* リクペラ・コン・ブルー 第5話 * | |
真実を聞いてみたい、と思った。 シャルネは薄紺色のドレス紐をキュッと締め、靴を履き替えた。紫青の男が特等席に座っていることは先程確認している。 ……しっかり歌って、彼に訊ねてみるのよ。 今日は歌うだけでなく、その後も大事だ。琥珀のブレスレットをつけ、化粧をしっかり施して一階の酒場へ戻る。 カウンターをくぐると、シャルネは歌い手の顔になった。舞台でリュートを弾くカロイスはわずかに渋い顔をしているが、機嫌を損ねて弾かないと言い出す様子はないからそっとしている。旋律と客の拍手や歓声を味方につけると、舞台に上がって笑みを見せた。 紫青の男と目が合う。それが合図のように、口を開き伸びやかな歌声を発する。 彼に見られていることが嬉しい。同時に緊張も今までより少し強い。 ……唄を通して、自分の心を見せているような心地になる。 今回は恋の唄が多いからかもしれない。歌いたい曲を選んでいたら、自然とそうなったのだ。 三曲目が終わり、拍手とともにピューイッと指笛が鳴った。シャルネが目を向けると、紫青の男がいたずらっぽい笑みで片手を下ろす。「にいちゃん、いい音させるなあ」と年配客に声をかけられる姿を見て、シャルネはなんだかむず痒い気持ちになった。 彼も通い続けてすっかり酒場に馴染んできている。入店時に女将から、シャルネがいない前日も三人連れ立って食事しに来ていた、と聞かされた。単純にこの酒場の居心地が良いと感じているのだろう。 皆に向けて、そして彼に向けて唄を歌う。七つの唄を終え、リクエストで夏を彩る花唄を披露するとシャルネの時間は終わった。拍手とともに舞台を降りて小籠が回りはじめる。いつものように贔屓にしてくださる老婦人に呼ばれて向かう手前、彼にまた軽く腕を掴まれ「後で」と言われた。 ……早くお話できる時間にならないかしら。 きびきびと働けばあっという間に時は過ぎる。事情をなんとなく理解している彼女は「若いっていいわねえ」と、からかうように声かけてきた。 「手伝いはほどほどにして、部屋に戻ってね。お客さんを待たせてはいけないから」 「はい、本当に助かります」 「助かってるのは、こっちのほうだよ。シャルネ、彼に悪いコトをされて辛くなったら、すぐ私に言って頂戴。まあ、ローランも細いわりに腕っ節が強い女だから、彼女に相談してもいいと思うけど」 少しお節介なところがある女将に言われて、苦笑しながら頷く。 ……彼が悪いコトをするなんて、あんまり思えないけれど。 しかも、ローランの情報が正しければハイアード王国の王子だ。粗相はしないだろう。 ……それとも、私の思っていることとは別の意味なのかしら? 首を捻りながら、溜まりに溜まっている食器類を他の従業員と一緒になって片付ける。酒場らしく少しずつ荒れていくフロア。今日のような休息日前はドリンクオーダーが止まず男たちが深夜まで粘り、最後は女将が客を蹴散らしてお開きになるのだ。 ウェイターの仕事も引き受け、こまごまと動いている間に女性客がいなくなる。懐中時計を見ると出演を終えてから二時間経過していた。 肩を叩かれて振り向く。すっかり協力者となっている女将だ。 「彼、上に来てるよ。シャルネの仕事はもうおしまい」 「ありがとうございます。あと、宜しくお願いします」 「それはこっちの台詞だよ。ありがとね」 ヒラヒラと手を振られ、シャルネは騒がしい酒場から住居への扉を開けた。途端に静まる空間。片手でスカートの裾を持ち上げて階段を昇る。 薄暗い廊下。その奥の部屋に彼がいると思うと瞬く間に鼓動が跳ねた。紫青の男と会うことが歌うこと以上に楽しくなってきているのは否定できない。 部屋の隙間から、ランプの明かりが漏れている。 ドアを引けばあの香りがしてきた。身体を滑り込ませると瞳が重なる。ランプに煌く男の姿。 「シャルネ」 名を呼ばれ、ホッとしながらドキドキしながら、彼の隣に座った。毎回この香りを当てるゲームをしているが……今回は先に別の答え合わせがしたい。 「ありがとう。また見に来てくれて」 「ああ。今夜も君は綺麗だったよ」 穏やかな表情に、何を聞いても許されるような気がして背筋を伸ばした。 「あの、ひとついいかしら?」 「なんだ?」 