* オクトーバーフェスト *


 高層ビル群に点在する光が一層瞬きはじめた。整備された海沿いへ独特なにおいの風が抜ける。潮風だ。珍しく都会のそうした場所を連れ立って歩いていた慶介と美晴は、会話が途切れたと同時に一点へ目を向けた。
 大型商業施設のベイサイドに広がる野外テラスの奥が、夜にしては妙に明るい。建物の隙間から黄色の旗や幕がはためいてた。平日夜の静かなベイエリアであるはずだが、そこだけ妙に騒がしい。
「あれ、なんだ?」
 慶介の言葉に、美晴はすぐに知るかよという素振りをする。あまり興味のない様子だが、二人して今夜はこれといった宛がない。この後の予定を考えるより先に、ちょっと近寄ってみるか。そう提案するつもりで慶介が再度口を開いたが、それより先に、美晴が思い出したような声を上げていた。
「あ、コレ、もしかして、ドイツビールかなんかの祭り?」
 そう言われたところで、慶介はあまりピンと来なかった。顎を引いた美晴に顔を覗かれる。
「ドイツかなんかのビールのフェスタが日本にも来てやってるって、この間テレビで見たんだよ。こんな垂れ幕とか、やたら黄色い感じだったから、もしかしたらコレ? でも、こんなとこだったっけ? 海じゃなくて、もっと木のある公園っぽい場所でやってた気がすんだけど」
 独り言のように美晴が語る。慶介には、聞いたことのあるようなないような、といった感じのイベント内容だ。都会は近年たくさんのフェスタが各地で開催されている。どれかと混同している可能性もあった。
「へえ、そんなのあるんだなあ」
「けっこういろんなとこでやってんじゃん?」
 美晴が言った通りのフェスタなら興味がある。とりあえず、今は立ち寄る暇もある。
 慶介はすっかり行く気になった。第一ドイツといえばビールで大変有名な国だ。その国のビール祭りならば、提供されるビールは確実に美味いだろう。
「ちょっと寄ってみないか」
 軽く促すように返すと、美晴も気になりはじめたのか素直に頷く。
 立ち止まっていた脚を動かして、二人はよりムーディーなベイサイドへ向かった。明るいスポットに近づくと、広がっている形式は音楽フェスの飲食フロアとあまり変わらない。高いポールに幕を張って掲げられた入り口は開放的だ。ビアガーデンとは違う気軽な雰囲気に、美晴は慶介より速く脚を踏み入れる。
 今日は平日だが、場内には賑わっているといえる程度に人がいた。そのほぼ全員が手にしているのはビールだ。国旗もぬるい潮風にはためいている。
 これは美晴の言うとおり、ドイツビールのフェスタだ。奥まったところにつくられているせいで、そこには秘密の大人の遊び場のような洒落た装いがあった。目印の黄色い旗や看板がなければ、ここでビールのフェスタが行なわれていると思わないだろう。
 立ち寄っている人たちの多くは仕事帰りのようだ。土日は大人で溢れているに違いない。慶介は平日でよかったと思った。そうでなければ、人ごみ嫌いの美晴は嫌がったかもしれない。
 特設でつくられた飲食ブースが軒を連ね、見たことのない種類のビールばかりが宣伝されている。総じて割高だが、そのぶん外国仕様らしく、一杯の量が異様に多い。イートインのテーブルも多く設置されており、仮設店舗の向かい側は海の夜景が広がっていた。酒の祭りでも、この雰囲気ならばデートスポットに最適だ。
 美晴が慶介のところへ戻ってきた。
「なあなあ、アレ見た? ビール注いでるの、全部ガラスなんだけど」
 少し驚いたように言う彼のそばで、ビールグラスを探す。そのとおり、野外フェスタにも関わらず、ビールを注ぐ容器が高そうな薄いガラスのグラスがいくつも見えている。
「あ、マジで凝ってんだな」
 ビールに対する本気度が窺えて、慶介はますますビールを試したくなった。となると、美晴にもその気になってもらわなければならない。彼もビールが好きなので、殺し文句は簡単だった。
「じゃあ、試しに飲んでみようぜ。一杯おごってやるから」
「え、マジ? やった!」
 美晴が、ぱああっと笑顔になった。無邪気に表情を変える彼の様子から、公共の場ということで湧き上がる気持ちを慶介はどうにか抑えた。彼はすっかりビールに意識が向いているらしく、財布となった慶介を連れて、あっちどう、こっちも気になる、と、うろうろしはじめる。
 そのうかれた彼を頬を緩めて見つめながら、呼び寄せられるままにひとつのブースへ招かれた。コレにする、と、指差す美晴の選んだものを注文する。支払いを済ませると、綺麗な黄金色のビールが入ったグラスを持った美晴から嬉しそうに礼を言われた。ご満悦な表情は本当に、奢った甲斐がある。
 慶介も気になったブースへ行って、蜂蜜の風味のするなどと書かれているビールを購入した。美晴のものより濃い蜜色をしている。おそらく、これも試したい、と、美晴は言い出すだろう。
 他ブースでは、ドイツのフェスタらしくブルストやザワークラフトなど地産の食べ物も売られていた。そのなかでジャーマンポテトと三種のブルストを選んでプレートをもらう。近間のブースの看板を読んでいた美晴を呼んで、辺りを見回しながら席を探せば、すぐ後ろから美晴の声がした。
「テーブルまで座んるかよ」
 そこまで考えていなかった、と、言わんばかりの響きだ。客の入れ替えの合間にあたったのか、ちょうど良い海側のテーブルを見つけて、美晴の不満を制した。
「いいだろ、ここなら夜景もよく見えて雰囲気いいし」
 奢った手前で強要しても許されるだろう。慶介が飲食物を置いて席に座る。しかし、美晴はその動きに追従せず、グラスをテーブルに置くと、代わりに慶介の購入した皿のひとつを奪って、瞬く間にどこかへ行った。
 また何をする気だ、と、慶介は妙な不安を抱きながら、振り返って人と人の隙間から美晴を探す。彼は今しがた食べ物を購入したブースのカウンターにいた。そして、すぐに戻ってくる。嫌な予感は的中していた。
 ブルストの皿がマスタードまみれだ。
「おい、それ俺が食うんだぞ!」
 非難する慶介の声に、一向かまうことなく美晴は黄土色に着飾ったプレートを置き、慶介の手許にある蜜色のビールを奪う。
「愛だろ、愛」
 そう言って悪びれることもなく、彼は人のものを勝手に飲む。意味がわからず、慶介は美晴から目を離して下へ顔を向けた。
 ブルストのプレートに大きく『LOVE』と、黄色い文字が乗っている。
「あ、コレ美味い。こっちと交換してよ」
 向かいに座って我がままを言いはじめる美晴に、慶介はすっかりほだされた表情で、おう、と答える。そして記念に収めようと、写メ写メ、なんて言いながらいそいそとポケットを探っていれば、おまえは女子か、と美晴から突っ込まれ呆れられた。




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