* 水曜日【第25話】 *


 夏紀の手料理を食べてみたい。

 そんな文面が金曜日の夜に来た。夏紀は送信先を二度見した。どう見ても送信してきたのは則之だ。ただでさえ夏紀の連絡に既読無視か一言しか返さない則之が、なんの脈絡もなくこんな文を送ってきたのだ。はじめはあの美加子とかいう女と間違え届けられたものかと思ったが、文面に夏紀の名が入っている。何度も事実を見直して、はじめてお願いごとされたことに舞い上がった。  彼の声が聞きたくなってすぐに電話をした。日付が変わる少し前の時間で、彼は家にいた。文面の真意を訊くと、単に食べてみたいなと思ったから、と応えた。
 無理しなくていいよ、でも、夏紀はけっこう料理できるんだよね? 母仕込みだっていうから……今度うちで、とか、どう?
 そんなことを続けて言うから、夏紀は本当に嬉しくなった。夏紀が母に料理を学んで、趣味のようにしていたことも則之が覚えてくれている。なおかつ夏紀の手料理を食べてみたいと言うのだ。叔母がこの家に住みだしてから封印していた腕前を途端に試したくなった。
 夏紀はすぐにオーケーした。彼に手料理を披露する日を決めながら、早速クローゼットの奥底に突っ込んでいたはずのレシピ本とノートを探す。その間に、手料理の腕前を見せる日は翌週の水曜日に決まる。どういったものが食べたいのかリクエストを訊けば、「つくってくれるんだったら、なんでもいいよ」と言う。嫌いな野菜や食べ物は特になし。全部任せてくれるそうだ。夏紀のセンスが問われることとなった。
 その一方で、電話してくれて悪いんだけど、と、則之から重ねて頼みごとをされた。明日明後日はどうしても外せない用があって、会えない、後生だからその二日間だけは家にも来ないでほしい、と、妙に丁重に言われた。不審な言い草でもあったが、夏紀は「なんで?」とも訊き返すことはせず、大人しく受け入れた。土日に来るなと言われてしまったが、当分来るなと言われたわけではない。水曜日は彼の家に行って料理をするのだ。約束は則之のほうからしてくれた。
『だから、水曜日じゃなくて火曜日から来てもいいんだよ』
 彼はそうも言ってくれたが、夏紀は水曜日の昼に行くと決めた。理由は言わなかったが単純だ。則之に手料理をつくる前日は、料理の練習がしたい。好きな人には一番うまくいったものを食べさせたいのだ。火曜日は家族も旅行から戻っているから、味の確認をしてもらえる。父親はバカンス明けで当分セカンドハウスに籠もるだろうが、弟と叔母の麻奈美は家にいるだろう。
 海外旅行をしている家族からは、毎日少なくとも一通メールが届いている。帰国は飛行機のトラブルがないかぎり予定通りで、便が到着する日曜日の朝に空港へ来るよう父親からの指示がでていた。きっと帰国してそのまま食事にでも行くのかもしれない。大昔、家族で海外旅行した帰りに、そのまま高級日本食店になだれこんだことがあった。自宅へ帰らず、そのまま一泊の温泉旅行になったこともあった。金持ちの無駄な遊び方だが、父親には少し風来坊的な気質がある。
 日曜、月曜は家族に振りまわされる可能性大だが、それ以外は夏紀の自由だ。土曜日は日帰りで則之に会うつもりだったが我慢した。代わりに一人で自由に使えるキッチンで、昼食、夕食と久しぶりに料理をつくってみた。近くにある有機食材のスーパーで材料を買い出すところからはじまり、自分の腕が落ちていないか、叔母のキッチンの使い方も確認しながら調理した。麻奈美も料理は得意なほうだ。どちらかというと亡き母より料理のメニューのジャンルは狭く、お菓子づくりのほうが好きなようである。
