* 手の中のひかり【第11話】 *


 大学構内では終日、合澤を目にすることはなかった。
 三池がさほど心配せず、スマートフォンで連絡を取らなかったのは、午後に会った沼田から合澤と一緒に講義を受けたことを聞いたからだ。朝話していた通り、レポート提出をしに来ていたらしい。少ししんどそうだったという沼田の話に少しドキッとして、それをアルバイトのせいにしたという合澤にかわいげを見出した。
 学内はいつもと変わらない。三池は村尾と一緒に講義を受けた後、借りていたという合澤のノートを代理で受け取った。授業をすべて終えるとアルバイト先へ向かう。どうせ戻る家の主は合澤なのだ。
 彼のことが好きとはいえ、努めて四六時中一緒にいたいわけでもない。三池は彼の行動を縛りたくはなかった。身体の関係が加わって、感情に変化があっても互いのペースは尊重していたかった。
 ……しかし、昼間に一度メールか電話でもしておいたほうがよかったかもしれない。
 そう三池が思いなおしたのは、最寄駅の終電をずいぶん過ぎた頃だ。
 アルバイトから戻って鍵を開け、寒い部屋を可能なかぎり暖かくして彼を待つ夜は、週に二度かならずある。しかし、なんの連絡もなく深夜二時になっても家主が帰って来ないことははじめてだった。目の前で流れるテレビ番組から目を離して、三池はスマートフォンを取り出した。
 アルバイト先は、合澤も三池も電車で数駅先の繁華街にある。その最寄り駅は双方違っていて、電車内や駅で彼に会うことはめったにないが、二人とも終電前には帰宅していた。合澤が朝まで帰ってこないのはバーのアルバイトがある日で、そのときは三池も実家のほうへ帰っている。住み分けする三池の行動を合澤はちゃんと把握していて、バーのアルバイトがないときや追加されるときはかならず事前にメールか口頭で教えてくれていた。
 だから、心配になる。こうして終電がなくなっても連絡がないことははじめてだったのだ。
「メールすっか」
 そうつぶやいたが、電話するほうが早いと気づいて合澤の携帯番号をすばやく発信した。ここは合澤の家だ。いくらなんでも朝までには帰ってくるだろう。バーのアルバイトでも急にヘルプで入ったのかもしれない。でも、明け方近くまでセックスして身体が重そうだったというのにバーで動けるのか、……それよりあれだけ長い時間ヤッたのもはじめてだったよな、と、下世話な反芻をはじめた矢先に、コール音が途切れた。
 もしもし、と、合澤の声が聞こえて三池はホッとした。どこにいるのかと訊けば、今アパートの階段を昇るところだったと言われて立ち上がる。冷たい外気は嫌いだが、彼に早く会いたくて玄関へ向かった。
 合澤の帰りは素直に嬉しい。すっかり彼が待ち遠しくなっている自分に、合澤への想いをまた見い出す。電話を切るとすぐ聞こえてきた足音に、ドアを開けた。
「あ、三池いるのか」
 目の前に立つ合澤は、意外なことに驚いた表情をしていた。
 在宅中だと思わなかったのだろうか。妙な反応に、三池は少し眉間を寄せた。彼にはいつでも来ていいし、居ていいと言われている。だから、悪気があって言ったわけではないだろうが……今夜はなぜかよそよそしい感じがした。現に合澤は視線を逸らして靴を脱ぐ。
「いないほうがよかったのかよ」
 我慢できずにネガティブな言い方をした。彼の瞳がすぐに戻る。不安気な表情で歯切れ悪く答えた。
「違う、ごめん。そういう意味じゃなくて、いていいよ。いてくれたほうがいい……でも、遅い時間だから、寝ててもよかったのにって、つい」
 また視線を逸らす。様子がおかしいと三池は改めて思った。コートを脱ぎながらベッドのほうへ向かう合澤の背を見つめる。
「まだ眠くねえよ。つか、こんな遅いの珍しくねえ?」
「そ、そうか? って、メール見てない?」
「メール? おまえの? 今日はおまえからメール着てねえけど、」
 三池は近寄って答える。すぐに合澤が上着のポケットから携帯電話を取り出した。
「え、ちょっと待って、……あ、本当だ、未送信だ、ごめん」
 バツの悪い表情をして画面を見つめる彼のそばに立つ。
「なんて送るつもりだったんだよ」
 そのまま液晶画面を覗きこもうとすると、彼は慌てたように待ち受け画面に戻した。
