* モアザンパラダイス【続編/完結。プロッシモ・アベニュー】 * |
沈む太陽の合間で県境の大きな川を渡り、列車は東京の喧騒を引き離した。ボックス席が多く配置された満席の電車内。夕食時を地元で過ごす人々が多いのだろう。 真幸は新鮮味が失われた窓の先を眺め、そうっと息を吐いた。 一時間ほど前、恋人であった隆章との関係にとうとう終止符を打ってきた。高校時代からの友人で、同じ大学に進学してから八年間も付き合ってきた相手だ。もう二度と会わない。隆章も悲しげな表情で頷いてくれた。 物事の発端は隆章だった。男である真幸を愛すると言いながら、結局裏切った。彼は『普通の女性との結婚』選んだのだ。 二人で過ごすはずだったバカンス。先に訪れていた真幸に、電話で突然、女性と結婚するから別れてほしい、と隆章が切り出してきた。最初は信じられず泣くばかりだった真幸も、直後旅行先で知り合った年上の男、宏和に慰められて心を移すようになり、隆章の決めた未来を受け入れた。 保留にしていた決別を、真幸は受け入れるかたちで連絡を入れて三ヶ月。電話ですべてを終わらせるつもりでいたと思っていたが、隆章のほうから最後に一度だけ会いたいと言ってきた。恋人であった以上に親友でもあった相手に、彼のほうは多少未練があったようだ。真幸もだいぶ悩んだが、吹っ切れるために会うことを承諾した。 ……会うまでに時間がかかったけど。あっちが結婚してから会うように決めててよかった。 真幸にはすでに新たな恋人がいて、一切未練も悲しみもない。でも、別れのイベントを終えて、このまま家に帰って一人になりたくなかった。思い出の多い都内も居心地が悪い。 それに、今は過去から脱出できる理由をもっているのだ。 プラットホームに停まった列車がドアを開ける。それを数度繰り返した後、真幸は大きな駅で降車した。階段を上がってデパ地下のような改札内を歩くと、焼き菓子が眼に留まった。今夜は泊まりだ。デザート代わりにホールで買い、駅の西口を出て覚えた道を歩いていく。外灯が点在する通りの一本向こう。 恋人が住んでいるのは、このマンションの二階だ。 インターホンを押す。列車へ乗る前に連絡したとおり、宏和がすぐにドアを開けてくれた。 「よ、おかえり」 事情を知っている現恋人の柔らかい笑みに、真幸の心も和らいだ。宏和は経緯もよく知っている。そもそも旅行先で隆章の裏切りに大きく傷ついたところを、彼が救ってくれたのだ。まだ一緒に住んでいるわけではないが、時間が会えば真幸のほうから彼に会いに行っている。 「ただいま」 部屋へ招く彼につられて口にすれば、ようやく肩の荷が下りたような気分になった。改めて宏和のもとがホームなのだと実感する。男の部屋のわりに片付いている1DK。居心地が良いから、真幸は自宅に呼ぶよりこの部屋に行くことを選んでしまう。 「飯すぐ食えるよ。どうする?」 マメな彼らしく、テーブルを見ると鍋や具材が揃っていた。アウトドアな気質らしく簡易コンロも鍋の下に敷かれて、テンションも上がってくる。隆章が選んだ、接待で使われるような飲食店の個室と全然違う。でも、真幸は宏和のやり方のほうが好きだった。 「うん、ご飯にしよう。用意ありがと」 気持ちを伝えると彼が嬉しそうな表情をする。 「まだちょっとやることあるけど。すぐできるから。ビール飲むか?」 「うん、オレも手伝うよ」 上着を脱いで荷物を降ろす。「いいよ、座ってて」と返した宏和も、言うことを聞かない真幸にそれ以上何も言わない。鍋奉行をはじめる彼の代わりに飲み物の用意する。じっとしていると余計なことばかり考えそうなのだ。楽しい気持ちで乾杯がしたかった。 「野菜は時間がかかるけど、肉はすぐに食べられるから。乾杯しようぜ」 明るい調子の宏和につられてビールのロング缶を開けて、言葉通り乾杯した。 味噌味の鍋は市販のものだと言われたが、肌寒さを感じはじめたこの時期にマッチしている。長い昼食で隆章に奢ってもらった料理のほうが質も技巧も上だが、こちらのほうが美味しいと思えた。具材をテキパキ鍋の中へ入れていく宏和に、出来上がったものをよそってもらう。 「肉、たくさん買ってきたから。食いたいだけつくってやるからな」 甲斐甲斐しい彼に大きく頷いて、味が染みた肉を口にする。いつもならば会話しながらだらだらと夕飯を共にするのだけれど、真幸は食べることに徹した。 宏和がわざわざ自分のために用意してくれたのだ。全部食べたい。 「ちょっとペース速くないか? あんまり無理すんなよ」 黙々と食べている真幸の様子に気づいたのか、宏和が心配そうに向かい側から顔を覗いてきた。宏和の気遣いは隆章と違う。愛し方も違う。そして真幸にも、二人に対してそれぞれの想いがある。 恋人の目の前で、元恋人のことなんて表に出したくない。 けれど、涙がこぼれ落ちた。あまりに自然に出てしまったことに、真幸自身も驚いたが、宏和のほうはさらに驚いたようだ。 