 出来上がった品を食べるかぎり、夏紀の腕前は数年のブランクがあっても健在のようだった。レシピを見ながらつくっていたが、本番はこういうのナシでつくりたい。土曜日はほんの少し残っていた宿題に手をつけることなく、料理の本ばかり見ていた。昼は洋食寄り、夜は和食寄り。久しぶりにする料理づくりはやはり楽しかった。
 日曜日に帰国した家族と再会して、月曜日は守屋と柏木から連絡をもらい、週末の金曜日に会うこととなった。彼らとは夏休みの過ごし方を報告するより、宿題と受験についての話がメインになるのだろう。
 一応、夏紀も受ける予定の大学の過去問題集に手をつけはじめている。二学期から第一志望校に受かるための勉強を本格的にするつもりである。頭が良くてもある程度は準備をしないと合格率は落ちる一方だ。私立大と国公立大の受験対策は質が違う。行く学部も滑り止め用にある程度決めておかなければならなかった。
 しかし、夏紀の目下にあるものは料理だった。月曜日の夜は麻奈美のつくる料理をしっかり食べた。そして、明日の夜は自分がつくるから味見してほしいと頼んだ。いつもそっけない長子が頼んできた内容に麻奈美は笑顔を見せた。明良は実兄が料理をつくれることを知らなかったようで目を輝かせて、どんなのがつくれるのか質問を繰り返した。麻奈美には母親が生きていた頃に、二三度手料理を食べさせたことがある。明良もそのときいたはずだが、幼すぎて覚えていなかったのだろう。
 料理は、無難にピーマンとパプリカの肉詰めにサラダを添え、エビと夏野菜の酢の物を選んだ。火曜日の午後はスーパーへ、叔母、弟と一緒に買い物へでかけた。近所の平松婦人に声をかけられ、三人でスーパーにいるのをはじめて見たと言われた。まったくその通りだが、叔母も弟も勝手についてきた感じだ。しかし、叔母の陽気な材料探しの助言は役に立った。
 そして、夕食時間には、なぜか父親もいた。長男が手料理を振舞うという珍しい事態に、無理をおして仕事を切り上げてきたらしい。妻の味を思い出したかったのかもしれない。その夜の食卓は明るく、麻奈美には褒められ、父親は酢の物を気にいって酒のつまみにしていた。弟の明良には、誕生日プレゼントをあげたときよりも喜ばれた。夏紀が面倒がっていた家族団らんを、気づけば自分が演出していたことに少し気恥ずかしくなった。それも全部則之の仕業だ。則之に出会わなければ、こんなことまでしようなんて思わなかった。
 待ち望んでいた水曜日がとうとう訪れた。志村宅のキッチンのつくりが気になっていたものの、あそこは元々両親三人で暮らしていたのだ。立ち寄ったことのあるキッチンの状況を思い返して、調理器具はある程度揃っていると判断した。調味料などは買出しに行くときに揃えればいい。夏紀はお金に糸目をかけない。金は所詮手段でしかないのだ。則之を喜ばせるためなら、いくらでも払える。
 平日十時半の駅前は平和そのものだ。日差しの強さと暑さのせいで、歩いているひとは少ない。来週からまた、ここを夏紀たちは栖鳳学園の制服を着て歩くのだ。少し不思議な気分だった。学校の正門へ向かうより、則之の住むマンションへ行くほうがしっくり来る。
 日陰になったエントランスをくぐると、年配の住人に会釈される。同じように返して歩を進めた。夏紀の後ろで白い日傘が広げられる。それを見やることなく彼はエレベーターに乗り込んだ。迷いなく五階のボタンを押す。早く則之の顔が見たかった。
 玄関ドアの前で、一瞬だけ躊躇った。合鍵を使うかインターホンを押すか。向かう時間は先に伝えてある。夏紀はいつも伝える時間より早く彼の家に行き着いた。予定時刻は十一時。やはり、いつもどおり合鍵を使うことにした。ドアを開けると、エアコンを使っているのか廊下に接するドアはすべて閉まっている。則之はリビングにいるのかな、と思えばリビングに面するドアが開いた。
「夏紀、おはよう。もうスーパーに行く?」
