* 水曜日【第1話】 * |
五時間目の授業開始を知らせるチャイムが鳴った。 食堂に隣接する男子トイレから夏紀が出ると、ガラスの壁を一面に用いた空間は、すでにガランとしていた。数分前まで生徒たちのしゃべり声で溢れていたのは嘘のようだ。テーブルをひとつひとつ拭いているエプロン姿の従業員と、一面のガラスに下げられた白いブラインド。日光はいまだ強く、放課後になるまで外の景色は隠されたままとなるのだろう。 ここは、栖鳳学園で一番デザインが凝らされたフロアであった。建物にあわせた縦長のつくりで、奥が中等部用、手前が高等部用となっている。以前の学生食堂は病院の飲食スペースとあまり変わらない殺風景なもので、提供されるメニューも味気なかった。改築の際にすべて一新されて、このように明るく清潔なフロアに生まれ変わったのだ。今では、知識を詰め込まされるだけの教室を離れてリフレッシュするには格好のスポットだ。放課後はお洒落な自習ルームへと変貌する。 だが、浅宮夏紀にとって、ここがどう変わろうとあくまで食事の場でしかなかった。腹ごなしができればどうでもよく、味もそこまで気にしていない。むしろ、以前に比べて利用者が増えたために、四時間目終了後すぐにここへ向かわなければならなくなったのだから、余計面倒になったくらいだ。 彼はがらんどうの食堂に一瞥すると、階段そばの自動販売機に足を向けた。手持ち無沙汰になにか買おうと思って並ぶ商品を眺めてみたが、どうにも味付きの飲料を飲む気になれない。結局止めにして、その先にある階段をゆっくりのぼっていった。 もう五時間目がはじまっている。踊り場の窓からは、グラウンドの整列する生徒たちがチラチラと見える。体育の授業をしているのは下級生だろう。高三の五、六時間目は受験に特化した選択授業になっていて、全員教室に籠もっている時間である。 夏紀は気にも留めず三年生の教室が並ぶ三階を越していった。堂々と授業をエスケープする彼の姿を、ここでは誰も咎めない。「じゃあまた、教室で、」なんて言いながら、友人たちは夏紀が当分戻ってこないことを知っているのだ。 食堂では携帯電話を表立って使えないため、昼休みをともにしたクラスの友人たちは毎度のように授業開始一〇分前には食堂から身を離していた。今は散り散りになって選択した授業を受けている。夏紀は友人たちのように携帯電話を触っていないと気が済まない人種ではない。むしろ今日にかぎっては朝から電源を落としたきりだ。見たくもない。 最上階にあがるまでに二人の教師とすれ違ったが、いつもどおり特になにも言われなかった。一年生の教室が連なる廊下に着くと、教室とは反対側の閑散としたほうへ長い脚を向ける。突き当たりには資料室があった。その脇には少し幅の狭い階段が設置されている。そこからさらに上階へあがれば、夏紀の目的地である屋上となる。 幻聴のように廊下でさざめく声や紙ずれの音。それが一年の授業でも三年の内容でも、夏紀には興味のない代物だった。勉強が嫌いなわけではない。ただ彼にとっては、もうわかりきっている事柄ばかりなのだ。 とうにわかりきった知識や設問について延々と解答していく授業はもう六年目になって、教師の話を聞くのも書き残すのもほとほと飽きてきていた。ああいうのは勉強のできないやつらだけが聞けばいい話であって、夏紀のように教科書と問題集を手渡しておけば応用までこなせてしまう類の人間には退屈なだけだ。勉強をしなければならないのであれば、もっと別のものしたい。 いつも夏紀は心の中でそんな不平を募らせていたが、それを口外することは決してなかった。ここは栖鳳学園という伝統のある私立校で、難関大学へ行くことが当然とされる中高一貫の男子校だ。夏紀が単純にその学校のレベルから抜きん出た学力を持っているだけなのであって、中学、高校と同じ敷地でカリキュラムを均一にこなしていくのは学校側からして当然のことであり、様変わりするにも限度があった。 