* モアザンパラダイス【第3話】 * |
ポーターがついて、七階行きのエレベーターに乗る。部屋番号は706。今回の件で再度ポーターにも深く頭を下げられた。真幸は面倒事につかまってしまったことに戸惑いを抱きながら、ドアのロックを開錠した。 「必要なことがあれば、内線でフロントまでどうぞ仰ってください」 「ありがとうございます」 「俺からも、あとでちょっと連絡します」 「かしこまりました。それでは、ごゆっくりお休みください」 「はい。……じゃあ、どうぞ、」 「お邪魔します。今回は、本当に助かりました。ありがとうございます」 キャリーバーグを転がして彼が中へ入ってくる。部屋を出たときには、まったく想定もしていなかった事態だ。室内の灯りを全開にする。 バッグを部屋の奥へ置いた彼を見つめる。上間宏和の後姿は、やはり恋人の隆章に似ている。 じっくり比較していると、彼が振り向いた。ドキッとしたが、真幸は逸らさず目をあわせた。 「名前、訊いていいですか?」 人よさそうな表情で言われて、名乗っていなかったことに気づいた。 「すいません。東原真幸です」 「俺は上間宏和です。って、先も言いましたよね」 えへへ、と後頭部をかく。彼は隆章に比べて明るくて軽くてだいぶおしゃべりのようだ。 「それで、なんていうか、……下の名前で呼んでいいですか?」 思った通り、早速そんなことを言い出す。宏和の申し出に、真幸は断る理由が見当たらず頷いた。 「俺の名前も、宏和ってまんま呼んでください。親戚に上間姓が多くて、ここに来るとこんがらがっちゃうんですよ」 「はい。おれのほうも、敬語とか堅苦しい感じはいらないので」 「ありがとう。それで、泊まりは本当に一人? お一人様バカンス?」 あっけらかんと核心触れる質問をされて、真幸の背筋はこわばった。 その変化に、宏和も感づいたようだ。訊いたらまずいことだった? と、顔に書かれてある。沈黙をそのままにすると、彼がすっかり口にしそうで、慌てて真幸から先にはぐらかす問いを出した。 「あの、宏和さんのほうこそ、お一人なんですか?」 質問をされた宏和は、瞬きしてニコッと頷いた。一瞬、気まずい雰囲気になったことは彼も気づいているようで、場を和ませるやさしい表情のまま、キャリーバッグをソファーに寄せる。 「俺はお一人なんです。この時期になると、いつもここに一人で泊まってて」 「そうなんですか」 「リゾートホテルって言っても、このホテルは比較的安いし、さらに島民価格って特別割りってのもあって使えるんですよ。それに、そこの海、俺の思い出の場所なんで」 窓の奥の暗がりに向いて指を差す。夜に溶けて海は見えない。でも、あのエメラルドグリーンは胸に焼き付いている。真幸は浜で取り戻した感情に目を背けた。 ……海は、当分見たくない。 思ったことは表情に出さず、ゆっくり尋ねる。 「沖縄のひとなんですか?」 ホテル従業員との会話や、ここに来ると上間姓が多いと言ったこと。観光客にたいして『内地の人』という特殊な表現を使っていたことも聞いていた。 真幸の推測に、彼がすぐに「そうなんです」と答えた。 「正しくは、親父が。今は親も俺も関東ですけど。一応、俺も生まれて小学二年まではこの村に住んでたんですよ。内地に行ってからも、夏休みのたびにここに遊びに来て、そこの浜でBBQパーティーしたり、大潮のときを狙って熱帯魚を取りに行ったり、ウニやシャコガイ取ったり、もっと向こうにある離島の親戚んちに泊まりに行ったり、」 東京の郊外で育った真幸からすれば、宏和が軽く話す内容は新鮮だった。 「すごいですね」 ……全然おれの知らない世界だ。 熱帯魚は水族館にいるか専門店で売っているもので、ウニは漁師が取るもの。シャコガイなんて食べたこともない。島を旅行したのも今回がはじめてだ。 真幸の知らない世界を、てらいなく語る彼の目尻がゆるむ。 「それで、今もなるべく時間をつくって毎年沖縄に来てるわけです。親戚がこの村にけっこう住んでるから、北部メインでいつも遊んだり飲み会に出たりして、ね」 そこで疑問が生じた。 ……沖縄に親戚が多いなら、ホテルを使うことない気がするけど。 「ホテルに泊まる必要あるんですか?」 尋ねると、彼が肩をすくめた。 「実は滞在する家自体はなくなっちゃってて。正確には残ってるものの、五年前に祖母が亡くなって家は若い親戚カップルに貸し出されてるんですよ。頼めば泊まれるんだろうけど、最近出産ラッシュでどこも泊まりにくくなっちゃって。それで、このホテルを利用してるんです。ここは思い出の海が一望できるし、従弟が働いてるから。ただ、アイツに電話で頼んで、このザマだから、あとで怒りの電話をするつもりですけど。あ、ホテル自体は良いホテルだから安心して、大丈夫」 なるほど、と、合点がいく。やはり、ホテル側と顔見知りだったようだ。 「だから、ホテルのひとが知ってたんですね」 「そういうことです。よく見てるなあ」 ソファーの背に軽く腰掛けた宏和が言う。目ざといと思われた気がして、肩を小さくこごめた。 