* 四季のエクストラ【短編「PIECE OF CAKE」】 *


「あーもー、終わらねえなあー」
 滞在用の一室としてあてがわれた客間で、陽介はブツブツと呟きながらキーボードをリズミカルに打ち続けていた。
 大学内の人づてでやってきた、日本語の論文を英訳する簡単なアルバイトだ。内容は高度じゃないから余裕だよ、と言われ、専門用語の一覧表とともに引き受けた。が、しばしば知らない日本語の単語に引っかかる。案の定、打つ手はまた眼でなぞった単語の前で止まった。
「これは一覧にも載ってないから、調べないとわかんねーな」
 隣に置いていたスマートフォンで、初見の単語を検索する。
「学術用語をあんまり使ってないって言ってたけど、けっこうあるじゃんかよー」
 溜息をついて単語の意味と使い方を確認し、ぱちぱちと手元で音を鳴らす。英語が大の得意である陽介にとって、日本語を英語に変換するのはそれほど大変なことではない。しかし、小難しい単語を使われると骨が折れるのだ。
「もう二度と論文の英訳依頼はしねえぞ」
 ぶつぶつ呟きながらも、枚数は半分まできていた。朝起きて恋人のつくってくれた食事をいただいた後、ずっと部屋に籠もっていたのだ。集中している分だけ早く終わらせたい。
 ……終われば、下にいる仁のそばに行けるし。夜はバイトが入ってて、頼も帰ってくるだろうから、シタいことは今のうちにヤッておかねえと。
 邪まな想いも混ざっているが、一階で気ままな休日を送っている恋人の笹丸仁のもとへ行きたいのは当然のことだ。事情があってほぼ仁の一軒家に住みついてしまっている陽介だが、人一倍アルバイトをしているせいで暇が少ない。しかも、仁の弟である頼は現在大学入試の真っ只中。年が明けてから、頼が生活の中心になっている。
 ……来月になれば国立の入試も終わるし。大学がはじまるまで頼も家にいるだろうし。
 付き合いはじめて四ヶ月目。友人としての期間もそれなりに長かったが、出逢って比較的早い段階で仁への恋心に気づいて、押すべきか現状維持に徹するか悩みながら仁の家に半居候していた。仁が、まさか自分のことを恋愛感情込みで接してくれるとは思ってもいなかったのだ。告白する場を彼がつくってくれて、陽介の想いを受け入れてくれたのは本当に最高に嬉しかった。
 でも、淡白な仁の感情がプラトニックなのか肉体関係込みなのかは見極めがついていなかった。彼との初体験が出来たのは、付き合ってから一ヵ月半後。仁の誕生日を独占して決行したドライブデートの帰りだった。逆プレゼントをもらってしまった気分で、完全に浮かれたまま年末と新年を迎えた。
 ……あーもー早く触りたい。この内職のせいで貴重な俺の憩いのひと時が!
