* 引き継ぎ担当 * | |
暗闇の部屋は、電灯の明かりで奥行きを広げていた。光に照らされた畳を、紀子が固い表情で踏み歩く。ここは先週急死した祖母の和室だ。ともに暮らしていた孫の紀子が遺品整理を担っていた。祖母の所持品はこの和室ですべて納まる程度で、昨日粗方のことを終えた。 彼女はそんな部屋をよそ見ひとつせず進み、奥の押入れの襖に手をかける。妙な予感が紀子の脳裏を巣食っていた。午前11時。障子窓の外は、時刻にも関係なく漆黒に染まっている。雨の日ではない。時計も正確だ。それなのに、南北極に近い土地のような闇があたりを支配していた。 この地域だけではない。国単位ではなく、地球レベルで昨夕を境に空から太陽が消えたのだ。月も星も見えなくなった。原因は不明なままだ。異常気象を超越していた。 地球規模で起きた異常に、世界中が大騒ぎしている。国主導の異常事態宣言とともに、テレビやインターネットすべてが、消えた太陽の話題以外しなくなった。 世界が滅びるかもしれない。 それは宇宙開発機関が声明する前から、全人類一致で一心に感じたことだ。治安が悪い地域は、略奪などの犯罪が激増しているという。各国トップが、民衆に冷静さを失わないよう訴えていた。皆、胸中に恐怖を詰めていた。 全世界の宇宙・気象研究者たちは、消えてしまった太陽の行方と対策を全力で探している。救いは、不思議と太陽の熱が失われても気温への影響が未だないことだ。 紀子の家族や親戚たちは、祖母の死去したタイミングの合致により「祖母の祟りかもしれない」と、不安を解消すべく好き勝手に話している。確かに生前の彼女は気難しい性格だった。しかし、根が優しかったことはお祖母ちゃん子の紀子が一番よく知っている。 ただ、一つだけ思い当たるものがあった。 遠くでまた、サイレンの音が響く。紀子は押入れの奥から、深緑色の鉄製ボックスを取り出していた。祖母の美しい遺品を、紀子が厳選して納めた箱だ。昨日の夕刻、最後に行なった作業だった。 深緑の箱を閉じてすぐ、空に異変が起きた。紀子の反芻で、そのことだけは確実だった。当時の紀子は、気にも留めていなかったのだ。遺品整理に没頭していた。親や周囲が騒ぎ出して、異常現象を知った。 そして、さきほど身内の会話を聞いて思い当たったのだ。 鉄の箱を開ければ、懐中時計や木彫りのかんざし他、粋なアンティーク小物が保管されていた。どれもキレイだと思って納めた品々だ。 その中で、球体を内包した透明の立方体があった。浮く球は薄い二重膜にくるまれ、不思議な青色をしている。角度で濃淡が変わるのだ。祖母がとても大切にしていた。小物は手の平サイズで、紀子は紙の重石に丁度いいと思っていた。 「まさか、ね」 そう呟きながら、紀子がそれを取り出す。何も変哲のない置物だ。内部の珠は、取り出したいほど美しい不思議な色をしている。つるり。眺めていた紀子の目の前で蒼い色が光の反射を滑らせた。 屋外から、多くの人声が聞こえてきた。 紀子は、はじかれたように外を見た。障子越しが明るい。 太陽だ。晴れた。そうした言葉が行き交い、近所がにわかに騒がしくなっていく。 予感の的中に、彼女は視線を戻した。手の平には、何の変哲もない透明な立方体がある。 「……うそ」 ナンセンスだ。しかし、偶然にしては出来すぎている。 祖母はこれを大切にしていた。必ず所定位置に飾っていた。 ……これがきっと、地球の映し姿だからだ。 紀子は、信じられない答えに、血の気が引いた。確信を得るために再度箱へ仕舞いたい。この蒼い珠が地球の映し姿なのだという、証拠がほしい。だが、今回のようになることは避けたかった。試す勇気はない。 なぜ祖母がこんなものを持っていたのか。 彼女は先週亡くなった。確かなのは、見つけた紀子がこの立方体の行方を担わなければならないということだ。下階から父親に呼ばれるまで、紀子は真っ青な表情のままその場を動くことはできなかった。
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