* 焼きたて問答 * | |
放課後になって少しの時間を教室で過ごした後、夏鈴たちは近所に住む岩倉のおばあさんの家へ向かった。年配の彼女と、先日隣の嘉世が携帯電話のやり取りで焼き芋をこしらえる話をつけていたのである。 七〇歳をゆうに越えながらスマートフォンを当然のように使いこなす岩倉のおばあさんは、女子中学生たちにとって一際物珍しく親しみの覚える相手であった。彼女は近所にある中学校で園芸部のボランティアをしていたから、元々子どもたちに顔が知られた存在だった。その活動から去年身を引いて、メールでつながる学生たちを大切にしていた。 夏鈴たちは美術部でありながら、園芸部に出入りする彼女と仲が良かった。静物画用に、園芸部でつくっていた野菜を借りに行っていたのが知り合うきっかけだ。 「そういえば、来月の模試の申し込みしてきた?」 鞄を振りながら亜津子が二人に問いかけた。三人は受験生だ。部活も引退して、あとは二月に控えている入試に的を絞っていくしかない。中学三年生に課せられた一番の大仕事だ。 「したよ。わざわざ書店に行ってやんのマジ面倒なんだけどー」 「みんなやってる模試なんだから、学校でやればいいのにねえ」 「でも、愛ちゃんも咲穂も今回は受けないって。予定的に無理って」 「いつもやんの日曜だもんね。あと公立だから無理ってのもあるんじゃん?」 そんなことを話しながら、三人とも焼き芋会が目下の最優先事項だ。なかでも焼き芋会の算段をつけた嘉世には、少し下心があった。彼女は岩倉のおばあさんの孫、高校二年の光里が大好きなのだ。光里がまだ中学校に在学していたときから、嘉世は光里先輩にしか想いを向けていなかった。男子生徒は幼稚で綺麗じゃないから嫌らしい。 岩倉家は夏鈴の家とは正反対の道程にあった。嘉世が事前にこっそり下見をしていたこともあって、必然的に彼女についていくかたちとなった。中学校から歩いて一〇分。嘉世の見つけたとおり「岩倉」の表札のかかる家があったが、彼女は門をくぐることなくその裏手へ向かった。畑だけでなく植木屋もいくつかあるほど土地の豊かな地区だ。岩倉家も家屋以外の土地を持っているのだろう。塀の角を曲がると畑の一角で、もうもうと煙が昇っている。すでに落ち葉は燃えていた。 手を振っている二人を目印にして、待ち合わせた時刻を確認することなく着いた。岩倉のおばあさんと制服姿の光里が準備を終えていた。すぐ三人は挨拶をした。 「みんな受験生なのに、悪いねえ」 「いえ、こちらこそ……」 「ありがとうございます。うれしいです」 「焚き火で焼き芋なんて、滅多にないし」 「うん。私も今日は自転車すっ飛ばして帰ってきたもん」 その言葉に二つ先輩の光里が相づちを打って、ついで先輩らしく問いかけた。 「三人は、今日は塾とかないの?」 おばあさんの視線はくすぶる落ち葉に向いている。会話は若者たちに任せるようだ。四人の様子を見回した夏鈴は、先輩の制服へ目を向けた。嘉世はすでに彼女の隣を陣取って目を輝かせている。 「はい、大丈夫です」 彼女の返答を待って、夏鈴が付け足した。 「たまたまない曜日なんだよね」 「そうそう」 「そっか。志望校決めたの?」 その問いかけには、三人揃って光里の通う高校名を言った。 「えっ! そうなの? じゃ、また後輩になるんだ」 光里は後輩三人が一致していたことに少し驚いていたが、それぞれ志望する理由は違っているし、亜津子はまず志望学科が違う。 「なんで、ついでに先輩の話も聞こうと思って、」 真っ直ぐ視線をあてる嘉世だけは純粋だった。大好きな光里の進む道を模倣しているに過ぎない。実際、光里が中学時代に生徒会役員をしていたから去年立候補して生徒会に入ったような性格だ。この調子だと、高校に受かっても光里と同じ部活に入り彼女と同じ大学を志望しかねない。 「いいねえ、光里ちゃん助言しなさいな」 「先輩の話、すごく聞きたいです。