* サテライトクラブ * |
風が止まると空気に熱がこもるようだ。熱帯夜の寝苦しさを思い出しながら、川の音を目指す。せせらぎが近づくほど、ひんやりとした風に出会う。とうとう本格的にクーラーが必要になる季節だ、と悠世は思った。今みたいな夜中でないかぎり、あまり外に出たくない気候がはじまる。もう明日からはじまってしまうかもしれない。 スマートフォンに表示される、一週間分の天気予報を見て仕舞う。明日から全日晴れ。梅雨明けは今週中に発表されそうだ。 悠世はしばらく姿を見せていなかった星空を見上げてため息をついた。はじまりだしたばかりの夏にケチをつけるつもりもないが、温暖化の影響もあってか、やたら蒸す気候に少しうんざりしていた。冬も冬で寒さのあまり引きこもりがちになるわけだが、夏も夏で暑さに負けて引きこもりがちになるのだ。 ……でも、それじゃあどっちもどっちじゃねーか、と、一昨日、千博に笑われたんだっけ。 一昨日の夜を一緒に過ごした親友兼恋人みたいな男に言われたことも思い出した。普段ならば誘いがないかぎり出歩くことはないし、誘いがあっても居酒屋などに居つくことがほとんどだ。外で飲み会をするという発想は花見以外にない。インドアな悠世に、キャンプ場でBBQという発想はでてくるわけがない。 なにかあるにも千博の後ろについていくタイプの人見知りである悠世であったが、唯一千博を介さない友人たちがいた。それが学生時代の友人だ。数少ないが、年に一度くらいは集まって顔を見せあう貴重なメンツである。出不精の悠世もこればかりは同郷の懐かしさもあって、がんばって出るようにしていた。 とはいえ、今回が雨天であれば参加しなかっただろう。それに、交友関係の広い千博に「学生時代の友達は大切にしとけよー」と笑顔で言われていたのだ。好きな人に言われたら、「うん」としか言えない。千博の実家は本州でもだいぶ南にあるから、学生時代の友人に会うにしても、数年に一度の単位だそうだ。 暑いけれど、少し一人になりたくて川岸に座り込んだ。今回はコテージまで借りる念の入れようだ。元々は各自でテントを張る予定だったが、梅雨の時期であることを考えてコテージになった。酒に酔いつぶれた友人から順次コテージでザコ寝だ。男だらけだから、寝方とスペースも自由である。悠世は千博に寝袋を持たされている。 川のそばは水の流れからくる風で心地がよかった。BBQもビールも久しぶりのトークも楽しかったけれど、むさ苦しい男たちに囲まれて寝るのは、考えるだけでうっとおしい。よく一緒に眠る千博が男であることを完全に棚に上げている悠世は、ここに寝袋を持ってきて寝たほうが気持ちいいんじゃないかと真剣に考えはじめた。ここで寝ても、今日明日で川が増水することはないだろう。 問題は、虫だ。虫除けスプレーは千博から押し付けられてきたが、ここで寝るならもっと深刻に撒かないといけないかもしれない。 「蚊取り線香も必要かな」 一旦戻ってから考えてみようか、と、悠世が腰を上げると、その後ろから声が聞こえた。 「さーさーのは、さーらさらー」 歌だ、と思ったのは、聞き覚えのある声色だったからだ。歌の歌詞は簡潔で、そしてどこかで聴いたことのある歌だと悠世は記憶を手繰り寄せる。 ……タイトルは、きらきら星だっけ? でも、あれの出だしは、きーらきーらひーかーるーだったはずだ。 悠世が突っ立ったままでいると、木の陰から現れた人は目の前で歌の二番を終わらせた。すいっと手を伸ばして、悠世に見せる。手に収まっていたのはスポーツ飲料だ。 黙ったまま、美晴は悠世に飲み物をくれるようだ。素直に受け取った。 「ありがと」 「うん」 そう頷いた美晴に倣って、悠世はまた座り込んだ。 歌いながらやってきた美晴は、悠世と学生時代からの付き合いだった。元々そこまで仲良くなかった間柄であったが、お互いのパートナーが同性だとわかった瞬間に、美晴のほうから悠世へ話しかけるようになってきたのだ。今日集まった友人は総勢八人だが、男とデキあがっているのは二人しかいないし、デキあがっていることを知っているのも双方二人だけだ。 美晴は『まさか自分と同じようなヤツがいるとは思わなかった』と思ったそうだ。確かに学生を終えて一〇年近く経って、同性のパートナーをもつ人間が二人もいるのは珍しい確率かもしれない。 「梅雨明けおめでと」 その美晴は、よくわからない台詞を言う。悠世はペットボトルを傾けて眉間を寄せた。 ……さっきスマートフォンで見たかぎりでは、梅雨明けしてないはずなんだけど。 思った途端に気づいた。スマートフォンを取り出して見直す。 「あ、」 「悠ちゃんの誕生日、今日じゃなかったっけ?」 確認する美晴の言葉に悠世は頷いた。千博も悠世も記念日に会うという発想はないから、会ったときに誕生日だったら祝うという軽い扱いだ。会わないときは、思い出したときにメールか電話でやり取りする。大抵SNSで誕生日だということを思い出すから、当日中にはオメデトウと言っている。ちなみに千博は、そうした連絡がマメなほうだ。 今回は久しぶりに、千博以外から当夜直接誕生日を祝われた。 「梅雨生まれ同盟じゃん俺ら」 湿っぽい同盟を美晴が朗らかに掲げる。彼も先刻まで散々ビールを飲んでいたから、だいぶ気持ちよくなっているのかもしれない。そういえば、美晴も同じ月生まれだ。だからそんな同盟をつくったのだろう。しかし、梅雨自体は悠世も好きではない。 