* リクペラ・コン・ブルー 第16話 *


 イスカーラ島を出港してから、シャルネは自身のことを真剣に考えるようになっていた。
 これまで御伽噺のように感じていた出生を、明確に肯定するマルグリッタ王妃と出逢ってしまったからだ。
 彼女はシャルネが亡きエラゥル王国の第一王女だと確信していた。シャルネの母でありエラゥル王国の亡き王妃と親交のあった者なのだから疑う余地もなかったのだろう。ただ、マルグリッタ王妃はこの事実をアドルフィトに知らせることはなく、内に秘めることを選んだようだ。聡明な王妃には頭が下がる。
 古地図をなぞりながら、もう一人の聡明な女性のことも想う。
 ……ローランに会いたい。
 幼い頃の記憶を辿っても、王国時代の思い出はない。ローランと町を転々としながら二人きりで生きてきた日々ばかりが鮮やかに浮かび上がる。
 これまで危険を感じることはなく安穏と暮らして来た。でも、ローランの手厚い保護がなければ生き延びられなかった身の上だったのだと、マルグリッタ王妃の一言で思い知ったのだ。王妃もエラゥル王家唯一の生き残りを庇護していたローランに敬意を称していた。
 ……そんなローランをゴドールに置き去りにして、自分は船に乗っている。ローランの苦労もちゃんと理解せずに、私だけ自由にさせてもらって。
 彼女のやさしさに甘えていることに罪悪感も生まれていた。申し訳ないという気持ちとともに、ローランの抱えるものと王国時代のことをもっと聞いて大切にしたいと願う。
 シャルネ自身にも、ようやく廃された王国の王女としての自覚が芽生えていた。
「こんなところにいたのか」
 突然の声にビクッと肩を震わせ、顔を上げる。船の最奥に位置する書籍室まで彼が来るとは思わなかった。
「アドルフィト、どうしたの?」
「二日後の宴のことで。それにしても、この書籍室をよく知っているな」
 ドアを開けた男は部屋の入り口に立ったまま。歌い手としての頼みごとがあったようだ。
「ここは、少し前にダイから教わったの。ちょうど調べたいものがあって。……宴のお話なら、外で」
 シャルネは微笑みをつくり、本を閉じた。
 日中でもランプが必要な狭い室内には、航海にまつわる本や地図、そして海に面する国についての本が数十冊揃っている。その中でシャルネが開いていたのは、大判の書籍に綴じられた古い地図。唯一エラゥル王国時代の記載があったものを数日前にようやく見つけ、暇を見つけてはこの部屋に入り浸っているのだ。
「こんな薄暗いところにいても、解決することは少ないだろう。気になることがあれば、自身で調べる前に、俺や、それこそダイやパルマあたりに直接聞けばいい。航海のことならば、リアンが一番詳しいが」
 何も知らない王子はシャルネを招く。
「今度から、そうするわ」
 とはいえ、エラゥル王国時代のことはほぼ全員知らないはずだ。苦笑をかみ殺して、アドルフィトに誘導されるまま書籍室を出た。
「来客を招くから、いくつか唄を歌ってほしい」
「曲目の指定はあるの?」
「どちらの国の唄でもいい。海の唄が喜ぶだろうな」
「わかったわ。候補をいくつか出してみる」
「宜しく頼む」
 彼と航海をはじめて、あっという間の一ヶ月半。
 演劇祭の後にはハイアード王家秘伝の香り水をもらい、彼から遠回しに「王家と繋がりのある者になってほしい」とも言われた。以前の恋心を抱くシャルネなら、元気よく頷いたかもしれない。
 ハイアード王国は行ったことのないところだが、素敵な国なのだろう。奔放な第三王子だが皆悪く言う者はいないし、国や王族に不満を持つ人間はいないように思える。政治も経済もうまく機能しているに違いない。
 ……きっと、私の王国はそれが成せなかったのね。
 元王女という立場が客観的な視点を新たに与えていた。失われた自国と比較をしても仕方ないが、その分アドルフィトに対する尊敬も深くなる。
「アドルフィトは素晴らしい王子様ね」
 ふと本心を言葉にすると、彼が脚を止めてシャルネの顔を覗いた。唐突すぎて驚いたようだ。
「どうしたんだ。……シャルネも、素晴らしい歌姫様だよ」
「姫なんかじゃないもの」
 否定をすると、王子は小さく笑いシャルネの肩を抱く。
「俺にとっては、素晴らしい唄を歌う美しい姫だよ」
 耳元でささやく言葉にドキッとする。彼は軽い調子で言ってくれたのかもしれないが、シャルネには重く刺さった。
 隠し事をしている自分。
 先日もパルマに髪を染めていることが知られてしまった。パルマは詮索をせず、金髪を亜麻色に染める薬剤をくれたが、察しの良い彼女なのだから、シャルネが何かしらの秘密を抱えていると気づいたかもしれない。
 ……アドルフィトと一緒にいるのは嬉しいけれど、長くこの船に乗りすぎているせいで色んなところに綻びが出てきている。
 元々ゴドールへ帰ることを前提とした乗船だった。はじめは帰ることなんてほとんど考えておらず、アドルフィトの情熱に包まれる幸せに浸っていたが……そろそろ現実に戻らなければならないのかもしれない。

