* モアザンパラダイス【第6話】 * |
ベッドに横たわっていても感じる柔らかな光。真幸はゆっくり浮上する意識の中で、朝が訪れたことに気づいた。 肌にあたる清潔なシーツと、温かいぬくもり。ふわふわした気持ちが、休暇中の開放的な空気に溶ける。よく眠っていた気がする。でも、もっとまどろんでいたいと思う。 そっと動かした指に体温があたった。久しぶりに寄せる甘い感覚。旅行の夜は、かならず身体をほぐして繋げる愛の営みがあった。淡白な恋人だけれど、旅の地では真幸を抱くことを求めてくれた。色づいた情を、真幸は身体いっぱいに受け止めて、愛されていることをいつも実感していたのだ。 寄り添う体温を乞うように肌に触れる。筋肉質の腕。男らしい触り心地は、真幸を安心させる。ずっと抱かれていたいと思う身体。 「隆章」 「……ん?」 真幸が名を呼ぶと、すぐに反応が返ってくる。隆章とは違う声に、夢うつつだった脳内は一瞬で現実に切り替わった。 この場に隆章はいないことを思い出したのだ。 ……しまった! 名前呼んじゃった! 寝ぼけていた真幸は大きな後悔とともに硬直した。肌にあたる体温は宏和のものだ。 ひとつのベッドで、彼と一緒になって寝ていることを思い出した。昨夜ホテルに戻ってから、お酒を飲みながら話をしていて……アルコールのせいでまた泣いてしまったのだ。理由を求めない宏和に慰められ促されてこの状態になってしまったことを真幸ははっきり覚えていた。 ……どうしよ。すごく、気まずい。 昨日の取り乱していた自分と、今起こした過ちに目も開けられないでいると、何かが髪に触れた。彼の指だ。真幸の頭をゆっくり撫でる。 「おはよ、真幸」 耳元で聞こえる挨拶はまるで睦言のようで、真幸は居てもたってもいられなくなった。これ以上、変に意識してしまわないよう、そっと息を吐いた。気の知れた男同士で酒を飲んだ挙句の雑魚寝なんていくらでもありうる。これもその一環だ。 「おはよう」 ……隆章の名を呼んだこともなかったことにしよう。もし訊かれても、シラを切る。 「おれ、起きるよ」 真幸の声に、宏和はあっさり手を離した。 「おー、今何時だ?」 起き上がる横で、彼がごろりと寝返りを打つ。一緒に見遣ったデジタルクロックには、午前一〇時とあった。相変わらず怠惰な生活だ。朝食付きの宿泊プランなのに、まだ一度も朝食会場に辿り着けていない。 「顔洗ってくる」 する必要のない宣言をしてバスルームに逃げた。 鏡を見る。自分の顔が映る。寝癖のついた猫ッ毛の髪。いくらか腫れが引いた焦げ茶色の瞳。丸い顔の輪郭は母親譲りだ。控えめな鼻、薄いくちびる。童顔と言われる部類なのはよく知っている。身長も百六七センチだから、いつも身体に厚みがあって背の高い、はっきりした顔立ちの男性に気が向いた。理想の男だった隆章は、性格的にもそつがなく頼もしかった。だから、憧れが恋に変わったのだ。 ……宏和さんは「代わりをする」って言った。 似た顔の上間宏和は、身長が百八十ジャストだと言っていた。隆章より二センチ高いが、少し細い。服のセンスが似ていると思ったが、隆章と違って普段はTシャツが多いようだ。色使いが似ているだけなのだろう。 二人の性格は間逆だった。事前に計画を立てて動く慎重派の隆章と違って、宏和は直感で動くようだ。思ったことは顔に出やすく、親切ではっきりしている。二つ上だが、隆章より少し若く見えるくらい雰囲気が明るかった。よくしゃべるせいもあるだろう。今の真幸には、その快活なしゃべり口が救いになっている。 ただ、『代わり』というのは、恋人の代わりをするという意味合いで言ったとは思えない。 ……女の子相手ならそうだろうけど、おれは男だ。宏和さんは同性もOK、とはあんまり感じないし。 偏見もあったら辛いが、こればかりはどうしようもない。偏見がなくても、同性の恋人を捨てて女性と結婚されるパターンを身をもって知ってしまった。あの出来事を思い出すと胸は痛い。気を取り直して、顔を洗うと歯を磨いた。 ドアが開かれ、宏和が顔を出す。 「ちょっと、入っていい?」 「あ、すぐ出ます」 口を濯いで洗い終わると、彼とすれ違った。つい後姿を目で追ってしまう。 正直なところ、男の身体に抱きしめられて嬉しかった。ずっと足りなかったぬくもりをもらった心地で、幸せだった。つい恋人の名を呼んでしまったのも、安心感に満たされてしまったからだ。 ……大丈夫かな、この後も。 真幸は自分のことを心配する。 宏和は昨夜、車の中で、真幸の客室に全泊すると言ってくれた。