* リクペラ・コン・ブルー 第10話 * | |
目を覚ますと朝だった。慌てて時計を見て、衣装箱からドレスを取り出し着付けた。夏らしい身軽な草色の絹モスリンドレス。救護室へ最初に顔を覗かせると、船医のパルマが薬の棚を整理していた。 「おはようございます」 「おはよう。昨日はよく眠れたかしら?」 「はい。昨夜はありがとうございました。あの、アドルフィトは、」 「彼は食堂のほうにいるんじゃないかしら。場所はわかる?」 「ええ、一度案内されてはいるんですが……辿り着けないかもしれません」 素直に答えれば、彼女も、一緒に行くわ、と言ってくれた。調理場で果実のソーダ水をもらうという。 「食料も水も豊富なんですか?」 「そうよ。貿易用のスクーナー船から図面を起こしてつくらせた王族船だから、本来貿易品を納める部分もすべて貯蔵庫になっているの。遠洋航海にも耐えられるように、というのと、外交で来賓の貴族や王族を迎え入れられるように。大抵お忍び行動のお手伝いに利用されるんだけどね。第三王子はハイアード王国でも外交の要なのよ」 歩きながら、シャルネは真剣にパルマの話を聞いた。彼のことを知りたいのだ。 「素晴らしい王子様なんですね」 「ええ、そうね。なんせ彼は海賊とも良好な関係をつくれるくらい、身分を気にせず上手に渡り歩けるお方だから。ちょっと強引で思い付きの行動も多いけども……ほら、今回みたいに陸地の探検に出て行って帰ってこなかったり、船をダイに任せて小船に乗ってどこか行ってしまったり。でも、ちゃんと何か光るものを見つけてくる王子様なのよ」 彼女の言うことは、シャルネの身に染みた。彼が陸地探検をしてくれたおかげで、出逢えたのだから。 「本人は海賊になりたかったの。子どもの頃にそれを公言して、王妃様と養育係にこっぴどく説教されたっていうのは、けっこう有名な話」 「そうなんですか」 「アドルフィト王子はハイアード王族の中でも、相当の自由人で変わり者よ。だから私もこんなふうに敬語も使わず接していられる。船内だけの話だけれどね」 「私も、アドルフィトにきちんと敬意を払ったほうがよろしいのでしょうか?」 「いえ、本人が嫌がるだろうから、今のままが一番だと思うわ。私にも敬語はよしてね」 ニコッと微笑むパルマが、食堂の扉を開ける。船医はとても良い人だ。素敵な味方をつけた気分で、シャルネは緊張することなく乗組員が集まる室内へ入っていけた。運よく中にいたアドルフィトと目が合う。 「おはようシャルネ、おいで」 手招かれ、笑顔で彼のそばに着く。 「おはようございます」 「頼みたい食べ物はあるか? 用意させる」 「えっと、果実のソーダ水とか」 「だそうだ。ダイ、頼む」 「かしこまりました」 向き直った彼は、やさしい眼差しで頬に触れた。 「よく眠れたようでよかった」 心を寄せるように、シャルネは彼を見つめて頷く。アドルフィトも応えるように微笑む。 「落ち着いたら、改めて皆と挨拶しよう」 航路調整の会議が終わったばかりだったようで、アドルフィトは昼食時間を終えるまで付き合ってくれた。甲板から見た晴天の海はどこまでも青く美しかった。 水平線をはじめて見たシャルネに、「日の入りは宝石のようだから、見落とさないでほしい」と肩を抱いて話す。海の変化は何日いても飽きないという。 ……森の風景とは、また違った広大さと美しい輝きがある。 執務に戻る彼を見送ると、太陽光に煌く波を見つめていた。船の生活は思った以上に快適そうだ。女楽士のセリアとニルダに捕まると、彼女たちの部屋に連れて行かれて早速唄の練習がはじまる。 同年代の元気な二人に引っ張られるようにして、船での生活もあっという間に五日が経った。ロッカ王国の民謡にも詳しいセリアとニルダを頼り、シャルネの得意な曲を中心に七曲選んで、毎日午後は彼女たちの部屋に籠もる。 楽士の旋律は一級だった。少しムラのあるカロイスとは違って、歌い手に合わせて完璧に演奏してくれる。そんな二人の姿は、普段の明るく賑やかな様子と正反対だ。シャルネは感動半分、自分の技能がついていけるか心配で必死になった。唄の調整は何度も休憩を挟む。 練習から離れるときは、普通の女の子たちの雑談になった。 「そのネックレス、いつもつけているの?」 笛の片付けをしているセリアの横で、ニルダが尋ねてきた。船に乗ってからも毎日欠かさずつけているブルーステラ。親指より一回り大きい大粒のものだから気になったのだろう。 「ええ、父の形見なの」 尋ね慣れているシャルネは、いつものように答えた。子どもの頃は少し重いと感じた石だが、十数年つけていれば身体の一部みたいになるものだ。寝るときすら外し忘れているほど。 「シャルネの親はもういないの?」 「うん。私が赤ちゃんのときに色々あったみたいで。育て親に育てられたのよ」 「あたしたちと一緒なんだね! ねえ、セリア」 似た境遇と知り、つられてセリアを見る。箱に笛を収めた彼女が微笑んだ。 