* 東京艶戯 *


 夜の闇は、黒に染められないものをキラキラと魅せてくれる。
 肌にまみれた汗も熱も体液も、下肢にうごめく悦びも。ぐじゅぐしゅと鳴り止まない接合音も、蒸せる息づかいさえもすべて闇は許してくれるような気さえする。
 動くたびに負荷のかかる細い足首に、脱ぎ捨てられた服が当たる。華奢な瑞貴には大きすぎる敦洋のシャツは邪魔だったからこの手で剥いだ。衝動のまま行為をせがむ仕草を、今宵も敦洋は赦して痩せた身体に触れる。
「っ、……ん……あっ、あ、」  溺れた魚のように瑞貴の薄いくちびるが開く。肘と膝をついて後ろから何度も貫かれ、白いシーツに爪を立てる。深い彼の熱は瑞貴にとって不思議なものだ。何度経ても苦しいときは苦しい。それでも、埋められるかたちには異様な安心感がある。
「あ、っ、ん、っ、」
 律動のまま小さくふるえた身体は抑制が利かない。
 もっとぐちゃぐちゃにしてほしい。頭がおかしくなるくらい犯してほしい。何度強く願っても、敦洋は乱暴な扱い方を瑞貴に決してしなかった。だからわかっていて何度も望む。敦洋に無理を強いらせようとするのだ。
 スプリングが軋み、身体のふるえは大きくなった。
 吐き出す場所を求めた下肢に、男の手が気づいて瑞貴の尖った熱をつかんだ。粗相を誘導するような指の動きに耐え切れず、敦洋を中にくわえたまま精を吐く。喉がひくつき涙がこぼれ落ちた。
「ぁ、……はぁ……はぁ……っん」
 ひとつの欲が収縮すると埋められた男の熱の大きさに気づく。
 唾を飲み込むと、敦洋も瑞貴の熱が落ち着いたことを悟ったように身を抜いた。細い肢体を仰向けにされた瑞貴は、目を閉じたまま欲しがって脚を開いた。両腿をつかまれ強く寄せられる感触にうっとりする。改めて埋められた敦洋のかたちは、角度が変わって瑞貴の内壁を悦ばせた。彼も早く動きたいだろうに、腰を上げる体勢の相手を少しでも楽にしようと、浮いた部分に枕か何かを差し込んでいる。
「あっ、ン!」
 ゆっくり動き出した密接な感覚に、瑞貴は走る電流を追って身をよじった。もっと激しく突いてほしいと思う。けれど、この体勢のまま一生時計の歯車のように静かに動いていてほしいとも思う。
「……ン……っ、ン……ぁ、あ、」
 喉を鳴らして快楽に寄り添う。そこに別の感触が加わる。敦洋の手が頭を撫でてくれる。
 眼に光を与えないでほしいと思ってしまうのは、こんなときだ。
 何も見えなければ、もっと純粋に快楽だけを追求できる。何も考えず悩まず繋がっている部分と享楽的な熱にただ心を任せればいい。繋がっているかぎり自分は独りではない。
 浅ましい音を立てながら、撫でてくれる手はやがて皮膚の薄い胸へ流れた。小さな突起を潰され、肌をあわ立たせる。
 痛い、と、はじめて受け入れたときに泣いてから、敦洋は自らの欲望に忠実にはならないと決めたようだった。瑞貴が勝手にヤッていいと言っても、激しくしろと言っても、敦洋の意思は動かない。瑞貴の身体を優先にやさしく扱う。物足りないと怒っても、彼は瑞貴に自分から一方的に手を出さない。
 自分の面倒な男だと思っているなら、早く捨てればいい、と、瑞貴は口に出せないままセックスするたびに繰り返す。はっきり告げられないのは、捨てられたら瑞貴のほうこそ息が出来なくなってしまうからだ。自己嫌悪と孤独と寂しさが上り詰めると、瑞貴は耐え切れず衝動のまま敦洋の服を脱がす。彼も瑞貴のやり口に黙ってセックスの相手になってくれる。
 ……本当は、もうこんな行為自体、どうだっていいと思っているのかもしれないけど。
 唐突に戻ってきた理性が、貫かれ愛撫される瑞貴の耳元でささやいた。
 猜疑心の悪魔。快楽から無理やり引き戻されて途端に瑞貴は怖くなった。
 敦洋は、どんな思いでこんな閉ざされた昏い時間をどんな眼で見つめているのだろう。
 埋められていた心の空洞がまた開きそうになる。男の熱に揺すられているのに寂しさと孤独が押し寄せて、我慢できず目蓋を押し上げた。敦洋と眼があえば、彼は動きをとめて覗き込むように瑞貴を見た。