「そんな同盟、やだよ」 素直にいえば、美晴も顔をしかめる。 「俺もヤダよ。でも夏男同盟は、なんか俺らには似合わないんだよなあ」 「じゃ、七夕同盟?」 七月といえば、という連想に、思い浮かぶものがもうこれしかない。 七夕というロマンチックよりも乙女チック度満載の響きに、また冷やかしがはいるのではと悠世は思ったのだが、美晴はペットボトルの炭酸飲料を飲みながら、意外にも押し黙っていた。 「……まあ、織姫と彦星よりましか」 呟いた言葉の意味がわからず、悠世は美晴を見る。すると、美晴は一転して、何か含みのある口元で笑んだ。いたずらっぽい目が光る。 「ってことは、そろそろ悠ちゃんの彦星サマから電話が来るんじゃねえの?」 「なにそれ」 ……誰だよオレの彦星って、大体彦星って男じゃん。 ぱーぱーぱーぱーぱーぱぱぱー そう口にしようと思った矢先、気の抜けたトランペットのような音が突然鳴り響いた。それにビクッと肩を揺らすと、美晴が笑う。そしてどうも美晴の携帯電話からではないと気づいて、自分の携帯電話を引っ張り出した。 「なんだこれ」 こんな着メロにした記憶はない。それ以前に、こんな着信音を入手した覚えもない。 表示されていた名前を見た。 「千博がこっそりかえたって言ってたんだよ」 だから知ってんだ、と、妙に得意気に美晴は答えてと立ち上がる。そして、何事もなかったかのように歌いながら、来た道を帰っていく。 置き去りにされた悠世は、広い交友関係をもつ千博と、美晴がつながっていることを思い出した。最初は、美晴が千博を通して悠世との関係を知って、直接悠世へコンタクトしてきたのだ。 さーさーのはーさーらさらー、のーきーばーにーゆーれーるー。 回線を継ぐための着信音が切れると、美晴の明るい歌声が遠くで響く。歌は川の音と混ざって綺麗な大気をつくった。 ……そうだ。たなばたさまだ。 童謡のタイトルを思い出すと同時に、受話器の向こう側から千博の気配がする。そして、悠ちゃん誕生日オメデトー! と、あらわれた温かい声に悠世は微笑んだ。 蒸し暑い夜にむさ苦しい男連中、という言葉で表現するとうんざりの度を越す空間から抜け出した美晴は、夕涼みに立ち寄ってまた歩き出した。川のそばで会った悠世は携帯電話をとおして二人の世界を繰り広げているはずだ。野暮なことはできない。だからといってコテージではじまっている麻雀大会に参加する気はなかった。散歩がてらに夜の小道を踏みしめていく。 悠世の携帯電話から流れた童謡は、千博の耳元につながっていると美晴は知っていた。千博は成人してから仲良くなった男で、学生からの友人である悠世よりも正直会う頻度は多い。千博が悠世の携帯電話に「七夕」らしいイタズラをしていたことも、事前にメールで知っていた。美晴に『俺の悠世の誕生日、よろしく』なんて、カレシ然としたメールを平然と送ってくる千博は本当に良い根性をしている。もしかしたら、悠世の誕生日を奪われたことが少し悔しかったのかもしれない。 ……千博は、そういう妬ましいヤツじゃないと思うんだけどな。 美晴は自分と千博の性格を比較して、そう思った。 サクサクと美晴が歩く薄い森林は、夜歩いても安全なつくりだ。風が木の葉を揺らす程度で音はない。梅雨の時期を警戒してか、コテージ付きでも宿泊する客は少ないらしい。 ぼーっと歩くまま、川を渡る短い橋に着いた。この先に行くと、さすがに獣道と化すようだ。危険を感じた美晴は、宛のない散歩から引き返すことにした。 まだ悠世は千博と電話をしているだろう。ものすごく恨めしくなる気持ちをどうにか抑える。持っていたペットボトルから水分を補給して、七夕的な鼻歌を歌う。 すると、コテージと川の中間地点で聴き慣れた着信音が響いた。美晴はドキッとして立ち止まった。 オルゴール調の音色は、古い映画の主題歌だ。美晴が設定した着信音を、恋人である慶介は良い曲だと言ってくれた。彼は、三日前から仕事で遠方出張にでかけている。戻ってくるのは二日後。美晴の誕生日を祝えないと謝っていたが、その誕生日当日に何の連絡もなかったことはいかがなものか。 おかげで、一昨日から、ずっとこの着信音に惑わされている。 平常心を装って、美晴は携帯電話をポケットから取り出すと着信名を眺める。眺めてもどうということはない。眉間にしわを寄せて回線をつなげる。言いたいことは決まっていた。 受話器越しに「た」という言葉が聞こえたと同時に、大音量の言葉を乗せた。 「おっっせーんだよッ!!!」 ブチッ。 回線が途切れた直後、また同じ着信音が聴こえてくる。一気に蒸し暑さを思い出して川を目指すと、岸から上がってくる悠世と目があった。どうやら電話での逢瀬は終わったらしい。 混乱したように鳴り続ける着信音を無視し続ける。歩調をあわせてやってきた悠世は笑っていた。 「ソレ、美晴の彦星さま?」 そう訊きながら、かたちのない分主張の激しい音階に指をさす。言い返そうとして結局何も言えず、美晴は悠世を無視してポケットに指を入れ直した。 やかましい携帯電話を再び手に取る。悠世がその途端に離れていく。何か途轍もない敗北感を感じたが、耐え切れず回線を開いた。 だって仕方がない。ずっと待っていたのだ。 「……もしもし、」 美晴は憮然としながらも、ようやく聴ける声と言葉に口許を緩めていた。
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