* あい繋ぐ星に【第12話】 * |
車にはまた三人で乗り込む。いつものルートだという、ラーメン屋へバイクと車で流れていく。 幹線道路沿いの店に着いて席を確保すると、香蓮が崇之に注文を頼んでどこかへ行ってしまった。 「荷物持ってどこか行ったけど、彼女はどうしたの?」 櫂人に訊けば「着替えだよ」と答えてくれる。戻ってきた香蓮を確認すると、ライダースーツになっている。先ほどまでの大人しい雰囲気が嘘のようだ。女の子は服装で印象が本当にガラリと変わるんだな、としみじみ思った。どうやらこれから崇之と二人乗りでどこかへ行くらしい。夜景鑑賞会は、お忍びデートのカモフラージュでもあったようだ。 その横では、半袖を見せた誉が先輩の櫂人に絡んでいる。後輩を諫める姿に新鮮な気持ちを抱きながら、ラーメンをすすった。 「これから年末まですごい忙しいんだよ。予定詰まってるし再来週は海外だし」 「じゃあ、なかなか飲みに行けないんですかー、ザンネン」 「そのぶん、あんたも仕事がんばんなさいよ」 姉の言い分に膨れ面を見せる。誉は大盛のラーメンより会話がしたいようで、箸を止めたままもう一度先輩を見た。 「で、海外はどこ行くんですか? ドイツ?」 水を飲む櫂人が頷いたのを、明史は見逃さなかった。 ……ドイツ? 視線に気づいたのか、櫂人がハッとしたような顔をする。 「まあ、ヨーロッパは広いし」 意味がわからない台詞を誉に返したが、直感的に行く国をごまかしたと気づいた。 ……櫂人、オレに嘘ついてた? 仕事で海外に行く、イタリア語が必要、年内まで教えてほしい、と再会時に言われて彼と会うようになった。年内中にイタリアへ仕事をしに行くものだと思って、ずっと教えてきたのだ。 しかし、今の感じだと、行き先はイタリアではない。 ……いや、ドイツのついでにイタリアへ行くのかもしれないし。ドイツでイタリア語を使うのかもしれない。 ポジティヴに考えようと思っても、暗い霧が心を覆った。 ……行き先が急遽変わったとか。それなら変わった時点で言うべきだ。隠すことでもない。仕事のために手伝ってほしいって櫂人に頼まれてイタリア語を教えてたんだ。オレも、睡眠時間とかそういうの色々削って。 見返りを求めていたわけではない。でも、善意をないがしろにされた気分だ。 脱力するようなショックのままラーメン屋を出た。美味しかったはずなのに味の記憶は残っていない。どうにか平静を装って解散の挨拶をした。 二人きりで車に乗りたくないと思った。でも、深夜一時を過ぎて他の交通手段は考えられない。黙ったまま助手席に座る。その横で、櫂人は先ほどのミステイクを気にしていない様子だ。車が走りはじめる。次第にイライラしてきた。 「疲れただろ。帰るまで寝てていいよ」 労わるように彼が言う。しかし、こんな気持ちで寝られるわけがなかった。 高速道路に入ると、我慢できず口を開いた。 「櫂人。ドイツに行くんだ?」 スピードを上げていた彼の顔が強張った。逃げ道を探すような表情だが、道は渋滞もなく順調だ。ますます気がおさならなくなる。 「イタリアには行かないのか?」 念を押して訊く。櫂人は吐く息の代わりに言葉を出した。 「いずれ、行くよ」 曖昧な返答だが、現時点でイタリア語を必要とする仕事はないとわかる。 「この一年以内には行かないんだな」 嘘をつかれていた失望と努力を無駄にされた落胆。 「ごめん」 櫂人は視線を向けることもなく謝ってきた。でも、この数ヶ月で真実を話す機会はあったはずなのだ。もしくは、完璧に隠し通して海外へ行ってほしかった。本当に悲しくなる。 ……イタリア語を教える気力が失せた。オレ、バカみたいだ。 こんな辛い思いをさせられるなら、やはり最初から拒否しておけばよかった。結局、また櫂人に振り回されてしまったことが悔しい。自分の気持ちを都合よく使われた気分だ。 でも、嘘をついた理由はわからないまま。 「どうして、そんな嘘ついたんだ?」 冷静になりたくて、櫂人を許すきっかけが欲しくて、訊ねる。 すると、気まずい顔をしていた彼の顔があからさまに変化した。 素直な回答を待っていた明史は、妙な沈黙に首を動かす。そして、目が離せなくなった。 美しい横顔は憤っているように見えた。夜の道を見る瞳は鋭くなり、負の感情に囚われた明史よりも陰が強くなる。 最も言ってはいけない一言を、口にしてしまったことに気づいた。 自分と櫂人の間にある、大きすぎる地雷。 「明史に言われたくない」 低い櫂人の声。 予感はしていたけれど、全身から血の気が引いた。 大学時代の、最も愚かで痛々しいシーンがフラッシュバックする。 イタリア語を使わない仕事だったという嘘の比にならないくらい、明史のほうがひどいことをしていたのだ。 「そっちも、アレ、全部嘘だったんだろ」 息が詰まった。明史が結婚していないことは、今日までのやり取りで気づいただろう。でも、櫂人は見合い話自体が嘘だったことまで見抜いていたらしい。 