* 新しい鉢 *


 隼人たちの通学路は半分が海に沿っていた。強風のときや真夏のときは磯の香りで終始道は満たされているが、湿気のなくなった秋になると海の表情は大人しくなる。鏡のように太陽をキラキラと反射させて町の風景を潤す。
 部活を終えた隼人は友人と手前の道で別れると、鼻を利かせながら自宅までの距離を歩いていた。今日は海の匂いが極端に薄い。ときどき山から下りてくる風が、潮の存在を一掃しているせいだ。部活仲間の中で一番遠いところに家がある隼人は、海沿いに住む友人たちと別れるといつも海に背を向けて嗅覚を研ぎ澄ませた。
 山の風を感じながら坂を上る。山から下る秋の風は少し冷たい。
 海沿いの人里から離れていくと、家の間隔は少しずつ広くなっていく。その代わりのように本数を増やす木々は、夕焼け後の空に促されて大きな影絵になろうとしていた。外灯が極端に少ない危なっかしい田舎道だが、残り歩いてものの五分で家に着くのだ。隼人はお腹を鳴らせて家路を急いだ。
「ねえ、ちょっと、すいません」
 家の目前で、鈴が鳴るような女子の声がした。薄暗がりの坂道に女の子の気配など微塵もなかったから、隼人は驚いて振り返った。
 声がしていたとおり、目の前に背の低いみつ編みの女の子が立っていた。隼人は目が合った途端、彼女の美しいまなざしに吸い込まれた。大きな瞳は真っ直ぐ隼人に向いている。明らかに用がある雰囲気だ。
 隼人も彼女をそのまま凝視した。なんたって、彼女が可愛かったのだ。宣言していい。この町で、一等可愛い顔の娘が自分の目の前に立っている。
 言葉も出せず、驚きの可愛らしさにじろじろと彼女を眺める。同い年くらいの子だ。長袖のセーラー服みたいな服を着て、両手に何かを持っている。スカートから生えた細い脚は白く、妙な色気を漂わせた。
 彼女は隼人を真っ直ぐ見続けて、はにかんだ。
「いつもあなたのこと、見てます。これ、受け取ってください」
 きれいな声と手に誘導されて、隼人はその女の子から筒状の紙袋にはいったものを受け取った。
 少女の容姿ばかり気に取られていたが、彼女の持っていたものは、何かの植物だ。ちいさい紙袋というよりは、深めの紙筒だ。中には土がはいっていて、そこで何かの新芽がこれから成長しようとしている。
 植物の生態についてあまり詳しくない隼人でも、これから冬の向かうというのに新芽の草というのは少し異様だった。この町は冬になるとそれなりに雪が降る。年によってはだいぶ降る。
 ……これって、渡されても冬を越せるもんなの?
「それ、新しい鉢にいれてください。……それでは、」
 彼女は隼人からの一切の言葉を求めず、言うことだけ言って背を向けると走り去った。隼人は家の前で呆然とした。意味がわからない。
 外は完全に暗くなっていた。海のほうにある外灯が、よく見えている。
 次第に、今の出来事の異常性に気づいた隼人はこわくなった。
 こういうときに頼れるのは自分の母親だ。急いで家の敷地にはいると、玄関先にもらったものを置いて、引き戸を開けた。バタバタと家の中を駆けて台所に突っ込む。母の後姿があった。
「おかえり。廊下は走らないでって、言ってるじゃない」
 鍋を見ながら息子の足音をいさめる母に、隼人は挨拶する余裕なく名を呼んだ。
「おかーさん!」
 エプロンを身につけた母が横を見る。目線は隼人と同じだ。
「なあに? なにかあったの?」
「あったよ、大アリ! なんか、ヘンなのもらっちゃった! 家の前で!」
「なにか勧誘?」
「違う! なんか女の子みたいな子から、植物みたいなのもらって、なんか苗みたいな! それ新しい鉢にいれてって!」
 捲くし立てるように話す息子にたいし、よくわからないといった表情をする母親だったが、すぐにごはんづくりの手を止めた。
「それ、どこにあるの?」
「玄関前に置いといた」
「そう。ちょっと見てき……でも、ごはんの後でもいいかしら。お母さんがなんとかしとくから、隼人は荷物を部屋に置いてきなさい。あと、おじいちゃんとお父さんにごはんもうすぐできるって言ってちょうだい」
 冷静に返す母に、隼人は安心する。やっぱり母親ならなんとかしてくれる、と思った。これ以上、あの出来事と植物に関わりたくない隼人は、大人しく母親の頼みを聞いた。手を洗って祖父と父を呼ぶ。まもなく夕飯がはじまり、隼人はさきほどの出来事を都合よく忘れた。
 食事が終わって一息ついた頃に、母が「少し出かけてくる」と言って家を離れた。それで先刻のことを思い出した隼人は玄関先を覗く。苗のようなものがなくなっているところを見ると、母は本当になんとかしに行ったようだ。少し心配になった。
 一時間ほどして、母親がいつもと変わらない様子で帰宅してきた。台所へ入る母を隼人が目ざとく見つけて追う。
「おかーさん」
 呼んだだけで、息子が求めているものがわかったようだ。
「ちゃんと彼女を見つけて返してきたわよ。ごめんねって」
 それにホッとする。でも、ひとつ大きな疑問が残る。
 彼女は、人間ではなかったような気がしたのだ。
 隼人は意を決して、母にそれを直接聞いた。
「……あれ、人間だった?」
 その問いに、母親が意味深な顔をする。隼人の母親は生まれたときから、そういうものが見えたり聞けたりする体質だと知っている。
「もしかして、俺もとうとうみえるようになっちゃった?」
 黙っている母親に、隼人はヒエーと言わんばかりの表情で両手で顔をはさんだ。母はそれに苦笑する。
「今回はたまたまじゃないかしら?」
 人間でないと肯定したものの、隼人の霊感を否定した。
「なんで?」
「あれは幽霊っていうより、精霊みたいな感じよ。悪くないものだし」
 さらっと言い除けた母に、隼人は目を大きく開けて聞き返した。
「は? なにそれ」
 まるでゲームの中みたいな話だ。
「だから、樹の妖精さんみたいな」
 母の平然と話す言葉に、息子は輝いた。
「えっ、それすごくね?」
「お母さんもはじめてみたけど……たぶんそんな感じよ」
「えー、なら、びびらなきゃよかった」
「でも、あんまり面白がるのはやめなさい。あちらさんは本気だったんだから。いい? あなたが軽い気持ちで接して、あちらさんが真に受けて大変なことになったらどうするの」
 母の口調は厳しい。人間でないもので大変な目に遭うのは嫌だ。隼人は口をとがらせながら「ういー」と答えた。
「でも、あんなふうに出てこられる個もいるのね。ちょっと勉強になったわ」
 しみじみとつぶやく母は考える表情で息子を見た。
「隼人。新鉢って意味知ってる?」
 突然出てきた単語に、首をかしげる。
「あらばち? しらね」
「ならいいわ。この件は、これで終わり。いいわね」
 そういう母は流し台に向きなおって、やかんをつかむ。これから日本茶でも入れるのだろう。
 隼人は首をかしげながら、あとで父親からPCを借りて、『精霊』と『新鉢』をネット検索しようと胸に誓った。



... back