 なにかあって帰宅が遅くなったのは明白だった。いつもであれば、合澤の行動を不審には思わない。しつこく人を責めるのは好きではないし、彼を信用しているのだ。
 ……しかし、合澤には前科がある。
 携帯電話と彼の反応から、三池は昨夜のことを思い出す。おかしな兆候は昨夜からあった。なにがあったのか、やはり訊こうと口を開く。ところが合澤に水を注された。彼が小さく咳き込んだのだ。風邪か。声も少し掠れていたかもしれない。でも、そんな雰囲気ではなかった。
 三池はふと、なにかの香りに気づく。合澤から発されている。いつものシャンプーや香料とは違うにおいだ。
「ごめん、調子よくないから、寝たい、」
 息を吐いた合澤が俯きがちに言う。嘘だ。三池はすぐに思った。体調が悪いのは確かだろうが、確実になにかを隠蔽しようとしている。三池には都合の悪いなにかがあるのだ。彼が片手で下腹部を擦る。無意識の仕草だった。
 三池はハッとして、その手をつかんだ。ベッドに座ろうとしていた合澤は驚いたように体勢を戻した。
「な、なに?」
「おまえ、なにしてきた?」
 目があったから、かかさず訊いた。本当は訊きたくない。最低な憶測が現実にならないことだけを祈っていた。彼の瞳が怯えを翳す。
 下腹部を擦る仕草は、合澤が三池を受け入れて落ち着いた後にかならず行なうものだ。男を埋めて精液を吐かれた違和感が残るせいなのだろう。無意識の仕草を……今、ここでするのはおかしい。
 三池は黙って彼の言葉を待った。目蓋を緩く伏せる彼はなにも言わない。だから、つかんでいる手をさらに引き寄せた。途端に合澤の目が開く。三池を見たわけではなく、自らの手首に視線が注がれていた。
 その様子に気づいて、合澤の顔から目線を下ろす。彼が見つけたものを三池もまた見つけた。
「おい、」
 その声に合澤は反応した。三池の手から逃れようと力を使う。しかし、隠そうとしても無駄だ。三池は両手で無理やり彼の袖をまくった。
「や、やめ、」
 懇願するように声を洩らしたことすら、三池は気づかず合澤の手首を凝視した。皮膚はささくれ、線状に肌が変色している。ロープの跡のように見えた。
「これ、なんだよ」
 そう言いながら、異様な跡がもう片方の手首にもあることを確認した。合澤は抵抗しなかった。俯いたまま黙っている。三池は手を離した。
 最低な憶測よりも、もっと最低かもしれない。そう思ったのは正解だった。合澤は離された手でベッドに置いていたバッグを拾うと、無造作に紙切れを取り出した。それを三池の胸元へ押し付ける。
 紙幣と気づき、三池はつい手を取ってしまった。異様な枚数だ。ざっと見ても十枚以上ある。まともな金じゃない。すぐ指を離した。床に万札がひらひらと落ちていく。
「おまえ、マジ、なにやった」
 テレビの音も耳に入らない。寒さも感じない。喉が渇く。合澤は観念したように口を開いた。
「ロ、ロープで、縛られて、……五人くらいと」
 なにかがプチンと切れた。
「売女か、おまえは」
 発した自分の声は妙に冷静だった。心と頭のどちらが切れたのかわからない。怒りの沸点が一瞬で突き抜けてしまった。
 目の前の彼も、三池の言葉に固まっている。自業自得だ。
「もういい。縁切る」
 この部屋に居たくない。直ちに外へ出たかった。バッグと上着をつかみ、合澤へ背を向けて玄関へ進む。すぐに後ろから大きな声が聞こえた。
「ま、待てよ!」
 同時にバタバタと物音がする。それらを無視してジャケットを羽織りながらスニーカーを履く。深夜だろうが冬だろうが関係ない。一刻も早くこの場から離れたかった。
「お願い、待って、これ」
 腹立たしいことに、ドアを開けるより先に腕をつかまれた。合澤の手を振り切ろうとして、またなにか彼が妙なものを持っていることに気づく。三池が見せた隙に、合澤は空いた手へそれを握らせた。
 紙切れの触り心地に、対象物へ目を向けた。間違いなくまた金だ。しかし、色が先ほどと違う。
 五千円札だ。
 生活費を折半すると言って、三池が渡していた金だった。頭が真っ白になった。
 数えるまでもなく全額だ。しかし、全額といっても数枚しかない。部屋に撒かれた万札にはほど遠い額だ。それでも、確かに毎週五千円支払っていた。
 つまり、自分も……援助交際していたようなものだったのか。
 行き着いた答えに、三池は合澤を見た。だが内を襲う感情に半分視界は遮られた。
 パンッ! 
