* 沖のはな 02[中編] *



 バスは朝靄をかき分けて走っていた。高速道路は山間を縫うように続き、深夜のサービスエリアで数度休憩を挟みながら目的地へ進んでいく。
 遥香はその風景をカーテンの隙間から見つめていた。霧の煙る景色は、天災に遭った様子をまったく見せてくれないが、通行する車の多くは普段の見るものと類が違っていた。救助隊の専用車両や支援物資のトラックなど、映像内で散々横切っていたものが道を辿るほど姿を見せる。その数だけ、被災地へ向かう現実味が増した。
 昨夜の遥香は地下鉄を使って、都内にある指定されたボランティア活動の集合場所へ辿り着いた。二十人ほどが一緒くたに活動する予定となっていて、遥香はそのメンバー構成を少し心配していた。気合いの入った男たちのみだったら、さすがに行程が務まるか不安になる。
 実際に集まってみれば予想以上に女性が多く、遥香は胸をなで下ろした。会社を定年退社したような男性から、主婦、会社員、学生と幅広い層で構成され、その中で遥香は一番最年少の部類だった。同じくらいの大学生も数人いて、すでにいくらか言葉を交わしている。その多くがボランティア未経験者だったことは、遥香の気負う心を宥める要素となった。
 初日の活動が全行程の中で一番厳しい。バス車内泊から、早朝のボランティア作業へ移るのだ。全員が集まったビルのフロアで早速、現在の状況とボランティアに携わるために必要な研修が行なわれ、チームはそこからさらにちいさく班分けされた。午後九時前にはバスに乗り、滞在の拠点地施設へ向かう。到着は朝五時すぎだ。すぐ援助活動が行なわれる。
 学生もいたが、あくまで社会人向けのボランティアチームであった。遥香のおさまった班に学生はおらず、彼女の他は皆五歳以上年上だった。マニュアル化されたところは旅行ツアーに近いものの、徹底してボランティアをするために被災地へ向かう団体だった。はじめから効率よく物事が進んでいる。
 研修の合間やバスに乗り込んだときは雑談もあったが、目的地に行くまで体力を温存させなければならず、就寝時間に皆おとなしく従った。
 朝靄の中で車線を移動したバスは、ようやく高速道路を降りていく。遥香は冴えてしまった目つきで、その行方を眺めた。夏の夜明けは早い。緑の深さが靄の通過して眼にあたる。
 スケジュールどおりの時刻に、バスは目的地へ着いた。被災地の中継地点になっている場所は、被害がほとんどない地域だった。そこにボランティア用の宿泊施設がある。
 朝の早い時間だったが、メンバーたちは遥香もふくめて、皆降り立った緑豊かな土地に感嘆していた。一息しただけで、空気の清らかさに気づく。山に囲まれた内陸の田舎町は肌寒い。この隣地の市町村が震災の甚大な被害を受けているとは考えられなかった。あまりにものどかなのだ。
 しかし、穏やかさにかまけて腰を落ち着ける余裕はない。宿泊所の簡単な説明を聞きながら、遥香は皆と揃って女性用大広間へ出向いて荷物を置いた。仮設二階建ての建物だが、畳が敷かれていて清潔感がある。林間学校のキャンプより圧迫感がない。十五人くらいならば、大きな荷物を置いても窮屈にならず雑魚寝できそうだ。
 準備の荷物選びでは苦慮したものの、今比較をすれば、女性メンバーの中で遥香の荷物は少ない部類だった。リュックではなく、旅行用のトランクケースで来た人もいる。思ったよりボランティアに気軽な印象を受けた。特に遥香は最終日を観光にあてている。登山用リュックをおろしながら、これなら私もトランクケースで来ればよかったかも、と、彼女は思った。
 災害のボランティアというと、物々しく覚悟を決めなければ行ってはいけない雰囲気があった。しかし、募集されるボランティアは一般の人でもできるものが多いようだ。やりたいという意欲を受け止めてくれる団体が増えれば、ボランティア活動もより普及していくかもしれない。今回の活動チームには、遥香の友人たちのように、明らかに遥香よりアクティブではなく身なりに気をつかうであろう女性が何人もいたのだ。
 ……こんな雰囲気だったら、友人たちにも参加を促しやすいかも。
 作業上で過酷な思いをするかもしれないが、初心者の遥香からすれば、それはちいさな発見だった。
 被災地へ出発を前に簡単な準備の時間が設けられ、その間に軽く食事をする。昼食は活動先へ行く途中の休憩所で購入することになっていた。バスに再度乗り込んで、ボランティア希望者全員が足を運ぶ災害ボランティアセンターへ向かう。そこで本日の活動内容が伝えられた。
