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* リクペラ・コン・ブルー 第18話 * | |
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自分の決断が正しかったのか、シャルネにはわからなかった。ただ、決断したことに自身が大きく傷ついたことは疑いようもない。自業自得と言われても仕方のないことだ。 心の中で、アドルフィトに謝っても愛を伝えても、もう届かない。 シャルネは彼と別れた日から、泣くことを止めた。その代わり、毎晩夢の中で泣いていた。離れた手の感触、寂しそうな瞳、無理に微笑んでくれた顔。 彼はどこまでも王子様だった。シャルネにとって、唯一の王子様だ。 歌うときだけは、アドルフィトを想った。 唄に込めた想いだけは、誰にも気づかれない。 それ以外の日常では彼のことを思い出さないようにした。忘れたことにした。 運よく収穫祭の準備に忙殺されていることもあって、周りはシャルネの胸の内にまったく気づかなかった。ローランもあの日の涙の理由を訊いてくることはない。 「シャルネ、今夜も一段と綺麗だね!」 酒場の女将の声かけに軽くお辞儀をして微笑む。アドルフィトから貰った上質なシフォンドレスに身を包み、これから歌い手の時間だ。 衣装だけでなくシャルネ自身がまとう雰囲気も歌声もますます女性らしくなったと町の大人たちに褒められている。女将にも「船旅したのが良かったんだろうね」と肯定してもらえたのは嬉しかった。アドルフィトと過ごした日々が、より良い印象とパフォーマンスに繋がってくれているのだとすれば、シャルネの苦しみも少しは晴れる。 「さあ、行っておいで」 「いってきます」 カウンターから離れて、奥に見える小さな舞台へ向かう。ドレスの裾を上げて歩くシャルネに、拍手とかけ声を入れる見慣れた客たち。今日は女性客が極端に少ない。明後日の朝から収穫祭なのだ。よほど暇かシャルネの歌声を気に入っている男たちが酒場を陣取っているのだろう。 伴奏者のカロイスも午後の歌錬中に「今夜は収穫祭のリハーサルみたいな感じでやろうぜ」と言っていた。そんな彼と舞台で目を合わせる。爪弾くリュートの音に頷いた。 ……七曲中、三曲は収穫祭でも披露するから、カロイスの言うとおり本番を意識して歌おう。 酒場での唄がおざなりになっているわけではないが、アドルフィトとの生活の中で歌った場面よりは随分気楽だ。慣れきってしまっている環境にシャルネも喝を入れようと、今回は一曲目から初披露の難しい曲を選んでいた。船を下りてからカロイスと練習し出した曲で、収穫祭でも披露するものだ。 リュートのアルペジオが響き、前奏から音を掴むとしなやかにシャルネは歌いはじめた。演奏と歌う主旋律がほとんどかみ合わない唄だから、互いのリズム感覚がとても重要になる。カロイスは、アドルフィトの船にいる楽士たちほどではないが、シャルネの個性をそれなりわかってくれている。彼がいなければここまでロッカ王国の童謡や流行歌を知れることはなかったのだから、シャルネもカロイスには感謝しているし信頼している。 情熱的な愛の唄を無事に終え、実る草木の童謡、月夜を憂う唄、豊穣の神に捧げる唄と、くるくると場面を変えるように歌声を紡ぐ。最後は手拍子を求めて酒を酌み交わす男たちの唄を合唱した。 ……アドルフィトの前で、この覚えた新しい唄たちを歌ってみたかった。 歌い手をしているときだけ、紫青の王子のことを想う。 チップ入れの小籠がテーブルへ回っていくのを眺めていると、そばにいた男性客に話しかけられた。朝市でもお世話になっているパン屋の親父さんだ。 「前よりも、上手くなったなあ」 「ありがとうございます」 「明後日の収穫祭、期待してるよ」 「はい、がんばります」 ポンッと肩を叩かれて、労いの言葉をいただく。 