 大きい音が鳴り響く。片手が痺れたと同時に、体勢を崩した合澤が壁に当たって崩れ落ちた。札が舞い、それをまるで部外者のように見つめる。
 憤りのあまり、彼の頬を引っ叩いていた。
 なぜ手が出たのか、なにがなんなのかわからない。ただ片手が痛い。怒りに染まって思考は働いてくれない。
 強い衝撃を受けた合澤は、どうにか意識を飛ばさなかったようだ。床に手をついて座り込む。三池はなにもできず呆然と見下ろした。
 彼の肩が震えはじめる。いつだかどこかで見たことのある光景だった。合澤が泣き出したのだ。
「ごめ、も、ッ、しない、から、」
 嗚咽をこらえながら謝っている。絶対しない、ごめんなさい、と、壊れた人形のように繰り返す彼を見て、三池の正気が少しずつ戻ってきた。
 しかし、泣いても謝罪しても 今回のことは許せない。第一、前に身体を売っていたことも許した覚えはないのだ。あれだけするなと約束したのに、目の前の人間はまた裏切ってくれた。
 でも、それ以上に腹だたしいことがある。
「おまえ、わかってねえだろ」
 地を這うような声を出した。
 三池は、大きなショックを受けていた。
 合澤は大切な友人であり、心から愛したい人だった。だからこそ、ずっと傍に居ようと決めた。彼の辛い立場を自分なりに支えたくて、その一環で金も渡していた。それは支援金でも貸金でもない。合澤の部屋へ毎日のように通っているのだから生活費だ。負担にならないよう、フェアでいられるよう、彼に生活費を渡すのは当然だ。
「俺がキレた意味、おまえわかってねえだろッ!」
 だが、その純粋な好意を合澤に踏みにじられた。
 怒鳴った三池を彼は見上げた。ボロボロと涙をこぼし、口許を曲げていた。
「わ、わかん、ない。わかんない、よ!」
 合澤が、子どものうわ言ように繰り返す。視線だけは真っ直ぐ三池を見ていた。
「いらない、って、言った、のに、ッ、……でも、お金、くれる、なら、なにか、し、ないと。三池の、好きなの、ごはんと、セックスと、オレの、顔と、」
 嗚咽と濡れた声が混ざる。料理とセックスと合澤の顔。確かに大好きだ。でもなにか違う。
 三池は次第に血の気を引かせた。怒りが乱降下する。
 彼の意図するところが、よくわからなかった。
「あと、は、なに? い、言えよ、三池。オレ、がんばる、から。な、なんでも、するから」
 泣きながら言い切る彼を、三池は凝視した。
 がんばる、という意味がわからなかった。合澤の思考はおかしくないだろうか。金と奉仕がイコールになっている。援助交際以前の問題だ。
 これでは、三池が大金を渡して死ねと言えば本当に死んでしまうのではないか。
 極端なことを考えて、やりかねないと思った。三池は怖くなった。
 今の合澤は、どこか壊れてしまっている。
 そう気づいて愕然とする。それだけではない。秋を過ぎて二人の関係すら完全に変わってしまっていた。そして、合澤がこうなってしまったことに自分が関わっているのは間違いない。
 三池はそのことに大きな衝撃を受けた。今になって我に返ったのだ。あまりに変わってしまっていた。いつ彼はこんなにも変わってしまったのか。彼は、こんな考え方も行為も泣き方もする人間ではなかったはずだ。どの時期に変貌を遂げたのか。それがいつであろうとも、三池はずっと傍にいたはずだ。……傍にいて、この有様だった。
 間違った人の求め方をする合澤が哀れだった。しかも、同性へ平気で股を開くように人間になったのだ。その姿に泣けてきた。
 三池はしゃがんで、合澤を見た。真っ直ぐ目を見て問いかけた。
