* 銀色余興 *


 ぬくもりの在処を辿ると、周(あまね)が同じベッドで眠っている。いつもと変わらない穏やかな寝顔に、翔悟は安堵しながらリモコンに手を伸ばした。室温は低く、窓の外もまだ太陽が薄い。夜は明けたばかりなのかもしれない。
 エアコンがゆっくりと作動する小さな音を聞きながら、こちらを向いて気持ちよさそうに眠る彼を至近距離で眺める。伏せた睫毛の一本一本まで強く目に焼き付けられるのは、こうして彼がそばで眠っているときだけだ。贅沢な時を味わっている間に、少しずつ室温は上がっていく。
 ふいに、スマートフォンの振動音が耳に飛び込んだ。すぐ途切れたのはメールだからだろう。今日は午後三時にひとつ予定がはいっている。
 翔悟はゆっくり身体を起こして現物を探した。床に落ちているのを見つけて拾い上げる。
 上半身が裸でも寒くないほどの室温となったことにホッとしつつ、案の定午後に会う友人から着たメールを読む。待ち合わせ時間の変更が明記されていて、すぐに了解の返信をした。メール相手はどう考えても早起きのタイプではないから、これから眠るのかもしれない。時計は六時半と表記されている。
 それにしてはまだ外が薄暗いな。そう思いながら、翔悟はもうひとつのメールを開いた。これは寝ている間に送られてきたものだ。気づくはずがない。
 しかもよく見れば、送信者は知多周(ちた・あまね)とある。隣で寝ている男のことだ。
「なんだ?」
 送信時刻は深夜二時。思い返せばちょうど翔悟がベッドに戻って幾分経った頃だ。周は先に身奇麗にして横たわっていたから、顔を覗き込んで気分を聞いた。久しぶりの情交の後で、心身の状態が心配だった。彼はやせ我慢する癖がある。でも、見たかぎりどこかが痛い、しんどいという様子ではなかった。
 本人は閉じていた目を開けて一言、眠い、と口にした。それを聞いて、翔悟はベッドに入り込んだのだ。周をそっと抱きしめても抵抗はなかった。だから、本当に眠いのだろうと思って彼の肌を撫でながら翔悟も意識を手放した。
 しかし、当の周は「眠い」と言いながら翔悟より後に寝たらしい。
 メールの本文には、朝になったら食べたいもの飲みたいものリストと、翔悟の寝顔アップ画像が添付されていた。寝汚い写真は今回のものではないと知れるが、全体的にやることが悪趣味である。
 こういうところが、本当にアマネらしいよな。
 後ろから翔悟に抱きしめられ、睡魔と闘いながらこそこそとこのメールを打っていたのか。半分呆れて周を見下ろす。彼はあどけない表情で眠っている。
 その愛らしい寝顔に翔悟はすぐ絆された。次の行動に向かうべく、ベッドからそっと脚を降ろす。手早く衣服を身につけ、財布と鍵を探すと玄関へ向かった。メールに載っていた飲食物の多くは、この家にないものだ。周が起きてくれるまでに買ってきて……起こすのはそれからだ。
 厚手のジャケットを着て、外へ出る。太陽は思いのほか明るく出ていてとても寒かった。無理はない。道は真っ白だった。夜半から降り続いていた雪が、キラキラと光に瞬いている。サク、サク、と音をさせながら翔悟は少し慎重に歩いた。休日の寒い朝のせいか人の気配はほとんどない。
 近所のコンビニエンスストアが見えてくると、暖を求めて歩調が早まる。自動ドアを境に変わった空気から、翔悟は息を吐くとカゴを取った。メールを見直しながら、律儀にカゴへ品物を入れていく。自分に必要なものも揃えてレジに立つと、若い店員に朝の挨拶をされた。翔悟も会釈して品物を確認する。
 周はまだ寝ているだろうか。そう思って、ふと、昔の記憶が脳裏に浮かんだ。
 この関係になって数年経つが、以前はもっともっとドライな関係だった。いつから、同じベッドで寝て起きて一緒に家を出るほど親密な間柄になったのだろう。今ではセックスした夜から翌日仕事先に向かうところまで一緒のときがある。前の周はそうしたベタベタしたものを本当に嫌がっていたはずだ。