「嫁も楽しみにしているぜ、がんばれよ」 「雨だけは降らねえといいな!」 「今年はどういう感じになるんだろうなあ」 「シャルネの出番は午後か?」 「収穫祭では何曲聴けるんだ?」 別の常連客たちからも声をかけられ、質問に答えつつ収穫祭の話で盛り上がった。小籠が回りきると、女将に呼ばれて歌い手の時間は終了だと渡される。今回はつい長々と雑談に興じてしまった。小籠を覗くと人数のわりに硬貨が多い。 ……皆さん、気を遣ってくれている。明後日の収穫祭は期待に応えないと! 着替えて給仕の手伝いに戻ると、リュートを片付けたカロイスがカウンターに座っていた。隣には、帽子を被った年配の男が酒を飲んでいる。 画家のミゼローだ。数日ぶりゴドールに戻ってきたのだと気づいて、シャルネは少し嫌な顔をした。 シャルネがいない間にゴドールで起きていた変化といえば、旅途中のミゼローがこの町に居着いてカロイスと仲良くなっていた、ということくらいだ。 ささやかな変化だが、シャルネはミゼローが生理的に受けつけられなかった。見てくれも喋り方も悪くないし、描いている絵画も下品ではないのだが、雰囲気が妙に不気味なのだ。単なる画家ではないような、得体が知れない感じが気に障る。 「シャルネ、ここに来いよ。奢るから」 空いている木椅子をカロイスは叩くが、シャルネは首を縦に振らないまま彼らのそばに着いた。本当はあまり話したくないけれど、この画家には収穫祭でお世話になる。笛が上手く、収穫祭の演奏者として手伝ってくれることになっているのだ。 「カロイス、今日もありがとう。そして二人とも、明後日はどうぞ宜しくお願いします」 先に頭を下げる。 「任せてくれよ」 アルコールが入っているカロイスは胸を張って応えた。その隣でミゼローが葡萄酒を口に含む。 「このたびの姿も美しいな」 呟かれた言葉に目を逸らした。シャルネの容姿が好みだと出会った瞬間から言われていて、それがなんとなく嫌な気分を催すのだ。 「君をモデルにしたい。金は払う」 ミゼローは会うたびに、同じ台詞を口にする。シャルネが嫌がる理由のひとつだ。 ……この男には、絶対に描いてもらいたくない。 「ここの手伝いがありますので」 はっきり拒否することはないが、もう一度頭を下げて意思がないことを伝える。タイミングよく女将に呼ばれて、シャルネは場を離れることができた。酒場の手伝いに追われて掛け時計を見た頃には、二人の姿は消え失せていた。 収穫祭の日は、朝から快晴だった。 ロッカ王国最南部でゴドールが一番早く収穫祭を行なうこともあり、毎年色んな町や村から見物人が訪れる。今年は旅人も多く滞在し、二日間の収穫祭はおおいに賑わった。シャルネは両日ともに歌い手として舞台に立ち、桃色のドレスで収穫祭に花を添えた。シャルネの唄はゴドールの町人たちだけでなく、旅人や近隣の町村の人たちからも絶賛された。予定の曲数を超えて歌ったほどだ。 今までにないほどの収穫祭の成功は、シャルネの心に良い影響を与えた。 ……私も、アドルフィトのことを引きずってなんかいられない。 歌うたびに愛する男への切ない想いを吐き出していたが、その気持ちが収穫祭を機に薄れてきたのだ。自分の感情の捌け口ではなく、観客たちのために歌いたい、と、これまで以上に強く思うようになった。 しかし、収穫祭の成功を喜んだ一ヶ月後。 不穏な情報がシャルネの耳に届いた。 お宝のありかを知る若い女がこの地域にいる、という噂。 酒場で聞いたときには、心臓が激しく飛び跳ねて木のコップを二つ落としてしまった。中が空だったので大事には至らなかったが、シャルネは自身の立場と海賊から聞いた話を一気に思い出した。 ……大切なことをローランに話しそびれていたわ! 早く伝えないと! 翌朝、市場の手伝いを終えてローランと家へ帰り、すぐに噂話を広げた。