 自分で引き受けておきながら悪態をついてキーボードを両手で叩く。スマートフォンのようにPCは予測変換してくれないから、アルファベットを細々打つのが本当に億劫だ。
「訳はするから、脳内に浮かんだの英文そのまんま画面に反映されてほしいわー仁の研究でそんなんしてないかなー誰か早くつくってー」
 理系の大学に通う仁に嘆く中でも、脳内で英訳は自動的にあらわれる。周囲にも『陽介は英語が得意っていうより、元々日本語より英語のほうが適性があったんじゃないか』と言われているほどだ。陽介自身は最初からこなれていた言語について得意な意識も薄い。英語は本気でがんばれば誰だってできると思っているせいだ。一方、物理が得意な仁は心の底から尊敬していた。理系学科はどれだけがんばっても、脳の構造が最初から違うのか陽介には全然わからず、高校でも悲惨な点ばかり取っていたのだ。
「げっ!」
 脱線する思考と英訳する頭脳と、反映させている両指が一斉に止まった。おそるおそる人差し指で無難なキーをパチパチと叩く。ノートPCの画面は動かない。
「やばい、かたまっちゃった! うわ、保存、半分してねーのに!」
 全力で進めていたものの半分が失われる恐怖がまたたく間に陽介を包み込んだ。背筋が冷え冷えするなか、もう一度キーを叩く。やはり動かない。
「これ、やばすぎる」
 真っ青な顔で、PCを前にかたまった。
 ざっくり訳するだけでいいと言われているから、スペルチェックもしないで残り二時間がんばればいいと見積もっていた。その後は仁とイチャイチャするつもりだったが、このままでは一時間巻き戻しになるか最悪一からやり直しになりかねない。デジタル関係に弱いせいで、余計不安が増す。
「わーどうしよう!」
 ノートPCを持って立ち上がる。処置はひとつしか考えられなかった。コンセントを引っこ抜いて部屋を出る。一階にバタバタと駆け下りると、ソファ座っていた仁はすぐに気づいたらしい。読み物から眼を離して陽介を見た。
「どうしたんだよ」
 リビングでサイエイス系の雑誌をのんびり眺めていたようだ。暇そうな彼に半べそをかきながら、ソファに回り込んで両膝をついた。
「仁さまお願い、PCおかしくなっちゃった! 直して頼む! でないと俺のがんばり全部パーになっちゃう!」
「え? 壊したの?」
 パニックを起こしたような陽介に、呆れを隠さずPCを手に取った。
「壊れたのかもわかんない。俺ヘンなとこは触ってないよ。パッパッパーってキーボード打ってただけだもん!」
「なら、ちょっと不具合起こしただけじゃないの」
「ほんと? そんな感じ? 大丈夫? 俺のがんばり消えない?」
「ちょっと待って。どうなってるか見るから」
「早く、早く、どう? どう?」
「陽介、少し黙れ」
 PCの外仕様を見ていた仁にぴしゃりと言われ、陽介はしゅんとして床に正座した。膝に置いて状態を見ていた仁の手が動く。何をしているかわからないが、キーボードをいくつか叩いているから、反応はしているのだろう。
 一〇分も経たず、仁が陽介を見下ろした。
「元に戻ったよ。中身も消えてない」
 何でもないかのような言い方だったが、陽介には救世主のお言葉だった。PCを渡され、感動したまま仁を見た。
「わ、ほんとだ。仁ありがとー、天才! 大好き!」
「おまえはおおげさなんだよ」
 苦笑する仁の表情に、愛情が籠もっているのが垣間見えた。
「すぐPC扱うと、またわたわたするだろうから落ち着けよ」
「うん」
 かかさずテーブルにPCを避難させて、同じソファへ乗り込む。遠慮なくくっつくとすっかり慣れている仁は、掴んだ陽介の手を振りほどくこともない。
「手が冷たいけど。なんか飲む?」
 逆に労わってくれているのが嬉しくて、ついつい甘えが口に出た。
「飲みたい。日本茶系で」
「じゃ、玄米茶にしようか」