高校ってどんな感じですか?」 嘉世の待ちかねていた独断場がはじまる。夏鈴と亜津子は彼女の熱意に水をささないよう、一歩ずつおばあさんのほうへ寄った。 「あの、焼き芋は、」 三人のなかで最も食い意地の張った亜津子が問いかけた。長い鉄の棒で見えない焼き芋を転がしているおばあさんは、少しの沈黙の後に顔を上げた。 「まだ、ちょっとお待ちなさいね」 夏鈴がどれくらい前から焼き芋をつくりはじめているのか聞けば、おばあさんがエプロンのポケットから携帯電話を取り出した。時間を確認しながら話す様は、中学生にとって妙に好感を持たせる。サツマイモ自体、ここの畑でつくったらしい。畑でつくった野菜を畑で調理して食べる。その循環に、夏鈴は少し感慨深い気持ちになった。焼き芋のつくり方を聞いた後は、光里の入試体験談が耳に入って、そちらへ移る。女学生が四人、輪になって真剣な話をはじめた。太陽は朱色に変わりはじめている。群青へ移るにはまだちょっと早い。 岩倉のおばあさんは、女子たちを放って芋の焼き具合を見ていた。燻り焼けていく落ち葉から、アルミホイルに包まったひとつのサツマイモを転がして表に出す。そしてポケットから割り箸を取り出して割った。しゃがんで、片箸を突き刺そうとしたところで、軒に連なる低木からガサガサと音が鳴った。 バサッ、と、なにかが飛び込んで立ち止まった。女子四人は、驚いたように悲鳴を上げる。 おばあさんは隣で瞬きをしているものを見た。どう見てもタヌキだ。かなり丸々と太っている。タヌキは制服姿を見上げて、きょとんとしていた。動物嫌いの嘉世がさらにわめいて、光里のすそを掴んで後ろに逃げた。 「あら、」 数テンポもずれて漏れたおばあさんの声に、タヌキはハッとして顔を向ける。すぐ隣にしゃがんでいる人間がいるとは思わなかったようだ。慌てふためいたように二足で立ち上がり、宙返りに近いかたちで反転してまたガサガサと軒の奥へ戻っていった。 「なにあれ! あれ!」 「ちょーびっくりしたー」 「もうヤダ。ああいうのヤダ!」 「おばあちゃん、今のってタヌキだよね?」 後ろに嘉世を引っ付かせたまま、孫の光里はおばあさんを見た。しゃがんだままの彼女は、途中で止まっていた動作を再開させながら答えた。 「そうだねえ、」 闖入者に女子学生は女子学生らしく、声を張り上げて盛り上がる。その間に焼き芋は出来上がっていた。おばあさんは軍手で彼女たちに芋の出来栄えを見せる。そして全員分の軍手を渡すと、アルミホイルの芋たちを外に出した。食べ方を教えれば、ようやく訪れたおやつの時間に彼女たちは色めきたった。 「あつっ、」 「ん、おいしい!」 「すっごいあまーい」 「ホンモノは違うよねー」 ガサ、カサカサと軒から葉の揺れる音がした。残りの焼き芋を鉄の棒でつついていたエプロン姿の彼女は、緩慢に顔を向けた。同じところからのっそりまたなにかがやってくる。 模様はさっきのタヌキに近いが、今度は猫だ。 光里たちも彼女の視線の先に気づいて肩を震わしたが、猫だとわかって焼き芋に顔を戻した。おばあさんは太めの猫を見つめる。猫は人間を恐れもせず彼女のそばに来てじっと見上げた。 その様子を猫が比較的好きな夏鈴はそっと見つめていた。熱心におばあさんを見る成猫は、明らかになにかを訴えている。 「ほれ、これ熱いから冷めてから食べるんだよ」 おばあさんは苦笑しつつ、鉄の棒でちいさめの焼き芋を猫の前に転がした。 「あんたも大変ねえ、いろいろ気いつかって、化けてみたり、」 そう言うと猫は目を細めて、ニャオン、と大きく鳴いた。夏鈴は二人の妙な交感に首をかしげながら蜜色の身をまた齧る。その隣で亜津子が口をもぐもぐさせて、岩倉さんもういっこ食べたいです! と手を挙げた。
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