 遥香たちの班は、被災地区のゴミ拾いを担当することになった。その頃に、雲行きの怪しかった空からポツポツと雨が落ちはじめた。雨合羽を早速使って活動することになりそうだ。
 活動する現地へは、基本的に専用のバスで送迎される。被災地へおのおのの乗用車で行ってしまうと、むやみに渋滞をつくってしまい復興の妨げになるからだ。被災地の信号機は復旧しておらず、いまだ未舗装の道が多いということだった。テレビや写真で見た映像から想像しても、ベテランの引率者が話すことには納得できた。
 また、現地に着いて長期ボランティアで活動している人たちが多いことも知った。震災後当初からこの地に滞在して、ボランティア活動をする人々のことだ。確かに長期活動の人間がいなければ、現場調整や引き継ぎもうまくできないだろう。テレビで伝えられない陰の苦労を、実際に訪れて肌で感じた。
 はじめて知るボランティアの世界を、ひとつひとつ遥香は目に留め考えながらバスにまた乗った。三十分ほどして、大きな道の駅に着く。そこでトイレ休憩と食事の購入をして、もう一度バスに乗り込む。山間に細かい雨が降る景色を見ていると、のどかで目をつぶる時間が長くなる。訪れた睡魔に勝てず、現地に着くまで遥香は眠ることにした。
「あっ」
 誰かの驚くような声で、遥香は目を覚ました。バスはまだ動いている。現地にはたどり着いていないらしい。そう思いながら、遥香は窓の外に広がる景色を見て絶句した。
 広がる土地は無残な姿で横たわっていた。そこに人の姿は一切ない。
 彼女が映像や写真で見たものより、現実の被災地は広大に荒れ果てていた。そのなかで簡易舗装された道を、どうにかバスは身体を揺らして走っている。更地になった部分は多いが、ここまで広範囲に空き地が続いている景色を遥香は見たことがなかった。市の中心部に位置する平野部だったはずだが、今や跡形もない。崩れたビルが点在する程度だ。それも、撤去するしかない破損のひどさだった。重機があちらこちらで活動しており、通る車も自家用車より災害救助の類が多い。
 携帯電話のカメラで写真を撮る気にもなれず、遥香は砂地の風景をただ見つめていた。これでは、元の情景を想像することさえできない。
 バスはその光景に何の干渉もせず追い越し、隣地区で止まった。
 平野部と同じく更地も多いが、まだ使えそうな住居が残っている区域だった。遥香たちは小隊になって分かれ、指定されたゴミ拾いと草刈りを行なうことになった。雨は小降りのままで停滞するようだ。ゴミは一見なくなっているかのように見えたが、スコップで掘り起こすとすぐ何かがでてきた。数ヶ月の前まで使われていた品々だ。日用品だけでなく、書物や年賀状はがき、写真や置物など、、震災によって失ったものが思い出たちもたくさんでてきた。埋もれていた家屋のガレキは数人で運び、陶器やガラスの破片は軍手で慎重に回収する。通帳まで発見され、それらはいるもの、いらないものに分けられた。
 活動一日目は何度も休憩をつくりながら、あっという間に終了時刻を迎えていた。遥香は終始、バスの中ではじめに見た悲惨な光景が頭から離れず、小雨の中で手足だけを動かしていた。何も考えず無心に働きたかった。
 終了の合図に、濡れ雀になった全員がバスへ乗り込む。遥香はバスの中でも施設に戻ってからも、泥のように眠りをむさぼった。重い疲れは肉体的なものだけではないと、心の底では気づいていた。



 翌朝は、快晴だった。
 昨夜の参加必須だった報告会は、疲労と眠気のせいでほとんど覚えていない。遥香が思いだそうとしても、被災地で最初に見た悲惨な景色しか思い浮かばなかった。それは仲間内も同じだったようで、朝食中は昨日見た風景の話や、今日の活動についての静かな雑談が多かった。遥香は冴えない頭を動かして、班内の人がポツリと言った「無理しちゃいけないけど、あれを見たら少しでも手助けしたいわよね。全然足りないけど」という台詞に同調した。
 前日が雨模様だったことから、日差しのある活動をチーム全員が歓迎した。しかし、代わりに太陽光を避ける対策をしなければならない。今日は盛夏のような日光が降り注いでいる。帽子と長袖服は当然のこと、水を多めに持っていくことを団体の責任者からお願いされた。涼む場所があればいいが、配属されるところがどういった地区になるか、土地勘がまったくない遥香にはわからない。前日は、海から離れた高台の地区だった。涼むどころか雨に降られていたのだ。
