* Sherry_Mellow *


「あー、もう、ほんっと、うるさい!」
 ただでさえ短気なハルカは、傍で拗ねだしたら愚痴の止まらないケイを両断すべく、振り返って一喝した。自分より少し高い目線を睨むと、さすがにお互いの性格を知り尽くしているケイは一瞬怯んで口を噤む。それでも足りないのか、眉間に皺を寄せたまま息を吐いた。
「だってどう考えたって、あたしハブられてじゃん」
 拗ねてんだか怒ってんだかよくわからない表情は、その瞳の奥に「ちょっと傷ついた、淋しい」という感情を湛えている。スレンダーな長身の彼女が小型の室内犬のように項垂れる様は、確かにカワイイと言われる部分なのかもしれないが、ハルカにはそれはさっぱり理解できなかった。ドクターマーチンのブーツに革ジャケットと黒ハットを愛用し、通年パンツルックのケイがカワイイ女子的な服を着ていることなんて見たことがない。性格もハルカからすればカワイイというよりも、一歩間違えれば今みたいにうざいだけだし、確かにおもしろくって楽しいヤツだが、やっぱり一定ラインを超えるとうざいだけにしかならない。
 だからと言って、ケイのことが嫌いなわけでもないのだ。でも、とある誰かのように「ケイのかわいさは別格」と無条件でなんでも許して大好きというのは絶対に違う。普通に、一般常識的に友人として好きなだけだ。たとえ、仮に同性というのを脇に置いてケイと付き合ったとしても、ケイのありえない淋しがり屋気質と、デリカシーのなさに即キレるだろう。ハルカにはそんな妙な自信があった。
「あんたの都合なんて、なんでいちいち聞かないといけないのよ!」
 ハルカがもう喋るなといわんばかりに言い放ち、また進行方向へ向きなおす。仕事の絡みとしてケイの大好きな相手と会うことをうっかり話してしまったのがまずかった。まさか、こんなことでうだうだがはじまるとは思ってなかったのだ。公私が曖昧な職業のハルカとこれから会うノゾミという相手は、古い友人でもあり仕事の協力者でもある。ケイは数年前にその中に割って入った女だったが、これも元はハルカとケイが飲み仲間から流れてきた関係だ。こんなことになるなら、最初から会わせなければよかったとハルカは思っているほどだ。
 ノゾミとハルカが二人きりでするときの打ち合わせは、仕事半分雑談半分なのをケイはよく知っている。だから、ハルカから今夜はノゾミと打ち合わせると聞いて、ついて行きたいと駄々を捏ねだしたのだ。
 黙っているケイは、どうにもハルカの言い草にムカつきすぎて言葉が出なかったらしく、数秒置いてぐずりだした。
「じゃあこれから聞いてよ! あたしだってハルちゃんの予定たまに聞いてんじゃん!」
 一向に反省する言動にはならないケイに、ふざけんな、とハルカも額に青筋を立てた。ケイがハルカの予定を聞くときは、自分自身が暇だったり淋しかったりする都合のいいときだけだ。ありえない。
 というか、そもそもなんで私があんたの都合をわざわざ訊かなきゃいけないのか教えてくれ。
「……マジでムカついてきた」
 ハルカは、この状況を不服に思う。なぜ自分が恋人同士の片割れのような役を引き受けなければならないのか。ケイと関わるのも嫌になって歩行速度を上げると、さすがにケイも焦ったようにハルカの横に並んだ。顔色を窺う様子がハルカの視界の端に映って、またとある誰かを思い出した。とある誰かとは、二つ年上のノゾミである。
『ちょっと言い合いになって、ムカついてだんまりするとするじゃない。そうしたらあっちが沈黙に耐えられないみたいで、不安そうに困った顔してこっち見るのよ。イラついてるから横目でちらりとしか確認しないんだけど、もうね、あれがまた、けっこう……』
 その発言をされたとき、続きはあえて求めなかった。どうせカワイイとかたまんないとかそういうことなのだろう。どちらにしろノロケ話みたいなものなのだ。もうそんな類の話はノゾミから散々聞いている。双方がハルカの友人であるゆえに、双方からノロケ以上の話を聞いているし、あの二人が一緒にいるとノロケ級のものを見せられるのだ。ケイとノゾミが同性という枠組みを勝手に軽々と乗り越えてくっついてしまったおかげで、間にいたハルカは仲が良いという特権を二人に勝手にフル活用され、橋渡しや相談や仲介といった非常に面倒なことを請け負うようになっていた。
