* リクペラ・コン・ブルー 第4話 * | |
男と出逢って半月近く経った。 ふうぅ、とシャルネがまた溜息をつけば、昼食の支度をしていたローランが見るに見かねたように同じような吐息を漏らした。 「シャルネ、何かありましたか?」 突然の声にハッとして、持っていたナイフを落とす。剥いていたはずのジャガイモは、皮を半分残したまま。手が止まったままだったと気づいた。 赤毛をまとめたローランが身を屈めてナイフを拾う。育て親の彼女は元女騎士。王国が現存していた頃は警護と子どもの武術指導を担当してきた。廃王家唯一の生き残りであるシャルネを育てるために、持ち前の体力と器用さで様々なことをこなしてきた。シャルネも彼女には頭が上がらない。 「ごめんね、ローラン」 「いいんです。シャルネはゆっくりしていてください」 言われたとおり、水場から離れてテーブルのチェアを引いた。 町外れにある集落の一番奥に二人の小さな住居があった。中心部からだいぶ離れていて、常に静かな場所だ。 「今日はお食事のあと、歌いに行かれるんですよね」 「そうよ。女将さんのところで仮眠して、翌朝また市場で合流するのでいい?」 「そのようにお願いします」 相変わらずの敬語に苦笑する。外で一緒のときは、年の離れた姉妹のふりをするためローランも気さくな話し方をしてくれるのだが、長年の習慣で敬語のほうが気楽らしい。 「ローラン、生地屋のネネおば様からジュニパーの香油を二本頼まれているんだけど、今夜渡せないかしら?」 「ええ、もう十分漬け込まれて香りも移っているでしょうから。行く前に持たせますね」 「ありがとう。あと、ジャスミンは?」 「そろそろです。まだ、売れるかたちにはなっていませんが」 ローランは、畑で育てたり森に入ったりして採れる季節の草木や花を使い、香り水や香油をつくるのが得意だ。転々と生活する中で、いつしかそれが本業となった。そのためシャルネも植物の香りについては敏感だ。ただ敏感すぎて、香りを身につけることはしない。森に入って、あるがままの自然の香りや色彩に出合うほうが好きなのだ。 だからこそ、こんなに特定の香りや人物に興味を持った自分が不思議だった。 シャルネはもう一度大きく息をついた。 ……あんなに、香りと人に惹きつけられたのははじめてなのよ。 なぜこんなに一人の人間が気になるのか。 彼は、シャルネが歌う日にかならず顔を見せに来るようになっていた。 贈り物は『貴方の香り水がいい』と伝えてからまだもらっていないけれど、その代わりのようにシャルネが嫌がらないギリギリの額の硬貨を渡してくる。硬貨は皆と同じだから嫌だと言っていたのに、譲歩したらしい。 貴方の心付けで籠が重いのよ、と言えば彼が笑う。閉店後の部屋で何度も会うようになっていた。今夜もこういう流れになるのだろう。 彼のこともほんの少しわかってきている。ゴドールで夜を明かすときは野営で、普段は街道周辺の町巡りをしているようだ。作物の育ちが良い肥沃なこの地域は至るところに町がある。 『海の上で過ごすことが多い俺には、飽きない地域だよ』 先日そう話していた彼だが、いまだに肝心の名前を教えてもらえていなかったどうにもはぐらかされてしまうのだ。 ……私と同じで、身元を隠さないといけないのかしら。 女将はシャルネが歌う日を彼に伝えているそうだが、やっぱり彼の名前を知らないという。 『上位貴族だと思うけど、もし名前を知ってびっくりするくらい高貴な身分だったらどうする? こちらはずっと平伏さないといけなくなるんだよ。お互いにそれは望んじゃいないし、彼も今のやり方が気楽なんだろうよ。秘密は秘密のままでいいんじゃないかい?』 酒場は秘密を持つ人間が訪れることも少なくない。そんな場所を切り盛りしているだけあっての台詞だ。 しかし、シャルネは気になる。 ……私も、シャルネって名前は偽名みたいなものだけれど。 「シャルネ、器をお願いできますか」 「はーい」 昼食がテーブルに揃い、二人で食事をはじめる。木製の器に入ったキノコとジャガイモのスープとパン。その後に果実のデザートが待っている。 「最近、何か変わったことはありませんでしたか?」 唐突にローランから訊かれ、シャルネは木のスプーンを持つ手を止めた。 「いえ、特に、何も」 「そうですか。くれぐれも、気をつけて」 勘の良いローランに念を押され、視線が落ちる。 ローラン曰く、城が落ちて数年は捜索者としてシャルネは長いこと追われる身だったらしい。だが、十七年も経った今ではもう王女と特定できるものはほぼ残されていない。王家が廃され共和国となった故郷では、すでに王族全員死んだとされている。 しかし、廃された王家の資産がどこかに隠されているという噂はいまだに残っていた。 事実、存在するか否かと問われれば、ローランが知るかぎりイエスだ。一箇所だけ暴かれていない宝があり、シャルネが持っている。胸にある首飾りで、裏側が開ける鍵となるのだ。 ……三日前彼と会ったときも、このブルーステラに興味を持っていたのよね。 『この石、誰かの形見のようにみえるな』 大粒のブルーステラを見て、紫青の男はそう当ててきた。あの男もローラン並に勘が鋭い。ますます素性を知りたくなったが、船に乗る金持ちの男でシャルネより六歳上だということ以外謎のまま。 それに、いつまで会えるかもわからない。 ……この調子じゃ、最後まで素性を暴けないかも。 「シャルネ」 呼ぶ声に顔を上げる。心を読むような鋭い表情に視線を逸らした。 ……ローランはやっぱり何か気づいてるみたい。 