* あい繋ぐ星に【第10話】 * |
師走前から晴天が続き、今日も澄み切った青に恵まれた。日中の強い風が空を磨いてくれたおかげで、都心の夜も綺麗に見える。風の心配は少しあったけれど、今は止んで思ったよりは寒くない。 ……二〇時集合だって言ってたけど、大丈夫かな。 ベンチに座って時計を見る。十九時五十五分。集合場所は自宅そばの公園だ。明史が気にかけているのは櫂人のことではなく、もう一人落ち合うという女性。 『田河さんっていう若い女の子が来るから、五分くらい早めに待っててほしいんだ』と、彼からお願いされて待っているが、道に人影も車の往来もない。 ……駅から離れたこんな小さい公園、わかるものなのかな。 横に置いたナップサックには防寒着と使い捨てカイロ。先月に比べだいぶ冬らしくなっているものの、まだダウンジャケットは早い。でも、櫂人に厚手の防寒着は必須と言われた。それに加えて、歩きやすい靴と携帯食。飲み物は用意してくれるという。まるで登山に行くスタイルだが、あながち間違ってはいなかった。目的地は小高い山だ。 かすかに車のエンジン音が聞こえ、細い木々の間からヘッドライトの瞬きがもれた。集合メンバーのどちらかが来た合図。出入り口に目を向けていると、大きな荷物を持った小柄なシルエットが浮かび上がった。帽子を深く被ったロングの黒髪。スマートフォンを片手にきょろきょろしている。 ……あの子が田河さんだろうな。 確信して明史は立ち上がった。初対面の彼女とどう接すればいいのかな、なんて考えながら手を挙げる。遊具が二つしかないような公園だから、見渡せばわかるだろう。女の子も明史に気づき、伺うような足取りでベンチのところまでやってきた。 「あの、千野さんですか?」 目の前に来ると本当に華奢なのがわかる。ボーイッシュな格好、ショルダーバッグに薄手のスポーツバッグ。中身は重そうだ。 「はい。僕が千野です」 「私は田河です。よかった、ちゃんと着いた」 安心したような微笑に可憐さを感じた。実際、暗い中でも彼女の整った顔立ちは映えている。櫂人の友人のカノジョだというから、芸能界寄りの子なのだろう。はじめは友人の大切な友人という微妙な言い方をされて、つい櫂人との関係を勘繰ってしまったが、……本人をはじめて見て、無事この公園に来れてよかったと素直に思った。こんな華奢な女性が夜道で迷っていたら心配になる。 「すごく辺鄙なところでスイマセン」 「そんな、辺鄙じゃないです。静かなほうが落ち着くし、タクシーの運転手さんも道がよくわかる人だったから。こちらこそお待たせしてすいません」 思ったよりアルトな声と、二十歳前後に見えるわりにはっきりと話す雰囲気。 「織茂さんはまだ来てないですか?」 ふと、どこかで見たことがあるような気がした。さりげなく彼女を観察しつつ答える。 「まだだけど、そろそろ来るとは思いますよ。櫂人は時間にきっちりしてるほうで、なにかあれば連絡入れてくるヤツだから。田河さん、荷物重そうだけれど大丈夫?」 「はい、大丈夫です。いつもこれ以上のものを持ち歩いているから」 細い体格のわりに体力もあるようだ。女優やモデルであれば、いつもこんな大荷物を自分で持ち歩かないだろう。ヘアメイクさんや裏方かな、と推測してみる。 再度、車の音とヘッドライトが外側で瞬いた。 「櫂人、来たかな」 呟きに彼女も頷く。ナップサックを持って出入り口のほうへ向かうとすぐ、長身の男が顔を出した。 「二人とも、お待たせ」 ほぼ定刻通り。現地には集合時間ギリギリに着く感じかも、と言うのでそそくさと車に乗り込んだ。櫂人に勧められるまま、明史が助手席で彼女は後部座席。そして、この子をどこかで見たことがある、というのは思い違いではなかったと知る。 