* 太陽の恋人 *


 万里子は、眩しく焦がれる存在を眺めていた。  同じ眼差しで蕗子を見つめ、もう三〇年以上経つ。その容貌はどちらもすでにハリがなくなり、体格も脂肪が年輪のように張り付いて、二回りほど大きくなった。しかし彼女の中身だけは、出会った当時からあまり変化がない。
 蕗子と出会ったのは中学生の頃で、それ以来のつき合いだ。部活も同じで、進学した高校も一緒だった。昔の田舎ことから選択できる高校もなく、必然的に中学校からのメンバーが持ち上がった。高校卒業後は、万里子は地元の看護学校に進学して、蕗子は勘当同然で実家を離れ都会に出た。それからも長く意識しあって、彼女が実家に帰省するたび時間を割いて会う仲だ。そして、いつまでも万里子にとって眩しい存在だった。
 枠におさまることが嫌いな蕗子が、国のはずれにあるちいさい町にとどまらず、国の首都に向かったのは当然の成り行きだ。彼女は大都会で一人の男性と結婚をして、子どもも生んでいる。
 都会に慣れ、少しは性格のどこかが変わっても不自然ではないはずなのに、蕗子はそのままだった。子を成して、多少寛容になったくらいだろう。相変わらず出会ったときのまま、冗談好きで律儀な親友だ。
 その蕗子は今も、一段落したバーベキューコンロのまわりで片づけをはじめている。庭を提供した同じく昔からの友人が、「ふきちゃん、まだそのままにしてていいわよ」と言いながら手を貸している。
 蕗子のゴールデンウィーク帰省にあわせて集まった友人は六人だ。今回はなぜか蕗子の娘もついてきた。全部で女七人。年少者と一人をのぞいて全員結婚している。高校からの友人である一名だけは、いまだに未婚でワーカーホリックを地でいっている。
 一昨年まではもう一人定期メンバーがいたものの、彼女は去年ガンで亡くなった。中学、高校からの付き合いがある面々と言っても、そうした病気が身近に感じられる歳になってきているのだ。特に身近な病は、更年期障害だった。青春期からの友人たちだが、会話にこうした病気や老後の話題がでるようになった。万里子も子どもを二人持つ身だ。両方とも高校を卒業し、すでに手はあまりかからない。その万里子の子どもたちは、中年おばさん六人のバーベキューパーティーに見向きもしなかった。
 バーベキューをしようと言い出したのは、庭を提供した友人ともう一人だ。その提案は承諾され現在にいたっている。おそらく火起こしの上手な蕗子をあてにしたのだろう。蕗子がそう、帰省前の電話越しで呆れていた。彼女は、そうした野外作業が昔から実に得意なのだ。
 蕗子は中学時代から、万里子の友人たちの間で唯一、元気な男子たちに混ざって遊んでいたような女性だった。むしろ、男勝りで我が道を突き進む蕗子をクラスの男女全員が認めていた。学校中に名が知られていたほど、破天荒なところがあった。手先が器用で、制服や体操着をお洒落に改造していた。スリルがあって楽しめそうな場所を、蕗子は男子の誰よりも知っていた。木登りも得意だった。今でも、登りやすそうな木を見つけると、目を輝かせて駆け寄る。
『元々一匹狼が好きだし、したいことをしていただけよ』
 そう豪語するが、蕗子は学校でも町内でも本当に目立つ存在だった。それは今も変わらず、気づけば人の輪の中心にいる。三〇年以上経ったところで、変わったのは外見だけだ。とりわけ、無意識下で人の本質を公平に見抜く力は彼女の天性ともいえた。嘘や陰口を嫌う彼女の周りに集まる人は、総じて信頼のおける人間ばかりで、万里子たちはその恩恵に授かった。
