* n.o.o.n * |
上質なシーツの肌触りと清浄な空気は起床する気力を失わせ、伊吹は目を開けたまま室内の明るさを感じていた。朝の光は半開きのカーテンから注ぎ、高層の部屋の下には大都会の森が広がる。身体にフィットするベッドの弾力も含めて、最高級レベルのホテルだと実感できる空間だ。 味わうように呼吸しながら、スッとシーツを撫でる。伸びた先で指は男の背に当たり、伊吹は微笑んだ。 『伊吹、今いいか? あのさ、ホテルのタダ券、さっき友達からもらったんだよ。都合つけて行かねーか? 皇居の近くにあるホテルで聞いたことある名前なんだけど、俺そういうのよくわかんねーじゃん』 それは、恋人の駿から昨日の昼間、突然電話越しに切り出された台詞だ。また突然なにを……と思った伊吹は話を半分聞き流していた。ちょうど仕事中で忙しかったのだ。 しかし、挙げられた名前が外資系の高級ホテルと気づいた瞬間に意識は変わった。 『そのホテル、すげー良いところだよ駿、いつ空いてんの?』 ……すぐ食いついちゃったけど、まさか、明日、なんて言うとは思わなかった。 『明日。どよ?』 『明日って、早ッ! それホテル側の都合も合うか?』 『電話して聞くって、これから』 『先に聞いてよ。それからオレも調整するから』 『じゃ、伊吹は明日空けられんの?』 『微妙』 という、押し問答を繰り返したわけだが、いつもザックリ物事を話す駿から、友人にホテルのタダ券をもらった経緯を聞いて、彼が『明日』と主張する理由がわかった。有効期限が明後日で切れるから、というわけで、そうでもなければ高級ホテルの宿泊券なんて友達にやらないで自分の懐におさめるよなー、と伊吹は納得したのだ。 高層ホテルの窓から見える景色は、想像していたとおり皇居と森と大都会。外資系らしく、天井も高ければ部屋のつくりも窓も広い。セミダブルのベッドを二つ繋いだ寝床は快適で、駿とつい一緒にはしゃいでしまった伊吹はそのままセックスへとなだれ込んだ。ベッドでヤるだけのことはヤッたという感じで、数時間後にチェックアウトすればこの部屋ともおさらばだ。 ……よく寝るよなあ、コイツ。昔からよく寝るヤツだけど。 外界のだいぶ手前にある、傍らの広い駿の背中を見つめる。 よく眠っている恋人は、比較的ラッキーよりもトラブルを持ち込む男で、行動力はあるが思考力にはムラがある。伊吹は昔から思い立つと考えなしに突っ走る性格の駿のなだめ役をしていた。 出逢いは中学校の部活動。コンビを組むことが多く、別クラス同士だったがけっこう仲良くしていた。高校で一度離れ、連絡はしないけれど時々思い出すくらいはしていたところで、大学の入学式でばったり再会したのだ。しかも、相変わらず突っ走った性格で驚くよりも笑ってしまった……というのが、もう一五年以上前の話になる。今も前のめりなところはあまり変わっていない。バーッと走って疲れてバッタリ寝ている。 ……寝る子はよく育つ。っていう年齢振り切って、もうオッサンって言われるくらいだけどなー。 熟睡している背中をツンツン突いてみる。駿は何年経っても見た目だけは整っていて凛々しい。でも、瞳の輝き方は少年そのものだ。何度か話せば、手のかかるタイプだと思われる男だろう。まして同性というところで、伊吹もなんで恋人同士になったのかよくわからない。ただ、もともと駿の猪突猛進な部分は羨ましいと思っていた。自分に足りないものを彼は凝縮して持っていたのだ。 最初のセックスは酒の力で、なし崩しだった。男同士のセックスなんてやり方がわからず、しかも暴走する性格の駿に無理やり押し入られて、怪我するわ熱出すわで大惨事になった。しかし、一番大変だったのは、事後の惨状に酒が抜け我に返った駿に号泣されたことに尽きた。男の大泣きを見たのがそのときはじめてであれば、泣きながら土下座されたのもはじめてで、伊吹は辛い身体を支えながら、コイツかわいいかも、と妙なことを思ってしまった。 