「香蓮ちゃん、こんなとこまで来てもらってごめんね」 ……この子、有名なシンガーソングライターのKarenか! 後ろへ振り向きそうになるのを慌てて止める。 オーラもなく自然に話していたから、全然出てこなかった。彼女は一〇代のうちに曲がヒットして一躍スターになった若手のアーティストだ。テレビを観ない明史も、至る店で彼女の歌が流されていたことを覚えている。 本名が田河香蓮だということも、今はじめて知った。 「こちらこそわがままを聞いてくださって、本当に申し訳ないです」 「いいよー、これ毎年恒例だから」 「でも、櫂人さんもバイク乗りたかったはずなのに」 「いやいや、そうでもないよ。今回は元々明史を連れて行くつもりで車を出す予定だったんだ。用意もあったし、気にしないで」 「ありがとうございます」 香蓮がホッとした声を出す。サービスエリアに寄るかどうかには「大丈夫です」と答えて、代わりにここで少し食べ物を食べていいか訊いてきた。 「食べていいよ。着くまで寝ててもいいし。ただ、現地に着く前にトイレ休憩だけはするね」 「すいません、気を遣ってもらってしまって」 歌っていないと印象がまるで違う。ステージを降りているときの彼女は、普通の二十歳の女の子なのかもしれない。 ……友人のカノジョって言ってたから、Karenには恋人がいるってことか。櫂人の友達って、やっぱり俳優? 現地に着けばわかる話だが、ついつい推理してしまう。と、運転している櫂人から声がかかった。 「明史も忙しいのにありがとう。あと一時間くらいはかかるから仮眠してて」 「うん。それで、何人集まることになったんだ?」 明史が事前に聞いているのは、年に一度東京の夜景を観る会みたいなものを初冬にしていて、都合のついた仲間と現地で集まっているのだということ。場所は毎度県境にある山頂。公的な交通手段は乏しく、夜はバイクか車で行くしかないらしい。ちょっとした穴場だから、気兼ねなく景色が観れるのだそうだ。 なんともロマンチックなことをしているんだな、と思ったが、櫂人に誘われるまま明史は即決した。集合が遅いぶん帰宅も深夜二時くらいになるかも、なんて言われて翌日のことも考えてしまったが、仕事なんて最悪どうにでもなる。 年に一度しかないチャンスを逃したくなかったし、櫂人との遠出は大学以来だから少し楽しみにしていた。とても楽しみ、ではなくなってしまったのは、誘いとともに田河さんもついてくるという話があったからだ。二人きりのドライブではないとわかって、わずかでも落胆してしまった自分の小ささに凹んだり、疑心暗鬼が拭えなかったりもした。でも今は、香蓮と櫂人の距離感を知ってホッとしている。 「今回は俺と明史含めて六人かな。元々は九人予定してたけど、急に仕事が入ったり体調崩しちゃったりとかで。いつもの主催者も海外に行ってていないし。香蓮ちゃんも最初は行けるか怪しいって言っていたけど、無事来れてよかったよ」 櫂人が気遣うように会話をするが、香蓮から返事はない。明史も気になって首を後ろへ向ける。目を閉じているのが見えた。 「寝てるみたいだ」 「食べると言いながら、結局寝ちゃったのか。ずっと忙しかったみたいだからなあ」 「そっか。皆大変なんだな」 「明史も。毎日毎日同じ時間に出社して残業して、本当に偉いと思うよ。俺、今日オフだったもん」 「そう言われると、羨ましいな。オフだったのかよ」 「だから元気に深夜ドライブもできるぜ、今夜は」 比較的空いている高速道路。都心から離れているほど光の量は少なくなる。静かな会話と緩やかな沈黙を交互に続いた。 瞼が重くなってくると、ポツリ、隣から言葉が落ちた。 「こういうのも久しぶりだよな」 大学時代のことを彼が思い出したのは明白で瞳を開く。記憶を辿れば、今走っている道を当時使ったことがあった。