* チョコレートホリック *


 コンビニエンスストアが開いた瞬間に眼に入ったコーナーへ、夏希は一巡してからさり気なく近寄った。腰の高さほどもないカートを覗いてみれば、種類もかたちもてんでバラバラな商品が無造作にのさばっている。どれも共通するのは、売り物らしからぬ扱いと大きな黄色いシールだ。すべての商品に「50%−」という大きな印字が載っている。
 少し顔を上げれば、期限切れ前の品物だという手描き説明が紙の上で踊っていた。均一に整理されたコンビニエンスストアで、明らかに場違いな簡易売り場だった。おそらく明日にはなくなっているのだろう。
 その理由のひとつになるだろうものを、夏希は手に取った。ついでにポケットにあった携帯電話を取って日にちを確認する。今日は三月十七日だ。
「夏希、なんかあった?」
 後ろから聞こえてきた声に、少しドキリとした。しかし平然としたまま顔を向けた。
「ん、萌ちゃんは?」
 間近にセミロングの少し背の高い友人が立っていた。すらりとした見てくれは透明感と愛嬌のバランスがよく、夏希の友人たちの中でも美人の部類に入っていた。萌花はそれを鼻にかけない。学生らしく急を要して購入へいたるスティックのりと好物のジャスミンティーのペットボトルを手にして、友人らしい表情で夏希の問いかけに頷いた。
「あったよ。あとは、レジで切手頼めばいいし」
 少しホッとした様子の口許に、夏希はつい眼を奪われた。そしてもう一度訊き返すことなく背を向けてくれた萌花を、そのまま眼で追った。高校入学の日から少しずつ仲良くなって丸二年経つ。ほぼいつも一緒にいる相手だから安心感もあるし、何より一緒にいて楽しい。
 しかし、夏希にとっては妙にドキドキすることもあった。萌花が突拍子もないことをする性格だから、というわけでもない。美人寄りだからといって、特別女に反感の買いやすい見てくれと雰囲気を持っているわけでもない。ただ夏希は、時おり彼女を眼にしてドキッとする。彼女の声をそばで聞いてドキッとする。
 それが顕著になってきたのは、先月のことがきっかけだ。
 夏希は萌花がビニール袋を提げて戻ってくる前に、自らレジのほうへ向かった。そして店員に促されるまま品物を置くと、萌花がまたひょっこり隣から顔を出した。隣のレジで切手まで買い終えたらしい。
 彼女の視線は、すぐ一点へ釘付けとなった。夏希も萌花の様子をわずかな雰囲気の変化で感じつつ、事務的に財布を開ける。店員によって品物が白いビニール袋で隠されると、萌花はようやく夏希を見た。意図がわかったのだろう。
 先月食べたチョコレートブラウニーは、本当にとても美味しかった。萌花がバレンタインデーに夏希に贈ってくれたものだ。「すごく美味しかったよ」と言ったら、「本当に? 本当に美味しかった?」を何度も繰り返していたことは、夏希にとってこの友達を可愛く感じさせるひとつの要因にもなった。
 それ以前に、料理ベタどころか料理をすること自体を嫌っている萌花が、あえて手作りのチョコレートをバレンタインに夏希にだけ贈ったことは椿事であった。彼女は他の友人とも、友チョコと称してバレンタインチョコレートを贈りあったそうだが、それらはすべて既製品で済ませたようである。
 二年からクラスも教室のある階も萌花と違っている夏希は、彼女のテリトリーに登下校時くらいしかおさまらない。その上、友チョコとかバレンタインデーとか、ようするに女の子が好きそうなイベントごとにあまり興味がなく、むしろ面倒だと思う性質だった。だから、バレンタインデー前も当日も、チョコレートがどうのこうのという話題すら二人の間で起こらなかったのだ。
 それもあって、萌花が放課後の静まり返った廊下の奥でプレゼント箱の包みを取り出したときは少しびっくりした。それが手作りだと知って、さらに驚いた。
 包みのセンスもチョコレートブラウニーも、本当に夏希の好みだった。萌花が夏希の好みにぴったり合わせてくれたのだ。
「これだけは、帰宅してから開けてね」