 万里子は、その中で蕗子に一番かまわれ、一目置かれていた。蕗子いわく、万里子は言動や行動が抜けているから、どれだけ一緒にいても飽きないのだそうだ。万里子からすれば、蕗子の大胆な発想力と行動力のほうが数倍見ていて楽しい。以前行なわれた同窓会では、集まった一同が、蕗子のことを「皆を巻き込む暴走列車、もしくは宇宙人」と、評していた。本人はかなりショックを受けたようだが、『だって、私がおもしろいと思ったものは、みんなにもおもしろいと思ったから、連れ回しただけよ。みんなもついてきたじゃない』と、真顔で答えていた。彼女にその自覚はいつまでも身につかない。
 一方で、蕗子が平然と放つそうした言葉が、辛辣であり身勝手なようでありながら、無性におもしろいのだ。的を得た台詞を、どこかの本の主人公であるかのように自信をもって言うのだから、大抵の人に怖がられ、一定の層にとても支持された。最近は蕗子の娘が、母親の話をおもしろおかしく周囲の友人に話しているせいか、若者から異様に慕われるらしい。その娘は、今終わりかけのパーティのそばで、水のように烏龍ハイを飲んでいる。もうお酒も飲める歳なのだ。
 その年月を考えると不思議なものだ。蕗子がいると、年月が吹っ飛ぶからさらに不思議だ。そして、彼女を見る。何千回繰り返して見ても、蕗子のすべてに惹かれる。万里子は幸せだった。彼女は三〇年経とうが、『私はマリちゃんのナイトだったし』と、相変わらず恥ずかしげもなくのたまうからだ。
 確かに、学生時代の万里子は男子に散々からかわれた。蕗子たちは、「万里子は、頭が良くて本当に美人さんだったから、男どもが放っとかなかったのよね」と、当時のことを懐かしく話す。男子にからかわれたときは、かならず蕗子が男たちをけちらした。
『私のマリちゃんに、勝手に手ださないでくれる?』
 当時から、本気でそんなことを言っていたのだ。そして、その関係性は今もあまり変化がない。蕗子が万里子のナイトだったのは公然だった。蕗子に守られている意識を万里子は強く感じたことはなかったが、蕗子が自分のナイトである事実は、単純に嬉しい。
 だから、どこか常に眩しいのだ。
 万里子は、自分が蕗子を見つめる視線が、あの当時からひとつも変わっていないことに気づいている。万里子にとって蕗子は、どう言えばいいのかわからないほど好きな相手だった。
 いつ見て変わらない。彼女の持つ、あの前向きさと内面の強さは、決して折れない鋼だ。蕗子は強がりや妬みから、最も程遠いところにいる人間だった。どれだけ眺めていても、裏表のない生きざまに万里子は胸を熱くするのだ。こんな人を、万里子は蕗子以外に出会ったことがない。
 蕗子はいつも相手と自分に真っ直ぐで、泣くときはためらわずたくさん泣いた。そして、笑うときには最大限に笑いを引き出す。我が道を突き進むようで迷う人に手を伸ばすし、物事を感謝することも忘れていない。あんなふうに過度な欲もなく、素直に誠実に生きていけたのなら後悔もないだろう。できないから、誰もが彼女を眩しく感じ、逆に恐れを覚えるのだ。
 しかし万里子は、それ以上の焦がれる何かを持っていた。
 万里子の騎士である蕗子に、必要以上に想い焦がれていた。恋とは違うと思う。万里子にも二〇年近く連れ添った旦那はいるし、彼に愛情もある。蕗子に対して感じるものは、そういったものとはかけ離れたものだ。けれど、前世の蕗子は男で、万里子の恋人だったと言われれば、妙に納得できる。
 その蕗子が、家主の友人を連れ外から屋内に入っていく。他のメンバーは、台に置かれたフルーツ大皿を囲んで談笑中だ。簡易テーブルで雑誌を広げていた万里子は、そろそろ蕗子のそばに戻ろうと、視線を横にずらした。
 蕗子の娘が、万里子の視界に向いていた。娘の名前は海希だ。蕗子が前日電話越しに「娘が行きたいってうるさいから、仕方なく連れていく」と言っていたとおり、海希はワンピース姿で、パンツルックの蕗子と一緒にやってきた。
 身丈は同じ親子だが、娘は若干父方よりの印象で、男勝りが顔にも現れている蕗子とは雰囲気が異なる。幼いときは本当に可憐という言葉が似合う風貌で、蕗子が昔「しゃべり方もおっとりして、性格が本当に違うの」と、頭を抱えていた。
