* 歌姫 * |
冴えた空気を味方につけて、さまざまな色彩の電飾が光を振りまく。星のような地上の輝きは、冬の持つ様相によく引き立っていた。 幾重に渡って飾りつけられた大通りは、平日の暮れ間近ということもあり、じょじょに人々の行き交いが増えている。その間を幅広く陣取る車道の交通量は際立って多い。都心にあるメインストリートのひとつとあって、時刻に関係なくここいらの車道は年中混雑していた。本来は神社の参道であるにも関わらず、自動車でハマッてしまえば面倒なことになる大通りであることは、車を所有しない大学院生身分の和泉もよく知っていた。 木々を携えた歩道は、車道と対比して、せわしなさに欠けている。身綺麗にした女性の往来が多いということも、大通りの雰囲気をより洗練させたものにしている要因なのかもしれなかった。 どこからともなく、女性の歌声が風を伝って街に重なった。 意図的に流されているそれは、耳を澄ませる必要がないほどの音量になっている。『癒しのミューズ』という文句とともに、テレビを賑わせている新人の女性アーティストのものだとすぐに知れた。スイートなボイスは、障らず年明けの季節を温めるように響いている。 彼女の魅力的な容姿も曲名も熟知している和泉は、なんとなくその子のことを思い浮かべながら、めかし込んだ通りに煩わしさを感じることもなく、ジャケットに手を突っ込んで歩いていた。吸う息は、常に凍てついている。雪が降るかも、降らないかもの押し問答を繰り返している今冬は、総じて気温が低かった。関東でも、北部はすでにドカ雪を数度食らい、交通機関を大いに乱している。ようやくここ数日は、落ち着いた冬の日々が全国的に続いている。 連なるショーウインドウに、和泉の歩く姿は何度も映った。単価の高いショップで活気づく大通りは、華やかに着飾ることで寒い季節を上手に乗り切ろうとしているようだ。だが、それが結果として、冬という季節がいかに暗く寂しい印象から拭えないものであるかを示していた。冬の正体は、どれだけ明るい風情に補正したところで根本は変わらない。飾り方を間違えれば、白々さが強調されるだけだ。 しかし、和泉はそんな冬が嫌いなわけではなかった。静かに冷気を張る天は精巧なガラスだ。透明感のある世界から、物悲しい気持ちが生まれることも多々あるが、それはたやすく孤独感に結びつかない。それは、随分前から理解していた。それでも、感情面でも納得できるようになったのは、つい最近だ。「他者」というものが在るからこそ、「孤独」というものが生まれるのだ。 今日も太陽が、日本をまたいで去ろうとしている。地上のイルミネーションは自然光の鮮やかさを受け継ぎ、冬半ばまで大通りを潤す。連なる路面店のガラスに反射するそれらは、おおげさにいえば溶けない雪が瞬いているようであり、死なない蛍が羽根を休めているようでもあった。 すれ違う人々は、どれも和泉の知らない人たちだ。だからこそなのか、ショーウインドウに映る自分自身が独りやけに浮き立って見える気がした。どちらにせよ、どこかしら誰もが孤独だ。そして、どのみち逝くときは一人きりなのだ。それは独りよがりでもなければ、チープな感傷論でもない。ただひとつの事実だ。 しかし、失ってしまうことが、孤独感や虚無感へ漠然とつながりはしないことも経験の中で知っていた。無くしたことによる、悲しみ、痛み、想い、祈り、・・・それは、独りで抱えるだけのものではない。感情は真っ直ぐ誰かと共有できるものだということを、たくさんの出来事の中で改めて思い知っていた。 日々移り変わる四季や、景色の根本は変わらない。情景を違えて見せるのは、内にある己の感情が日々何かを想い、変わっていくせいだ。特にこの冬は、失ってしまったものをよく思い起こさせた。久しく、親しい人間の死を目の当たりにしなければ、受け止め方のの変化にも気づかなかっただろう。けれど、それは総じて、孤独に浸るためのものでも嘆くためのものでもない。 少し上り調子の街路を和泉が大方歩き通した頃、ポケットに突っ込んでいた手の先に、携帯電話の振動が伝わった。おもむろに取り出して液晶画面を見る。つなげることを、躊躇う相手ではない。耳に受話口を押し当てた。 今年生まれたばかりの歌姫が、街へ繰り返し誰かを想って唄っている。 和泉は普段通りの口調で、電話をくれた相手へ言葉を返し、すぐに立ち止まった。向けた視線は、見通しの悪い車道を飛び越えていく。粒のライトたちは、そんな彼に味方した。受話器越しに、親しい人間の声が洩れる。 和泉の瞳は、何かをとらえて口許をゆるめた。 「あぁ見えた。え、こっちに? いいよ、……うん、…わかったから、早く来いよ」 歌姫の甘い声が途切れたら、次の季節が訪れる。 待つ間に和泉は、暮れる空に向け、ちいさな冬のレクイエムを唄ってみせた。 |
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