いつ気づいたのだろうか。すぐ美保と夕食を摂った夜の記憶が出てきたが、もしかしたらそれよりもっと前かもしれない。 大きく長い溜息が聞こえて皮膚がふるえる。彼の胸の内で今までの鬱積が暴れているのを、肌で強く感じた。 「俺が、どういう想いでいたと思ってんだよ」 苦しみを搾り出すような櫂人の声と言葉が、心臓をきつく掴んだ。後ろめたさで凍えた指先は動かず、脳内はあの悔やんでも悔やみきれない過去を何度も再生させる。 あの日。 日常会話の延長のように気軽な感じで『一緒に住みたい』と言ってきたから、軽い調子を装って本心を混ぜた嘘をついた。櫂人のことが好きで好きで、でも想いを果たせなくて、自分がなんなのわからなくなって、嫉妬ばかりして。本当はあのときに、櫂人の気持ちを聞けばよかったのだ。でも、怖くて聞けなかった。どうせ、友達だとしか思われていなかっただろう。だから、あの方法しかなかった。このまま一緒に住んだら地獄だと思ったのだ。 「再会してから、ずっと待ってたんだよ俺は」 チープな嘘に過剰反応したあの時の櫂人の傷ついた表情が、今と重なる。 ずっと待ってた、という言葉に明史は大きなショックを受けた。 全然気づかなかった。再会してからの櫂人はカラッとしていて、大嘘のことなんてすっかり気にも留めていない感じだったのだ。 「なんで嘘を言ったのか、いつか話してくれるんだろうって。今の明史なら教えてくれるはずだって俺は信じて」 恋心から逃れる保身のための嘘だったなんて、本人に言えるわけがない。 自分の身勝手さを思い知る。 「ごめん」 都合よく昇華していた罪悪感の中から、言葉にできる唯一のものをひねり出した。途端、スポーツカーが左へ動く。ハンドルを握る彼が急な車線変更をしてみせたのだ。イラついた気分を行動に出されて身体がすくむ。 「俺は謝罪なんて聞きたくない」 はっきりと拒絶する声に、手がつけられないくらい怒っているのだと知った。櫂人がここまで怒りの感情を向けてくるのは、はじめてだ。 「なんでそんなバカみてえな嘘を、」 腹立たしさを全面に出され明史は息すら出来なくなった。チッという舌打ちに、冷えた血がさらに凍える。 長い空白の後で、彼がもう一度ゆっくり息を吐き出した。 「もう、いい」 すべてを放棄するような一言。収拾がつかないくらい状況が悪化している。大きな悔恨と不安と申し訳なさと彼を失いたくない一心で、名前を呼んだ。 「櫂人」 「運転に集中したい」 間髪も入れず、すべてを封じられる。 彼はオーディオに触れてラジオを流しはじめた。ジャジーな洋楽が空間を埋める。まるで、一人のドライブを無理やり演出しているかのよう。押し潰されてしまいそうなほど重い。消えてしまいたい。 ……この数ヶ月、オレのほうが最悪なことをし続けていた。 彼が怒るのもあたりまえだった。八年引きずっていた心の傷を、またないがしろにされたのだ。自分が傷つかないために、櫂人の傷に塩を塗り続けていた日々。 イタリア語の嘘は、櫂人なりの報復だったのかもしれないし、互いのわだかまりを解くチャンスとして利用したのかもしれない。ただ同じ嘘でも、明史のほうが何十倍も分が悪い。 修復不可能なほどの深い溝を痛烈に感じながら、移り変わる夜の景色をただ眺めた。首都高から一般道になり、見知った道に入っていく。 待ち合わせ場所だった公園を過ぎたところで、櫂人を見た。 無表情の彼はその先にあるアパートの前で車を停めた。今まで一度も住処を教えていなかったが、とうに知っていたようだ。 明史は猛烈に悲しくなった。いつもは公園前で停まってくれる。自分の小さな部屋を知られたくないという明史の気持ちを、今まで配慮していてくれた櫂人。でも、もうそんな気遣いをする気もなくなったのだろう。 助手席を降りて、「ありがとう」と告げる。しかし、彼は見向きもせず、ドアが閉じたとわかると車を走らせて去っていった。 一階奥の角部屋。鍵を開けて玄関に入る。ドアが閉まる音が後ろで響いた。 電気をつけることもできず、真っ暗な中で呆然と立ち尽くす。指から荷物がすり抜けてドサッと落ちた。 終わってしまったような気がした。 大切なチャンスをぶち壊した。八年前の過ちを絶対に繰り返したくない一心だったのに……結局、また彼を深く傷つけてしまった。 足元が崩れ涙が落ちた。靴も脱げず膝をつく。 「ごめん」 両手で顔を覆う。最低な自分。 帰宅しただろう櫂人は今、なにを想っているのだろう。考えただけでも身がちぎれそうに痛む。でも、彼の胸はもっと痛んでいるはずだ。許してほしいと言える立場にいない。 ……もう自分から連絡はできない。 「ごめん、櫂人、」 ぽろぽろと涙がこぼれる。懺悔するようにくちびるを動かす。 「でも、言えないんだ、これだけは、」 嘘をついた本当の理由だけは、どうしても言いたくなかった。 |
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