 今回もスケジュールどおりバスに乗って、活動内容と場所を訊きにいく。今回は二手に分かれて活動することとなった。
 一班は漁港に行き、もう一班は山のほうへ向かう。遥香は後者の班になった。草刈りがメインになるという。漁港の片づけのほうが災害ボランティアらしいと思ったが、実際に現地へ行けば、草刈りにあわせ小規模のガレキ撤去をすることとなっていた。
 昨日に比べ、まだ住めそうな家屋が残っている地区だ。風が山から海にかけてよく通り、長袖でも過ごしやすい。自然とうまく調和し、寄り添いながら生活をしていた地域だった。突如として自然が猛威をふるい、たくさんのものが失われた。
 吹く風に励まされ、短い休憩を取りながら大地に散らばる不自然なゴミを拾う。住宅がかたちを成しているだけでも被害が少ない土地に見えるが、休憩中によく眺めていると、外壁の修復工事をしている人や、室内ががらんどうの家も多くあり、家のかたちをしていても住める環境になっていないことがわかる。
 ハエなどの害虫も多く飛んでいた。遥香は虫よけスプレーを持って来なかったことを後悔した。長袖長ズボンで活動していなかったら、どれだけ虫さされに遭っていたことだろうか。
 黙々と作業していれば、昼休憩の号令がかかった。
 五人のメンバーとともに黙々と活動していた遥香は、三度目の手休めから掘っていたスコップのへりを引き抜いた。固まったヘドロのなかに、壊れた日用品が大量に埋もれていた。見つけた遥香が自動的に掘る係となっていて、近くにいた年輩の女性がトングで仕分けをしていたが一時中断だ。立ち上がって軍手を抜く。ゴミは軍手をはめていてもなるべく触らないように、と、チームリーダーから言われている。皮膚を裂くものが大量に転がっているせいだ。子どもたちが遊ぶには危ない場所が、震災後たくさんできてしまっていた。
 まとめられた道具のそばに大きいスコップを置く。昼休憩前にそれぞれで人数を黙視すれば、一人足らないことに気づいた。遥香より一回り歳のいった男性がいない。
「あら、一人足りないじゃない? どこ行ったのかしら」
 遥香と組んでいた年輩の女性が声をあげれば、もう一人の社会人然した女性が、あそこにいますよ、と、視線を向けた。遥香たちもあわせて見つめる。
 捜していた男性メンバーは、少し困った表情でこちらへ向かっていた。その後ろに、老婦人が人の良い雰囲気で見つめている。公共施設がない作業場から、トイレを好意で貸してくれた家人だ。
 彼はたどり着くなり、口を開いた。
「すいません。あの、トイレを貸してくれた方が、昼休憩ならうちに来なさいと言ってくれて、……いろいろ用意してるみたいなんですよ」
 どうしよう、と、言わんばかりの口調だった。全員が顔を見合わせた。ボランティア活動の様子は、トイレを貸していることもあってよく知っているのだろう。現地の人の好意を、無体にするわけにもいかない。
 老婦人は一歩離れたところで、ニコニコと動向を見つめている。気を遣っていただいてすいません、という言葉の後に続く台詞を一瞬皆で考えた。遥香が老婦人を見て心に描いたのは、自分の祖母だ。
「あの、昼食は絶対集合したところに戻って食べなきゃいけないとか、ないですよね」
 黙るメンバーの中で、唯一経験者の女性に遥香は問いかけた。遥香より十歳は上の彼女が、あっさり頷く。
「そこまで細かく決まってないから大丈夫なはずです。本当はお邪魔することになるから、丁重にお断りしたいところなんだけど……そちらのほうが悪い感じになっちゃうよねえ」
「そうですね。飲み物と果物を用意したって言ってましたし」
 遥香たちの会話を、残りのメンバーが黙って聞いている。班リーダーの彼女が、遥香の言葉の数秒後に頷いた。
「それなら、……残ったほうがいいのかな」
「あの、私残ります。たぶん全員じゃなくてもいいと思うし」
 会話に入ったことで、遥香ははっきり答える。気を遣いすぎるのは好きではない。老婦人は純粋な好意で、心理戦をしたいわけではないのだ。
 遥香の言葉に、一番年齢の近い女の子も同意した。男性もふくめ三人が残ることになり、これについて報告することも兼ね残り三人が集合場所へ戻っていく。
 遥香たちは、老婦人に近づいてお礼を言った。メンバーで話し合ったのはほんの数分間だったが、見ていたほうは気を揉んだようだ。好意に甘える旨を話すと、彼女は安心したように家へ招いていく。