 ◇

 そして、そのことを決定つける出来事が、翌々日に起こってしまった。
 一番古くから交流があるという海賊が、アドルフィトの船にやってきたときのことだ。
 情報交換という名の宴を前に、シャルネは王子とともに年老いた白髪のモージアズという海賊船長と顔を合わせ、この一ヶ月間で三つの秘宝が暴かれた話を聞かされていた。
「珍しいな、三件も立て続けに財宝が公に出てくるとは」
 本来ならば宴の酒の肴として披露される話題だろうが、海賊側としてもなかなかないことなのだろう。海をよく知る長も少し興奮気味で早々と話す。
「オレも四十年以上海賊を生業にしているが、一ヶ月で三つはなかなかないぜ。一つは、まあオレのところだ。ずっと言われていた古文書を解読して、どうにか見つけられたんだ。ほら、これがその宝石のひとつだ」
 自慢げに左手の指に嵌められた三つのリングを見せてくる。エメラルド、ルビー、サファイアとわかりやすい宝石が大粒で揃っている。
「すごいですね」
 つい口にすると、船長がニヤリと笑う。その中のひとつを指から抜いた。
「歌姫のお嬢ちゃん、一個やろうか?」
「え、いいえ、大丈夫です」
「財宝については、モージアズ船長の中で収めてくれ」
 王子は常に黙認しているようで、苦笑まじりに王族としての意向を伝える。
 ハイアード王家としては、海賊と交流をする以上、すでに失われた王朝や貴族などに関するトレジャーハンティングには口を出さないことにしているらしい。下手に規制するより、海賊側のルールも尊重するほうが海の秩序を守れるとわかっているようだ。
 そのとおり、モージアズも海賊らしからぬ笑顔で指輪を嵌め直し、残りの財宝についても話してくれた。
「有名どころをようやく暴けたってことで、オレはさらに名を上げることができたんだぜ。で、残り二つについてだが、一つは海底で偶然見つけた沈没船だったらしい。女海賊のレファのところだ。もう一つは……昔の王朝の財宝だってよ。それを盗ったのがタチの悪い奴らでさあ。しかも、陸地の洞窟だと。無理やり情報を奪って、宝を引っこ抜いたのかもしれねえな」
「その者たちの名前は?」
「マズロとかっていう新興の集団だ。普段は船で移動しているから海賊なんだろうけど、陸の奥のほうでも略奪してるらしいから盗賊ともいえるな。オレはいけすかねえから、名前だけでも虫唾が走るよ」
 アドルフィトも「はじめて聞く名だな」と、顎に手を添える。
「この一年未満で動き出した奴らだよ。どっかの海賊船から脱走した荒くれ者が集まったんじゃねえかな。あまりにやりたい放題しやがったら、オレたちのほうも動くつもりだけどさ」
「危険分子だな。俺のほうも、マズロの船を把握して監視を強めよう」
「頼みますぜ、王子様」
 それまでは今までと変わらない海賊とのやりとりだ。
 しかし、思い出したようにモージアズが新たな話題を持ち出す。その内容に、シャルネは翠眼を見開いた。
「そういや、ラエル共和国の王国時代の財宝も、誰が一番に見つけるかって話でオレたち身内は盛り上がってるよ」
 衝撃的な言葉に、ドクンと大きく鼓動が鳴った。咄嗟に胸元にあるブルーステラを掴む。
「今最も近いお宝って言われているからな」
 そう続けた彼を凝視した。
 ここでまさか、エラゥル王国の財宝話が表に上がってくるとは思わなかった。
 ……その財宝、ローランが言っていた『城』に残された『亡き国王の意志』に違いないわ!
「あの、そういった情報はどちらから流れてくるんですか?」
 我慢できず、シャルネは震えを抑えながら訊いた。自分のためにもローランのためにも、亡きエラゥル王家のためにも聞いておきたかった。突然の質問にモージアズが目を向ける。
「海賊の情報網をなめちゃいけねえよ。ラエルの王国時代の財宝は前々から存在するって言われてきたんだ。最近どっかから、確信的な情報が海を渡ってきてだな」
「どこからですか? どんな?」
「発信源はわからねえよ。ただ財宝は、ラエル共和国のどっかの城にあって、でも解くにはなんか鍵みたいなのが必要だって」
 血の気が引いた。
 ……誰が、そんなことまで調べられたの? ローランの言っていることと、ほとんど間違ってないじゃない!
「お宝に、興味があるのかい」
 海賊から問い返され、首を振ろうとするのを留める。エラゥル王家の秘宝に大きな関心があるのは確かで、もっと有力な情報が聞きたかった。
「……ロマンがありますし」
 宴でさらに詳しい情報が聞けるかもしれない、と思って好意的に返答する。モージアズも若い女に肯定されたことが嬉しかったらしい。
「そうだよなあ。お嬢ちゃん、海賊になるかい?」
 突然大きな話を振ってきた。さすがにそれには首を振る。
「え? いえ、私は女ですし」
「性別なんて関係ねえさ。オレの知り合いにも女海賊の長は何人もいるし、けっこう強えもんよ。……オレがイロイロと手ほどきしてやろうか?」
 ニヤニヤと笑う海賊から目を逸らすと、アドルフィトの声が響く。
「彼女をからかうのはそのあたりにしてくれないか」
 穏やかな声だが眼光は鋭い。取り繕う言葉を吐きはじめた海賊に、シャルネは情報を聞き出そうとした己を悔いる。
 そして、アドルフィトが訝し気にこちらを見ていたことに終ぞ気づけなかった。