「おまえは結局、誰だっていいってわけか? 金くれるんなら、誰にだってなんでもするのか?」
「ち、ちがう!」
 強く返ってきた言葉は本音だろう。しかし、合澤はその先を続けないで俯く。
 違うのならば、なにがどう違うのか。今すぐにでも話して欲しかった。金を抜きにして自分のことをどう思っているのか。三池はどうしても知りたかった。
 金を渡さなければ、自分に股を開いてくれなかったのだろうか。食事をつくってくれなかったのだろうか。三池は合澤に尽されることで、彼からの好意と愛情を感じていた。それも勘違いだったということなのだろうか。
 合澤に愛されているにちがいないと信じていた自分は、ただの愚かな男だったということか。
 三池は本当に悲しくなった。視界がぼやける。
「なあ、ちゃんと俺を見ろよ。どうやったら愛してくれんだよ」
 搾り出した言葉は泣き声になっていた。合澤が濡れた顔を上げて、三池の涙にショックを受けた表情になる。情けなくて頬に伝った滴を拭った。
 彼の大きな瞳が、戸惑いを通り越して怯えている。目の前にいる男の行動がわからないのだろう。三池も合澤のことがわからなくなっている。今までの行為の中で、純粋な好意のパーセンテージはどれくらいだったのだろう。考えるだけで胸が苦しくて狂いそうだ。
 本当の意味で、合澤は自分をどう想っているのか。逆に、三池からどう想われていると合澤は思っていたのか。どうすれば彼に愛されるのだろう。軋む感情を抑えながら三池は考えて、そして大切なことに気づいた。後悔がじわりと胸に染みた。
 なぜ自分は、ずっとそばにいて、身体までつなげて、こんな大切なことを忘れていたのか。
 一度も合澤に「好きだ」と伝えていない。
 それで愛されたいと嘆くのは、ただの傲慢でしかなかった。
 三池はゆっくりと手を上げた。その指を、合澤の顔に近づける。彼は途端に不安な顔になって、大きな瞳を目蓋の裏に隠した。また叩かれると思ったのだろう。その仕草に三池は懺悔した。叩いた片頬は変な色になりはじめている。かわいそうなことをしてしまった。
 本当に、かわいそうなことをしてしまった。
 もっと早く、好きだと彼に伝えていればよかったのだ。
「合澤」
 やさしく名前を呼んで、濡れ続ける頬に触れた。片手で包む。愛しい想いが伝わるようにそっと撫でた。叩かれないとわかった合澤が目を開ける。涙がその拍子に落ちた。三池は息を吸った。
「俺は、おまえが好きなんだよ。すげえ、好きで」
 台詞を聞いていた合澤は、間近で呆けた子どものような表情をしていた。なにを言われているのかわかっていないようだった。
 三池は言葉を区切って黙る。彼は二度瞬きをした。触っていた頬の感触から、言葉が返ると察せた。
「うそだ」
 思ってもみないつぶやきに、たまらず三池は声を荒げた。
「うそじゃねえよ!」
 合澤はその言葉に小さく首を振る。
「汚れてる。……オレ、汚れてるよ」
 真面目な顔をして、とても悲しい言葉で自分を貶めていく。三池は胸を軋ませた。
「汚れてるとか、関係ねえだろ」
「だって、いっぱい、男と、」
「言うなよ! おまえはおまえだろ!」
「だって、……オレに、そんな価値、ない」
 新しい涙が滑り落ちる。頬を撫でても泣き止まず、三池の言葉を聞こうとしない。
 無残なまでに自分を追い込もうとする合澤に、これ以上の想いはないというくらいの愛を伝えたくて、むりやり抱き寄せた。
「価値ならあるだろ! 俺はおまえが好きなんだよ! なあ、どうすれば伝わるんだ? どうやったら、おまえのここに、」
