* 午天をすべるよ * | |
神様に、お願いしたいことがあるのです。 つまらない授業中だとか、暇な時間、退屈な話を聞いているときだとか……とりわけ、自室で本を読んで顔を上げたときに、私だけが知りうることを思い返します。そして、いつもなぜ私だけがこのことを知っていて、他の誰も知らないのだろうと不思議に思うのです。 神様。私はあなたが何者か知りません。けれど、わかっていることがあります。それは、この世界があなたのつくった本の中だということです。あるときから理解していました。いつからかわかりません。どうして気づけたかも思い出せません。それでも、この事実が嘘偽りのないことを知っています。だから、あなたにこうして手紙を書いているのです。 しかし、この手紙は私が書いているのでしょうか。あなたが書いているのでしょうか。私は書かされているのでしょうか。あなたは何者なのでしょうか。この世界が本の中と知っている私は、常にあなたのことを考えながらこうやって混乱しています。この世界にあなたのことを理解してくれる人はいません。意味がわからないのです。もしくは、都合が悪いのでしょう。 両親や友達、先生に話しても変な顔をされます。そのときに不思議と、あなたがこの世界に降り立ってくれればいいのに、と私は思ってしまいます。でも、それをあなたがしてしまえばこの世界は本当に終わってしまうこともわかっていますから、私は思うだけです。絶対に来ないでくださいね。 話は脱線しましたが、あなたのことを話しても誰も信じてくれないので、私はこの世界のことを話すのを長い間やめていました。私も、あなたがこの世界を仕立てた理由を知らないのです。私が知っているのは、この世界が「本の中」だということだけです。 手紙を書くにあたって……私は、私の意志で、自分の気持ちに率直なまま書いています。手紙を書くという行為で、あなたと会話ができるのか、あなたは私に気づいてくれるのか、そもそもあなたが私を突き動かして書かせようとしているだけなのか色々考えましたが、今は私は「私」だと思って書いています。この世界で神様に等しいあなたに、少し失礼なことを書くかもしれませんが、あなたなら許してくれると信じています。 私は、この世界が本の中の世界だと知りたくもありませんでした。今ですら思い出したくもないことです。不気味な話で、誰の手にも世界は変えられないと教えられてしまったことと同じですから。どの意図があってこの世界が存在するのかだとか、たくさんの謎が、あなたの存在を知ってしまったことですべて解決するのです。解決、というと良い響きですが、同時に目的意識も失ったような気がします。 私のこのなんとも言えない気持ちを、あなたにもわかってほしいと思うのです。自分のことを不幸とは言いませんが、幸せとも思えません。あなたを感じることは、私にとって虚しさを感じることでもあるのです。たとえば、私の生きるこの世界をつくったあなたの生きる世界も、誰かに書かれた世界だと知ったならば、気持ちを共有してくれるでしょうか。世界の理を統べるのがあなただと知る絶望を、理解してくれるでしょうか。 この世界には宗教があります。あなたがつくった世界ですから、おそらくあなたの生きる世界にも同じようなものがあると思っています(私自身、この世界で読み書きされている本をたくさん読むのです。作家は基本的に自分の生活環境を創作に組み込むはずです。だから、あなたもそうだと仮定しています)。 私は無宗教徒ですが、あなたを知っています。彼らからすれば神様にあたると思い、私もときどきあなたのことを神様と名付けています。でも、信仰はしていません。あなたに祈っても、あなたが私のために動いてくれると思えない。私はあなたの作品の主人公になれるほど、取り柄も何もないのです。よくて通行人Aくらいだと思っています。 ただ、あなたの本に登場しているのではないかと思うのは、私だけこの世界が本の中だと理解している、この一点に尽きるのです。本当は、何も知らないで登場人物にもならないで、この世界があなたのものとは知らず生きていきたかった。思い返すたびにショックを受けるのです。知らないほうが良いことは、この世の中にいっぱいあります。あなたの世界でも、同じことがいえるのではないかと私は思っています。 私は、この世界が本の中だと知ったことで、長い間投げやりな気分で生活していました。この世界から抜け出す方法も考えましたが、いくら科学の本を読んでも無理でした。私には難しすぎます。どんな科学も哲学も、あなたに到達できない。そう思う気持ちのほうが強く、すべてが無意味に見えました。諦めよりも途方もない感覚です。 しかし、あるとき私は気づいたのです。部屋に引きこもっても考えても傷ついても、この事実だけは覆さないのです。この世界をつくったあなたならば、それを当たり前だと受け止めるかもしれませんが、私はようやく気づいたのです。国語の授業中のことでした。それから一週間、私にできることだけを考えました。そして、手紙を書くことにしたのです。 あなたに、ただひとつ、知っておいて欲しいことがあります。 この世界があなたにとってレプリカでも、私にとってこの私の生きる世界は「本物の世界」だということです。 本の中の人間の戯言と笑ってくれてもかまいません。けれど、この世界や私が生まれたきっかけが何にせよ、今この世界は生きています。生きているのです。 私は生きています。自分の足で、身体で、呼吸で、目で、この世界とともに生きているのです。これは、あなたがこの世界をつくった後にできた事実です。 だから、お願いです。たとえレプリカだとしても、つくった世界を壊さないでください。この世界はすでに、あなただけのものではないのです。 私はとても愚かなことを書いているかもしれません。くだらない手紙かも知れません。第一、私はあなたが読んでくれているのかもわからない身の上です(この私の目の前にある紙と文字は、あなたの世界まで時空をこえてくれるのでしょうか。私は祈るしかありません)。でも、これだけは伝えておきたかったのです。お願いです。私のたったひとつのお願いです。 ……ここまで書いておきながら、あなたがすでにあなたの世界でいなくなっているのかもしれませんね(存命でしたら、ごめんなさい!)。たとえば、あなたがこの世界に興味を失ってしまうとき、この世界はどうなるのかわかりませんが(すでに興味を失った世界でしたら、それでもこの世界は存在することを立証しているのでそれはそれでいいのです)、たぶん、あなたの手を離れてもこの世界は自分の力で立ち上がれると信じています。そうでなければ、私も辛いです。私を特別ひいきにしてほしいとかは、露ほども思っていません。この世界ありきの私ですから(でも、あなたありきの私とは言いたくないのです。ごめんなさい)。 たったひとつの願いだけです。祈りではなく、願いです。興味がなくなっても覚えていてください。 あなたのつくったいくつもの世界(本を書く人だと思うので、私の世界以外もつくっていると思っています)の中の人々は、あなたのレプリカだとしても「本物の世界」だと信じて疑っていないのです。そして、その中で皆それぞれのやり方で懸命に生きているということです。人だけでなく、動物も植物も、きっと水も空気も火も、この世界取り巻くすべてが偽りなく生きている。 私も懸命に生きます。これからもずっと、私はこの世界で生きていてほしい。私はこの世界で生きていきたいから、あなたに手紙を書いて伝えたいのです。 この世界で、私たちが生きているということを、どうか覚えていてください。 私が心から伝えたかったのは、それだけです。私の手紙に気づいてくれたことに、感謝しています。 それでは、名も知らぬあなた……神様へ。愛を込めて。
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