* ほしにねがいを、後編 * |
人工の光が瞬きながらビルや道の在処を教えている。海が見えなければ景色がいいと決して言えない、平凡な都心の風景。 美晴は、ピローに頭をつけたまま、その窓の先ばかりを眺めていた。 寝起きの頭はそれなりに現状を理解しているが、まだ半分くらい記憶と夢の世界を行き来している。ベッドに横たわって起き上がらないのは、動きたくないからというより、動けないからだ。肉体を酷使させたことには間違いなく、体勢も変えないほうが楽なようだ。 カーテンは全開になって外の情景を広げている。人々が生活する頭上では、空が幾重にグラデーションをかけて夜になろうとしていた。何時間眠っていたのだろうか。そもそも目蓋を閉じた時刻を知らない。 シーツがもぞもぞと揺れはじめる。背中越しへ意識を集中させると皮膚に熱が当たった。確認しなくても慶介だ。美晴に肌を寄せるとすぐ動かなくなる。寝息もふたたび聞こえはじめる。 もう一度美晴は目を閉じた。今朝から一日を反芻したところで、どこかしら記憶が抜けている。隣でくっついている相手のほうが、今日のことをよく覚えているのだろう。最高に満たされて眠っているに違いない。 息を吸ってゆっくり吐く。心がやたらスッとしている。なんだかんだ自分も彼と繋がる悦びに浸っていた。 ただ、今日は慶介と最初の記憶が違っている。 美晴の一日はじまりは、夢の中だった。はじめて見たと言っていい、とても淫靡な夢の感触。 セックスの場所は、一面がガラス張りになった一室だった。きっと、値が張る外資系の高級ホテルあたりだろう。ビルの上階から見下ろす夜景は宝石を散りばめたように美しく、その中で一等際立って見えていたのがタワーだった。街の雰囲気とタワーのかたちからして東京タワーだと思う。窓の側面にあった出っ張りのような部分に膝を立て、慶介に下肢をまさぐられていた。 甘く刺激的な快感は、野外でセックスしている感覚に似ていた。 夢でも質感はしっかりしていて、インモラルなテンションに全身が犯されていた。窓に手と頭をつけて、後ろから部屋の外へ見せ付けるように挿入されていく熱。ゾクゾクした。もっと感じたくて脚を開いた。そして、奥まで慶介がおさまる寸前に目が覚めた。 現実に戻ると、現実の慶介が自分の上に乗っていた。一瞬、本気で夢の続きかと思ったが、違うとすぐに気づいた。部屋が明るすぎたのだ。 寝込みを襲われていることは恋人の表情でわかった。いつもならば目覚めた時点で中断させて叱りつけているものだが、そのときは自分の夢に煽られて慶介と夢の続きが見たかった。愛欲から忠実になることを選んだ。 恋人に身体を預けると、大きい慶介の雄が押し入ってきた。埋め込まれた大きさは夢とまったく同じで、美晴は安堵しながら光の中でおぼれた。やきもち焼きの彼から夢のできごとを問い詰められ、セックスの反動も相まって少し泣いてしまったが、……慶介もすぐ絆されて泣いていたので、やっぱり慶介のほうが泣き虫だ。 その泣き虫野郎に後ろからくっつかれている状態で情事を反芻していると、次第に妙な感情がわきはじめた。触れあっている部分が甘い熱を生み出そうとしている。美晴はどうにか気持ちを立てなおす。 ……このままはよくない。ひとまずベッドからオレは出る。 そもそも、まともな一日を過ごしていないのだ。シャワーを浴びたいと訴えたときは、慶介に担がれてバスルームの中でも激しく身体を揺すられた。 ……あれだけヤッて、よく腰がもったなあ。よっぽど上手くヤッた、っていうか上手くなったのか。 しんみり感想をつけ、いやいやそうじゃない、そんな話はどうでもいい、と、かぶりを振った。腕をシーツから出して、慎重に身体を起こす。 時計を探せば、薄闇のサイドテーブルに飲み物とチョコレートのような菓子箱が見えた。どちらも封が開けられている。セックスの間に何かをつまんで食べた記憶があった。