 はっきりいってハルカからすれば勘弁してほしいことなのだが、ケイはともかくノゾミにお願いされてしまったらハルカもノーとはいえない。ハルカにとっても、ノゾミほど感性と性格の面で好きで信頼できる相手はいないのだ。ケイのように軽々男女のカテゴリーをゴミ箱に捨てられる性格だったら、ハルカもノゾミに付き合ってくださいとお願いしたかもしれない。
「ねえねえハルちゃん、あたしも行っちゃダメ?」
 さっきの喚きとは正反対の遠慮一杯なケイの声が聞こえ、無意識に歩調が落ち着いていたハルカは息を吐いた。ケイを見ると、光沢ある本革のジャケットがハルカの背丈に合わすような感じで曲がっている。困った顔をして背を丸めた情けない雰囲気は、女たちにも細くてモデルみたいで格好イイ、と称される容姿を完全に裏切っていた。しかし、そんなところが案外異性にも好かれる要因になっているし、ノゾミから愛される最大の要因になっているのだろう。
 ハルカは悩んだ。しかし、ケイが答えを急かすように見つめるものだから、口から出任せのように答えた。
「そんなの、ノゾミに電話して聞けば?」
 ハルカがケイを連れて行きたくなかった理由は、自分の前に二人がいちゃつくのが目に見えていたし(それはほぼ腹を括ったが)、単なるプライベートで会うのではなく仕事込みだということだ。ただ仕事の相談とかではないからケイがいてもまずくはない。しかし、ノゾミのほうはどうだろうか。仕事の話に比重が置かれるならば、関係ないケイは邪魔者でしかない。ケイが間に入ると、ノゾミも仕事の話どころではなくなる。
 結局は相手次第。ケイもそれは感じていたようだ。
「それ、ハルちゃんが訊いてよ」
 おそるおそると言った様子で言ってきた。ついこの前、仕事の件で神経質になっていたノゾミにキレられたと珍しく半べその電話をしてきたケイのことをハルカもよく覚えていた。たとえばケイが電話でお伺いをたてたとして、「ケイは邪魔だから来ないで」とノゾミに言われれば、再起不能になるかもしれない。
 それはかわいそうか、仕方ないなあ……ハルカは心の中でため息交じりに呟いて、携帯電話を取り出した。脚を止めて耳に押し当てる。トゥルルルル、トゥルルルル。この機械音がケイの耳にも微かに届くのだろうか。
 じっと聞き耳を立てるケイが鬱陶しくて、回線が繋がる間際に疑問を投げかけた。
「で、ノゾミのいったいどこを好きになったの?」
 突然の質問に、ケイは一瞬きょとんとしたが、あっさり答えた。
「え? ぜんぶ」
 こどものような即答に訊き方を間違えたと脱力したところで回線が繋がる。馴染みの声がやんわりと届いた。


 カフェバーにはいると、すぐにノゾミの姿を見つけた。それほど広くなく、カウンターの奥まったところで一人気だるげに雑誌を広げて、暇つぶしのように読んでいるというより眺めている姿は、それなりに目立っていた。目立っていたというか、誰より人待ちな雰囲気が強かったから見つけやすかったのだろう。側にはほぼ氷しかはいっていないグラスに、雑誌の横には何かしらのインテリアやデザインの本が無造作に置かれていた。
 ハルカたちが近寄ってもまったく気づかず視線を落としたままというのが、ノゾミらしいかもしれない。このちょっとした鈍感さが、喧しいかまってちゃんなケイとうまくやっていけてるコツなのかもしれない、とハルカはちょっと思った。
「あら、」
 ノゾミはようやく気がついたように、微かに声を漏らした。チェアひとつ分のところにハルカたちが来たときである。しかも、ノゾミが真っ先に見たのは待ち人のハルカではない。その隣に荷物を置いてさっさと座りはじめたケイのほうだ。だが、それを見止めたのは一瞬で、すぐハルカを見ると「お疲れ様」と、挨拶代わりに言って雑誌を閉じた。
 その隣では、ノゾミを見つけた瞬間から黙りこくっているケイが、目の前にあったデザイン誌を手にしてぱらぱらと見つめている。多分ノゾミが声を掛けるまでケイは黙り続けているだろう、ハルカは彼女の背を丸めた姿に苦笑しつつ、ノゾミを挟んで隣に座った。
「けっこう待った?」
「あんまり、これとか読んでたからあっという間よ」
 そう答えながら、ノゾミが雑誌に手を置こうとするのをケイは見計らうように、その雑誌を引き抜く。わざとらしい無神経な行為は、ノゾミに己を主張する一貫の動きだ。ノゾミは少し驚いたようにケイを見たが、何を言うこともなく、むしろ突然何かを思い出したようにテーブル下でごそごそとバッグをあさってUSBメモリを取り出した。
