* リクペラ・コン・ブルー 第8話 *


 一昨日亜麻色に染め直した髪を、三つ編みで束ねた。まだごわついているが、このくらいの手入れのほうが元王女だと思われないから良いだろう。
「準備できましたか。行きますよ」
「はーい。あ、ローラン、この荷物も持って!」
「はいはい。荷台に乗せるのはこれだけですか」
「うん。馬だけで行くって言っていたから」
 家を出ると空は薄い青を広げている。森から聞こえる騒めきは、動物たちが朝食探しをする合図だ。
 今日は約束の日。朝市に出向くローランに酒場の裏まで連れて行ってもらう。ついでに彼を見てほしいと伝えている。一度顔を合わせておいたほうがいいと思ったからだ。
 酒場での歌い手業も当分はお休み。町を離れる事情ができてしまったことを女将に話すと、すんなり承諾してくれた。『秋までには帰ってくるわよね? 収穫祭までには間に合わせてね!』という言葉には大きく頷いた。
 気がかりがなく旅立てて一安心だ。
 ……あとは、アドルフィトと待ち合わせ場所で無事会えますように。
 しばしローランと会えなくなることだけが寂しい。でも、かならず町に帰ると決めているし、何よりも彼と会えることのほうが嬉しかった。
 馬を引く荷馬車の後ろに乗って日の出前の空を眺めた。人の気配がない町は、日の出にならないと動きださない。中心部に着くと、朝市の通りではなく酒場の裏手へ回った。
 アドルフィトはすぐに見つかった。立ち止まる前の荷馬車を飛び降りて駆け出す。
「お待たせしてごめんなさい!」
「いや、時間通りだ」
 本当は彼の胸に飛び込みたいほど心が跳ねている。ただ、アドルフィトの隣には従者がいるし、ローランも控えているので心に留めた。気持ちを抑えているのは彼も同じようだ。一瞬だけシャルネの頬に指で触れ、すぐ隣に立ったローランへ気を向けた。
「彼女は?」
「ローランです。一緒に住んでいて」
 紹介しようと思ったが、なんと答えればいいのかわからず間が空く。しかし沈黙にならず、ローラン自身が挨拶をはじめた。
「シャルネの育て親、ローランと申します。ご事情はお伺いしております」
 町では年の離れた姉妹という設定だが、アドルフィトに対しては正直に答えた。王子に見え透いた嘘をつくのは得策ではないと判断したのだろう。事実、ローランは少し硬い表情をしている。
 アドルフィトも素性を知られていることを理解して、彼女の目を見た。
「そうか。悪いようにしないから、安心してほしい」
「はい。信頼しております。どうぞ宜しくお願いいたします」
 新しい主従関係を結んだようにアドルフィトが微笑む。馬を町の入り口に繋いでいる、と続けた彼に合わせて一時移動した。出入り口に繋がれていた馬は三頭。重量のあるものを背負っても長距離移動できる品種を借りたようだ。
「前日ひとつ手前の町に宿泊して、夜明け前から馬を走らせて来たんだ」
「そんな無理をさせてしまって……疲れてないの?」
「ああ、海上ではもっと厳しいときがあるからな」
「海のほうが大変なの?」
「嵐の中だとか……シャルネには、そんな思いはさせないから大丈夫だよ」
 荷物を二頭の後部に固定する間、海の話が出てくる。陸とは大きく勝手が違うのはなんとなくわかっているが、シャルネにとっては未知の世界だ。
「仲間の紹介もしておく。この年長者がダイ、隣のユーノスは同い年の幼馴染だ」
 準備を終えた二人を紹介され挨拶をする。双方とも見たことがある。ユーノスははじめてアドルフィトが酒場に来たときから数度、ダイは前回の一度。臣下に違いないのに仲間というのはどういうことだろうと思えば、「俺の船に乗る者は皆家族みたいになるんだ」と王子らしくない言葉を添えた。二人が苦笑する。
「船にいないときは、ダイに全部押しつけているけどね」
 ユーノスの呟きは、幼馴染らしく身分の差を感じさせない軽やかさだ。アドルフィトも気にしていない。
「代理の長として適任はダイしかいないと思わないか? いつも素晴らしい働きをしてくれるじゃないか」
「確かに、それは言える」