 ◇

 シャルネは懊悩を繰り返していた。
 ……王国時代の財宝を、探している海賊たちがいる。
 恐ろしい情報だった。
 ハイアード王国の第三王子が情熱的で愛しい存在だとしても、自らの出生に関することに危機感を持てば、そちらが優先になってしまう。今はローランを置いてきぼりにしていることが大きな気がかりだった。
 ……やっぱり、一度ゴドールに戻ったほうがいい。ローランが無事かどうか知りたい。
 胸元のブルーステラを握り締めて、目を瞑る。
 ……どうやって下船をアドルフィトに切り出そう。本当はアドルフィトと一緒にいたい。嫌われたくないし離れたくもない。ただ迂闊に素性を話すことはできないし、ローランを一人きりにはもうしたくない。
 悶々とベッドの上で考えても良い答えなんて出てくるはずがなく、シャルネは誰もいない寝室で大きな溜息をついた。
 その数日後、事態は動く。
 アドルフィトのほうから先に、急遽話があるとシャルネを呼び寄せてきた。執務室の扉を開けると、少し表情の固いアドルフィトが書類を手にしている。素性が暴かれてしまったのかと一瞬ヒヤリとしたが、そうではないとすぐにわかる。
「シャルネ、一度国に帰らなければならなくなった」
 一言目で、彼自身がシャルネの帰郷を気にしていると知れる。元々四十日程度の滞在だ、と言われていたのだ。アドルフィトも、ずっと乗っていてほしいとは言わない、と最初に話してくれていた。
「引き続きついてきてくれるか? さらに四十日は要するんだが」
 四十日と言われ、ローランだけでなく町の人々や収穫祭のことも思い出す。
 シャルネは潮時を感じた。これ以上、自分の我が侭で周りに迷惑はかけられない。
 深く頭を下げた。
「お言葉は、すごくすごく嬉しいのだけれど」
 辛い気持ちを抑え、船を下りる意向を伝えた。
 王子はシャルネが話すことを黙って聞いていた。
「はじめからそういう約束だったからな」
 固い決心を受け入れるようで、引き留めることもなく頷いてくれる。大人らしい寛容さに感謝する反面、さらに心苦しくなった。
「我が国へ戻る前に、港町に行こう」
 穏やかな表情でも、紫青の瞳は寂しそうなのだ。シャルネの胸は痛むが、自身の出生と立場は覆せない。
 港町からゴドールまで見送ってくれるというアドルフィトに、謝罪ではなく「ありがとう」と礼を言った。謝ってしまったら、今まで分け合った情が嘘のように思えてしまう。離れることを選んでも、彼への想いは真実だ。
「私、アドルフィトのやさしさに甘えてばかりだわ」
 萎れた花のように呟くと、椅子に座っていた彼が立ち上がってシャルネを抱き締める。いつも味わっている王族の香り。その奥にあるアドルフィトの情熱。
「船に乗ってほしいと言ったのは、俺だ。シャルネにはちゃんと選ぶ権利がある」
 頭を撫でられ、シャルネは小さく頷いた。
 下船が決まれば、後は早かった。楽士二人とパルマだけでなく、乗組員の多くからもいなくなることを惜しまれたが、シャルネの決意は揺るがなかった。
 航路をロッカ王国最南部へ変更させた船は、スピードを速めて南下する。その間、荷物をまとめて別れの宴も催された。
 港町に着いて馬車を手配すると、そこから丸一日かけてゴドールまで帰る。互いにこれが最後ではないことを願いながら。
 次の日の午後、約一ヶ月半ぶりに見慣れた町の入り口へ降り立った。
「俺の歌姫」
 別れを惜しむようなアドルフィトの呟きを拾い、ぎゅっと心臓を鷲掴みされたような切なさで彼の胸に飛び込む。
「貴方を想う気持ちは、嘘じゃないの」
 胴に手を回すと彼も抱き締めてくれる。
 想いの強さをたくましい腕に感じた。言葉なく長い時間抱擁する。
 このまま一緒に船に戻ってアドルフィトと過ごしたい気持ち。もう会えなくなるかもしれない不安。自分の出生のことで、海運王国の王子すら振り回してしまった罪悪感。
 今願える本心だけ、吐き出した。
「また、会いたい」
 シャルネの一言に彼が大きく頷く。
「かならず、迎えに行く」
 そして、愛しい体温が手からすり抜けていった。
 アドルフィトは振り返らなかった。
 港町へ戻っていく彼らの姿が見えなくなるまで、シャルネはその場に立ち尽くしていた。



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