* あい繋ぐ星に【第9話】 * |
……美保さん、なにか考えてる? すると、ルージュをのせたくちびるが動く。 「お二人にご提案なんですけども」 伺うように櫂人と明史を見た。その表情は上司というよりも女子に近い。 「軽くお夕食、一緒にどうかしら? お願いできたら嬉しいな」 かわいく言っているが、提案はグイグイしている。外国のビジネスマンと肩を張れる精神力を持っているだけあって、断られることは端から気にしていないのだろう。 明史もそれをわかっていて素直に断ろうと口を開いた。部下が断っても怒る上司ではない。 「あの、美保さん、」 「イタリアンで美味しいお店、知ってらっしゃいますか?」 声に櫂人の言葉が乗ってきて、驚いた。どうやら櫂人は乗り気らしい。 「櫂人、大丈夫なのか。外食なんて」 「え? 普段から外食生活だよ俺。場所は選んでるしテイクアウトも多いけど……明史は嫌なの?」 「嫌じゃないよ。でも、そっちは芸能人なんだから」 「それなら、半個室のヴィア・アッピアならどう? ここからタクシーになるけど、座る位置によっては他のお客さんから見えないんじゃないかしら?」 美保にかかさず言われ、ヴィア・アッピアというリストランテを思い浮かべた。イタリア人シェフがいる本格的な店で、客層は悪くないうえ美保の言うように半個室がいくつもある。 「席が空いてるんなら悪くないですね」 「ね! 今から電話してお店の状況聞いてみるわ」 同意を得たと思うやいなや携帯電話を取り出す。行動が早い美保の隣で櫂人と目があった。あくびを見られてしまった。 「明史、本当に良かった?」 うんうんと大きく頷く。多数決に負けたのだから仕方がない。 平日の今夜は奥の半個室が空いているようで、美保にリザーヴしてもらってタクシーを拾った。狭い車内でも美保の質問攻めは続き、イタリア語を学んでいるのが櫂人だと知られる。ヴィア・アッピアのメニュー表にはイタリア語版もあるという話になり、店で軽く食事の頼み方のレッスンをすることとなった。 リストランテに着いて、イタリア人のウェイターに席を案内してもらう。そして、明史と美保はイタリア語を使って注文をしてみせた。耳を澄ませる櫂人の輝いた瞳。どこか尊敬のまなざしだ。 「流暢にイタリア語が話せるって、格好いいなあ」 「ありがとう。でも、料理のオーダー自体は難しくないの。それこそ、メニュー表に指を差して、【これください】って意味のクエスト・ペルファヴォーレって言えば大抵の店員はわかってくれるものだから」 「櫂人には一応文法を教えちゃってるけど、旅先での会話なら単語を繋ぐくらいでなんとかなるんだよ」 「うん。そうだけど……でも、もうちょっと話せたほうが格好いいなあって思っちゃうんだ」 向かいにいる美保がウフフと口元を緩ませる。どうやら素の櫂人を察したらしい。 「そうね、織茂櫂人くんがイタリア語をスラスラ話せたらかなり格好いいかも」 「ですよね! 俺、がんばる」 と、決意を新たに自分を見つめてくるものだから微笑んでしまった。櫂人も美保は安全な人間だと認めたのだろう。 ボトルで入れた白のスプマンテで乾杯し、リラックスムードで食事がはじまる。櫂人に乞われイタリア式の食事作法を二人で説明しつつ、話は大学時代に移った。昔のことをあまり覚えていないと言っていた櫂人だが、スカウトされた前後のことや友人たちと遊んでいたことは覚えているらしい。時折、記憶が合っているか確かめるように明史を見てくる。 「そもそも二人はどういうふうに知り合ったの?」 ほろ酔いの美保が、小分けしたクリームパスタを食べた後に尋ねてきた。 ……学生アパートで部屋が隣同士だったことはさっき話してるから、もっと踏み込んだ出逢いの話が聞きたいんだろうけど。ただ、アレを話すのはちょっとなあ。 グラスを傾けながら、明史は躊躇った。 櫂人との出逢いは大学入学直後。学生アパートのインターホンが押されたことがはじまりだ。