 仁が用意するということは場を離れることだと気づいたが、大人しく手を離した。キッチンに向かう彼を眺める。仁の両親は海外赴任中で、夏休みと年末年始くらいしか帰国して来ない。仁が大学卒業するまで親は帰ってこないそうで、実質彼が主だ。陽介も合鍵をもらい、好きにさせてもらっている。
 ……キッチンに立つ恋人の後姿。っていうアングル、たまんないよなー。
 惚れ惚れと見つめながら、本日の憩いの時間を算段する。頼の帰宅時間も気になるところだ。
「頼、次の試験いつって?」
「明後日。次は滑り止めだから大丈夫だろ」
「でも、大変だろうし。なんか買ってきてやるかー」
 仁がてきぱきと一昨日陽介が買ってきた芋羊羹の残りを用意しているのが見えていた。洒落た和洋菓子を買ってくるのが陽介の癖になりつつある。今夜もアルバイト先で、スイーツ好きの先輩女子に良い店を聞こうと思っているくらいだ。
「いいよ、そんな気遣わなくても」
 こぽこぽと急須から二つの湯のみにお茶をいれ、トレーで持ってくる。仁に湯のみをもらうと、そっと寄り添う。熱い玄米茶から香ばしいにおいがした。
 やけどしないように飲んで、仁の肩に顔を乗せた。
「肩に乗るなよ」
 芋羊羹を切る手がとまる。
「んー、」
「飲んだらPC持って戻っていいよ。お金が発生してるんだろ、それ」
「そうなんだけど」
「……部屋寒い? 暖房がんがん使っていいからな。はい」
 長方形の一口サイズに切った仁が、フォークを持たせてくる。陽介は「うん」と頷いて、促されるまま羊羹を口に放り込んだ。やさしい甘さがホッとさせる。頼はもっと甘くて良いと言っていたが、日本茶にはこのくらいがちょうどいい。
「それで、頼、いつ帰ってくる?」
 同じようにもぐもぐと和菓子を食べる仁は、陽介の意図がわかっていないようだ。
「夕飯食べてくるって言ってたから、おまえがバイトに行った後じゃないか」
「マジ? やったじゃん」
 もらった回答に本音が漏れる。すぐに仁は気づいたようだ。照れたような何とも言えない表情になって、視線を落とした。
「あ、ごめん」
 今まで彼から下ネタを一度も聞いたことはなかったとおり、仁は男には珍しく下のことにちょっとした抵抗があるらしい。露骨すぎたことを謝れば、しょうがないよな、と言わんばかりの視線がやってきた。
「わかりやすいよな、ほんと」
「うう」
 唸ることしかできないが、陽介は元々旺盛なほうだ。今までの恋人にはわりと積極的にセックスへ持ち込んでいた。でも、仁にはそれができない。『好き・やりたい』より、『嫌われたくない』が一番にくるからだ。
「元々チャラいけど。ますますわかりやすくなったよ、おまえ」
 陽介の女性遍歴を知っている仁も、陽介の性質をある程度理解してくれている。
「……ダメ?」
 チャラ男なりにも頑張っているのだ、と固持するように上目遣いで彼を見た。
「ダメ?」
 もう一度、念押すように訊ねる。仁の顔を見て、嫌がっていないことは見抜いていた。数秒の間をおき、思ったとおり彼がゆっくり瞬きした。
「わかったよ。ちょっと準備してくる」
「わーい。手伝う。仁大好き」
 湯のみを置いて抱きつく。しかし、仁の眼は鋭くなった。
「いや、おまえはそれ、進められるだけ進めとけよ」
 理性的な一言に、性欲を封じられた感じがして「えっ!」と陽介が口元を曲げる。そういう気分ではないのだ。
「えーもういいよーバイトから帰ってから死ぬ気でするから」
 仁の裸体に触れて繋がりたい一心を言葉にする。しかし、仁はほだされなかった。
「じゃ、オレももういいよ。しない」
 ばっさり言い切られて、このたび二度目の血の気が引いた。仁が『しない』と言ったらできないのだ。無理やり強引に、なんて絶対に嫌われるからできっこない。
「待って待って待って、やる、やります。ちゃんとします」
 平伏さんばかりに訴える。陽介の言葉を信用してくれたようで、恋人は軽やかに頷いた。
「したら、準備できたら呼ぶよ」
 立ち上がる仁を見上げると、彼が見返してくれる。
「がんばれよ」
「あい!」