 今も容姿にその名残をとどめているが、会話をすればすっかり蕗子色に染まっていた。容姿と中身にギャップがでてきてしまったのは、間違いなく蕗子の元で育ってしまったせいだ。
 万里子が彼女を幼い頃からよく知っているように、海希も万里子の存在に慣れていた。ワンピースを着て化粧をしていれば、海希は顔の整ったおとなしい子だ。しかし、誕生してからずっとあの蕗子とともに生きてきた海希が、容姿通りの性格ではないこともよく知っている。段取りを組むことを好まない蕗子と違い、計算することもできるし、田舎の遊びも知っているが完全に都会慣れもしている。一人で放っておいても、信用できるような長子だ。
 蕗子が庭に戻ってきた。
 五月の緩い日差しが、彼女に当たる。場面に出てくると、一度視界の中に入れたくなるのが蕗子という存在だ。
 その娘が、万里子のそばに立った。彼女の手にしているグラスは、太陽の熱で汗をかいて滴を落とす。
「マリおばさん、それ何の雑誌ですか」
 一人でバーベキューパーティを気ままに楽しんでいた彼女は、読書家でもある。万里子の手にする雑誌に興味をもったようだ。独身を貫く友人が、仕事で手がけている出版社の雑誌を数冊持ってきていた。その群で、後から思い出したように出されたのが、万里子の手元にある雑誌だった。海希がこの日唯一、目を通していない雑誌なのかもしれない。
「海希ちゃん、これ、オバサンたちが見るようなファッション誌よ」
 万里子が海希を見れば、彼女の目尻が下がった。
「いいんです。そういうのも、見てておもしろいし勉強になるので。今まだ読んでいますか」
 海希の声は、蕗子にとても似ている。昔はもっと高音で可憐さがあったものだ。
「ううん、読み終わってるわよ。はい、」
 彼女の出す音の響きに、蕗子の血脈と影響力を感じながら、万里子は雑誌のページを表紙に戻した。海希に雑誌を差し出しながら、「隣に座る?」と、空いている席に促す。海希は抵抗なくに従った。テーブルにグラスを置いて、雑誌を手にする。すぐ読む気はないようだ。
「バーベキュー、どうだった?」  万里子は海希に、年輩者としての言葉をかけた。彼女がほほえむ。若さが別の意味で眩しい。
「お肉がしつこくなくておいしかったから、たくさん食べちゃいました。そういえば、マリおばさんのところのお子さんたちは来なかったんですね」
 来ればよかったのに。そんなニュアンスをこめて海希がいう。この子も蕗子と同じで、枠にとらわれない。
「ふつうオバサンしかいない飲み会に、子どもは来たがらないわよ」
 苦笑すれば、「そうですか。年輩の方々に囲まれるのもおもしろいし、色々学べると思うんですけど」と、海希が真顔で答えた。そして、海希は母親の姿を無意識に探す。
 蕗子はフルーツ皿のそばで、友人たちと果物談義をはじめていた。しかし美味にまつわる話ではなく、自宅に立ち寄る野生の鳥はこの果物が好きで、これがあんまり好きじゃないみたい、この間うちの庭で実験したの、などと論点はいつものごとく斜め上だ。
 海希は、そんな蕗子を見ていた。彼女にも、その会話が聞こえているのだろう。自分の母親の言動に、口元が呆れている。
「マリおばさん、聞きました、今の。本当にあのひと実験してたんですよ。せっせと果物を買ってるなと思ったら、いつの間にか自分で庭に鳥用の餌箱までつくって……さすがだと思いません?」
 娘の発言に、万里子は笑って同意した。
「本当に、あなたのお母さんは昔から期待を裏切らないわね」
 二人は同じような仕草で、蕗子を視界に入れた。そろそろ蕗子が簡易チェアに座る二人に気づくはずだ。
「この間、」
 海希の声に、万里子が顔を向けた。蕗子の娘は母親から視線をはずしていないが、万里子にあてた言葉だとすぐにわかった。