宿泊代のことで押し問答をしたが、お金はいらないとはっきり伝えると、寄ったスーパーで、酒やらつまみやらすべての代金を出してくれた。彼は律儀な面もある。真幸が一人きりで泊まりたくないという気持ちも汲んでくれている。 ……これ以上、ヘンに意識したらダメだ。 彼の親切心にひたひたになって、付け込んでしまってはダメだ。でも、宏和は隆章に似ている。隆章に似ているから惹かれるというより、どう見ても容姿が好みなのだ。 宏和がタオルで顔を拭きながら出てきた。その様子をじっと見つめると、彼と目があった。 「なんか、顔についてる?」 「あ、いや、ぼーっとしてただけです」 考え事をしながら観察してしまったことを恥じ、視線を逸らすと着替えに向かう。服を取り出していると後ろから声がした。 「それで、これから出かけないか? 飯食いに行きがてら」 唐突な提案に振り向いた。何ひとつプランを持たない真幸は、彼の思いつきに賛同する。 「はい。でも、宏和さんの予定は?」 「今日は元々テキトーだったから。このあたりの観光、してないよな? ついでに観て回ろうぜ。あと、一応はぐれたりしたらまずいから、連絡取る用にケータイの番号教えてくれない?」 「……ケータイ」 完全に忘れていた存在のことを言われ、戸惑ったまま立ち上がった。携帯電話は初日の出来事の後、室内のどっかへ押し込んだきりだ。混乱していたときに衝動でやってしまったから、どこにいったかわからない。しかも電源は消している。 向き合った真幸の様子に、宏和が顔を覗き込む。 「もしかして、ケータイ持ってないとか?」 「持ってます。けど……この部屋のどこかにやっちゃって」 「やっちゃってって、失くしたの? 探さないの? 探せばあるってやつ?」 「見たくないというか、電源もオフにしてて、……電話来たら、嫌だから、」 仕方なく白状した。彼が驚いたような表情から、納得にいたったようだ。 「あー、なるほど。じゃあ、俺が探すよ」 そう言うと、タオルをベッドに投げてうろうろと探しはじめた。親切心にあてられ、真幸も衣服を置いた。 「おれも探します」 「宝探しだな! どこらへんにやったか、見当つく?」 「いえ、全然。でも、なんかに押し込んだような……」 「押し込んだ? じゃあ、引き出しとかも見るか」 室内で隠せそうなところを重点的に探す。ベッドの下、ソファの隙間、クローゼット付近。宏和がすべての引き出しに手をかけて探る。沈黙が続いたのち、彼の明るい声が響いた。 「あった! すごいとこに入ってんのな」 しゃがんでいる彼のところに行く。ブランケットの収納スペースからスマートフォンを取り出したところが目に入った。 宏和は屈託なく渡してくるが、真幸にはまだ抵抗感が残る。手元に戻ったところで、電源をつける気にはなれない。 「番号は教えます」 電話番号は諳んじることができるし、記憶が正しければ充電も問題ない。 真幸の声に、宏和は「ちょっと待って」と言って、ポケットから自身のスマートフォンを取り出し、ロックを解除した。番号と名前が登録されると、改めて訊かれた。 「俺のも伝えたいんだけど……電源つけるの、やだ?」 人の気持ちをよく察せられるひとだ。真幸は黙って頷いた。 「じゃ、メモる。財布かなんかに入れておいてくれたら、万が一、何かあっても真幸から俺に連絡できるし」 「……すいません。あと、ありがとう」 彼は無体なことをせず、ホテルに備え付けられているメモ帳に番号を書いてくれた。真幸は綺麗に並んだ数字の羅列を見て、財布に仕舞った。小さなお守りだ。 「先に飯行こう。北部はうまい沖縄そば屋がけっこうあるんだよ。肉ベースとカツオベースどっちがいい?」 くるりと話が戻る。テンポのよさにつられて、素直に「肉ベースがいい」と答えると、「俺もそう思ってた」と微笑んでくれた。すぐに着替えをして部屋を出る。 宏和の運転で三十分、食事処へ着いた。古びた食堂は地元の人が多く、独特なイントネーションの会話が耳に入る。涼しい空調の中でソーキそばとジューシーのセットをいただき、この後行く観光スポットの話をされる。 彼のやさしさにとことん甘えることにして、店を出ると北部で一番有名な城へ向かった。沖縄史にも詳しい宏和は良いガイドで、歴史だけでなく、父親が若い頃城に忍び込んで野外飲み会をしていたという、地元人らしいエピソードも教えてくれる。この土地を身近に感じられる話をされながら、幼い頃よく彼が齧ったというサトウキビのジュースも飲んだ。 宏和のペースにあわせていれば、不思議なくらい嫌なことも忘れられる。 ……観光、やっぱりしたほうがいいなあ。宏和さんは地元に詳しいから、話を聞いてても面白いし。 車に戻ると、次は県随一の水族館へ移動する。会社でも沖縄旅行を知る同僚に一番羨ましがられた場所だ。 館内に入ると、思っていた以上に青く美しい世界が広がっていて、とても見ごたえがあった。観光客は多いが、気にならないくらい好奇心を刺激された。 驚くほど大きい水槽に、ジンベイザメが数匹悠々と泳いでいる。それを眺めながら、沖縄へ旅行に来ている実感は増した。 イルカのショーまでしっかり見回り、併設のカフェで軽く飲み物を飲んで、館内の土産コーナーへ行き着く。真幸の心は南国の開放的な気持ちよさにすっかり包まれていた。素直に楽しいと思える。 土産を買いたいと宏和に言えば、いいよ、終わるまで待つよ、と言ってくれた。安心して会社の皆へ渡す土産を探しはじめる。 まもなく近くで声がした。 「宏和、こんなとこにいるのか」 「辰にーちゃんじゃん。どうしたんだよ? 観光?」 会話がはじまったところへ視線をあわせる。真幸の土産選びを見ていた宏和が、日焼けした男へ顔を向けている。見るからに年上の男は東南アジア人かと思うくらい濃い顔立ちだ。おそらくこの地に住む宏和の親戚だろう。その通り、男が返答する。 「なんで住んでるのに観光するか。働いてる友達に用があったからさー」 「そっか。今日の会は来る?」 「行くよ。オジサンたちは三時からもうやってるって」 「さすがだなあ。俺は六時頃行くから」 「ボクもそんなだな」 話題が変わっていることを真幸は聞き逃さなかった。 ……六時頃から、宏和さんは何かあるのかあ。 少し落胆気味に夜の予定を察する。その横で、宏和が話を続けていた。 「今回は友達も連れて行くよ」 「珍しいな。宏和、トモダチと来てたのか」 「うん。隣にいる、真幸っていうの」 当然のような口調で自分の名前を持ち出され、真幸はハッとするように自分を指さした。 「おれ?」 「そうだよ。真幸以外、誰がいるんだよ」 「キミなのか」 あっさり友達と称したことに驚きながら、話の流れに逆らわず素直に頷いた。 「あ、東原真幸といいます」 名前を伝えると、うまく聞き取れなかったのか男が復唱する。 「ひがし? ばる?」 「ややこしいから、真幸ってまんま呼んでいいよね? このひとは、再従兄の上間辰良。辰にーちゃんって呼んで」 遮って宏和が紹介をはじめ、辰良は愛想よく真幸を見た。 「確かにややこしいなあ。じゃあ、真幸くん、よろしく」 二人して、ややこしい、と言った単語に、少し疑問が残った。 ……ややこしい? おれの名前、ややこしいかな? 普通の名前だと思うが、何かあるのかもしれない。その横ではすっかり話のついた二人が会話を終えていた。宏和が覗き込むように顔を近づける。 「ということで、五時過ぎにはホテルに戻って、うちの飲み会、どう? 親戚のやってる居酒屋貸し切って、飲んだくれのヤツらが集まるんだけど。大丈夫、辰にーちゃんみたいなのばっかりだから」 迷いはなかった。ホテルで一人寂しく待っているよりは、誘いに乗ったほうが数倍楽しい。 「はい、お邪魔になります」 「よし。まだ時間あるから、ゆっくり土産選ぼうぜ」 その言葉に安堵する。土産選びに時間をかけて自動車へ戻ると、運転席に座った彼がおもむろに何かを取り出した。 真幸は渡された小袋を見つめた。水族館の印字がある。 「これ、プレゼント」 真幸が土産を選んでいる間に買ったのだろう。 「あ、ありがとう」 素直に受け取って中を開ける。ジンベイザメのキーホルダーだ。 「気に入らなかったらゴメン。ほら、水槽で見入ってたから気に入ったのかなって」 言った後にすぐ、宏和がハンドルのふちに額を押し付けた。 「待てよ、沖縄なんだから、シーサーにすればよかったか! ジンベイザメって内地にもいるよな? うわ、失敗したー」 包み隠さず反省会をはじめる姿は笑いを誘う。安心させる気持ちを込めて、真幸は嬉しい表情を見せた。 「このジンベイザメ、好きです」 「ほんと? それなら、よかった」 返答ひとつで、コロッと笑顔になる。彼は本当にわかりやすくて、こちらも自然と笑顔になる。 ……戻ったら、家の鍵のキーホルダーと取り替えよう。 真幸はこのプレゼントを大切にしたいと心から思った。ホテルに戻って早速キーホルダーをつけ替える。その間に宏和は親戚に電話をして、ホテルまで迎えに来てくれるよう手配してくれた。 |
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