ドアを開けた先に、ボサボサ髪で長身眼鏡の男が立っていたのだ。 ――隣の織茂と言います。フロが壊れたみたいで。お願いです。フロ貸してください。 と、可哀想なくらい情けない表情で言ったものだから、素性を知らなくてもバスルームを貸したのだ。 その後、大学も学科も同じと知ってすぐ親しくなった。眼鏡を取って身だしなみをちゃんとさせるとびっくりするくらいの美男なのに、入居したてで給湯器を壊すくらいドジで面倒なヤツ。でも、素直でがんばり屋なところもある。そんなギャップが面白くて……次第に強く惹かれるようになった。 そんな今の俳優イメージを壊すようなことを話していいのか悩む。その横で、当の櫂人が口を開いた。 「部屋が隣同士だったのが一番ですけど、本当の最初の最初は入試会場ですね」 さも当たり前のように話しはじめたことに、明史は目を丸くして櫂人を見た。 ……入試のときだって? オレ、櫂人と会ってた記憶ないけど! 「上京して一般入試を受けたとき、焦っちゃったのか俺、消しゴム忘れてきたんですよ。しっかり解答を書かせる大学だったからヤバイって、予備の消しゴムないかバッグの中を必死に探してて。それに後ろの席のヤツが気づいてくれたんですよ。肩叩いて消しゴムを貸してくれて、それが明史だったんです。だから、その後同じ大学で部屋が隣同士なのを知ってびっくりしたというか、なんかラッキーだなあって」 ……ちょっと待て。そんなの、あったっけ? でも櫂人が言うんなら嘘じゃないよな。 「すごい偶然ね! ザ・俳優みたいな良い出逢いじゃない。いいなあ、青春だねえ」 羨ましそうに美保が見てくるが、明史は入試のときを思い出すので必死だ。盲点だった記憶を洗いなおせば、確かに予備の消しゴムを貸したような気もするが、顔まで出てこない。 ……あの頃の櫂人は今みたいに垢抜けてもないし、眼鏡だし前髪も長くて暗い感じだっただろうし。でも、まさか受験のときにそんな出逢いをしてたなんて。櫂人の言うとおりすごい偶然だな。この再会もびっくりな偶然だったけど。 偶然会うことが多い二人は波長が元々合う同士だから、というのをどこかの本で読んだことがある。櫂人と自分はなにかしらタイミングやフィーリングが合う仲なのかもしれない。 その彼はイタリアネタに話を戻している。映画に関することのようだ。 「ローマにあるチネチッタかあ。あそこは有名よね。日本でいうところの太秦映画村みたいな」 「そうなんです。あの撮影所で撮られる映画に出るのが夢のひとつで。明史は行ったことある?」 「オレはないよ。イタリアは北部に行くことが多いから。ローマには行ったことあるけど」 「そうか、ローマって南部になるのか」 「イタリアは日本と同じで縦に長い国だものね。そういえば、千野くんのご友人の新婚旅行って今なんじゃない?」 記憶力の良い美保が尋ねる。さすがよく覚えている人だ、と思いながら明史は頷いた。 「あ、はい。ちょうど行っています」 「今の時期、イタリアは食の宝庫だからいいわよねえ。新鮮な生のポルチーニとかトリュフとかカルチョーフィとか。新婚旅行するなら秋よ、千野くん」 「オレは予定ないですって。それにイタリアは何度も行ってるから、別の国のほうが」 「俺は行ったことないから、いいなあ」 覆いかぶさっていた声に、ハッとして隣を見やった。 ……大学時代についた大嘘、嘘だって自分で答えちゃった! 櫂人と目があった。即座に目線を美保のほうへ戻す。 ……今の、ヤバい。バレたかも。 完全に忘れていた大学時代の『会社社長の娘との見合いして既婚者になる』という大嘘。破談になったと言えばいいのかもしれないが、目の前にいるのはその会社の上司の美保だ。嘘を重ねると余計に傷が広がる。 「織茂くんは千野くんに連れてってもらったらいいわ。そのときは、千野くんの有給取るの私も手伝うから」 「そうします」 明史は、酔いを飛ばすほどの冷や汗で二人の談笑を聞いていた。