 彼女の瞳に宿るものを、万里子は見たことがあった。
「母親との会話で、月を眺めるのが好きだって私が言ったんです。そしたら、あの人はなんて言ったと思います?」
 彼女の紡いだ台詞は、真剣な回答を必要としない問いだった。万里子は、海希から視線をはずさずに相づちをうった。
「ふきちゃんはなんて言ったの」
「あんた月なんか好きなの。私は太陽に照らされるだけで、自分から輝かない月は好きじゃない。私は太陽がいいって、」
 海希が目を細めた。万里子は不意に悟った。蕗子の娘から、その母親に目を向けた。
「あのひと、私は自分から輝く太陽でいるって、断言していましたよ。月みたいな他力本願はイヤだ、ずっと輝いてみせるって」
 その声質は蕗子とそっくりであるにも関わらず、蕗子を強く焦がれていた。海希は何度も母親の姿を目に焼き付ける。彼女は自らの母親を、すでに母親として見ていなかった。万里子と同じ視点で見ているのだ。
 蕗子は、蕗子自身が公言しなくても、すでに強い輝きを放つ太陽だった。だから、こんなにも焦がれるのだ。万里子は妙を得ていると感心した。そして胸が熱くなった。
「すごいですよね、ふつうそんなこと平然と言えませんよ。それを当然のように言うんですよ、あのひと」
 海希の口元がゆるむ。蕗子を、一人の人間として眩しく見つめている。独り言のようだった。
「……そばで、その太陽に焼かれそうになっている人間の気持ちはわからないんですよ」
 彼女は、蕗子の血を分けた最も近しい存在だった。歳の数だけ同じ屋根の下に住み、同性として一番蕗子を見ている。幼い頃は、母親のような人間になれると本気で思ったのかもしれない。
 万里子は海希が、蕗子を母親としてすでに見ることができない気持ちが理解できた。周囲に慕われる太陽のような母親だ。なろうと思ってなれるものではない。そもそも海希は父方似の気質で、元の性格から蕗子と違いすぎたのだ。
 それでも、彼女は一度母親のようになろうと努力したのだろう。蕗子も、同性だから自分のようになれと厳しく接してしまった、と、いつだか吐露していた。
 海希は、本当にたくさん葛藤したはずだ。それが、台詞の中に織り込まれていた。蕗子のような性格は、目指そうと思ってなれるものではない。天性の才能だった。蕗子が自然体でそばにいるということ自体が、海希にとってはじめての挫折だったのかもしれない。
 それでも、海希は蕗子の存在に想い焦がれているのだ。
 なぜならば、蕗子が「太陽」だからだ。
 万里子も海希と同じように、蕗子を見た。ようやく、輪の中心にいた蕗子が気づいて、こちらに声をかける。
「このフルーツ、けっこうおいしいわよ。来なさいよ、ふたりとも。そんなところでコソコソしてないで」
 蕗子は、二人が自分の話題をしていることに気づいている。しかし、内容まで想像はしていないだろう。第一、どう人に思われても、蕗子にとってはどうでもいいことなのだ。
 万里子が立ち上がると、海希もその動作にあわせた。目があったところで、万里子はポロリと言葉を落とした。
「ライバルね」
 無意識に出した言葉に、万里子自身が驚いた。海希が、目を見張ったのは一瞬で、いたずらな笑みを浮かべる。
「マリおばさんは、父以上に手強いライバルなんですよ」
 海希は、万里子の視線が成すものの名をすでに知っていた。きっと、万里子が自覚する前に、彼女は二〇年来のライバルとして万里子を認めていたのだろう。表情がそう言っていた。
 お互いそれぞれの特権でありハンデを、万里子は思う。海希の発言は半分冗談で、半分は本気だ。そして、蕗子を想う気持ちの強さは万里子と同等だ。
「ふきちゃん争奪戦ね」
 おもしろくなって笑えば、海希は「だってあの人は、わたしたちの太陽ですもん」と、屈託なく笑みを返した。



... back