「貴方の名前、教えてほしいって何度も言っているのだけれど」 「そうだな」 「王子様なの?」 彼が紫青の瞳を一際大きくさせた。宝石のような煌きに少し怯んだが、彼の表情に負の要素はない。続けても良いと判断して、国名を口にする。 「ハイアード王国の」 シャルネはどうしても素性が知りたかった。彼は数秒を沈黙に使った後で訊ね返してきた。 「なぜ、そう思ったんだ?」 「このブレスレット。ハイアード王国でしか取れない琥珀だって」 「確かにそのとおりだ。よく、その価値がわかったな」 その言葉で、片田舎の町娘が当てられるはずがない宝石だったと悟る。他国の王族に詳しいローランの推測だとは言えなかった。まして、自分が元王族だとも話せない。 「他には?」 楽しい娯楽を見つけたように、男の瞳が瞬いている。逆にシャルネのほうが追い込まれた気分になって、もごもごと口を動かした。 「あと、……雰囲気とか」 「それだけで、俺がハイアード王国の王族だとわかるものなのか?」 彼を見る。シャルネを不審がるというより、楽しんでいる顔だ。暴かれることに抵抗がないとわかり、念を押して訊いた。 「ええ。本当に、貴方は王子様なの?」 彼がゆっくり頷く。 「アドルフィト・ドゥス・ハイアード様?」 「敬称もフルネームもよしてくれ。アドルフィトでいいよ」 微笑みとともに是認する。 ……本当に、ハイアード王国の王子様なのね! でも、恐れ多い気持ちより、ようやく素性がわかった安心感に包まれる。何よりも、名前を知れたことが嬉しかった。 「アドルフィト」 ようやく知れた名前を口にしてみる。紫青の瞳が覗き込むように応じる。 「なんだ?」 「やっと、貴方の名前を呼ぶことができた」 柔らかな笑顔が自然と生まれた。アドルフィトも「シャルネ」と微笑む。 「君は本当に面白い」 「ねえ、なぜ貴方はこの町にいるの?」 「シャルネがいるからだよ」 自分が目的だと言われるのはむず痒い。でも、別の可能性もあって念を押して聞く。 「本当に、私のどこがいいの?」 彼が面白いと言わんばかりに目を細めた。 「一番は美しい歌声かな。けれど、それだけじゃない。芯があって自分の言葉できちんと話そうとするところも、隔てないところも」 シャルネにはピンとこなかったが、アドルフィトが自分を一個人として尊重しようとしているのは感じられた。 ……貴方は王子という立場なのに。あなたのほうこそが隔てない。 わずかに残っていた疑う気持ちをシャルネはそっと手放した。 「また来てくれる?」 アドルフィトともっと色んなことを話してみたくなった。彼も頷いてくれる。 「ああ、また来るよ」 「船はどうしているの? 航海中ではないの?」 「実はトラブルで修理中なんだ。いつもは国に帰ってするものなんだが、緊急でね。ロッカ王国の中で最も船の整備に優れた港町に留まらざるを得なくなったんだ」 「ここから一日かかる港町のこと?」 「そうだ。馬を走らせると早く着くが、行ったことはあるか?」 「一度だけ。けど、海沿いは攫われやすいからって」 そこまで言って、ハッとする。海賊やラエル共和国の軍に見つかったらまずいというローランの考えで、幼い頃から山沿いを転々としていたのだが、本来普通の町娘が海沿いで攫われることは滅多にない。 思ったとおり、アドルフィトが苦笑していた。 「親御さんが言ったのか?」 「……はい」 過保護な家庭で育ったと思われたのだろう。 ……私も言えないことがたくさんある。 シャルネは隠し事をしていることが申し訳なくなった。 「そういう教育方針もあるのか。でも、俺と一緒なら大丈夫」 が、アドルフィトはシャルネの言うままを信じたようだ。抱き締める力が強くなり、チュッとキスされる。彼の寛容さに顔をすり寄せた。 ……すごくやさしくて良い人。自らの立場も鼻にかけないし。 「次は香り当てかな?」 いつものゲームを促されて頷く。 「でも、これは本当に難問なの。ヒントは?」 「あったら、面白くないだろう?」 「もう、……いじわるね」 見上げれば紫青の瞳の中にシャルネが閉じ込められている。 それは、不思議と胸元に隠してあるブルーステラの輝きに似ていた。
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