「コレ、こないだハルちゃんから頼まれてた音楽データ。先渡しとく」
 ハルカがすっかり忘れていたものを渡され、思い出したと同時に礼をいう。ノゾミに顔を向けると、必然的にケイの顔も目にはいる。彼女がムッしているのは、目を合わせたのに一言も声をかけられずノゾミに放って置かれているからだ。ノゾミのマイペースは、それぞれの関係がどんな名に置き換わったとしてもかわるものではない。ケイも自分の抱く感情の理不尽さを少しは把握しているようで、それでもふてくされたままスタッフを呼ぶ。
 その声に、ノゾミがようやくちゃんとした視線を向けてみせた。ケイも憮然としながら横目でノゾミの視線をすくう。
「ケイは、あんまり飲みすぎないように」
 しかし、ノゾミが発したケイへの第一声は、子どもを諭すような内容だった。ケイは微かに期待していた言葉から裏切られたような表情をして、さらに眉間に皺を寄せた。しかもその第一声にひどくショックを受けたらしく、傍に来たスタッフの声で我に返って顔を上げた。
 その一連の感情をノゾミは気づいていたようで、そっと笑んだままハルカに顔を向けた。
「ハルちゃん、なに飲む?」
 ケイへの愛情を、こうして見せ付けられたハルカは、ノゾミも無意識に愛情を洩らしているといつもの様子に半ば呆れながら頷く。ケイの頼むカクテルの名前が聞こえた。飲みすぎるなという余計な忠告で機嫌を悪化させたわりに、その忠告通りアルコール度数の少ない酒種を頼んでいる。その素直さが妙におもしろくて、無意識に込み上げる笑いを堪える。そしてケイと同じものを頼んだ。


「さてと。ケイちゃん、元気?」
 ノゾミの声に、ケイは文句を今すぐにでも吐きたいという顔で答えた。
「べっつに」
 本当は元気も何もケイのことは熟知している。ノゾミとケイは数日前、一昼夜ずっとべったり一緒にいたのだ。ノゾミは元来一人でいるのが好きだ。数日前にあれだけ二人っきりで仲良くしていたのだから、半月くらいケイに会わなくても寂しくはないという精神の持ち主なのだが、ケイはそうではないらしい。会えるもんならいつでも会いたい、とりあえず会いたいという感じらしい。ノゾミにはそうしたケイの気持ちがわからない。でも、この扱い、信じられない、と今のケイが思っているのは手に取るようにわかる。
 仕事の話をしているのだから仕方ない。今回は特にPCでモノを見ながら話すことではないから、状況や専門用語がわかっていないと外国語を聞いているような気分になるだろう。ケイはハルカが席を立つまでの二時間近く、ずっと黙ったままだった。
 ノゾミの苦笑交じりの微笑みに、ケイがふてくされたように顔を反対側へ向ける。普段はおしゃべりなケイが黙ると静かなものだ。逆に意気投合して話し出すと、誰も割り込めない世界を創り上げると、かなり前に面と向かってハルカに言われている。
 ケイの完全に拗ねた様子にノゾミが笑いを抑えきれなくなると、ハルカがトイレから戻ってくる。ケイがすっかり拗ねていることと、ノゾミが機嫌取りをしないで観察していることに気づいていたのだろう。しかし、彼女は何も言わず元の椅子へ腰掛けた。
 その拍子に、ノゾミはテーブルの下に下げていた手首を掴まれた。驚いてその手を見る。
「なんかつまむもの取らない?」
 ハルカがペーパーメニューを見ながら声をかけてくる横で、つかんできた片手はノゾミの無抵抗な指を這った。思ったより温かかった手のひら。きっちりとつないできた手の主をチラリと見る。一瞬だけ目があった彼女は、妙に満足そうな瞳をしていた。ノゾミは何も言わず笑んだ。視界の隅でケイも顔を背けながら、それでも嬉しそうなのがわかる。
「ねえ、二人とも」
 会話に乗らない二人にハルカがノゾミを見る。すぐにハルカも何があったのかわかったらしい。表情が変わる前に、空いている片手と視線で原因を指した。ハルカはノゾミの指図通りにノゾミとケイの間を見る。途端にいつものように呆れ果てて「バカップルめ」と呟いた。
 その言葉にノゾミはおかしくなって笑い出し、ケイは知るかよといわんばかりにテーブルに突っ伏す。つなぐ手に力を込めるタイミングは、それでもぴったり同時だった。



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