれない。はじめ彼との間には、本当にただの肉欲しかなかったのだ。そこで生まれた感情など美しくもなく正しくもない。美加子への愛情と比較してもいびつだった。
 ……僕は、夏紀のことが好きなのだろうか。
 自問自答する。則之の胸の内には、夏紀に触れられる悦びと背徳感が共存している。夏紀と会い続けていくことで、確実に則之の人間関係は崩壊すると警告音も鳴り響く。夏紀との関係は公になっていない秘密の関係だ。兼次にまだ直接夏紀のことを話したことはなく、慶介や美加子にも嘘を教えている。慶介と美加子は一応納得してくれているようだが、すべて暴かれるのも時間の問題だ。同性相手に性行為ができると露呈されれば、取り返しのないことになってしまうだろう。則之には大切にすべき異性の恋人がいる。疑いはじめている恋人や友人たちをこれ以上裏切りたくはない。特に美加子と世間のことを考えれば、未成年の夏紀との関係は即断つべきだ。
 夏紀といる未来は、どう考えても暗く惨めだ。
 則之はこれでも一応、都内に戻ったら夏紀と縁を切る方向で気持ちをもっていくつもりでいた。理性面ではそのつもりだったが、いかんせん感情面で彼とのセックスに未練があった。結果はこのとおりだ。自分の意志の弱さを理由にできない。夏紀が強引に襲ってきたわけではなく、則之のほうが夏紀を誘って身体にすがっていったのだ。
 一度愛を望んでしまえば、そこから情欲は際限がなくなっていく。
 美加子へは、夏紀とのことにけじめをつけてからきちんと連絡しようと思っていた。だから、彼女から帰省中に送られてきた文面にはまだちゃんとした返信をしていない。しかし、この状態でどう返せばいいのか。ここへ来て、どう彼女と言葉を交わせばいいのか。
 五月晴れの日々が懐かしかった。
 夏紀と出会うまで、則之の生活はちゃんと均衡が取れていたのだ。
 安定した日々がやはりまだ忘れられない。性癖もそれなりにコントロールできるようになって、すべての負債を水曜日に押し込めて、やがて水に薄めて消していくように「普通」なれるところだったのに。夏紀と出会って、男に愛される快楽の良さを身体が思い出しはじめている。夏紀の身体に抱かれたいと心の底で思う回数が増えてきている。
 でも、夏紀と今すぐに縁を切れば、その欲求もおさまってくれると思う。きっとまだ引き返せる。それこそ、夏紀を悪者にして逃げる道も手元には残っている。夏紀の身体へは今日を最後に、もう触れない。そう決めてしまえばいい。
 ……でも、それは無理だ。この身体は惜しい。それに、僕はここにいると言ってしまった。夏紀をもうおいていかないと、答えてしまった。
 感情に身を任せて夏紀と抱き合い、こうして寝室へ行き着いた。身を寄せ合って幸せを感じるこの瞬間、このやり取りすべてを嘘にしたくなかった。夏紀が「しあわせだ」と言ったように、則之も確かに幸福を感じてしまったのだ。
 安全で平穏だった生活を失いたくない。でも、これ以上自分に嘘をつきたくない。
 夏紀の髪に触れる。タオルで拭いて乾かしたけれど、やはり少し湿っている。世話のかかる子どものようだ。でも、本当に子どものように手がかかる。柔らかい髪、かたちの良い頭、かたく瑞々しい肌。一〇代の学生は、やはり則之からすれば子どもだった。そんな若い男の熱、あどけない寝息。
 ……この若い男のことを、僕は本当に好きになってしまったんだろうか。
 わからない。わかりたくない。
 好きな理由も、好きじゃない理由も探そうと思えば簡単だ。しかし、それでは本当の気持ちは見つからない。
 理性と感情は幾度となくせめぎあう。その間で、ただひとつだけ、則之には揺るがず強く願えることがあった。彼の髪を撫で、心でつぶやく。
 ……夏紀には幸せになってほしい。
 そう想うことだけは微塵の迷いもなかった。夏紀への負の感情も悦楽も、エゴも全部差し引いて残るひとつの確かな想いだ。夏紀との出会いは一方的で強引だった。窓から痴態を見せていた自分にも問題はあるが、男の身体に興味を持ってしまった夏紀が則之を脅して犯したのだ。則之が許さなければ、ほぼ性犯罪の域だった。
 しかし、則之は密な付きあいの中で彼を受け入れてしまった。瑞々しい筋肉をした美味しい男の身体。肌をあわせて、セックスの調子があうとわかれば、夏紀に抱かれることが楽しくなっていた。自分のいかれた性趣向に彼の性もあっていたのだ。次第に、夏紀の人間性もそう悪くないと気づいた。
 夏紀の性格は、金持ちで頭が良いせいか人を下に見るところがあってプライドも高い。すぐ感情的になって怒るし、少し暴力的な部分もあるが、一途で健気で好きなものには嘘をつかない。家庭が好きではないようだが、家族のことは一応認めていて、我慢強くやさしさもある。則之のような人間にもやさしくしてくれる。
 夏紀には、ちゃんと幸せになる権利がある。
 だから、誰よりも幸せになってほしい。
 自分みたいな欠陥のある同性と付き合っていていいはずがない。皆に期待されるような道を貫いて、それで誰かと、幸せに……。
 則之の胸が不意に軋んだ。清い願いが、一転して暗くなった。
 誰か、とは誰のことだろう。さっき見た、……元カノの妹みたいなやつか?
