* リクペラ・コン・ブルー 第11話 * | |
翌日、憂鬱な気分を暴いたのは楽士のニルダだった。 「宴用のドレス、もしかしてあんまり好きじゃないの?」 フルオーダーで仕立てられたドレスを撫でながら、彼女の問いに首を振る。港町の仕立て屋が寝る間も惜しんでつくってくれた一級品だ。桃色のレースを何層も重ね、リボンをふんだんに使ったプリンセスラインのシフォンドレス。締めつけないようにコルセットは使わず、胴回りに編まれた金糸入りの紐でウエストを整える型だ。細部まで寸法を測られただけあって、シャルネにしか着れないものになっている。 アドルフィトが贈ってくれたドレスを、嬉しくないと思うわけがない。けれど、落ち込んだ気持ちを眠れないまま引きずってしまって、笑顔をつくる元気はない。 「大丈夫? 体調でも悪いの?」 着替え終えたセリアがシャルネの顔を覗き込む。 「ううん」 ますます首がもたげた。 「船が動いて、気分が悪くなっちゃったのかなあ。あと少しでパルマも来るから待っててね」 今夜の着替えは楽士の部屋で、彼女たちに手伝ってもらう。 シャルネのオーダードレス待ちだった船は、仕立て屋から箱をもらうとすぐに出港した。行く場所がいくつもあるというが、アドルフィトは詳しいことまで話してくれなかった。国の外交に関わることだから、シャルネには教えてくれなかったのだろう。 ……今夜の宴、アドルフィトは楽しみにしていてくれるのかしら。 天候は晴れ。風もない。甲板にテーブルとチェアを集めて、星を見ながら皆で酒と料理を楽しむんだぜ、とユーノスが午前中楽しそうに話してくれた。町の酒場みたいな明るさがあるのだろう。彼の話を聞いていたときは、少し気持ちも盛り上がった。 ……昨日もそうよ。私、アドルフィトよりユーノスと話している時間のほうが長くなってる。 そんなユーノスも、アドルフィトかリアンに呼ばれればそちらを優先する。一人にされたシャルネは我に返って、また気を落としてしまうのだ。 「お待たせ。私の使っている化粧道具一式、持ってきたわ」 開いたドアからパルマの声がした。 彼女も着替え直して、シャルネの着替えを手伝いにきたのだが……鏡台のチェアに座ったまま項垂れている姿に気づいたらしい。 「どうかしたの?」 「シャルネ、お腹の調子が悪いみたい」 心配声にニルダが事実と反することを言い退けた。 「大変! お薬もってくるわね!」 船医に戻った彼女は化粧箱を置いて救護室へ行こうとする。話がややこしくなりそうで、シャルネはなんとか気力を絞り出した。 「あの、違います!」 顔を上げる。パルマの瞳がかち合った。心配そうな表情から、何かしら察したような視線に変わる。引き返してシャルネのそばまでやってきた。 「何かあったの? 王子のことで」 「私、……飽きられてしまったのかもしれません」 経験の豊富そうな彼女に、シャルネも我慢できず想いを吐露する。 「「えっ!」」 後ろで聞いていた二人が驚きの声をあげた。 「私は唄を歌いに来たから、いいんですけど、でも、」 もごもごと続けると本当に悲しくなってくる。そんなシャルネの悲哀を癒すように、冷たくなっている指へパルマが手を添えた。 「待って、そんなことはないはずよ。王子の性格的にも」 長年アドルフィトの近くにいる彼女の言葉に、楽士も同調した。 「アドルフィト様は飽き性ではないものね、セリア」 「うん、シャルネといるときのアドルフィト様、本当に嬉しそうにしているわ!」 それは表向きの話だ。シャルネは溜息をついた。 「でも……この数日間、彼と話す機会も減っているし」 「確かに出港直前で色々忙しくしているけれど。