本日午前中の夏紀は、仕方なく暇つぶしに自分で用意した問題集の穴を埋めていた。胸クソ悪い気持ちをスマートに隠して、優等生らしく先生に試された問いだけを諳んじた。これでちゃんと学校の意向に添ったわけだから、残り五、六時間目くらいは自分の好きに時間を使っていいだろう。 資料室の横に着いて、暗渠のようにひっそりした階段を見上げる。ドアの上部から洩れる光を目指して、夏紀は最初の段差を踏みしめた。 これが水曜日でなければ、回れ右で改札口のほうをくぐっていた。夏紀はつくづくそう思う。 それこそ、今日は学校の門をくぐっただけでも十分に偉いと褒められる日だった。現に目撃していた友人の一人には「おまえ、あんなことされて、よく帰んなかったな」と、感心された。 今朝、駅前で一応付き合っていた女に殴られた。サユリという年上の女子大生で、いつも清楚な服を着て、デートに誘うといつも大人しくついてくるような女だった。「一応」という言葉がついてしまうのは、そういう女が他にもう一人いたからだ。もう一人の彼女はリナと言ってバレーボール部の部長をしているような快活な性格で、近隣高の同級生だった。このリナには、先週のゴールデンウィーク中にSNSで別れを告げられている。理由は浮気と大学受験に専念したいから、ということだった。 浮気もなにも、夏紀は最初からリナとサユリで二股をかけていた。双方タイプが全然違っていたので両立できたし、どちらも気に入っていたのだ。リナからの別れは少し残念だったが、静かな別れを甘んじて受け入れた。ただ「浮気」という単語に少しばかり引っかかっていたのは確かだ。 女の情報網と勘を侮ってはいけない。今回得た教訓は、昼休みの話題での結論である。 今朝サユリに殴られたのも、まさにこの「浮気」にあった。彼女は改札前で夏紀をずっと待ちぶせていたらしい。当然なにも知らない夏紀は、声をかけられた驚きのまま腕を引っ張られ、怒りの形相で別れを告げられた。そんなことをするような女だとは思っていなかったから、夏紀もとっさのことで弁解のしようもなく、一方的にバッグで殴られた置き去りにされた。 どこからその情報が洩れたのか、夏紀にはいまだ謎だ。しかし、サユリはもっと慎重に動くべきだったろう。ゴールデンウィークを過ぎてから、彼女は事実上、夏紀の唯一の恋人になっていたのだ。その立場を本来望んでいたはずの彼女は結局そのことを知らないまま、どこからか二股をかけられていたという古い情報を聞きつけて鵜呑みにし、別れを押し付けた。夏紀にサユリを追う気力は一切起こらなかった。 そもそも夏紀は、ステディと呼べる人間を一度もつくったことがない。女はどれも遊び対象でしかないのだ。目撃していた友人の柏木には、女遊びにくれぐれも気をつけろよ、と忠告されたものの、サユリの「あんたは最低のバカ」発言には夏紀と同様の意見であった。サユリが夏紀たちに比べて学力や機知の点で劣るのは明白だったからだ。第一、遊びを本気にとらえたほうが悪い。生活圏を踏み荒らす時点で、こちらから願い下げだ。 おかげで朝から大変気分が悪くなった。しかし、こうしたつまらない女ごときのことで、わざわざ高校の最寄り駅まで来た労力を翻して、また帰路に着く気にはなれなかった。それに今日はとても大切な用件がある。 屋上へ続くドアを開けると、五月晴れの青空がすがすがしく一面に広がっていた。涼しい風が、朝からの鬱積をゆっくり剥いでいく。雨だったら、それもまた帰宅していただろうな、と、夏紀は空を眺めた。 だからと言って、あの広いだけの陰鬱な家にいるのも嫌だ。休日の暇つぶし方を考えると、人生まで途端につまらなく感じる。だから、女が必要だった。友人たちはすっかり受験モードに切り替わっていて、夏紀のようになにをさせても満点を叩き出す人間とは休日まで一緒にいたくないようでもある。 ……今週末の模試の後で、また都合の良い女がいそうなスポットへ繰り出すか。 そう思いながら、出入り口の日陰に立ち止まっていた夏紀は、眩しい地面につま先を差し出した。やがてダークブラウンに染めた髪へ光が滑る。 屋上へ上がってくる連中は、授業中どころか休憩中でもほとんどいない。ここは本来立ち入りが許可されていない場所であるし、この学校に通う生徒は基本的に品行方正なのだ。夏紀のように髪を染めている生徒はほとんどおらず、遅刻魔はいても好んで授業をサボる者はいない。ついで彼女持ちの生徒も割に少ない。 夏紀はその点、学力的にも素行的にも規格外だった。彼が私服のときは言い寄る女たちも高校生と気づかず近づく。まして育ちの良い子が集まる名門校の生徒だと思いはしない。手足が長く清潔感のある服装もラフな恰好も似合う容姿で、バスケットボール部だったという話をすると全員が納得する素振りを見せた。頭と容貌が良くスポーツもできるとなると、女性のアプローチだけでなく男からのやっかみも少しは出てくるが、夏紀本人からすればすべて生まれ持った当然のものだ。逆にどこかそうした自分をつまらなく感じていた。大体、この学校に入ったのも親の意向だ。最初からレールが敷かれている。 ただ、テストや模試の点数さえよければ、多少の校則違反に目をつぶってくれるこの学園は、まだ通う価値があった。消去法でも自宅にいるよりか百倍よかった。五年以上通っているところでそれなりに親しい友人もいて、暇を潰すのに余計な頭を使わなくていいし、教養レベルも同じくらいだから話していて苦痛にならない。夏紀の抜群に良い成績を最難関大学受験の合格実績につなげる約束さえしていれば、学校として特に問題はないのだ。教師たちもその打算があってか彼の素行に文句を言わず、むしろ腫れ物に触るような扱いをしてくれる。夏紀も大人の事情をうまく利用していた。 コンクリートを熱する太陽が、少しずつ西へ移動する。学校周辺はマンションなどが集まる比較的低層の住宅地になっていて、新校舎の屋上より高い階層の建物がない。おかげで見晴らしはとてもよかった。初夏前の風は心地よい程度に涼しくそよいでいる。 眩しさに目を細めた夏紀は、空を眺めたついでに真っ直ぐ遠くへ視線を投げた。都心の摩天楼が寄せ集まってそびえている。あの中に、父の経営する大企業が埋もれているはずである。 ……くだらない。 夏紀は嫌な気分を払拭するようにブレザーのポケットに両手を突っ込んで、その反対側に備え付けられた柵の角付近へ近づいた。ルートがあらかじめ設定されているような人生の中で、暇つぶしの享楽を探すような毎日。その中で、夏紀は先月から屋上へあがる楽しみを見つけていた。今朝、駅前で二股をかけていた女に罵られるという胸クソ悪い思いを受けても学園へ大人しく足を向けたのは、迷いもなく屋上へ行く必要があったからだ。 日光を反射して白く光るコンクリート面を歩き、鉄製の柵に手をかける。色彩豊かな外界を見下ろして、かたちのよいくちびるから大きな息を吐き出した。柔らかな風が肌を撫でる。いつもは不快に感じるきつい太陽光線も、このときだけはどうでもいいと思える。 夏紀は、先週と同じような展開を確信していた。 この約一ヶ月、四回も同じ曜日の同時刻に同じことが起こっているのだ。期待ではなく「確信」になる。 彼の眼下には、中層階のマンションが同じかたちで三棟建っていた。どれも夏紀の立つ校舎より少し低く、玄関ドアがこちらに整列している。高校からマンションを見ても、プライバシーは守られるつくりだ。夏紀がなんとなく焦点をあわせると、地上から見て道を二本分隔てたマンションの最上階から、ちょうど人があらわれた。 共有廊下を渡っているのは女性だ。足が止まる。あちらも屋上に立つ高校生を見つけたらしい。遠くからでも怪訝そうに、首を動かしたのが見えた。夏紀の存在を疑っているようでもある。彼女には受け入れがたかったのだろう。