そういえば、テレビも少し見ていた気もしないでもないが、情交の印象があまりに強すぎて細かいことはどうでもよくなっている。 結局のところ、朝からベッドの上だけが美晴の生活のすべてになっていたのだ。 時刻は十七時半。理性というストッパーを起床時から失っていたせいで、完全に堕落した怠惰な一日を送ってしまった。しかし、慶介を糾弾するわけにはいかない。このあたりは連帯責任だ。 身体も次いで確認する。べたべたしたり不快感があったりということはない。汚れもなく清潔だ。最後のあたりはほぼ記憶が飛んでいるが、慶介がちゃんと介抱してくれたのだろう。 ……それくらいは当然すべきだ。って、うわ、痕ついてる。これけっこう消えるの時間かかるんだよなあ。 少し悪態をつきながら、裸体に散る痕を指で辿った。鏡で見たくないなあ、と思い、そこから一気にバスルームの記憶が脳に舞い込んでくる。鏡を前で脚を掲げられて突かれたという、あられもないシーンである。 眉を寄せた美晴は、ピンクに染まる意識を払拭すべく周辺をもう一度見まわす。サイドテーブルにジンジャーエールのペットボトルがある。美晴はそれに向けて動き出した。足腰の状態を確認しながら、慶介の上半身を越えて飲み物に手を伸ばす。恋人は美晴の動きに気づかない様子で眠っている。 ……そりゃ、あれだけヤリまくって出しまくってたら、早々起きないよな。 美晴は蓋を開けて残っているジンジャーエールに口をつけた。炭酸も抜けてぬるいが、慣れた甘さにホッとする。そのつかの間、太股に体温が当たってドキッとした。慶介の指が美晴の肌に触れたのだ。消えたぬくもりを探しているのだろうか。皮膚の反応が良いのは、セックスしすぎたせいだ。 気を取り直した美晴は、彼の肩に手を置いた。 「慶介、起きろ」 大きく身を揺する。このまま一日を終えてしまうのはどうにも忍びない。一旦は外へ出るべきだ。 「飯、食べに行こう。オレはおなか空いたんだよ」 気持ち良く眠っていた彼も意識を取り戻したのか、むにゃむにゃと返答した。滑舌が悪いものの、どうやら「もうちょっと待って」と言いたいようだ。 そして、もぞもぞ動きはじめる彼を美晴はじっと見下ろした。 上体を少し浮かせた慶介は、目をつむったままだ。這うような動きを見せた彼の太い腕が、美晴の腰に巻きつく。シーツ越しの脚に乗ろうという魂胆が見え見えなのだ。 身体を折り曲げて、慶介は思うさま美晴の太腿の上に頭を沈めた。呆れるくらい中途半端な膝枕である。やたらに重く、ますます動けなくなる。許可なく膝枕をしてきた慶介の鼻をつまむと、小さく唸った。 「う、うー……ん」 「起、き、ろ、よ!」 美晴の言葉に、慶介もようやく目を開けた。暗がりの中で焦点があう。 「おう。身体は?」 「とりあえず、大丈夫」 「そっかー。俺はまだちょっと」 慶介はふたたび目を閉じる。 ……コイツ、ゼンッゼン起きる気ないな。 美晴は彼の額をぺちぺち叩いた。膝枕の提供時間には限りがある。慶介はそれを知っていて、なるべく時間稼ぎがしたいのだ。現に鼻をつままれても額を叩かれても、頬をつねられても満足顔を崩さない。 ため息を吐きそうになったところで、美晴はイイコトを思いついた。夢で見つけた素敵な遊び。 「あ、そうだ今度、」 「……あーい、なに?」 声はちゃんと聞いているようだ。口許が自然と上がった。 「今度、東京タワーの見えるホテルに泊まろう」 大きな窓に手を当てたインモラルな夢の続きを、慶介と一緒に試してみたい。 美晴の意図しているところに気づいたのか、恋人が応える。 「うん。泊まろう」 子どものように復唱する声。くちびるは意識なくほころんだ。手にしていたジンジャーエールを飲み干す。 「あと一〇分したら起きるんだぞ」 頷く慶介の肌を愛おしく撫でる。美晴も柔らかな幸福に浸っていた。 |
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