「わたしとニルダもそれぞれ産み親が違って亡くなってるの。それで、一緒の育て親に引き取られたんだ」 「それが音楽一家だったんだよ。だから、こんなふうになったんだけど」 「二人とも同じ家で育ったのね」 「うん。ハイアード王国は里親制度がしっかりしているの。わたしたちはその中でもラッキーなほうなんだけど。特にニルダは変わっている出生だし」 「あたしの母親はロッカ王国出身で、病気で亡くなるまでハイアード王国で唄を生業にしていたんだよ」 意外な言葉に驚いて訊く。 「ニルダは半分、ロッカ王国の血が流れているの?」 頷いた彼女は「だから、ロッカの唄には詳しいの」と教えてくれた。親しみがさらに増す。 「ハイアードの民は、唄好きだもんね。楽器の演奏ができる人も多いもの」 国のことを聞くと、俄然興味が増してくる。唄に理解がある国というのは、シャルネにとっても嬉しい話だ。 ……それなら、アドルフィトが私に興味を持ってくれたのもわかる気がする。 納得をしたついでに、訊きたかったことを口にした。 「ハイアード王国は、香り好きの国でもあるの?」 すると、二人は不思議そうな顔をする。 「香りって、香油とか?」 「そう、花や草木の香りとか。調合に長けているの?」 「ううん。セリア、そんな話聞いたことある?」 「ないよ……香りに興味がある人はいると思うけど。ハイアード王国で特産の香料はないし」 「そうなの? じゃあ、アドルフィトの香りって、彼の趣味?」 実直に質問する。ようやく、彼女たちは合点のいった表情になった。 「あれは、王家の香りよ」 セリアの答えに、シャルネは身を乗り出した。 香料当てのゲームはまだ終わっていないのだ。アドルフィトに毎回はぐらかされている。 「王族にしかつけられないものなの?」 「そうそう。国王様も王妃様も全員この香りだよね、セリア」 「うん。いつからそういう慣習になっているか知らないけど」 二人から有効な情報は引き出せないとわかる。でも、一応訊いた。 「したら、二人はあの香りの原料もわからない?」 「知らないよ」 ニルダは即答だった。あんまり興味がないようだ。セリアも続ける。 「原料なんて、全然わかんないよね。みんな知らないと思う」 「パルマも?」 「うーん、調合師しかわからないんじゃないかなあ? 王家の秘伝だから、この船で知っているのはアドルフィト様だけだよ」 ……香料について知るのは、かなり難関なのね。 船にいる間にわからないかもしれないと落胆していれば、ニルダが明るく声をかけた。 「シャルネは特別だから、アドルフィト様も教えてくれるよ。ねえ、セリア」 「わたしも、シャルネはアドルフィト様の特別な存在だと思う。こんなことって、わたしたちが乗船してからはじめてだもん」 「こんなことって?」 「王子様の寝室の隣で、一緒に暮らす方が現れたってこと」 「しかも、わざわざ二部屋あるプライベートルームの一つを改築するくらいに!」 二人の話を詳しく聞くと、奔放な王子らしく今までアドルフィトは幾多の女性と関係をもっていたが、乗船させることはあってもプライベートルームに泊めることはなかったのだという。 恋多き男性の予感はしていたのでショックはなかったが、自身の扱いが特別だというのは……嬉しい半面、なんともいえない気持ちになる。 「シャルネは本当に大切にされているよ」 セリアの言葉に、ニルダも大きく頷く。シャルネは微笑んで視線を落とした。 実は複雑な想いを抱えているのだ。 ……私の、勝手な片想いなんだろうな。 明るい楽士の部屋を離れて、甲板から空を見る。 黄昏から暗くなっていく世界。夜は特にアドルフィトから避けられているような気がする。二人でいても一人になったような心地に陥るのだ。 ぼんやり景色を眺めていると夕食に呼ばれた。明日は宴だと聞かされる。シャルネの本番だ。でも、気分が上がらない。彼の美しい紫青の瞳を見て、無理やり笑みをつくった。 ……どう思われていようとも、私にできることは唄を歌うことだけ。この王族船で歌い手として職務を全うするのよ。 気を引き締めて、明日のために丹念に湯浴みをする。だが、ベッドに入るとまたアドルフィトのことをぐずぐず考えてしまう。 ……私は彼からしたら子どもなんだろうな。だって、大人の余裕があるもの。 町で会っていたときはもう少し少年っぽい気安さがあった。けれど、船の上ではしっかり王族の仕事をしている。航海士や家臣と会議を頻繁に開いていて、王族宛の書簡も本人が筆をとっているようだ。 ……よく執務室に籠もっているみたいだし、休んでいる時間がとても少ない気がする。アドルフィトの身体は大丈夫なのかしら。 彼の働きぶりと体調を心配しだすと負の情は薄れていく。 睡眠もあまりとっていないような気がする、どうすれば彼を癒してあげられるだろう。 ……私には歌うことしかできないのかな。 大きく息をついて、ふかふかの枕に顔を押し付けた。なんだか泣きたい気持ちだった。
| ... back
|