* ペーパーバッグ *


 駅のロータリーを抜け、二車線へ切り替わる頃に町の風景は一変する。真っ直ぐ続くアスファルトは濡れた闇を吸収する。夜でも雨の跡はすぐにわかった。
 よし乃は駅の屋内駐輪場から自転車を引き出し息をついた。空気の匂いが違う。新宿駅の煌びやかさと喧しさからこの町に帰ると途端に落差を感じる。毎日のように通勤しているのに、それは毎度訪れた。この落差にもたらされる妙な違和感。数年前まではこの落差が嫌いだった。
 もっとワクワクしたい。遊びたい。そういう気持ちから、静かな町はいつも遠い。
 よし乃は滑らないように足をかけて、自転車を動かした。真っ直ぐの大通りは夜でも人が歩いている。都心で飲み会があったときに終電で帰ってくることはあるが、〇時を過ぎているというのに歩いている女の子と何度もすれ違う道だ。よし乃のほうが大丈夫か心配してしまうほどだ。
 ……雨が降ってたらバスを使うつもりだったけど、降ってなくてよかった。
 今年の夏の天気は昼夜問わず不安定だが、よし乃は極力自転車で通勤したかった。昔はバスを利用していたが、今は自転車のほうがいい。途中でスーパーにも寄れるし、いい運動になるし、遅延を心配しなくていい。
 交番の手前で、ライトをつけることを思い出した。出勤のときよりは緩いスピードでペダルを漕ぐ。低層のマンションが見られなくなると、住宅地の合間にスーパー、駐車場、学校、病院、公園という連なりがはじまる。緑の匂いは濃くなる。
 雨上がりの夜風は案外涼しい。でも、カーディガンは信号を待っているときに脱いだ。肌に当たる大気は都会と違ってなめらかで密度がある。美容に良さそうだ、と、本気で思うようになったのはこの二、三年だ。都会の空気と田舎の空気の違いにちゃんと気づいたのも同じくらいだ。
 よし乃の家は、駅から近いわけではない。通勤時間は一時間ちょっと要する。町を離れることも考えた。けれど、実行にはまだ至っていない。
 大都会から地元駅に着いて、この道を通るときは身体がすっかり自然の色に染まっている。サプリメントを取り入れるように呼吸をする。明日は金曜日。電車の中で、この土地の天気は確認している。明朝は曇り。晴れのときよりも紫外線を気にしなくてもいいというのはありがたい。
 信号機を四回抜けていくと、ゆるやかな坂がはじまる。ここから先は特に田舎の景色だ。空を隠す建物はすっかりなくなり、畑や田んぼが両脇に広がりはじめる。昔は田舎くさくて嫌だったが、今はずっとこのままでいてほしいと思う。坂の一番低い部分に橋があり、垂直方向へ川が流れている。そこから見える高層ビルと田んぼと月の情景はのどかで美しい。
 よし乃は、今夜も自然の動く絵画を見たくて速度を落とした。遠くに見えるビルは、最寄り駅のひとつ手前にある駅付近の開発地区だ。月は雲に隠れず丸くかたちを成していて、満月のせいで星は少ない。田畑は暗がりの中でさざめく。今の季節より少し前が、よし乃のお気に入りの絵画だ。
 水を張った田んぼに植えられた幼い稲が、月の光に照らされているのは五月。夜の水面は橋から眺めると鏡のようになる。月は鏡に命を与える。風が吹いて夜の光が揺らぐ。この時期にしかない儚い絵のようで、はじめて見つけたときは地元に長く住むよし乃も自転車を止めた。学生の頃から毎日のように通う道に、こんな絵画のような風景があるとは思わなかった。
 いままで、自分は何を見てきたのだろう。そう、そのときに思ったものだ。
 あまりに近いと見えない。当たり前だと思えば見逃してしまうものを、よし乃は最近静かに見つけている。新宿までの通勤の間、変わったもの、変わらないもの、咲く花の名前、地上に彩る自然、空と土地の対比。