 そうして三池は胸を触る。涙を落とす合澤の目尻にくちづける。彼はなすがままだった。濡れた頬へくちびるを何度も当て、指で彼の胸にあるはずの心の在り処を探す。
 そして、頬から涙の跡を辿る。三池のくちびるに彼の口許が当たった。それまで無反応だった合澤が咄嗟にくちびるを噤む。きつく拒むような仕草だった。
 合澤とキスをした記憶がない。三池はくちびるに当たった新鮮な感触から、いくつもの情交を思い返した。なぜ、今までしてこなかったのだろうか。不思議に感じながら、もう一度彼のくちびるに触れる。もっと明確な感触が欲しくなって、くちびると舌で開くように乞う。三池がしつこくついばむと、合澤も観念したのかうっすらと開いてくれた。強引に舌はねじ込まず、もっと口が開かれるようにくちびるの表面を舐め、やさしいキスを繰り返す。  時間をかけていけば、合澤の手が三池の服をつかんで、首がかすかに動かした。三池はタイミングを捉えて口を軽く開く。そして、ぴったりと合澤のくちびるに重ねた。歯列を越え、舌を追いかけて絡める。はじめての彼の口腔を舐めて吸う。
「ッ、……ん、……う、ッん……ん、」
 合澤のすがる手の力が強くなった。首の角度を変え、くちづけの激しさは増していく。酸欠になりそうなくらい長く深いキスが離れるときは、唾液が糸を引いた。肩に息をする合澤が目蓋を上げて、三池を見る。涙がこぼれ落ちた。
「……して、ほしい」
 その小さな言葉に、三池は黙って頷いた。
 スニーカーを脱ぐと合澤の手を引いた。立ち上がった彼をベッドに連れて行く。そして、ついばむキスを繰り返しながら、ひとつずつ服を脱がせた。痛々しい生傷が露になった。三池が前夜つけたもの以外の鬱血が数多く、擦り傷のようなものと血のにじむ箇所もあった。身体が受け止めた仕打ちはひどい。ただ、合澤が痛がらないのは幸いだった。
 彼の肢体を寝かせ、忌まわしく悲しい痕跡へひとつずつ触れる。そのたびに心が痛む。だから、三池はやさしく愛撫することに徹した。緊張していた皮膚が、少しずつ安堵を浸透させる。
 甘い声を洩らす合澤が片膝を立て、三池を導いた。三池の指が下肢に入り込む。
「あ、ん、……ッ、あ、……ふ、あ、」
 すでに使われた穴に体液は残っていなかったが挿入は容易だった。指を抜いて我が身をおさめれば、合澤がそうっと息を吐く。彼の性器をしごいても弱く反応するだけだ。
 いつも以上にスムーズな埋め具合は悲しさを物語り、それらを三池は受け入れるしかなかった。
「……み、いけ」
 小さな呼び声に彼を見る。愛撫されているときとは打って変わって、また怯えが瞳の中に戻っている。
「どうした? 痛えか? ごめんな」
 慈しむように頭を撫でる。雄を埋め込まれた合澤は、ううん、と、かぶりを振った。
「三池は、……こんなオレでもいいの?」
 素朴な問いかけに、指を離して軽く身を起こす。合澤がひどく不安そうな表情で、その動作を見つめていた。三池は確認するように組み敷いたすべてを眺めた。
 傷のある身体。どこか壊れた心。過去には戻れず、彼のしたことはいまだ許しようもない。
 それでも、合澤が欲しい。
 三池にとって目前にある存在は、ただ愛しい相手だった。
「きれいだよ。おまえはきれいだ」
 彼の不安を取り除けるように想いのままに答える。合澤の顔がゆがんだ。大きく胸を震わせる。嗚咽をこらえきれずまた泣き出した彼に、三池がたまらず身体を曲げた。密着するように体勢を変えて背を抱けば、合澤の両腕が三池の身体にぎゅっと回った。
「好きだ。すげえ好きなんだよ、合澤」