 則之がにこやかに夏紀を見て言う。よく考えれば、会うのはお盆明けの誕生日以来だ。
「まだ。先にキッチンの状態見てから、すぐ行くよ」
「ああ、そっか。……そうだね」
 リビングを通ってバッグを置いてからキッチンへ入る。戸棚をバタバタと開けていく夏紀の後ろ姿で、則之がキッチンの取り扱いについて話す。彼の言うとおり、賞味期限の切れた調味料がいくつもあった。しかし、これもスーパーで調達すればいい話だ。調理器具も必要なものはすべてあることを確認して、則之とスーパーに出かけた。買出し中に、今回つくるメニューを伝えた。前夜家族に披露したもので酢の物だけ材料をかえたものにする予定だ。則之は酸味のある酢の物もハンバーグ系も好きだと答えてくれた。俄然やる気がでてくる。
 スーパーで買い物しているときも、則之は夏紀の手料理が食べられるということで明るい調子だった。同性同士であることを除けば、仲睦まじいカップルのような感じに見えないだろうか。夏紀はそんなふうに思った。この品は高すぎる、別に安いだろオレが払うんだから、いや僕が払うよ、というやり取りは所帯じみた雰囲気そのものだ。料理の話をしながら、レジ袋に品物を詰めて帰宅する。
 則之の家の前には、見たことのある人間が仁王立ちで待っていた。
 夏紀はすぐ隣にいた則之を見た。則之は落ち着いた様子だ。慶介がいるよりマシだと思っているのかもしれない。しかし、表情は今さっきまでの朗らかさが抜けている。二人は男の前に立った。
 兼次は一番背が高く、ガタイもいい。タンクトップから見えるタトゥーが威圧感を上乗せしている。
「ノリ、なんで電話にでねえんだよ」
 その兼次の第一声も凄みがあった。則之は無表情だ。夏紀は怯むより苛立ちのほうが勝った。今さっきまで、熟年夫婦よろしく楽しく時が流れていたのだ。一瞬で壊された。目の前の男は、自分の幸せを壊す悪だ。
「なんだよこれは。おまえの散々言ってた安定だの結婚だのはどこに行ったんだよ!」
 共有廊下で声を荒げる男に則之は動じなかった。顔を上げて、真っ直ぐ兼次を見つめ、夏紀へ顔を向けた。
「夏紀、鍵、」
「ノリ、こんなんでいいのか。まだ高校も卒業してないようなガキだぞ!」
 則之に促されて鍵を取り出す夏紀が、聞き捨てならない言葉に顔を上げる。だからなんだ、ふざけんな、と声を上げそうになったところで、則之が口を開いた。
「夏紀はガキじゃない」
 凛とした強い声が響いた。兼次は少しびっくりした顔になる。しかし、すぐ人の悪い顔をなった。
「若いわりにお床が上手だってか? おまえも昔からとっかえひっかえのスキモンだからな」
「兼次。今日は帰ってほしい」
 すべての批判や中傷を制するような、はっきりした言葉が続いた。則之の強さを見た気がした。場慣れした動じなさといった感じだ。夏紀は黙ったまま鍵をドアから引き抜く。
「あとで、ちゃんと僕から連絡する。……夏紀、ドア開けて」
 則之は夏紀の動作を見ていたようだ。夏紀はドアを開けて、向かい合っている二人を見やった。
 真剣な表情で二人は見つめあっていた。長い沈黙を、夏紀は微動だにせず見ていた。言葉はないが、二人は二人にしかわからない会話をしているようだった。則之のほうが瞳も表情も動かない。
 とうとう兼次が口を開けた。
「……おまえ、正気か?」
 にらみあいに勝ったのは則之だった。彼は、さも自然に言い返した。
「正気だよ。夏休みが終わるんだ」