「あ、ごめん! 気に障ったりしたらごめん」 どうして泣いたのかを問わず、逆に謝ってきた。 真幸は首を振って返す。 「ごめん。ご飯、美味しいよ」 彼は真幸が元恋人と決別の話をしに行ったことを理解してくれている。隆章と最後に一度会うことを宏和にも事前に相談していたからだ。『お互いのために、してきたほうがいいと思うよ』と、彼が許してくれなかったら隆章と会うことはなかっただろう。 宏和はやさしいのだ。隆章と会った後だというのに、いつもどおり。一方で真幸は、元彼と別れたことて泣いてしまっている。情けなくてますます涙がこぼれた。泣きながらお椀の中を平らげる。おかわりを渡そうとする前に、宏和が回りこんで隣に座った。 お椀を取り上げられて抱き締められる。髪を撫でられると、抑えていたものが一気に溢れた。彼は何も言わず胸の中で泣かせてくれた。 隆章とよりを戻したいわけではない。でも、彼は友人でもあった。高校時代からの思い出が多すぎた。記憶、想い、すべてを弔うなんて簡単にできない。 泣くだけ泣いて、ゆっくり息をする。 「ごめんね。オレ、弱い」 変な声だけれどはっきり宏和に伝える。ぽんぽんと頭を撫でた彼は真面目な口調で返してきた。 「真幸は別に弱くないよ。こういう日は、しょうがねえじゃん。ぶちまけるほうが楽になるんだって。それに、一人でコソコソ泣かれるよりこうしてくれたほうが俺も楽だよ。……まあでも、遅いなあ、揉めてんのかなあって心配した」 素直な気持ちも隠さず言ってくれて、真幸もホッとした。宏和がお人よしなだけの男ではないと知っている。 「うん……ちょっと長引いた」 「もうここに来ないってこともあんのかなって。やっぱり尾行でもして、なんかあったら殴りこみして真幸引っ張って連れて帰ろうかなとか」 明確な独占欲は嬉しい。隆章がそういう感情を出してこなかったぶん、ヤキモチがないのは不安になるのだ。 「今はもう、安心してる。ここに来たってことは、これで真幸は完全に俺を選んでくれたってことだから」 ゆるぎない想いにハッとして顔を見る。彼は微笑んでいた。 「過去は変えられないもんだしさ。……そいつと、良い思い出もあったんだろ」 包み込んですべてを肯定してくれる言葉。沈静しかけていた感情が浮き上がる。 「俺とはそれ以上の思い出、つくろうよ」 頷くと、堪え切れず涙がまたこぼれた。それを、やさしくくちびるですくってくれる。 「も、オレ、あま、えて、る」 嗚咽を殺しながら言えば、宏和がすぐに答えた。 「カレシに甘えるなんて、普通じゃねえか」 「オ、レにも、甘え、ていい、から、」 「うん。あとでいっぱい、そうする」 大人とみせかけて途端に子どものような口ぶりになった恋人に、真幸も涙を一瞬止め、たまらずクスッと笑って見せた。 *** 「あ、……あ、あ、あ、ンっ、あ、あぁっ!」 敏感な身体をふるわせながら、宏和の律動を受け止める。いつもより容赦ない腰使いは、ぱちゅぱちゅと立つ音を大きくして聴覚も刺激した。 「いっ、く、あっ、あっ」 「イッて、顔、見せて、」 「ぅん、あ、あ、っん! ああ!」 激しいまま、促すように声と指を使われて瞬く間に精が吐き出された。宏和は緩む下肢を引き寄せて掲げ、さらに大きく穿つ。細い真幸は抵抗なく彼の動きに従った。 「あ、っあ、っあ、ん!」 射精感とは違う快楽に支配されたまま、何度も出し入れされて男の体液を注がれる。力強い熱は慣れていても肌を跳ね上げさせた。 長い余韻の後で、宏和が身を抜いた。こぼれるものを指で掻き出されて前にある性器が名残惜しく芯をもつ。隠そうとしたけれど恋人はすぐに気づいてしまって、抵抗できない状態で再度抜かれてしまった。 「あ、……はあ、……ん、はあ、」 勃起して射精するまでを組み敷きながら見れた宏和は満足そうだ。肩で大きく呼吸する耳元で「後で、もっとな」と続きを示唆され、潤んだ瞳が動いた。くちびるが重なる。 粘膜が溶け合うような長いキス。それが離れ、真幸は欲しがる気持ちのままで彼のくちびるを見つめた。 しかし、お腹は別のものを欲しがっていたようだ。 グルグルと音が鳴り、劣情にまみれた意識がパチンとはじけた。宏和も同じだったようで真幸のお腹に視線を向け、笑い出す。セックスするよりも恥ずかしくなって顔を背けるしかなかった。 「真幸が買ってきた焼き菓子食おう? 飲みもんのも用意するよ」 「うん」 切り替えの良い彼につられて、一時休憩だ。ベッドで離れていく宏和の裸体を見ながら、ふと大きく心が変化したことに気づく。 ……宏和と生きていきたい。ずっと、ずっと。 自然と心の底からかたちになった言葉。彼がベッドに戻ってきたら、言おうと思う。 真幸はシーツを掴んで口元を自然と綻ばせた。 |
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