『この件に関しては一生償わせていただきます』 あのとき駿が言った台詞は、半分プロポーズに近い言葉だったのかもしれない。結局今は一緒の家に住んでいるし、これからも住み続けるのだろう。ついで言えばペットの犬まで飼っている。 ……そろそろ、現実に戻るか。 家に置き去りにしたままのワンコのことを考えると、早めにチェックアウトしたい。そう思い、伊吹は起きることにした。 いつまでたっても慣れない鉛のような身体に、しかめ面を浮かべながら「うんしょ」と気合を入れる。起こした視線で時計を見ると、朝食時間開始三十分前。シャワーを浴びて、朝食フロアへ滑り込める。 ……駿はバスから出るまでの少しの時間、寝かせておくか。 そう決めた瞬間、駿が見計らったようにゴロンと寝返りを打った。タイミングよく起きたのか、と伊吹は彼を見下ろす。「うぅ」、と唸り声が響いた。 ……起きる? 「いぶ、き、」 名前を呼ばれたが、目は閉じたままだ。おそらく寝言だろう。 ……夢の中でも、オレと会ってんのか。 「しゅんさーん」 そっと返してみる。もう一度、彼は「うぅ」と唸った。 「いぶ……ぁ、あし……もっとあげ……すご……」 聞こえてきた寝言に、伊吹は呆れた表情となった。どんな場面を夢で見ているのか簡単に伺い知れるが、昨夜散々ヤッておいて、まだ夢の中でもヤッているのか。 ……アホか! 「駿。どーんな夢見てんのかねぇええ!」 伊吹は駿の口と鼻を容赦なく長い両手でふさいだ。昔から駿を起こす一番の方法、必殺窒息起こし。最近彼が一人でも起きられるくらい大人になってきたので使っていなかったが、真っ赤な顔で飛び起きる様くらい見ないと伊吹の気がすまない。 朝っぱらから懲りもない駿は、案の定目をパッカリ開けた。 「ウンンッ、ウンンッ!」 ごめん、ごめん、と言っているのがわかって伊吹は手を離す。ここまでは想定内だが、空気を掻き込むように飛び起きた男に、手を腕ごと引っ張られた。 体勢を崩した伊吹は瞬く間に抱き込まれて、グルンと仰向けにされる。 「今度はやさしくするから! 頼む!」 「頼むってなに。ちゃんと起きろ駿」 押し倒された状態で、首筋を舐められる。散々伊吹に触れているはずの恋人は、今もまだ手に入ってないかのように、せわしく肌をすべりはじめた。 「駿、コラ、」 「起きてる。ちゃんと起きてる」 はっきり同じことを二回繰り返した駿の目を見る。寝ぼけていない。夢をそのまま現実に持ち込む気で、余裕がないのはすぐ知れた。していることも的確になっている。 ……バカ、なにスイッチ入ってんだよ。 眉を寄せて駿を離そうとするが、弱いところに火をつけるような触り方をされて身体が揺れた。 「……っう……んっ」 昨夜いっぱい駿に抱かれた身体は、ほんの少しで熱をはらむ。こういう場合はほっとくべきだった、と、伊吹が理性を集めて反省しても遅い。この男は一回スイッチが入ると自分で止められない。 駿の顔が近づいてくちびるを寄せる。彼とのくちづけは何千回やっても陶酔を呼ぶ。伊吹もその熱に我慢が利かず、恋人の首に手をまわした。それが承諾の合図だとわかったようで、駿は胸元の突起を潰しながらキスを深める。愛撫は的確で、うつ伏せにされてた伊吹は大人しく彼の指を後ろで受け止めた。 「伊吹、思ったより、」 「あ、なにがいいた……ぁ……く……ぅっ」 入り具合がスムースとでも言いたいのだろうか。一本指で確かめられ、潤滑剤のつけた駿に本数を増やされ奥をまさぐられた。枕にしがみついて、ビクビクと快感を得ているのが駿にもわかるはずだ。伊吹も、露骨な愛が欲しくてたまらなくなってくる。 圧迫感が抜け、まったく違う質量が穿たれると、深い快楽という名の電流に爪を立てた。 「っ、あっ、……っ、んっ、んっ、」 スライドされるたびに、喉が空気を飲み込もうと必死に喘ぐ。枕が貫通しそうなくらい強く握り締めれば、片腕で力強くわき腹から身体を起こされた。貫かれている場所がうずいて仰け反る。 