「やめてください、王子。そうやって持ち上げられても、私は私の役割をまっとうしているだけです」
 ダイは、年長者らしく礼儀を残して控えめに答える。そして「何かありましたら、私にもお気軽に仰ってください」とシャルネへやさしい言葉をかけた。彼がアドルフィトの代理を務めているというのだから、船の雰囲気も良いのだろう。さらなる安心感と期待に大きく頷く。
「はい。ありがとうございます」
「そろそろ行くか。シャルネ、俺の前に乗ってくれ」
 アドルフィトに言われたとおり、先に鞍に乗る。乗馬は慣れたものだが、二人乗りで長距離移動をするのはローランとゴドールに辿り着いて以来だ。
「よろしくね」
 道中をともにする馬を撫でて労わると、彼が後ろに乗ってきた。途端に包み込まれる強い芳香。大きく鼓動が弾かれる。手綱を持ったアドルフィトは、もう片方の腕でシャルネを抱いた。
「辛くなったら、すぐ休憩する」
 耳元でささやかれ、頬が染まる。
「シャルネ、楽しんできてくださいね。では、いってらっしゃいませ」
 ローランが王家にいた頃のように頭を垂れる。彼との密着にドキドキしながら、シャルネは彼女へ手を振った。町を出るのは本当に久しぶりだ。
 ……これから当分、アドルフィトと毎日一緒にいられる。
 彼に身を任せて海を目指す。安定した手綱さばきで、ほとんど乗り疲れることなく昼食の休憩を迎えた。
「馬の扱いが丁寧で乗り心地も良くて。海も陸にも長けてるなんてすごいわ」
「そう言ってくれて、光栄だよ」
「狩りも泳ぎも得意なんだぜ」
「王子は器用ですからね」
「よしてくれ、やりにくくなる」
 ゴドールよりも一回り大きい町の、最も美味しい食事処。新鮮な肉料理に舌鼓を打ちながら男たちの会話に微笑んでいると、アドルフィトが視線を向けてきた。
「そういえば、シャルネの育て親という者だが、」
 突然の前置きに、ドキッとする。フォークを持つ手がつい止まった。
「ローランのこと?」
「ああ、礼法が自然と身についていたな。どこかで務め上げたような、」
 鋭い観察眼にシャルネは冷や汗をかいた。身元を明かしていけないとローランに常日頃言われている。頭をフル回転させた。意に沿うように、辻褄が合うように、嘘にならないように。
「え、ええ。ローランは高貴な出だったみたいで、その名残だと思う」
 言葉を搾り出す。三人に新たな疑問を持たせないよう、さらに続けた。
「私の本当の親は不慮の事故ですでに亡くなっているの。赤ちゃんのときだから、ローランがどういう経緯で育ての親になってくれたのか、まだちゃんと聞いてないのだけれど。でも、私にとってはローランが本物の親みたいなもの。だから、ローランが話してくれるまでは、あまり訊きたくないというか……」
 ローランに出生の謎を丸投げしてしまったが、アドルフィトはそれ以上詮索してこなかった。複雑な事情を暴くような下品さがないところに、ますます好感が持てた。
 ……いつか、本当の話ができればいい。
 密かに願いつつ、これからの予定を聞く。
 この調子で行けば、日没前後には港町に無事着くだろうとのこと。
「先に立ち寄らなければならないところがあるから、気は抜けないな」
「どこに行くの?」
「それは、着いてからのお楽しみだ」
「もう、また当てるゲーム?」
「そうだ。当ててごらん」
 ウインクをするアドルフィトに、促されてまた馬に乗る。天気にも恵まれて順調に街道を抜けると、やがて丘から海が見えた。数度しか見たことがない情景に、シャルネは瞳を輝かせた。夕暮れに不思議な色の大海原。
「本当に久しぶりだわ、海を見るの!」
「今は夕暮れ時だから、明日は青い海が見られるよ」
「青い海……すごく楽しみ」
 海に近づくと船の生活に現実味が出てくる。船に乗るのもはじめてなのだ。
「船の前に町中へ入る。町で食事をしてから、乗船でいいか?」
「アドルフィトにお任せするわ」
 石畳になった坂を下って、港町に入ると船の仲間が待っていた。彼らに荷物と馬を渡して、アドルフィトに連れられるまま路地を歩く。