授業が行なわれている時間に学生が屋上にいることくらい、素行の悪い生徒がいれば異様なことではないが、夏紀のいる栖鳳学園は躾の良い名門の進学校だった。学力と財力がないと入れない子息たちが集まる男子校なのだ。その女性も栖鳳学園の校風を知っていたからこそ、生徒がサボっている様子は特異に見えたのだろう。 この学校へ通っているからといって、生徒個人の素行を他所の人間に咎められる権利はない。夏紀は女性の不躾な視線を目で剥いだ。三棟のマンションから首を傾け、気を取り直すように今こよなく興味が注がれているところへ瞳をあわせる。 そこには、もうひとつ灰色の五階建てマンションがあった。このマンションは他と違って、共有廊下ではなくバルコニー面が校舎と向かい合っている。ギリギリのところで校舎窓との対面を逃れ、プライバシーが保たれていた。道を間に挟んで学校と重なっていないこともあり、一見すれば日当たりのよさそうな物件である。角部屋のバルコニー面積はそこそこ広く、ファミリー向けのマンションであることがうかがえる。 校舎内で普通に生活していれば、夏紀もこのマンションに関心を持つことはなかっただろう。しかし、夏紀は先月このマンションのある一室だけ、室内がよく見えることを発見していた。学校に最も近く寄っている角部屋の数階分が、屋上の立ち位置によってバルコニーの中から窓の先まで見えてしまうのだ。 それは肉眼でも人の動きがぎりぎり見える距離だった。特に夏紀は視力がとてもいい。光の加減によるが、カーテンが引かれていなければ家の内部もある程度探れてしまう。はじめ、それに気づいたときは何度も立ち位置と部屋の見え方を確認した。 夏紀は、今日もはじめに最上階の部屋をチラと見た。少し立ち位置がずれると、斜めの角度で部屋の内部が見えなくなってしまうが、ここで大丈夫のようだ。ブレザーのポケットには、一応目薬を入れている。目がかすんでいたり調子が悪かったりすると屋上での楽しみは半減してしまう。 彼は視線をさらに下へ落とした。三階部分は、バルコニーの中しか見えず、ガーデニングを趣味にしているのか相変わらずたくさんのプラントが置かれ、緑を茂らせていた。平日のせいか、この部屋は今日も静かだ。そのひとつ上の階は、若い夫婦が住んでいるらしい。先週は一瞬だけ赤ん坊を抱いた母親がバルコニーから出てきた。屋上にいた夏紀は母子に気づかれないか少し緊張したが、学校側を見上げることはなくすぐに引っ込んでくれた。この部屋はそれで少し警戒しているわけだが、今日は窓にカーテンが引かれている。 夏紀の用事はその上にあった。マンションの最上階にあたる五階の角部屋を、夏紀は改めてじっと見つめる。少し遠いが、ここから一間分の内部がよく見えている。この部屋が特別夏紀のお気に入りなのだ。 先月、気まぐれに屋上へあがったときに偶然見つけた素晴らしい場所。今日もカーテンは引かれていない。内部は静かで人が居ないように見える。夏紀は手首のウォッチを確かめて空を仰いだ。 ……早く着すぎたのもしれない。暑い。少し日陰で待って、もう一度覗いたほうがいいな。 柵から手を離して後退し、出入り口の壁にもたれる。目を閉じれば、今しがた見た部屋の様子をはっきり思い出すことができた。間取りはどうなっているのか知らないが、窓側に寄って設置されている縦長のものは確実にベッドだ。寝室であることは間違いない。 この屋上のほうが階層ひとつぶん高いおかげで、内部がよく見える。反対に、無防備な一間から学校の屋上の様子はあまり見えていないこともわかっていた。そうでなければ、あちらの住人はカーテンをきっちり閉めて生活しているはずである。しかも、あんな痴態を公に見せるはずがない。 ……でも、実はマジでただの露出癖があるヤツだったとしたら? そう考えると、夏紀の頬は緩む。 先週までの四回分、夏紀があの窓の中で見た行為は、俗にいうセックスというものだった。