「つらくなったか?」
 心配そうにささやく声は、宿ってしまった不安の色を瞳の中で見つけてしまったことを教えていた。瑞貴の不安定さを敦洋はわかっている。情緒が混線すると敦洋を求めることにもおそらく気づいている。
 不安が伝染したような彼の様子を見て、一方の瑞貴は無性に安堵できた。自分の不安感が敦洋にそんな顔をさせたのだと思えば、敦洋にとっても自分が少しは大切な存在なのだと知れる。少なくとも、このセックスは無意味にならない。
 彼のふしばった指を取る。続けて欲しい、という意思表示をくちづけて伝える。そして、子猫が甘えるように敦洋の指をしゃぶって彼を見た。一度凪いだ敦洋の欲が再び昇ってきたことが、表情から見てとれた。
 光を認知できる眼が愛しいと思うのは、こんなときだ。言葉はいらない。互いのことだけをただひたすら感じるように貪ればいい。
 ……自分には敦洋がいて、敦洋には自分がいる。今はそれだけで、もう。
 瑞貴の口腔をなぞり舐めさせていた敦洋が手を引き抜いた。そして、細い身体を抱え込んでくちびるを寄せる。指で蹂躙したところを、今度は舌で確認する。押しつけられて穿たれるまま舌が絡む。
 皮膚が当たる音と交ぜる粘つく音が息の荒さとともに暗がりを支配する。キスのあとは仰け反る頤の雫を舐め、激しく律動をはじめる。
「ぅ、は、……ぁ、ん、あ! ぁ、ッン、……ッ、あ、あ、」
 ぞわぞわと鳥肌が立つ。終わる気配が事前に知れて、野放しだった脚を絡ませた。ぐちゅぐちゅと鳴り響いていた音はより密着して内部に響く。途端に冷めた空気が上半身を取り巻いてずり落ちた腕は、熱を求めるように相手の腕をつかんだ。受け入れた器官はそもそもの意味を忘れたように収縮して何かを搾り取るように煽動した。強く押しつけられる。終わるのだ。
 眉間に皺を寄せるほどきつくまぶたを閉じた。その瞬間に、引きつったように胸が反れた。ひとつテンポを置いて、相手がふるえるように身を抜く。そして、瑞貴の腹はまたたく間に白濁に染まった。
 全力疾走したかのような呼吸を傍で聞きながら、少し咳き込んでがらくたのような脚をシーツに落とした。関節が鈍い痛みを訴えている。見えなくてもわかる。名残惜しく収縮を繰り返す穴からは吸収できない潤滑剤と体液が出口を求めてこぼれんとしている。皮膚の薄い腹には精液。外に放たれた気遣いの証。外は、闇を薄めたような色をしている。
 かすかに、鳥の鳴く声がした。
「シャワー、浴びるか」
 起こそうとかざされた手に気づいて、焦点をあわせる。汗に濡れる髪を見てから首を振った。それを動きたくないからと理解したようで、心配そうに張りつく髪をかきあげてくれた後、「タオル持ってくる」と離れようとした。
「いい、」
 ……そんなこと、してくれなくても。
 そこまでの言葉は出せずに筋肉質な腕をつかんだ。とっさに敦洋が振り返る。情交の痕がまざまざと残る身体を見て眼を細めた。白濁にまみれる汚れた身体のまま、瑞貴は腕を回して皮膚を密着させる。彼は歩くのを止めて隣に腰を下ろした。瑞貴を抱きしめ返してくれる。
 ……おれは結局、敦洋に何を求めようとしてるんだろう。
 これが愛なのか恋なのか、なんなのかわからない。ただ、猛烈に敦洋が欲しくなる。心の空洞を埋めてほしくなる。敦洋でなければダメなのだ。この空洞のかたちは、敦洋しか埋められないくらい複雑なかたちなのだ。
 満たされたのに悲しくて涙が出た。時々暴走する思考と感情の痛々しさを、敦洋は理由を問わず受け止めてくれる。抱きしめてくれる。
 自分がやめようと言ってしまえばすぐに終わってしまう関係性なのか、と考える頭を撫でられ、そっと上を向くよう促される。新しい涙の跡には何も言わない。
 その代わり、くちびるが重なると敦洋は言葉をかたどった。「瑞貴」という、自分の名前。
 たったそれだけで不思議とホッとできて、瑞貴は微笑むと重なる口を薄く開いた。




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