駿に耳たぶをなめられながら、じっくり揺り動かされる。 「伊吹、いぶき、」 「はっ……あ、ぁ、っあ、あ、」 清浄な朝光の中、そのまま果ててしまうまで喘ぐ声を飲み込むことは許されなくなっていた。 * * * 爽やかな風がそよぐ横で、薄いサングラスをする伊吹がふてくされた顔でコーヒーをすすっていた。 「調子のんなよ」 はっきり目が見えなくても、じーっと睨まれていることだけはわかる。駿は叱られた子どものように頭を下げた。 「すいませんでした」 ここはどうすることもなく、ただうなだれておくしかなかった。朝起きた瞬間から全力投球してしまったため、スキンもなし。昨夜使い切ったから仕方ないじゃん、なんて口が裂けても言えない。家でどんな仕打ちがくるかわからない。 伊吹は温厚だが、好き嫌いははっきりしている。怒りが持続する性質でもないが、伊吹が怒りだしたら冷めるまで無視か無視か無視だ。一緒の家に住んでいるので、無視がはじまると生きた心地がしない。 駿はため息を飲み込んだ。ひとしきりコトが終わった後は大変だった。まず伊吹が意識を失ってセックスから我に返り、暴走した自分に反省しながらばたばたと処理をした。そのうち伊吹も意識を取り戻して、自力でバスルームに向かおうとしたのだが、腰が抜けて立てず、あわてて抱えてバスに連れて行ったのだ。朝食を摂りに行く時間もなかった。 ……さすがに、立てなくなったって言われた時は、チェックアウトの時間までどうなるかと思った。マジで。 「あんな朝っぱらからスリリングになんのは、ムリ。もう絶対ムリ」 「俺のせいなのはわかってるって。俺も朝っぱらからすっげー疲れた」 久しぶりのホテルだったが、家と違って時間制限があるのは困ると改めて思う。 「当分、ヤんのはオレの休前日って決めたからな。駿よろしく」 決まり事を取りつけられ、駿は頷くしかない。 「伊吹、そろそろ行く?」 どうにか歩けるようになったものの辛そうだ。無理もない。強いたのは駿のほうだ。 「ゆっくりなら、行ける」 ガチャガチャと駿が伊吹のカップなどを片付ける。その横で伊吹は、よいしょと身体を起こした。 店を出て現実の世界に戻る。時計を見て、今日一日をはかる。 「駿、今日は?」 「ゆってなかったっけ? 夕方から、恵比寿で打ち合わせ。日にち移動できんかったやつ。メンドーだぜマジ」 「じゃ、駿は一瞬うちに寄れるんだな。今日はおまえにワンコの散歩も頼んだ。オトシマエなー」 伊吹がニヤリと笑む。駿は反省した顔で「やったるよ」と呟いた。 東京に似合わないほどの青い空。きっと、来週あたりから雨の日々に変わる。地下鉄駅への往きすがら、空を見上げる。ビルの間に間に、真っ昼間の太陽、吹き抜ける梅雨前の風。 「やっぱ、オレも散歩ついてこっかな」 伊吹の言葉に、駿はすぐねぎらいの声をかけた。 「休んどけよ、じゃねーと明日にひび……」 「おまえが言うかーそれをー」 本日はどこまでも劣性になるしかない駿は、かかさず返されて無言のままうなだれる。どーせ俺が悪かったですよ、といじける前に「慣れてるから、いいんだけど」と、伊吹はフォローにもならない笑顔を向ける。 いつもそうだ。よくわからないうちに許されて甘やかされているのだ。懐のゆるさに、伊吹ってやっぱすげーなー、と、駿は改めて思ってしまった。 「すげーな、なんか」 「なにが?」 「だから、伊吹が」 「どこが?」 「だから、なんつーか、こう、」 「んー、オレからすると、駿だって、充分すげーじゃん」 「どこが?」 「んー、じゃあ、すげーのはお互いさまで」 「そんな俺、すげーか?」 期待するような駿の声に伊吹は破顔する。 「すげーすげー」 そして、うんうんと頷き繰り返した彼は、駿の耳元に片手と顔を寄せ、「さすが駿さん、オレのカレシなだけある」と楽しそうにささやいた。 |
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