 その姿を見て、遥香も安堵した。
「三日前に、避難所からやあっと戻ってこれたのよ」
 地方特有のイントネーションを標準語で話す老婦人は、平日の日中を一人で過ごしているようだった。一緒に住む家族は方々で仕事にでかけたり、学校へ行ったりしているのだそうだ。
 彼女の話を聞きながら、遥香たち三人は、好意で用意してくれた麦茶やバナナを、道の駅で購入したおにぎりや惣菜と一緒に食べていた。
 老婦人の住む家の居間は、昔ながらの開放的なつくりになっていて、縁側から自由に出入りできるようになっている。三人は作業汚れを気にして、縁側を食事場所に選んだ。老婦人もそれを了承して一時の客人に行ったり来たりをしていたが、今は廊下側に座布団を敷いて話をはじめている。どこから来たの、という質問から今に至る。
「すてきなおうちですね」
 メンバーの一人がバナナを食べながら相槌を打つ。遥香は被災された人の話をどう聞けばいいかわからず、ほとんど黙ってご飯を食べていた。
「そうね、修繕にすごく時間がかかったのよ」
 家が残った人はいいけど、仮設にはいる人は大変よね。そう続けられた言葉に重みがあった。それから、老婦人は震災当時の状況を話していく。涼やかな風の中で、ボランティアの三人はその話に耳を傾けていた。
 老婦人が話したことを、遥香はテレビなどで見た映像と照らしあわせていくが、実際の場で天災に遭った人々は、当時何が起こってどんな状態になったのか、まったく知る機会がなかったという。電気や通信が寸断され、テレビもラジオもろくに機能しなかったせいだ。テレビで凄惨な映像を見たのは、ここ最近の話なのだという。
 当事者と傍観していた者の隔たりを、遥香は幾ばくか感じていた。当時の状況は想像よりも上を行き、インタビューや文面で目にするよりも、実際に面と向かって話されたほうが心に響く。
 昼食時に別れた三人が戻ってくるまで、残ったメンバーは遥香をふくめ家人の話に心をとらわれていた。話を切り上げたのは老婦人本人だ。三人は再度好意に感謝して作業に戻る。逆に、老婦人からお礼を言われた。
 すぐ、遥香は別のスポットへかり出されることになり、男性と案内人で徒歩の移動した後、ガレキ撤去を手伝った。腰が弱いとできない作業は慎重に行なわれる。遥香は中でも細かい作業に従事し、老婦人の話を反芻させる余裕はなかった。逆に、一日目の活動がこうした模様であれば厳しかったかもしれないと考えながら力仕事を手伝った。
「今日は、震災の月命日なので黙祷します。まだちょっと時間が早いので、このあたりで待っていてください」
 活動終了後も、太陽の日差しは強かった。長袖の濡れ具合に不快な思いをしつつ、作業を終えた遥香は人の集まる水道口へ赴いて腕を洗う。頭からホースで水をかぶりたい気分だったが、宿泊施設まで我慢しようと思う。宿泊施設には、簡易ながらシャワールームが完備されている。夕食前に急いで浴びればいい。
 さわやかな風を感じて、遥香は周辺を仰いだ。山々に挟まれ、正面に海がある高台の集落だ。こんなに海が遠く見えるのに、津波はここまで来た。山の一部分が不自然な色になっているのは、家庭用ガスの爆発で焼けた部分だという話だ。なぜあそこまで高く爆発物が当たったのか、遥香には想像つかない。
 想像できないようなことが、この地域をふくめ広範囲に起こったのだ。死者の数も半端ではなく、行方不明者もいまだ多い。
 風を受けながら、遥香は思う。バスの中で見た海と森と山の景色は美しかった。震災さえなければ本当に良い場所だ。被災する前の風景が、もう二度と見られないのは切ない。
 黙祷の時間が迫って、参加者が集められた。
 沈黙のなかで四ヶ月目に到達した。顔を上げた遥香は、それでまだこの状態なのか、と、痛切に感じた。全然足りない。この土地に埋もれた思い出が掘り起こせない。何時間働いても足りない。
 遥香ははじめて被害が甚大であることを目の当たりにした気分だった。言葉にできないほどの感情が、時経つほどに澱となって積み重なっていく。
 現地の姿を見るべきだと語る、ボランティアの先達の言葉を真摯に受け止める。従事した多くの人がそうした気持ちを抱えているのかもしれない。だが、手助けしようと無理をして倒れては本末転倒だ。第一の資本は自分自身なのだ。
 黙祷を終え、バスは宿泊施設へ戻ることになった。遥香は乗車後すぐ眠りに落ちた。静かな車内から目を覚ますと、空は夕暮れの色に変わっていた。道の駅での休憩時間も睡眠にあててしまったようで、すでに活動中継地があるのどかな盆地の風景が広がっている。