 そういえば、かなり前に一度翔悟が少しでかけている隙に周がこっそり家を離れて、置手紙だけ残していったことを思い出した。  ……もしかしたら、今回もそのパターンだったのかもしれない。
 メールはその伏線か。途端に翔悟の胸に焦りが生まれた。周はかなり知恵のまわる人間だ。名前負けしないくらい個性も強いし、負けず嫌い。体調の起伏も激しくて、翔悟が自分にたいし献身的に働いてくれることを当然と思っている節がある。
 そんな彼だ。何かしら思うところがあって、わざわざメールをつくって送信して、翔悟が朝でかけた隙に姿をくらまそうとしているのかもしれない。あのとき枕の上に置いてあったメモを思い出した。置手紙を独りで読んだときの異様な寂しさは今も覚えている。
「すいません! おつり、」
 店員に呼び止められて、翔悟は我に返った。レジ袋を持って振り返る。周のことを考えすぎて現状が抜け落ちていた。おつりをいただいてから、急ぎ足でコンビニエンスストアを離れる。家を出てまだ十五分も経っていない。周が人知れず家を離れるつもりでも、ベッドの中では裸で寝ていたのを確認している。用意の時間も必要で、すぐに戻れば彼は留まっているだろう。
 雪の道を駆け足で抜けていこうと脚に力を入れる。しかし、すぐに翔悟は動きを止めた。
 ポケットの中に、ぶるぶると着信を伝えるものがある。
 名前を見ると、知多周。翔悟は慌てて画面をタッチした。電話をかけてくると思わなかったのだ。なぜ電話をかけてきたのだろうと不安になる。もう家を出た、鍵閉めてないからヨロシク、と、言い出すのかもしれない。周ならありえると、ネガティブな予想がさっと頭をよぎる。
「もしもし翔悟? いま、家にいないよな? なんかあった?」
 明瞭に響いた周の声は、その予想と大きく異なっていた。翔悟は普段の歩調に戻しつつ、言葉を返した。
「ああ、今コンビニから帰ってるとこだよ。アマネのメール見て、」
「メール? なんの? オレなんか送ってた?」
 本人はメールしたことを完全に忘れているようだった。翔悟は寝起きに違いない彼が理解できるように、メール内容を説明した。家になかった品物の名前を挙げれば、周は朗らかに「あ、それ欲しい」とつぶやく。
「だから、おまえが欲しいもん、全部買っておいたから」
 そう言うと彼は嬉しそうに、うん、と答えた。翔悟が、もうすぐ戻る、と、台詞を重ねようとしたものの、周の声が先に聞こえる。
「早く、帰って来いよ」
 声に甘えが見え隠れしていた。心身ともに深い関係だからこそ気づける、わずかな感情のゆらぎだ。翔悟はたまらず、声を上げた。
「も、すぐ。すぐ帰る」
 周が、んふふ、と笑う。あちらも翔悟の感情の動きを察したのだろう。
「じゃ、待ってるから」
 妙に嬉しそうな声をさせて、回線は切れた。
 電話がかかってくるとは思わなかった。意外すぎて、沈黙したスマートフォンを眺めてしまう。そして、彼の起こした小さなリアクションを反芻して胸に愛しいものが溢れてきた。
 たぶん彼は目覚めたときに、いるはずの恋人が家にいなくて心配になったのだ。いや、寂しくなったのかもしれない。それは間違いなく、翔悟自身が周に必要とされている証拠だ。
 彼が愛しい。愛しいあまり、姿を見たらぎゅっと抱きしめてしまうかもしれない。
 新雪はキラキラと翔悟の歩く先を照らしている。自然と足取りは軽くなる。自分の家には最愛の人が待っているのだ。翔悟は緩む表情を隠しきれないまま、心をウキウキさせて周の元へ帰っていった。




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