 美しいものは普遍だ。人工的なものよりも、あるがままにあるもののほうが美しいと思うようになったのは、働くようになってある程度欲しいものは手にして、遊びたいだけ遊んだ証拠かもしれない。それでも何かが欠けていると思ったとき、帰り道に月があり田んぼがあり夜があった。
 夜の橋を渡るときは、かならず右側の低地になった田んぼを見る。行き帰りに彼らの発育を見る。秋になると育った稲は刈られる。それを見ると冬が来るんだなと思う。一番見ていて嬉しくなる時期は、田が耕され、水が入って、稲が植えられる、あの一連の季節だ。
 橋の上で涼しい風が通った。冬はこのあたりが一番走っていて辛い場所になるが、夏は一番気持ちがいい。缶ビールでも買って、夕涼みしたいくらいだ。
 ……蛙の声がうるさいのと、蚊がいっぱいいなければいいんだけどね。
 いくら好きな情景でも、虫嫌いには低速で通過程度が限界だ。よし乃は橋を渡ると、ギアを変えた。次はまた登りがはじまる。家に辿り着くまでに要する最後の上り坂だ。日ごろの運動だと思って、立ち漕ぎで一気に上がる。
 その間に車が何台も通過した。ときどき利用するファミリーレストランの横を通って、大きな交差点に差し掛かる。あと五分もしないで家に着く。夕食は仕事帰りの友人と待ち合わせて済ませていた、帰宅したらお風呂だ。自転車のおかげで汗ばむ身体をさっぱりさせたい。
 大きな交差点の信号機で、よし乃は立ち止まった。青になることを待ちわびながら、変わり映えのない風景を眺めた。
 向かい側の右の電柱に、花束のようなものが立てかかっていた。よし乃は目を細めた。
 ……また、事故でもあったのかしら?
 この交差点付近はときどき交通事故が発生する。死者が出てしまった事故も過去にあった。お年寄りが多く住んでいて、自転車通勤のひとも多い地区だ。また知らない間に悲しい事故が起きていたのか、と、赤から青になった信号を確認して、また花束へ視線を移す。薄暗い交差点で数々の光をもてあましながら、花は何色もまとまって咲いている。道路と信号の人工的なところに目立つ色合いだ。
 それはよし乃の通勤路からわずかに逸れていた。しかし、気になった彼女は確かめるように電柱のほうへ自転車を向けた。そして、横断歩道を渡って花に近づくと、「あっ」という顔をしてみせた。
 とんだ思い違いをしていたようだ。
「なんだ。よかった」
 彼女はつぶやいた。事故でも花束でもなかった。その花はただ自生して咲いていたのだ。道路の割れ目から無理やり咲いている植物のしぶとさは死よりもほど遠い。それはよし乃の胸にあたたかい糧を与えた。
 花は生きている。風に揺れた。
 よし乃は帰路へ戻った。ふと、昔聴いていた洋楽の曲を思い出した。自転車を漕ぎながら、鼻歌で歌ってみる。
 ……タイトルは、そうだ、ペーパーバッグだった。
 曲の内容は、絶望の中でなにかしらの希望を見出したくて空を見上げた、そこにきれいな白い鳩を見つけて感動していたら、それはただのビニール袋だった、という感じのものだった。歌詞はそれだけでなかったと思うが、よし乃は「人生なんてそんなものだ」という想いを表現したこの部分をとても気に入っていた。
 今見た自然の花束は、ペーパーバッグの歌詞とまるで逆だ。弔いの花束かと思ったら、力強く自生する植物だった。諦観の中で、思いがけない希望を見出す。
 どちらにせよ、「人生なんてそんなものだ」。
 鼻歌を止める。よし乃は自分の家を見つけた。自転車を停めて車庫に入れる。バッグを取り出す。
 明朝も、あの花束を通りがけに見てみようと思った。そんなふうに明日が訪れることが少し楽しみになっていた。



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