「すいません、なんか」 「いやいや悪いことじゃなくて、初対面の人のこともちゃんと見てるんだなあっていう、良い意味です。こちらこそ、俺のワガママに快くOKしてくれて、感謝してます。ありがとう」 率直に答える彼に少し安心する。気遣ったり取り繕ったりしなくてもよさそうな性格だ。ものもはっきり言ってくれるタイプだろう。今はそちらのほうが楽だった。妙な気遣いや隠し事をされても困る。 ふと、隆章が昨日まで結婚の事実を黙っていたことを思い出した。 ギリッと胸に強い痛みが走る。恋人のことは昨日の今日で忘れられるわけがないし、ひどく傷ついている。でも、隆章に似ている宏和を見つめても悪い気分にはならなかった。見てくれが似ていても、性格がだいぶ違う。現に、宏和は相づちを打たなくてもかわまず話してくる。隆章のような落ち着きはないらしい。 「元々はこのホテルに二泊する予定だったんだけど……そちらも旅行中なのに申し訳ない。一泊だけお願いします。近隣の安宿か親戚で泊まれる家、これから探すんで」 取り出したスマートフォンを目にして、真幸は声を発した。 「あ、あの」 「ん?」 「おれ、一週間、ここに一人なので」 その言葉を聞いて、宏和が目を大きく開けた。 「一週間も?」 「……はい」 「そういう旅行なの? お一人が好きとか? したら、余計俺邪魔しちゃってるか、すいません」 彼は悪いことをしたような表情で真幸を見つめる。 ……このひとだったら、一緒に寝泊りしても大丈夫かもしれない。 真幸はふと思った。テンポが多少あわないような気もしたが、強引で自分勝手というわけではないようだ。話を聞くかぎり家族想いだし、それなりに気配りもできる。そして、何も知らないこの土地のことを彼はとてもよく知っている。 「いや、あの……一泊だけじゃなくてもいいですよ」 ……ちょっとうるさく感じるかもしれないけど、今はそれくらいのほうが気が紛れていいかも。 少し打算めいていたが、真幸なりの譲歩と好意だ。それに、このひとがいると面白そうだとも思える。 宏和はそうした真幸の好意を意外に感じたようだ。萎縮したように慌てて首を横に振った。 「逆にそれは悪いって。あ、お金。忘れそうだから宿泊料金、先に渡します!」 かかさず言葉通り、キャリーバッグにかけていた黒いバッグを取って中を開けはじめる。 「それも! いいんです。本当に、気を遣わなくて」 「いやいやいや、それは社会人としてどうかと俺は思っちゃうから、待ってて、今用意します」 財布を出す手を止めようと、彼の間近まで寄った。 ぐるるるる。壮大なお腹の音が真幸の下から響き、顔を見合わせた。 ……お腹、鳴っちゃった。 そういえば、丸一日以上食事を摂っていない。ロビーに行ったのも隣接する売店へ食べ物を買うためだった。しかし何も果たされず、なぜか初対面の男を部屋に連れ込んでいる。真幸は恥ずかしくなり、お腹をおさえて俯いた。 我に返ると全部おかしい。浜にうずくまって泣いていた自分も思い出す。まだ涙の跡が顔に張り付いているはずだ。宏和はどう思っているのだろうか。 「すいません」 たまらず口に出した言葉をすくうように、宏和が財布を閉じて覗き込んだ。 「なんでまた謝るんですか。お腹空いてるんですよね? ちょっと待っててください」 目があえば、大丈夫だよと言わんばかりに微笑えまれた。財布をポケットに差し入れて、彼がもう一度バッグを漁る。 ……やっぱり、似てるなって思ったところは、すごく似てるかも。 男を眺めながら、真幸は感じていた。しゃべる量は圧倒的に違う。隆章のほうが理性的で落ち着いていて丁寧だ。宏和は明るく率直で、顔に思ったことが全部出ている。隆章より数倍わかりやすい。 でも、二人とも後姿と笑い顔がよく似ている。くっきりした瞳と笑ったときの皺が本当によく似ているのだ。 「はい。お菓子だけど、少しは満たされるはず」 宏和が渡してきたのはアメリカのチョコレートスティック菓子、三本。一度職場で同僚からもらったことがあるメーカーだ。 「ありがとう」 真幸は素直に受け取った。前は甘すぎて食べ切れなかった。でも、今は全部食べられる気がする。それくらい、お腹がすいている。 「食べていいですか」 「はい、全部あげます」 我慢できず手早く破いて口にふくむ。 昨日ぶりの食事は、濃厚なスティック菓子でもお腹に染みる。あっという間に一本食べ切った。 「美味しそうに食べますね。そういうの俺、すごい好き」 彼がニコっと笑む。気恥ずかしくなりながらも、二本目のステック袋をピリッと破いた。完全に宏和のペースにうまく丸め込まれてしまったが悪い感じじゃない。 お菓子の甘さにもつられて、真幸も咀嚼しながら微笑む。 「やっと笑ったトコ見れた」 宏和が嬉しそうにペットボトルの飲み物も渡してくれた。 「それじゃあ真幸、よろしくね」 不思議な感覚に包まれながらも、なんだか彼を迎えてよかったような気がした。 |
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