 そして、仕立て屋の看板が見えたところで立ち止まった。窓から煌々とした灯りが見える。
 アドルフィトは当然のように扉を開けようとするが、慌てて止めた。
「ちょっと待って。行きたいところって、仕立て屋さんのことだったの?」
「ああ、サイズを図る必要があるからな」
 平然と言う横で、同行したユーノスが続ける。
「すべて仕立てるには時間がかかるから、船の女性陣にドレス選びも頼んでてさ。旅疲れのところごめんね」
「いえ、疲れてはいないです。でも、そんな、ドレスなんて」
「唄を歌うときに必要だろう」
 アドルフィトの言葉で、本来の目的を思い出した。船に乗っている皆に唄を披露するのだ。王子の船なのだから、彼のコーディネートに従うべきだろう。
「ありがとう」
 丁寧に頭を下げる。アドルフィトも目尻を緩ませてドアを開けた。元々頼んでいたと行っていたとおり、仕立て屋の夫婦は夜にも関わらず歓迎してくれた。別室に移って、寸法を測られる。そして、すでに用意されていたドレスを次々と試着した。その中からシャルネのものになるドレスを選ぶ。
 ……多くて四、五着くらいかと思っていたけど、十六着もあるなんて。
 全部試着し終えた頃には、さすがに疲れが出てきた。お直しがいらない三着の中から、青いドレスを選んで着替える。残りは箱に入れてユーノスが持ち、お直しを要する六着は、五日後に受け取ることになった。
 仕立て屋に挨拶して外に出る。そのまま食事処へ移動した。港町の一級店に入り、当たり前のように個室の特等席に着く。アドルフィトから食べたいものを訊かれたが、彼にすべて任せた。海の料理は詳しくないし頭も回らない。
 ……世界が違うって、こういうことかもしれない。船に乗ったらどうなってしまうの?
 楽しみだけれど、少し不安も出てきた。
 ……そういえば、船には女性陣もいるって言ってたけど、どういう方々なのかしら。すごく美人で高貴な方たちだったら、私、気後れしてしまうかも。
 船に滞在する女性たちのことを考えると、次第にもやもやしてきた。
 アドルフィトとどういう関係なのだろう。目の前にいる本人かユーノスに聞けばいいのかもしれないが、訊く勇気はなかった。それに、品の良い魚料理が登場すると意識がそちらにいってしまった。
「すごく美味しい。どれもはじめて食べる味だわ!」
 見たことのない新鮮な海産物のマリネやスープにソテー。料理を口にしたシャルネは目を輝かせた。彼も笑顔になる。 
「それはよかった。俺の船でも食べられるよう、後で船のコックにも伝えておこう」
 はじめての船旅に心を尽くしてくれるアドルフィトに何度も御礼を言った。
 そして、彼とユーノスから、出港は自体は六日後になることと歓迎の宴に併せて唄を披露するという段取りを聞かされた。出港後は外交の仕事がある関係で島などを巡っていくという。邪魔にならないか心配になったが、アドルフィトには「気にするな」と微笑まれた。
「ただ、この港町に戻るのはだいぶ先になる。シャルネ、少なくとも四〇日は一緒にいてほしい」
 具体的な日数を出されて、浮いていた気持ちが引き締まる。
 ……それくらいなら、秋の収穫祭にも余裕をもって間に合うわ。
「きみに見せたいものもたくさんあるんだ」
 返事が遅いと思ったのか、アドルフィトが言葉で押してくる。真っ直ぐな紫青の瞳に、シャルネは笑顔で頷いた。
「私、歌うことしかできないけど……」
「俺の船に来てくれただけでも充分だ。俺のそばにいてくれればいい」
 言葉の強さに頬が染まる。もう一度頷きながら、彼のそばに毎日いられる喜びをかみ締めた。
 ……アドルフィトのことを、もっともっと知りたい。
 食事を終えて船着場へ移る。少人数で行動するのが好きな第三王子は、徒歩も苦にせず出迎えも好きではないようだ。貴族や王族特有の堅苦しさがないのはホッとしたが、海の香りと波の音が聞こえてくると次第に緊張してきた。



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