一室のベッドの上で一組のカップルが熱い情交を繰り広げていたのだ。平日の昼下がりの屋上でそれを見つけたとき、夏紀もはじめは目を疑った。そしてすぐさま虜になった。 カーテンを開いたままの痴情は、偶然なのかプレイの一環なのか。彼らのセックスが終わるまで、ウブな高校生のように余所見もせず眺めながら夏紀は考えていた。理性がすぐに働いたこともあって、その場で劣情を催すことはなかったが、AVの露出よりも簡素でありながら生々しい他人のセックスを目撃したことは尾を引いた。その夜、やはり感化されて女を呼び出した。そういえば、それがサユリだったかもしれない。とりあえず自分もくすぶる性欲を解消したくなったのだ。 次の目撃は、軽い期待に後押しされた。スマートフォンの待ち受け画面に「水曜日」という表記を見つけて、あの部屋のことを思い出し、また昼食後の暇つぶしに行ってみることにしたのだ。同曜日同時刻にセックスをする。もしそういう習慣があの部屋にあるのであれば、それはかなり奇怪な習慣になるわけだが、夏紀はそうであることを期待した。どちらにせよ、選択授業を受けるより、あるかどうかわからない公開プレイを眺めに行くほうが内容的には楽しい。 期待に反して部屋の様子が静かだったら、屋上で昼寝すればいい。そう思いながらも、夏紀は自分の勘を信じていた。幼い頃から勘だけはあたるほうだった。そして、現実はあたるどころか、夏紀を衝撃の海へと叩き込んだ。 二度目は、すでにベッドの上で男が跨っていた。この水曜日の情交は、屋上に着いたときからその体勢ではじめられていた。プレイを最初から見られなかったことに夏紀は少し落胆したが、それよりも期待どおりの情事が見られたことのほうが嬉しかった。しかし、あの一室で繰り広げられているセックスにはすぐ違和感をもった。男がとても不自然な体位で動いていたからだ。 瞳を欲で潤しながら、夏紀は状況の不自然さについて冷静に考えた。自分の経験をあてはめてもおかしかった。男側としては、らしくない妙な動きをしていたのだ。 あれは、男が本来するべき動きではない。そう結論づけたと同時に、窓の奥の立場が逆転した。女ではなく、別の男があらわれた。夏紀は鉄柵に手をかけて凝視した。 今までベッドに仰向いていた人間が、跨っていた男の脚を持って拡げる。強く押し進める男のせいで、組み敷かれた男が見えなくなる。マンションまでの物理的な距離を呪うとすぐ、ふたつの交じる裸体が露になった。 それは見間違えようもなく、男同士のセックスだった。 夏紀は唖然とした。最初のときよりも目が釘付けになっていた。先週まで薫っていた男女の情交は完全に消えうせ、現実を捨てた異空間のようにあの一室が存在している。高校生にしては性に奔放な夏紀ではあっが、周りにそうした類の連中は一人としていなかったし、経験者すら出会ったことがなかったのだ。かろうじて学校内で同性のカップルがいるらしいという噂はあったが、噂の域を離れることはなかった。 ……信じられない。 はじめに浮かんだ言葉はそれだ。男の身体を抱くことのなにがいいのかわからない。そう思っても、視線ははずせなかった。嫌悪感よりも好奇心が先に来る。二人の行為は、夏紀にとってまったく未知の世界のものだったのだ。 陶然としたまま、彼らの爛れた行為を最後まで見つめた。授業終了のチャイムが鳴り響いた。どこをどうなればそうなるのか。彼らがベッドから離れてしまった後も、夏紀は屋上から降りることはできず、壁にもたれて沈黙した。おかげで終礼直後に慌てて戻るという失態を犯し、仲の良いクラスメイトから「らしくないなあ。どこかで寝てたのか」と揶揄された。 プライドの高い夏紀も否定はできなかった。本当のことのほうが言えなかったからだ。 |
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