* 星傘 *


 ミユキが、あたしの耳元でこっそりささやいた。
 きのうね、すっごいステキなものを見つけたの。ユナちゃん見たい?
 いつものように得意げな顔をして言うものだから、あたしはクラスの皆の目を気にしながらうなずいた。遠巻きのクラスメイトたちは、そんなあたしの顔を見て同情している。ミユキは満足したのか、放課後ね、と言いながら教室を離れた。すぐに、友人たちがあたしの元に集まってくる。
 はじまるのはミユキの陰口だ。あたしはミユキに手を焼いているような表情で、その言い分を聞く。彼女たちの中でミユキはイタイ子、あたしは良い子の扱いで、あたしはそれに満足している。
 ミユキはクラスの中で、ひときわ変わり者として有名だ。彼女自身もそれを自覚しているけれど、逆にステータスと感じているみたいだ。確かにどれだけ陰口をたたかれようが気味悪がられようが、彼女にしかない不思議な能力は、どこかで羨望の対象になっていた。
 彼女には、ふつうの人には見えないものが見えて、聞こえないはずのものが聞こえた。そして不思議なものを見つける力があった。
 校庭にある桜木の精が、開花日を教えてくれるという。半信半疑の大人たちを裏切って、毎年その通りに花が咲く。草木に食べられる果実を訊けば、裏山の奥でたわわに実を茂らせた桑の木にたどり着ける。ミユキが池に近寄れば、野生の魚や鳥たちが餌を乞うでなく集まった。彼女についていけば不思議でおもしろいことが山のように起こる。はじめはそれがとても魅力的で、みんな彼女の歩く後ろにつき従ったものだ。
 けれど学年が上がるにつれ、みんなの意識の中でそうした不思議な出来事は、人知を超えた奇妙なものに変わっていった。小学校五年生になった今では、ただ気味悪がられるだけの存在だ。ふつうじゃないミユキは、のけ者にされる対象だった。まともに付き合っているのは、あたしぐらいだ。
 でも、あたしもミユキが好きじゃない。理由はかんたんだ。彼女だけがいつもトクベツだからだ。
 それでも私は、ミユキの言葉につき従う。彼女が拾ってくる不思議なものは実際どれも本当にステキだし、その全部がミユキにしか見つけられないものだからだ。彼女の見つけたものに、あたしはいつも胸をときめかせる反面、この力がなぜあたしではなくこのミユキにしかないのかと落胆する。
 トクベツではない自分に、あたしはいつも絶望していた。