夏、山のほうへバーベキューをしに行ったときだ。皆でコテージに泊まった。 「昔はレンタカーだったね。キャンプとかハイキングとか海とか」 本当は櫂人が中退してからも友人たちと行っているから、計六回くらい遠出のアウトドアを経験している。でも、明史が心から楽しかったと思えるのは櫂人がいたときだけ。毎回出先でもなにかをやらかす彼に、笑いながら呆れながらフォローしていた。大学二年生の秋までは、櫂人も普通の学生だった。 「三回くらい行ったっけ。よく覚えてるよ。すげー楽しかった。バカみたいに騒いでさ」 彼も一〇年くらい前のことを去年のことのように話す。記憶は鮮やかに残っているようだ。芸能界に入ってからのほうが刺激的だったはずだろうに、と思うとつい言葉がもれる。 「櫂人も、時々そうやって昔のことを思い出してたんだ?」 「うん。年に一回この夜景を観に行く日とか、ふとしたときに」 チラと顔を向けてくる。柔らかな目元。 「今は横に明史がいるから、特に思い出すよ」 子守唄の最後のフレーズをつむぐように、そっと答える。不思議なほど嬉しい気持ちと懐かしい想いに包まれた。 ……櫂人と再会できてよかった。 やっと心から思えた。櫂人にまつわる情からずっと逃げ腰で、再会してからも適切な距離をずっと探っていたけれど……今は再会できた奇跡と彼が横にいること、ただそれだけに深く感謝した。 夜景観賞もロマンチックな気持ちを引き出すためかと思ったが、櫂人にとってはノスタルジーな気持ちを慰めに行くものなのかもしれない。そう思うと、ドライブの先にある夜景が早く観たくなる。 彼が見ている景色を、共有したい。 邪念が消えた代わりに生まれた新たな想い。 「今日、星も綺麗に見えるだろうな。ほんとツイてる」 「晴男か晴女がいるのかな」 「俺じゃないのは確かだなー。後ろの香蓮ちゃんあたりかも」 櫂人の言葉に微笑む。穏やかな気分に満たされる。やさしい沈黙が降りて、明史はそうっと瞼を閉じた。 うとうとしていると車は速度をゆっくり下げた。サービスエリアに着いて起こされる。寝ていた香蓮も外へ出て大きく伸びをした。用を足して車に戻れば、櫂人よりも早く香蓮が車内に座っていて、なにかを食べていた。彼女からお菓子をもらう。ホワイトチョコレート。甘さが心地よい。 最後に櫂人が車に乗って、目的地へ向かった。一般道から横に逸れて暗い道を登る。着いた地でフロントドアを開けると気温が数度落ちていた。ここからは徒歩だ。 「ちょっと寒いな。明史も香蓮ちゃんも、大丈夫? これから三〇分くらい歩くけど」 「今ダウン着るから待ってて」 「わたしは使い捨てカイロたくさん貼ってるので大丈夫です」 「俺もカイロは持ってるから、足りなかったら言ってね。あと、懐中電灯」 渡された灯りを頼りに夜道を歩く。斜度もなく整備された小高い山だと説明されているが、日中と夜間では異なる。今のところ夜景が広がる気配はない。 ……男一人でも登るには勇気が必要だなあ。ガサッって音がしただけでもドキッとするよ、オレ。 同時に、櫂人に頼もしさを感じた。慣れた足取りで一番前を歩く彼の背。リュックを背負う姿は、昔より明らかに心強い。まだ家事で失敗したり振り回し気味な部分はあったりするけれど、随分頼れる男になった。 山道は少し急になって、すぐ緩やかになる。「もうすぐだよ」という櫂人の声を耳にして、明史は視線を上げた。 傾斜が終わる手前で、パッと道が開けた。伸びやかな曲線を前に一度立ち止まって深呼吸する。 辿り着いた場所は、山の頂上というより丘の上。 星がびっくりするくらい無数に見える。煌めく宇宙の瞬きに気を取られたが、すぐ眼下の輝きに目を奪われた。 |
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