 バスは災害ボランティアセンターまでしか戻らない。下車してから、遥香は三〇分近い道のりを猛スピードで歩き、滞在施設のシャワールームへ直行した。身なりをリラックスしたものに切り替えると、すぐ夕食の時間になる。
 間に合った簡易食堂の席でも、思考だけは簡単に切り替えがつかず、食事を摂りながら今日したこと、起きたことを反芻していた。ミーティングがはじまるまで時間がある。眠気防止に、夕食後は荷物整理をすることにした。
 この宿泊施設に泊まるのは今夜までだ。ボランティアのプログラム自体も明くる夜に、再度長距離バスを使って東京へ戻る。遥香は一日だけ追加してこの地方に留まる。
 同じく被害に遭った隣県で観光をする予定で、明日はこの施設に戻った後、急いで列車に乗り込まなければならなかった。最終列車との接続が多少心配だが、この二日間はバスのボランティア宿泊施設到着時刻が、乗りたい列車の時刻に間に合っていた。施設から最寄り駅の場所も徒歩十五分もかからないくらい近いと知っている。
「今日、どんな感じでした?」
 荷物整理に頭を悩ませながら手を動かしていると、隣にいた年上らしき女性に声をかけられた。同じボランティアメンバーだということは、顔を見てすぐにわかった。参加したボランティア活動は総勢二一人の大所帯だが、丸二日ともにすれば顔を覚えてしまう。遥香は手を休めた。ショートカットの彼女は、今日の活動内容が遥香と異なっていた。
「私のところは、草刈りとちょっとしたガレキの撤去でした。日差しがすごくて暑かったです。風は通っていましたけど」
 年上にくだけた話しかたをしても許されるチームだと知っていて、遥香は素直に答える。隣に座った彼女は、そうなんだ、と、つぶやいた。
「こっちは漁港だったんだけど、においと虫がすごくて。魚もかたちになってないし、日陰はちょっとあったけど作業大変だったんですよ。まだあんなのが片づけられずに残ってるなんて思わなかった。しかも、全然終わらなくて。あれ、いつ終わるんだろう? ひとが足らないっていうのに」
 彼女の疑問に遥香も頷く。復興をしているといっても、解体作業や片づけはままならず四ヶ月目に突入している。テレビで流れるのは、ある程度更地になってきた土地ばかりだ。大きな被害に遭いながら、手つかずで放置された集落も残っているという現地の生の情報も聞いている。作業がなかなか進まないことに重ねて、そもそも被害を受けた範囲が広すぎるのだ。
 昼ご飯は食べる気にもならなかったと話す女性に、遥香は今日起きた昼食の一幕を話した。被災者である老婦人の家に招かれ休憩したということを伝えると、彼女は肯定的にとらえたようだ。
「いいですね、それ。おばあさんも、お話がしたかったっていうのもあるんじゃない?」
「……そうなのかもしれません。今日のミーティングで報告することになっていますけど、」
「うん。そういうことも大事よね」
 ガレキ撤去や片づけなどの作業も必要だが、目に見えないものについて奉仕することも大切なのかもしれない。彼女の会話を通して、遥香は思う。
 その土地で生きるのはモノではない。モノをつくるのも、活用するのも、その土地に生きる人たちだ。その人たちの気持ちを汲むことが、ボランティアで一番必要なことなのかもしれない。
 肉体労働だけが、ボランティアではない。簡単なことに気づいていなかった。遥香は、己の視野の狭さを改めて思い知る。
 整理をしているリュックから、荷物を探る指に何かがあたった。なかに突っ込んでいた手を引き上げれば、大きな缶が出てくる。片手でどうにかつかめる大きさだ。
「それ、お菓子?」
 隣にいた女性が、派手なクッキー缶を不思議そうに目でとらえる。中身を知っている遥香は、すぐリュックの奥底に戻した。
「いえ、ちょっと両親に頼まれたもので、」
 ごまかすように、翌日のボランティア後の予定を話す。一泊旅行で観光する話をすれば、羨ましい、私もそうすればよかった、会社のボランティア休暇使えるわけだし翌日休日だもんね、と、彼女は訝しがることなく会話を進めてくれた。
 遥香は、祖母の折り鶴のことをすっかり忘れていた。
 しかし、被災地へ渡す機会を探す以前に、この存在を隠したかった。自分の記憶からも、一時忘れていたかった。リュックをきつく閉じた遥香は、逃げるようにミーティングの部屋へ移動した。



【後編に続く】