 妙にはにかみながら言われた言葉に、夏希は感化されたように妙な心地で頷いた。そのままいつものように帰宅して、包みを開けてチョコレートブラウニーを食べた。
 食べてから、ちいさな封筒がついていたことに気づいて開けてみた。
 美味しかったか教えてね。そんな言葉とともに、好きです、これからも宜しくね、と、書かれてあった。
 チョコレートブラウニーを味わうより長く、その文面を夏希は味わった。すぐにメールで食べた感想を伝えようと思ったのにも関わらず、その晩はひとつもできなかった。何ひとつ手につかなかったのだ。
 どういう意味で、萌花はこの手紙を書いたのだろう。
 というよりも、自分自身が、どうしたいのかわからない。
 あまりに意識しすぎだろう。第一「好き」という言葉は女友達の間で散々交わされている言葉であり、それ以前に夏希も萌花も同性である。萌花の「好きです」という文面にうろたえること事態がおかしかった。
 ……それに気づいた夏希は、さらに眠れなくなって朝を迎えた。
 わずかな睡眠時間を遅刻という形で得た夏希は、学校で萌花に会ってからも平静を通した。自分自身でも何が平静で、どれが一昨日までの自分と変わりはしない状態なのか見極めがまったくつかなかったが、当の萌花は萌花でいつも通りだった。チョコレートブラウニーの良し悪しだけを訊きせがんで、それ以上の感想は必要としていないようだった。
 だから、夏希もこのよくわからない感情に名前をつけることをやめた。よくわからないままでいるほうが楽だったし、いざ名づけようとしても複雑すぎる。お手上げだった。
 そのまま平静に一ヶ月が過ぎていた。萌花もチョコレートの件については終わったことのように何も言わないから、気づいたらホワイトデー当日になっていた。夏希は萌花と別れてから、地元のコンビニエンスストアへ寄ったことで知ったのだ。ホワイトデー用の特設棚は目の前にあった。呆然と眺めて、そして何もできずあのときは踝を返して帰宅した。
 今まではまったく関係のない行事だった。今回も夏希が気にしなければ、なんの変哲もない、どこぞの企業が昔決めたどうでもいい愛の日だ。
 しかし、今年の夏希にとっては三日経っても三月十四日が終わらない。
「ありがとうございました」
 店員の声を聞いた二人は、黙ったまま自動ドアに向かった。夕暮れ前の雑踏へ戻る。夏希はなんでもないような表情で萌花に渡した。
「見てたと思うけど、これ、」
 ホワイトデー用の包みが施されたホワイトチョコレート。見切り品。
「……私に?」
 あたりまえのようなことを、萌花は上目遣いで訊いてきた。その様子に夏希の思考回路がより複雑化してくる。返答は簡潔にした。
「そうだよ」
 すると、逆に萌花のほうが逡巡するような表情を見せた。
 雑踏を歩く人たちは、向かい合う女子高校生に見向きもせず駅前のターミナルを目指していく。萌花の手はあくまで自然に動いた。
「ありがとう」
 彼女はそう言うまで、少し表情に迷っていたようだった。しかし、お礼を言った直後から笑顔になった。嬉しそうな笑みは、おそらく素のものだ。
 それは、同性に見せることのないような女の子の表情だった。
「ありがとう」
 もう一度、夏希の瞳を見て彼女が言った。萌花の気持ちがまたわからなくなりはじめた夏希は、どういう表情を返せばいいのかわからなくなって口を開いた。
「でも、安もんだよ。しかも、ごじゅっパーオフだし」
 言われて気づいたらしく、萌花が目を見開く。
「そうだよ、ほんとだよ! なにこのひどい扱い!」
 責めるような口調に、夏希の肩から力が抜けた。おかしくて笑う。すると、萌花も笑ってくれた。
 二人してこうやって笑えていられるだけましかも、と、夏希は少し思った。考えるより先に歩き出す。
「早くかえろ。寒いし」
 そう息を吐けば、彼女も「そだね。早くかえろ」と、鸚鵡返しするように答えていた。



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