 そう心の中で問いかけると、猛烈に夏紀の若い雄のにおいを嗅ぎたくなった。則之はどうしても夏紀の目が見たくなった。気持ち良さそうに寝ている彼にかまわず、則之は彼の鎖骨を叩いた。
「夏紀」
 突然の衝撃と耳許で名を呼ばれたせいもあって、眠りの元々浅い男は意識なく身体を動かした。
「夏紀、夏紀、」
 目を閉じてもぞもぞ動く男の名前を、則之はしつこく呼んだ。あんなにさっきまで寝ない寝たくないと言っていたくせに、今は起きる気がないようだ。則之は夏紀が起きているときにはしない無理を強いた。愛するひとのちいさなワガママに気づいたのか、夏紀の手が動いて則之の胴を滑る。それは少しくすぐったくて則之も指で彼の鼻をつまんだ。
「夏紀、……夏紀、キス、」
 その言葉に、ようやく夏紀がきちんと反応した。
 薄く目蓋を開けた彼が則之の瞳を探した。眠りを妨げられたことに文句を言わず、くちびるを寄せてくる。則之が欲しいものを正しく理解してくれたようだ。
 則之は満足して顔を寄せた。目を閉じてしまった彼の鼻先にくちづける。すると、くちびるの感触を感じたのか夏紀のほうからそっとキスをしてきた。則之の鼓動は速くなった。
 触れあったくちびるが離れると、夏紀はまた少しだけ目を開けた。則之の気持ちを確認したようでもあった。もう一度くちびるがあわさる。夏紀の男らしい腕が動いた。強く抱き締められる。ドキドキしながら、則之は眠る男の体臭を嗅いだ。
 その手は、夏紀の胴をしっかりとつかんでいた。
 ……ダメだ、夏紀を失いたくない。
 もうダメだ。自分に嘘はつけない。自分の胸の中で「しあわせだ」といった彼を失いたくない。
 それが則之の本心だった。世間体とか普通とか他者の目とか、そうしたものをすべて退けて残った、本当の彼への想いだ。
 爛れた関係を見定めようとしていた則之が、諍いになるのを中断してまで夏紀を誘ったのは単純に嫉妬をしていたせいだ。それは、彼の中ではじめて巻き起こった夏紀にたいする負の衝動だった。夏紀が若い女の子を連れていたのを見たとき、一瞬にして沸いた嫉妬が則之の理性をおかしくさせた。
 はじめはこれが嫉妬という感情であると認めたくなかった。しかし、自分が同性であり一〇歳上である疎外感と敗北感は、嫉妬の炎をさらに燃え上がらせた。夏紀の愚痴や言い訳や自分の落ち度など話しあっている余裕はなかった。すぐに夏紀を外へ連れ出した。早くケーキを買って祝いたかった。彼の十八の誕生日だと知らなかったことも、本気でショックだったのだ。女に先を越された気がした。
 夏紀は元々ノンケだ。男の身体は、則之にしか興味がない。だから、夏紀にかかっている自分への魔法が解けていませんようにと祈った。隣にいた女の子は夏紀に見合っていた。誰から見ても、自分より見合っていた。簡単に想像できる女の子との明るい未来と、則之が見せる暗い未来の落差があまりに虚しかった。夏紀に愛想を尽かされたくなかった。どうにかして機嫌の損ねてしまった彼を宥めて、こちらへ目を向けさせたかった。
 自分にも女に負けないものがきっとある。咄嗟の判断で、ケーキを持ってベッドに誘った。則之が彼にあげられる一番のものは、己の肉体だった。彼の連れていた女の子のように乳房も膣もない。柔らかく甘い身体ではない。だから、則之は生クリームを塗った。
 則之の必死な思いに気づいてくれたのか、期待していたように夏紀は自分の身体を美味しく食べてくれた。同性の肉体なのに、女のように決して柔らかくもやさしくもないのに、嬉しそうにずっと自分に身体を埋めて求めてくれた。そんな夏紀の姿に満たされた。ただもつれあって愛しあった。
 それは則之にとって失いがたい幸福のかたちだ。そして、則之の想いとやり方に夏紀も等しく「しあわせだ」と言ってくれたのではないか。
 ……そうならば、自分はもうなにも恐れることなどないのではないだろうか。
 時間を消失したような闇の中で、彼の身体を抱き締めて則之は何度も自問自答した。
 幸福、未来、常識、世間、愛情、妥協、安定、……本当に失えないもの。繰り返しても本当の想いは、夏紀の熱でもって揺らぐことはない。彼の寝息に包まれて、則之も静かな呼吸でやがて眠りに落ちた。
 翌朝、則之が目覚めると夏紀の腕を枕にして眠っていることに気づいた。知らぬ間に体勢が変わっていたようだ。先に目覚めていた夏紀は則之を見て嬉しそうに笑った。おはようの代わりに、「最高のプレゼントをありがとう」と、彼は言った。
 そのとき施されたキスは、寝起きの則之でもドキドキしてしまうくらいやさしく、とびきり甘かった。





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