ワインボトルが一本空き、美保はカレが待っているから、と上着を羽織る。明史は結婚話がこれ以上広がらなかったことに安堵して、櫂人と帰ることにした。 酔いを醒ますために駅まで歩いて帰るという彼女と別れ、タクシーを拾う。明史から自宅の行き先を伝えて大きく息をついた。 「ごめん、いきなり来て。しかもまだ宿題してない」 突然謝ってきた櫂人に少し驚いた。 「いいよ。宿題は強制じゃないから」 そもそも会うことを打診されていたわけでもなく、外食するつもりもなかったのだ。おそらく櫂人自身もそうだったはずで……彼も唐突に思い立って来ただったはずで。 「なんかあったのか?」 顔を合わせたときの表情は暗くなかった。でも、普段どおりを取り繕っていただけかもしれない。 そう思って尋ね、美しい横顔の陰影を見た。夜道を走る車内。眉が少し下がっている。 「うん。ちょっと仕事で色々と。でも、明史の顔見れたからいいや。気が晴れた」 小さな返答にあわせてホッとしたような視線が来る。妙に照れくさくなった。 ……オレも素の櫂人を見るとすごくホッとするときがあるけど、櫂人はどういう意味なんだろ。居心地のいい友達って感じか。うーん、今の櫂人は友達少ないのかなあ。 余計なことまで考えだせば、「明史」と呼ばれる。 「それより、訊いていいか?」 質問の前置きに、首を傾けた。 「なに?」 「明史って、結婚は、」 てらいなく出てきた『結婚』という単語に、背がピンッと張る。先ほどリストランテでも冷や汗をかいたが、ここでぶり返されるとは思わない。 ……ヤバイ。なにか逸らす方法、早く、そうだ、雄哉の話! 「結婚して新婚旅行してる友人のことだよな! あれ、雄哉なんだ」 咄嗟に思いついたまま口にする。櫂人も意外な話から、気が変わったように食いついた。 「えっ、それってさっき湯浅さんが話してた、今イタリア旅行してるってヤツ?」 「そうそう、大学のときゼミで一緒だった雄哉だよ」 「雄哉って、斉藤雄哉? あいつ結婚したの?」 櫂人はちゃんと覚えていたらしい。 「うん、先月末に」 「マジ? ご結婚おめでとう。そうか、もうそういう年齢だもんなあ。大学のヤツら、たくさん集まった?」 懐かしむ彼の様子は少し意外で、明史の気持ちも軽くなる。 ……櫂人も皆に会いたいと思うんだ。 「たくさん来たよ。朝まで飲んで盛り上がった」 けれど、大学の友人たちに櫂人と再会したことだけは話していない。なぜなら、皆に世話を焼かせていた櫂人が、ある日突然なにも言わず消えたことに、今も良い印象を持っていない者がいるのだ。仲間内では、遠い世界に行ってしまった芸能人というイメージも強い。 「いいなあ、行きたかったな」 「櫂人は……有名人だし、難しかったと思うよ」 「うん、俺もその日たぶん仕事あって無理だった」 あっさりした返答に、ホッとするような申し訳ないような気持ちになる。大学仲間からの印象を悪くさせてしまった起因は、おそらく自分だ。同窓会と化していた結婚式で、誤解を解いておくべきだったのかもしれない。 ……でも、簡単に話せることではないから無理だ。櫂人、ごめん。 「そうだ」 明るい彼の声に肩がビクッと揺れた。 「来月の六日、夜空いてる? って、もうすぐだけど」 また唐突に近々の予定を持ってくる。 「待って、見てみるよ」 スマートフォンを取り出してスケジュールを確認する。平日真っ只中だが、今日より忙しくはないだろう。 「たぶん大丈夫かな」 「二〇時集合で行けるか?」 「それなら、問題なく都合つけられると思う」 答えつつ、集合という言葉が引っかかって彼を見る。 「ついで、ちょっとお願いもあるんだ」 いつもの勉強付き合いではないようだ。明史は不思議な顔をして、なにかを企んでいる櫂人を見つめた。 |
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