 身体をつなげながら愛をかたどれば、そのぶんだけ合澤が頷く。そして、口が開く。
「いっぱ、い。いっぱい、いれてよ。み、いけの、……三池の、だけ、」
 涙声を抑えた言葉に、三池が動く。欲しいと言われたものに耐えず何度も穿って中に出した。きつい律動に肩を縮めて泣きながら受け止めた合澤は、抜かれる性器の動きにあわせて腕の力を込める。
「そ、そばに、いて、」
 離れることを恐れるようにすがる。
「おねがい、いて、みいけッ」
「いるだろ。なあ、合澤、泣くなよ」
 怯える彼を強く抱きしめてくちびるに触れる。キスを繰り返して、つなぐことを求める。そうして想いがひとつ残らず伝わるよう願いながら、ずっと合澤を抱いていた。



 室内の明るさに、三池は目を覚ました。起きようにも、胴には合澤の腕が回って離すことは躊躇われた。息をするのも苦しいくらいに泣いていた彼が、今は目を閉じて静かに呼吸している。柔らかな体温と落ち着いた眠り顔。それだけで安堵感が広がる。
 薄暗い部屋を眺めれば、窓の先から太陽の輝きが洩れていた。それで目が覚めたのかもしれない。カーテンから差し込む朝の光の一筋。手をゆっくり伸ばすと、その光は手のひらを渡る。どこかの先へ続いていく。つかめない、かたちのないものを握りしめて息を吐いた。
 時刻を求めて少し身体を動かすと、合澤の身体も動いた。起き上がる動作をすれば、彼の手が三池の手首を掴む。意思をもった動きに視線を下ろすと、合澤の目蓋が開かれていた。睫毛は影を深く残し、不安気に覚醒した瞳が三池を映す。寝ていたわけではなかったのだと瞬時に知れた。眠る努力はしたのかもしれない。
 置き時計の差す針はまだ早朝だ。
 昨夜の今日で、事態はなにも変わらない。三池は合澤の頭をいとおしく撫でた。想いだけは、きちんとつながったと思う。
 ひたすら撫でていれば、安心できたのか合澤が手を離した。
「今日、大学行くか?」
 言葉にすれば、日常が戻ってくる。残り数日で大学も休みに入り、年末年始とそれぞれの決まった予定をこなしていく。そして、これからも三池はこの家を訪れ、彼の傍に居続ける。合澤が小さく頷いた。
「じゃ、飯食って軽く浴びて、一緒に行こうぜ。そのあと、おまえもバイトだろ。って、ここの片付けが先か」
 そう言いながら指を滑らせて目尻をなぞる。充血した大きな目は伏せられる。片頬は痣になって変色していた。痛々しいが三池は謝るつもりはない。彼のしたことはいまだ許せない。それは、愛していることと別の話だ。合澤もそれはわかってくれると信じたい。
「なあ、目、真っ赤」
 代わりにからかいの混じった言葉で、互いの心の傷を宥める。合澤も三池の言葉に理性を戻したようで、睫毛を動かした。
「……行くの、やめる」
 少し拗ねたような言い方だった。向けられた瞳は三池しか映さない。
「そんなの、三池以外に見せられない」
 続けられた台詞に、三池は口許を緩める。やっぱりだめだ。どうしようもなくかわいい。身を屈めて、顔を近づける。間近でおはようと言うつもりが、吸い寄せられるようにくちづけていた。数度ついばむキスをする。
 好きだ、と、無意識に言葉がこぼれていた。目の前の合澤は与えられた愛情に安心したのかようやく微笑む。三池は久しぶりに合澤の穏やかな顔を見た気がした。
「好きだよ」
 もう一度愛を伝えれば、合澤が指とくちびるを重ねた。そして、触れるだけのキスの合間に、おれも好き、と答えてくれた。




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