* 遠いひかり *


 仰け反る首元に涙が落ちた。瑞貴がきつく目をつむって違和感に耐えている。敦洋はわかっていた。零れ落ちる滴には、色がない。
 心のゆらぎも透けて見えてしまう彼の身体はいつも正直だった。瑞貴が感情的に欲していても、今ここで彼は受け入れるべき肉体を持ってはいなかった。
 敦洋の肩をつかむ両手は、薄い闇に埋もれて蝋のように色白く細い。瑞貴の肉体は、敦洋が抱えても抱き寄せて股の上に乗せても、重さをそれほど感じさせなかった。さほど変わらない身長差で十五キロ以上体重の違いがあるのだ。瑞貴は出逢ったときから異様に細かった。それは雰囲気を華奢なものにしていたが、心の脆さにはつながらない。彼には持ち前の勇ましさと男らしさがある。ただ、ときどき身体が気持ちについていかないことがある。誰にだってあることだろう。
 挿れていた指を、敦洋はそっと引き抜いた。二本の指は濡れているが、今夜の彼にそれ以上厚みのあるものを受け入れる力はない。元々挿入するようにつくられたところではないのだ。敦洋は彼に無理を強いたくなかった。敦洋にとって、瑞貴は大切なひとだ。
 セックスをするかしないか、いつも主導するのは身体の負担が大きい瑞貴だ。今日は会った段階から不調に近い表情をしていたが、瑞貴自身が「したい」と強行したのだ。敦洋の言葉を拒否できずに、彼の身体を抱き寄せた。でも、やはり今日はやめたほうがいい。
 対面で座る瑞貴の腰を労わるようになでて、同性の器官をさわる。ビクッとゆれた細い身体の上にある頭が、目を閉じたまま俯いて手を離した。上体が傾いて、敦洋により近づく。腕が首に巻き付かれ、耳元でささやきかける。
「挿れろよ」
 瑞貴の言葉は、命令でもあり懇願でもあった。しかし、それはどうしても無理な話だった。この状態では快楽どころか、ただの無理強いになる。それを瑞貴自身もわかっているはずだった。本調子でないときに挿入まで至れば、後でろくなことにならない。
「挿れろって、」
 黙って腰を何度もなでる敦洋を、掠れた声で急かす。今の瑞貴の言うことは、自暴自棄にとてもよく似ていた。敦洋が彼の吸い付く内壁に突っ込みたいのは山々だ。裸でその対象を抱いているのだ。瑞貴のなかは愛しい。熱くて恋しい。
 瑞貴の片手がするりと動いた。敦洋の肌を愛撫するようになぞる。敦洋の判断能力を鈍らせる策にでるのだろうか。身体と身体の間に指が向かう。
 彼はベッドに向かう前から様子がおかしかった。日中の、素知らぬふりで集団行動をしているときから言葉少なだった。秘めた関係のなかで、敦洋は二人きりになるまで彼をそっとしておいたのだが、結果的にそれはよくなかったのかもしれない。二人きりになった瞬間、瑞貴にベッドのある部屋を求められた。敦洋はむげにできなかった。
 長いつき合いと濃密な関係を経てわかる。今の彼は、ただ猛烈に心の空洞を埋めたいのだ。何が起因したのかはわからない。敦洋も聞き出そうとは思わない。ただ今の瑞貴の気持ちは、言葉がなくても敦洋にはわかる。
 だが、悲しみをくわえさせるようなことはできなかった。瑞貴の身体も、それは果たせないことなのだと嘆いている。彼の胸の内は、とうにやりきれなさを抱えていたのだろう。それを、敦洋ならば、衝動のままどうにかしてくれるのではないかと思っている。瑞貴の声と手が、そう訴える。
 昔の自分ならば、おそらくその通り、望むままに無理を強いただろう。しかし長く関係を持って成長した。敦洋は、それをしたところで結局なにも解決しないことに気づいていた。もう、子どもではないのだ。
 ただ、慰めではない確かな言葉を描くには、敦洋には語彙が足りなかった。愛しい人に腹をなでられ、勃ち上がっているものをつかまれる。その代わりのように、敦洋は首もとで顔を埋めてる瑞貴の頭をなでた。できねえよ、という言葉を仕草で教える。
 敦洋は彼の腰を片手でつかみ、強く押した。瑞貴の髪をすく手をおろす。自らの脚を使って、乗せていた彼の股をより開かせ密着させる。なにをする気なのかを知っただろう、瑞貴にくちびるを寄せる。
 ふるえる彼の腰を固定して、性器をつかみながら瑞貴の指に触れた。弄ばれて暴れようとする熱に耐える。押しつけあうようにふたつをまとめて握った。より生々しい感触がめぐる。やり口を知った瑞貴が、応戦して敦洋の指にからんだ。精を吐く快楽だけを求める肉はぬめって手を濡らす。
 足りない熱を補うために、敦洋は一時すりあげていた指を離した。すぐ首にまわっていた瑞貴の手がはずれて薄れた快感をつなぎ止める。敦洋は不安定になった彼の身体を脚と片手でホールドして、濡れたままの指でもう一度すぼまりを探った。出入り口に触れれば、受け入れかたを知っていると軽く収縮した。
「っ、ぅん、……ん、ン、あ、」
 瑞貴が主導して前で両手を使い、敦洋は出し入れをはじめた指を二本に増やした。声をこらえながら腰を無意識に動かす痴態は艶めかしく、果てるまで指を使い続けた。片方の雁の首を抑え込み、一緒にイカせようとした瑞貴の魂胆が妙に可愛らしく思えて、引き抜いた指で彼の手を探す。体液のぬめりにまみれた片手の甲に触れると、肩で息をする瑞貴が顔を上げた。顔が涙で濡れている。
 瞼を伏せれば、くちびる同士があたった。はじめのキスは、日もちのしない花のように触れるだけで離れた。瑞貴の両手が、己を支えるように敦洋の両腕をつかむ。その感触を経て、敦洋は彼の腰を支えていた手を濡れたほうに持ちかえる。そして目を開けた。
 軽く俯く瑞貴がいた。満たされまた失おうとするものを留めたいと耐えているようだった。巣喰うものの名を、敦洋は知っていた。彼の目尻を指でそっとぬぐう。涙の理由は問わない。敦洋にも、無性に悲しくなるときはあった。突然巣喰う悲しみに、心が追い込まれる。繊細な部分を持つ瑞貴も同じように時折苦しむのだ。
 誰だって、悲しみに耐えるのは得意じゃない。
 敦洋は名前を呼ぶ代わりに、そばに見えた耳元へキスをした。離せば彼が反応して頭を持ち上げる。目が敦洋のくちびるを探していた。すぐ重なってきたそれは、息を継ぐ余裕もないほど深くなる。首に腕が巻きつく。瑞貴に強く重心をかけられて、敦洋は押し倒された。仰向けの姿勢になる最中で絡めていた舌が離れる。その隙に、瑞貴の腰を押して抱きしめた。ベッドに転がる。かすかに嗚咽がもれた。
 言葉にして満足できるのならば、いくらでもしてやる。しかし、そんなもので救われない。だから、悲しいのだ。
 そして、彼は自分の腕のなかにいるのだ。敦洋は薄暗い闇を見つめた。朝日はまだ遠い。
 彼の伝う滴がやむまで、敦洋はその背中をなでていた。




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