 元気よく敬礼のポーズを取る。途端に、仁がプッとおかしそうに吹き出した。


 **************************


「いい? ゆっくりするから」
 組み敷いた愛しい身体を開かせて、陽介は繋がる悦びにかすかな心配をにじませた。
「ん、大丈夫」
 応えたとおり仁は長い前戯に緊張していた身体をほどいている。しかし、挿入にはいるとまた変わる。表面的な愛撫とはわけが違うからだ。
「辛かったらストップ言ってね」
 毎度断りを入れて、指で整えた窄まりに自分の熱をあてがった。妙な高揚感で突っ走りそうになるのを抑えつつ挿入するなんて、仁にしかしたことがない。
「っん、……ぅ、ん……ん……ん」
 ゆっくりゆっくり身体を進める。最初のときから痛みはなかったようだが、異物感がすごいと聞いていた。同じ男の身体、無理をさせているのは自分に置き換えてみてもよくわかるから慎重になるのだ。
「……どう?」
「っん、うん」
 暴発しないように息を殺して訊ねる。の表情も苦しそうではない。
 案外スムーズに奥へ辿り着けた。仁が『準備』をしてくれるおかげだ。初体験の前に、陽介よりも彼自身のほうが真剣にリサーチしたそうで、実際コトが済んで仁に感謝した。女性経験が豊富でも、このことに関しては仁ともども初心者なのだ。
「動いてよさげ?」
「すこし、まって」
 仁が小さく返す。瞼を伏せて息を整える姿を見つめて待つ。繋がっている箇所は柔らかい体温に包まれていて、彼とひとつになっていることを教えてくれる。動かさなくても意識は集中する。
「も、ようすけ、」
 数ミリの膨張でも察したのか、照れの混じった声が漏れた。たまらず上半身を倒して、仁のくちびるを探す。触れるだけのキスに仁は瞼を開いた。間近の瞳にかすかな欲を見とめる。さらにくちづけると、深さはすぐに増した。
 彼の腕が伸びた。陽介の背に回ってキスが続く。少しずつ腰を揺らせば、ヒクッヒクッと下肢と肩がふるえる。
「んっ……ふ、……ん、ん、あっ」
 くちびるが離れたと同時に甘い声がこぼれた。陽介はそれを掬い、顔を上げて律動する。
「ぅ、あ……ん、あ、っん! っ、あ!」
 本格的な出し入れを、仁は陽介の腕を掴んで受け入れた。耐えるというよりも、ちゃんと感じているようにみえて、陽介もリミッターを外す。傷つけないように頭の隅で祈りながら、想いを突き動かした。
「っん、あ、あ、ぁああっ」
 ビクビクふるえる身体を押さえて、大きくグラインドすれば仁の身体がしなる。ゆるく勃ったものを愛撫して、一気に駆け上がった。
 はじけた感覚はほぼ一緒だったようだ。射精感とともに折り重なる。体重をかけて密着する陽介を、仁は払うことはなかった。大きく息をする胸の動きと鼓動。
 キスをすれば、彼が微笑んだ。
「……もう少し、慣れたいな」
「えっ!」
 唐突な言葉に驚いて身体を起こす。
「それって、もっとしたいってこと!?!!」
 陽介が訊き直すと、仁も台詞の意味を思い返したらしい。
「……あ、そうだね。そんな感じになるか」
 途端に照れた表情になる。それは陽介にとって、願ってもないことだ。
「ちょっと無理してんのかなって、気になってたとこあって」
 隠していた真情を吐露すると、彼も陽介の気持ちを察して、手を伸ばした。近づければ胸に触れてくる。
「気にしてたのか、ごめん。そんなことはないよ。というか、好きじゃなきゃできないから」
 さりげない告白に、性欲とは違う別の熱があふれてくる。
「うん、仁好き……も一回、していい?」
 好きな気持ちを仁の身体いっぱいに教えてつないで届けたい。しかし、そこまでの感情は仁に伝えらなかったようだ。
「……ほんと、おまえは、」
 エッチ好きの野郎だな、と言わんばかりの表情になった。でも彼はやさしい。いいよという代わりに、頭をポンポンと撫でてくる。
 だからこそ、好きな想いと気持ちよさを更新しよう、と陽介は今まで以上に時間をかけて仁にくちづけた。




... back