 じゃあ、また今度。そう続けながら、夏紀の腕をとって中へ入った。バタンと閉まった扉の向こう側はなんの音もない。兼次は諦めた気がする。則之には、言い返せないくらい冷静で淡々とした強さがあったのだ。感情が表情からも言葉からも見えてこないのは恐い。則之は夏紀を置いて先にリビングに立つ。  彼の態度が冷たいものに急変して、夏紀は苛立ちより不安を覚えた。兼次に見せた姿を自分にも見せられるのは辛い。レジ袋をローテーブルに置いた夏紀は、則之の様子を窺う。次の行動をどうすればいいのか、らしくなくわからなくなってしまっていた。ドアの鍵は閉めた。きっと兼次もマンションから一時退散した。でも、この雰囲気になってしまうと、元に戻す術がわからない。激昂したほうが事態は変わるかもしれない。しかし、タイミングを逃した。
「夏紀」
 その声に顔を上げる。無意識にソファーへ座っていた夏紀へ、則之が膝を屈めて距離を近づけていた。目があうと、彼は当たり前のように夏紀の広げていた脚の間に膝を入れた。ソファーに膝立ちして、夏紀の肩に手をかけた。再度名を呼ばれ、たまらず彼の腰に両手をまわす。顔がさらに近づき、そっとくちびる同士が接する。今日はじめてのキスを則之からしてくるとは思わなかった。くちびるが離れて、彼が微笑んだのが目に映った。
「だいじょうぶだから」
 宥めるような仕草に、夏紀の想いは途端に溢れた。愛を乞うように腕の力を込めて、くちびるを探す。それぞれのくちびるはすぐにぶつかった。激しいキスに料理のことは瞬く間に吹き飛ぶ。
 キスくらいでは足りない。夏紀の早急な行動を則之は快く受け止めた。下肢をむき出しにして、夏紀の上に跨り脚をいやらしく広げる。
 早く欲望を突っ込みたくて、手短な前戯で済ませようと指を差し込めば、受け入れる口はうっすら濡れていた。
「……ん、もぅ、」
 夏紀は則之を見上げた。数えるのも面倒なくらいセックスをしているが、はじめからこういうしっとりした濡れ方はない。たぶん愛玩具を入れてある程度慣らしている感じだ。
「濡れてる。準備してたんですか?」
 そう訊くと、照れたように彼は頷いた。朝から性欲と向き合っていたのかと興奮する。
「我慢できなかったんですか。俺が来るまでに、一回抜いた?」
 ゆっくり指でくちゅくちゅと抜き差しをしながら訊く。彼のくちびるが耳元に近づいた。
「ん、ふ、夏紀、ぼくの、抜いて」
 その言い方は昼にもかまわず艶っぽく、首にまわされた指にゾクゾクした。則之のエロさは、今まで夏紀が相手した誰よりも勝っていた。何度もセックスしてみないとわからない淫猥さだ。半勃ちしていた性器とアナルを同時に慰めると、身もだえながら夏紀にすがった。
「あ、あっ、ふ、……んぁ、あっ、ん、んッ」
 ふるふると身体をわななかせて夏紀の愛撫を受け止めていたが、体液が腿に滑ると彼はより脚を広げて腰を落とす。挿入されたい仕草から夏紀はすぐに己を準備した。彼のヒクヒクと待つ部分へ若い雄を当てる。
「っう、ん……あ、んっ、あ!」
 則之は自ら腰を落として揺すり上げた。男を中に感じながらイキたいようで、淫らに下肢を動かす。
「あぁ、あ! なつ、あッ、あ、アッ……ッッ!」
 夏紀が軽く運動にあわせると、則之はあっという間に果てた。片手でゆるい粘液を受けた夏紀は、出したものを則之の口に返す。自分の精液を舐める彼を見ながら、夏紀は自分のために身体を動かした。
「は、あ、もっ、と、あぁ、……ぁん、い、んあっ」
 男の肉を味わいながら、則之の頬はほころんでいる。うっとりした瞳は夏紀を見つめる。自分だけを見てくれているのが嬉しい。精を注ぐだけでは足りず、次は舐めたいところを全部しゃぶってから、もう一度則之と身体をつないだ。
「あっ、あっ、い、いい、ぁん! ぁん! ぁん! 」
 乱れた則之は目にいれても痛くないほどいやらしくかわいい。こらえきれずまた好きだと言った。すると感度がよくなっただけでなく、すすり泣くような喘ぎに変わった。すぐに夏紀は則之の中に射精した。





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