それはシャルネのせいではなくて、彼が長々と陸地に滞在していたからよ。頻繁に船から離れて、執務を溜めに溜めてしまった彼自身が悪いのよ」 王子を責めてシャルネを庇う言い方は、冷静で物怖じしないパルマらしい。だが、シャルネはアドルフィトを悪者にはしたくない。特に、陸地に滞在した件は自分にも非がある。 「それは、私も悪いんです。陸地によく来てくれたのは、私の唄を聴きにきてくれたからというのも、あるはずだから」 ……執務を溜めた原因が私にあるって気づいて、嫌になってきたのかも。 新たなショックで泣きたい気持ちが込み上げてくる。 パルマは困った表情を浮かべたが、両脇にいるセリアとニルダは、思いついたようにパンッと手を合わせた。 「それなら、歌えばいいんじゃない!」 ニルダの元気な声に、パルマが目を大きく開いて二人を見やる。 「今夜、すごく素敵な唄、アドルフィト様に聴かせようよ! ドレスも化粧も、びっくりするくらい綺麗にして!」 「シャルネの唄が好きなら、唄を聴いて放っておくわけがないよ!」 「アドルフィト様がちょっと後悔するくらいね! 名案よね、セリア、パルマ」 キラキラと輝くニルダの茶色の瞳に、パルマも微笑んで頷いた。 「いいわね。どう、シャルネ」 問いかけられて目線を上げる。明るい表情の三人に、涙は自然と引っ込んでいた。 「今夜はとびきり美しい姿で、貴女の最も得意とする唄を歌うの。王子の好きな、貴女の唄を」 パルマの言葉から、シャルネは希望を見出した。 「アドルフィトの好きな、私の唄、」 ……唄が、今の状況も気持ちも救ってくれるかもしれない。 自分の唯一の武器で誇れる部分だ。技能はいまひとつかもしれないけれど、アドルフィトが間違いなく好んでくれているのは、自身の歌声なのだ。 ……私には唄があるんだ。 今夜の宴は、自分の力を発揮する最良のときだ。今夜を逃したら後はない。 シャルネの翠眼に煌きが戻った。三人を見回して口を開いた。 「パルマ、セリア、ニルダ。手伝ってくれる?」 完璧な衣装と化粧を求めると、楽士の二人が笑顔になる。 「「あたりまえじゃない!」」 「楽しくなってきたわね。さ、早く準備するわよ!」 腰を上げたパルマに合わせて、大急ぎで四人は準備をはじめた。 髪のセットは器用な船医が得意としているらしく、いつも三つ編みか垂らしたままだったものを緩く巻いて、側面を編み込んだカチューシャのようにまとめてくれた。長い髪を片方に寄せて花飾りをいくつも施す。それだけで、シャルネは御伽噺に出てくる妖精のようになった。桃色のドレスがさらに雰囲気を柔らかいものにする。 髪型とドレスにあわせ、化粧をナチュラルに甘く仕上げる。楽士たちからは吐息が漏れた。 「すごく綺麗」 「唄の女神様に愛された、歌姫様って感じ」 見惚れたように眺めてくるのがくすぐったくて、シャルネは視線を落とす。 「言いすぎよ」 「いいえ、本当に美しいわ。王子の眼は本物ね」 「ありがとうございます」 手伝ってくれた三人に丁寧な御礼を言う。 「素敵な唄で返して頂戴ね」 「あたしたちもがんばらなきゃ!」 それぞれの言葉に微笑んで、掛け時計を見た。宴の準備も佳境だろう。 「私は先に様子を見てくるわ。王子にはじまりの時間を訊いて、呼びに来るから」 宴の半ばに、唄を披露する。呼び出しがかかるまで、三人は最後の調整をしていた。歌いやすいようにドレスの締め上げも調える。喉の調子は良い。 パルマがふたたびドアを開けると、シャルネはすっかり歌い手となった。 何度も何度も繰り返していた舞台。酒場より人数は少ないけれど、最高の唄を歌うために一呼吸をして気合を入れる。 ……アドルフィトのために、船に乗る皆さんのために、唄を届けるのよ。 ドレスの裾を持ち上げて、セリアとニルダの後ろを歩く。甲板に出た途端力強い拍手が聞こえた。乗組員はほとんどが男だ。その中で華やかなパルマを見つけ、次に目を惹く男性と視線を合わせた。この船の長、アドルフィトだ。 彼は、美しい紫青の瞳を大きく見開かせていた。意外なものを見たような表情だ。シャルネは無視されなくて良かったと安堵の笑みを返した。リュートの旋律が聞こえてくる。 特等席にいる彼から目を離し、星の散りばめられた天上を見る。甲板の灯りより強い等星たち。白い上弦の月。潮の強いにおいは海上であることを明確にした。 今までと環境は違う。その海の上で、シャルネは語りかけるように口を開いた。伸びやかなソプラノの声は水平線を渡り響く。 海と星に照らされて、唄がはじまった。ハイアード王国の民はロッカ王国の唄をほとんど知らないから、皆で合唱する曲は省いて聴かせる唄ばかり選んだ。七曲なんて退屈させてしまうかも、と思っていたが……見るかぎりその様子はない。男たちは酒を飲みながら聴き入っている。 そして、アドルフィトの瞳はこれまで見たことのないほど強く輝いていた。立て続けに歌い続けるシャルネに、笑顔を見せず食い入って見つめている。それは怒っているわけではなく、真剣に聴いている眼差しだと知っている。過去にもこんな表情を酒場でされたことがあったからだ。 程よい緊張と高揚のまま、七曲を歌いきった。 唄が終わってお辞儀をすると、大きな拍手と歓声があがる。すごい! うまい! 良い声だ! と男たちから連呼され、嬉しいというよりホッとした。 ……よかった。皆さんに喜んでもらえた。 一番聴かせたかった相手へ翠の双眼を向ける。真剣な表情を崩さないアドルフィトにニコッと笑顔を見せると、突然彼が立ち上がった。 「ダイ、あとは頼む」 彼の行動と言葉で甲板はたちまち静まり返った。 気迫のある両眼でシャルネに迫ってくる。驚きのあまり身体が凍り、結ばれた視線を解けずにいた。 アドルフィトが前に立つ。彼は何も言わずシャルネの片腕を掴むと、早足に船内へ進んでいく。引きずられるように走らされたシャルネは、ドレスの裾を大きく握り締めて声を上げた。 「待って! ドレスが!」 すると歩調が緩まる。けれど、引っ張られていることに変わりはない。 ……私、悪いことをしたのかも! 選曲が悪かったの? どうしよう! 強く掴まれている腕が痛い。半泣きになりながら、寝室に辿り着いた。 彼が忙しく鍵を開ける。乱暴な手つきは気が立っている証拠だ。ますます混乱してきた。 ……こういうとき、どうすればいいの? なんて声をかければいいの? 本当に怒ってしまっているの? 彼の思うところがわからない。また手を引っ張られて部屋に入る。王族の香りが広がる空間。ドアが閉まるとアドルフィトがとうとう顔を向けた。真剣な表情は固定されたままだ。 どうしよう、とシャルネの顔がふにゃりと崩れそうになった瞬間、彼の手が伸びて強く抱き締められた。 「シャルネ」 衝動を抑えるような声色。 「出港して、もう少し船に馴れてから、ゆっくりやっていこうと思っていた」 密着する体温とともに胸が高鳴る。 「けれど、我慢できない」 男の素直な言葉に、シャルネは目を閉じた。 「アドルフィト、私も、」 今はすべてを彼に捧げたかった。 「シャルネ」 寄せてくる頬にくちづけの予感がして瞼を伏せる。ついばむキス。シャルネも腕を回す。 そして、王族の香りの中にアドルフィトの体臭を見つけて微笑んだ。
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