 ゆるい光が差す午後の頭上に、不思議な夜とキラキラするものがあった。
 今回ミユキが見つけた、一幕の夜空だ。それは、変哲もない傘の中にあった。
 骨で張ったエナメルの内側に、夜の世界を持ったとても不思議な傘だ。彼女は自宅にほど近いちいさな神社の境内で、それをあたしに披露していた。
「これ、すごくキレイなの」
 広げた傘の柄を彼女が持つ。ただ見ただけでは、ふつうの雨傘だ。外側は空色で、雲をかたどった模様がいくつもプリントされている。けれど、中身は違っていた。やはりふつうとはいえない内側に、あたしは目を大きく見開いた。
「すごい、キレイ! ミユキちゃん、どこで見つけたの?」
 ミユキの持つ傘の裏をのぞきこんで、ついあたしが言葉をもらす。すぐに彼女がよくする返答を思い出した。
「んふふ、秘密だもん」
 そう、得意げにいつも言うのだった。あたしは少し後悔した。ミユキのこういう言いぐさが大嫌いだった。ミユキは、自分がトクベツな人間だとよくわかっている。
 ムッとしつつも、目の前にある不思議な傘からあたしは目が離せなかった。ミユキに逆らえない自分を思い知って、にわかにモヤモヤした気持ちがふくれるのだ。
 傘が抱く夜は、ただ黒いだけではなかった。星のような白い点の瞬きがいくつも存在していた。それらは、遠くにあるようにも見えるし、近くにあるようにも見える。平面であるはずなのに、立体的な広がりがあるように見えた。
「ね、これ、上の触っていい?」
 少し憎くらしい気分を押し込めて、ミユキに愛想を返す。傘の奥行きが錯覚でないか、すごく確かめたくなったのだ。
「ちょっと待って、」
 あたしの声をそばで聞いたミユキは、あぶなくないか確かめる、と言いながら、傘の内側に手を伸ばした。
 ふつうであれば、傘の布地部分に手があたるはずだ。けれど、ミユキの細い指は、傘を突き抜けた。みるみる闇の中にはいっていく。あたしは驚いて、少し離れて見た。
 ミユキの手は、傘を突き破っていない。とても奇妙だった。錯覚などではなかったのだ。傘の内側には、現実とは違う夜の空間が広がっている。それが事実になった瞬間だ。
 学校勉強したいろんな世界のコトワリを、この傘はたやすくあたしの目の前でくつがえす。ミユキは、そうしてあたしの常識を毎度破壊していくのだ。特に今回はミユキが見つけたものの中でも、異常さがきわだっている。
「うん、だいじょうぶみたい。ユナちゃん、いれていいよ」
 ミユキは、傘の内側に手をいれさせてくれるようだ。あたしに目配せをして手を引き抜いた。あたしはもう一度ミユキに寄って傘をのぞき込む。片手をおそるおそる上げてみた。
 あたしの色白い手は、ミユキがしたときと同じように傘の内側を突き抜けた。夜のような闇の中は、とてもひんやりしている。なにもないはずなのに、何かあるような感触が気持ち悪くて、あたしはすぐに手を引っ込めた。ミユキが満足したように笑っている。
「なんかひんやりしてて、へんな感じ。このキラキラしてるのって星? ダイヤモンドみたいだね」
 こう尋ねれば、「星なのかなあ。取れたらわかるかも」と、平然とした顔でミユキが答える。だから、こう訊きたくなった。
「ねえ、ミユキちゃんのちからで取れる?」
 いたずらなあたしの瞳は、彼女の目に映ったはずだ。まもなくもう一度頭上を見上げたミユキは、うん、と、うなずいた。
「うん、ちょっとやってみるね。ユナちゃん、これ持ってて」
 ミユキはやる気になったようだ。あたしは促されて、ミユキの代わりに傘の柄を持った。彼女が怖じ気づくことなく両手を突っ込む。傘の位置を低くして、かがんで、と言う。どの角度から見てもそれは奇妙な光景だった。
 誰かがあたしたちの異常な状況を見ていないか、ふと不安になる。傘をつかんだままあたりを見回せば、木々に囲まれた境内に古びたお堂がおかれてあるだけだった。人気のないスポットで、児童たちは大人からあまりここへ近づかないように言われている。不審者におそわれたらあぶないからだそうだ。
 大人たちもあまり近寄らないこの場所は、ミユキの不思議な世界をのぞくことにあたって、とても都合のいいところなのだ。実際に今まで、不条理なミユキの世界は大人たちに見つけられたことがなく、あたしは少し安堵してミユキを見る。
 彼女は、闇の中に頭を突っ込んでいた。
「ミ、ミユキちゃん!」
 驚きをあたしが伝えれば、中から思いのほか明瞭な声が聞こえてきた。
「思ったよりこの星取れるかも。ユナちゃんしゃがんで。みゆきこの中はいってみる」
 あたしは言うとおりに、かがめていた腰をさらに落とした。奇妙な内側があたしの頭すれすれに広がっている。
 彼女は、闇のどこかに大地を見つけたのか、重点を傘の内側においた。細い足が浮く。するりと身体が吸い込まれた。
 ミユキが別の空間にはいったのを見たのは、これがはじめてだった。彼女にとっては、はじめてのことではないかもしれない。けれど、あたしは異次元を見たこと自体がはじめてだったのだ。
「ミユキちゃん、」
 ミユキが消えた傘の内側に、声をかけてみた。
 返事がない。
 あたしは、ものすごく怖くなった。つい立ち上がる。ミユキがどうなるかということよりも、傘から離れることが先決かもしれない。そうとしか考えられなくなった。
 自分が何かの拍子に、この中に吸い込まれてしまうのではないかと思う。
 この闇は、星のようなものがきらめているけれど、はいったら最後でられない蟻地獄のようなものかもしれない。
 きっとそうだ。きっとそうなのだ。
 あたしは、いそいで傘を閉じた。内側に異様な夜空を宿した傘は、畳んでしまえば変哲ない水色の傘だった。
 けれど、あたしはそこに壮大な闇があることを知っている。一刻も早く、傘から手を放したかった。光のゆるい境内をうろうろ歩きまわる。
 古びた鉄製のゴミ入れを発見した。あたしはその中に、かかさず傘を突っ込んだ。
 今度は、ひとりで静かすぎる神社にいることが怖くなる。大人たちが、一人で近づいてはいけない場所と散々口にしていた場所なのだ。あたしは駆け足で、鳥居をくぐった。
 日陰ばかりをつくる木々から離れ、太陽のある車道へ出る。すぐに安心感がおとずれた。行き交う人たちを視界にいれる。
 現実だ。ここは、あたしの生きている世界だ。
 少しだけ、ミユキのことを思いだした。でも戻る気にはなれない。晴れやかな安堵感のほうが勝っていた。ホッとしたのだ。
 そうだ。あたしはあの時、心の底からホッとしていたのだ。
 もうこれ以上、トクベツな人間にたいして、劣等感を持たなくていいということに……あたしはようやく、気がついたからだ。



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