「歌い手としていただいている硬貨ですが、かなり数が多くなったように思います」 彼女の言葉で、自分の迂闊さに気づいた。貰ったお金はローランに全部任せているが、用心深い彼女は硬貨の量でピンときたのだろう。 「人気が出たのよ」 「個人的な親交があるのでしたら、私も咎めませんが」 咄嗟の言い返しを、教育係然とした口調で潰される。シャルネは口を噤んだ。 ……どうしよう、感づいてるわ。でも、ローランは個人的な親交を咎めないって、今言ってくれたし。 元王女という身分であっても、普通に恋愛は認めるということだろうか。 ……そんな、まだ恋とかそういうのじゃないと思うのだけれど。だってまたそんなに会ってないんだもの。 追いつかない感情に鼓動が跳ねていく。自分でもどうすればいいのかわからないのだ。はじめての気持ちで、はじめてのことだから。 ……いっそ、咎めないなら話してみようかしら。ローランは色んな国に詳しいし、彼のこともわかるかも。 「あのね、ローラン、お話が、ひとつ、」 おずおずと言い出せば、向かいのローランが苦笑する。 「私は怒りませんよ、貴女が何を言い出しても」 「本当に?」 「ええ。何かありましたか?」 「……とある、男の人と出逢ったの」 白状した。ローランは顔色を変えず答える。 「そうですか」 「その人はね、紫青の瞳で背が高くて、濃金の髪をしてて」 少し上くらいの年齢で、不思議な香りを纏い、決して名乗らず硬貨を多く籠に入れる海の男。そんなふうに彼の特徴を話していく。ローランは次第に考え込むような表情となった。 「その方、明らかにこの国の人間ではありませんね。自身の国のことも話していましたか?」 「あんまり……あ、北の海岸でとれるものがあったわ」 シャルネは思い出したように立ち上がった。 酒場に持っていく小籠の中から数珠繋ぎのアクセサリーを取り出す。歌うときと彼に会うときだけ嵌めているブレスレット。 渡されたローランは、ハッとしたように目を見開いた。 「一体いつもらったんですか。今までつけていなかったでしょう」 「歌うときだけつけてるの。大切にしようと思って。……ローランに何か言われるかもしれないし」 「言いませんし怒りませんよ。でも、これは大変高価なものです」 ローランがシャルネを見つめる。かつて王の側近として城に住んでいた者の言うことに間違いはなかった。 「彼、それは浜で簡単にとれるって言ってたわよ!」 「確かに浜でとれるものです。でも、これほど美しくかたちが整ったもので誂えるのは至難の業ですよ。それに、ハイアード王国の北海岸にしかありませんから」 国名がローランの口からするりと出てきて、シャルネは身を乗り出した。 「ハイアード王国? どこにあるの?」 「海を挟んだ向こう側、北西大陸の三分の一を支配する海運王国です。この球は、琥珀。ハイアード王国では一般的ですが、国外に出た瞬間、価値は数百倍に跳ね上がる天然の宝石です」 「そんなに高いものなの!」 「ええ。私どもの国でも貴族か王族でなければ手にできない代物でした。しかもこのレベルのものを持っているとしたら、……上位貴族以上です」 唖然とするシャルネに琥珀のブレスレットを返して、ローランは沈黙した。蓄積している情報の中から、該当者を導きだそうとしているのだろう。彼女は上位貴族の家系にとても詳しい。 「おそらくですが、彼は王子ではないかと」 待ちわびた言葉にシャルネは呆然とした。 「うそ! 王子だなんて!」 「該当する方がいらっしゃるんです。件のハイアード王国には三人の王子がいて、その中で航海好きで変わり者の王子がいると聞いたことがあります。一番末の王子で、名前は確か、アドルフィト・ドゥス・ハイアード」 ……アドルフィト? 彼が、ハイアード王国の第三王子様? 「私はお会いしたことがないですから確証はありませんよ。なんせここゴドールは山寄りの町。港町まで歩いて一日以上かかるというのに、なぜ航海好きの王子がいるのでしょう?」 「それは、海ばかりに飽きてきたからって」 「自由なお方ですね。ハイアード王国が安定している証なのでしょうが」 ローランが失った祖国と比べるように呟く。シャルネも盛り上がった気持ちから少し醒めて椅子に座り直した。 「シャルネ、あなたも本当の名を言わないでくださいね。相手が仮にハイアード王国の王子だとしても」 「はい」 「貴女がエラゥル王国唯一の生き残りである第一王女、シリルアーネ・ガブリエッラ・エラゥルだと知れて、物事がどう転ぶかわかりませんから」 王政が廃された理由が王家内の権力争いと民衆のクーデターだったことに、ローランは今も心の傷を残している。彼女が国に帰りたがっていることも知っているけれど、ラエル共和国として生まれ変わった土地にローランとシャルネの居場所はないのだ。 今は隣接するロッカ王国の片田舎で、城に残された『亡き国王の意志』を取り戻しにいく、という夢を抱く日々。無事取り戻したとしても、その先のことをシャルネは考えていないし、ローランもどうするつもりなのかわからない。 「アドルフィト王子はかなりマイペースな方だと聞きましたが、策略家というよりお人好しの部類でしょう。今いるこのロッカ王国の老王と親しいようですし、個人的な親交としてはよろしいとか思いますよ」 なんともいえない気分で食事を済ませた最後に、ローランがそう付け加えて小さな微笑を見せた。
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