市場で買ってきた薄切りのハムにハーブの葉を数種差し込んだパンのサンドをつくるローランは、すでにこの噂話を知っていた。 「港町のほうから流れてきた話だそうですね。数日前に宿屋の主人から伺って、情報は収集しています」 「そうなの? この噂の若い女って、私の可能性があるってことよね?」 「可能性はありますが、どの宝の話か現時点ではなんとも言えませんし……、とりあえずシャルネ、食事にしましょう」 冷静に昼食を用意するローランに、シャルネのほうが焦りはじめた。 今まで数度、こうした噂をゴドールやその前に住んだ町などで聞いてきた。どれも噂話程度で終わってしまったが、今回は確証が高い。なんせ、海賊の話をシャルネは聞いてしまっているのだ。 「もし、この噂話が私のことだったらどうするの」 「逃げます。それしか私たちには方法がありませんから。ほら、食べましょう」 席に座らされて食事がはじまる。しかし、昨夜の残りのスープを数口すする程度で、先に進めない。 「シャルネ、どうされましたか」 さすがに俯いて動きを止めた姿にローランも心配になったようだ。 ……噂話は、きっと本当だ。逃げなければいけないんだ。 海賊に聞いた話をローランにすれば、すぐにでもゴドールにはいられなくなる。この森とも泉ともお別れだ。酒場にももう二度と行くことはできない。 けれど、ローランと自分自身の命には換えられなかった。シャルネはエラゥル王家最後の生き残りなのだ。 「私、ローランに話さなければならないことがあったの」 意を決して顔を上げる。ローランはひどく真剣な瞳をしていた。 「どんなことですか」 「アドルフィトとの航海中、海賊さんたちとお話する機会があったんだけど……そこで、エラゥル王国の秘宝が狙われているって聞かされて」 ガタンッ、と大きな音が鳴った。立ち上がったローランの顔は、信じられないものを見たように真っ青となっていた。 「なぜそれを早く言わなかったのですか!」 怒気をはらんだ声と彼女の一転した表情に、シャルネは身を竦ませる。 「ごめんなさい。アドルフィトのことや収穫祭のことで、すっかり抜けてて」 ……町のことやローランの働きを考えると、ゴドールに帰ってきた時点ですぐには言えなかったもの。でも、ローランがこんなに怒るなんて。 「いいえ、私のほうこそ怒鳴って申し訳ありません。話を続けてください。大丈夫、まだ時間はあります」 大きくなりはじめた不安を抑え込むローランの口調に、シャルネは小さく頷いた。 海で聞いたことを話す。エラゥル王国時代の財宝を誰が暴くかで海賊内では盛り上がっているということ。財宝は現ラエル共和国に残るどこかの城にあり、解くには鍵が必要だということ。 「なんてことでしょう」 ローランは椅子に座り直すと頭を抱えた。今回ゴドールで聞いた噂は、若い女が宝のありかを知っているという内容であるから、夏に出てきた話よりも探索は進んでいる。 「海賊の情報網はすごいって、海賊の船長さんが言ってたけれど……本当に、どうやって調べてくるのかしら」 「あの王子かもしれません」 突然の言いがかりに驚きのあまり大声で反論した。 「アドルフィトはそんなことしないわ!」 「けれど、彼は海賊たちと繋がっているのでしょう。貴女の情報が漏れるなんて、彼絡み以外にあるんですか」 理性的な物言いに、シャルネはうっと喉を詰まらせる。廃した国の醜い王室争いを見ていたローランらしい推測だ。しかし、アドルフィトはシャルネの真実を知らない。 「アドルフィトには私がエラゥル王家の生き残りだって一度も話していないわ! 怪しまれるような行動も取っていないもの!」 アドルフィトに対して負い目があった部分だが、今となっては疑いを晴らす大きな理由になった。ローランも、シャルネの言葉に多少納得がいったようだ。 「ならば、どこから、」 悩ましく漏れた呟きで、ハッと思い出す。 ……イスカーラ島の演劇祭。 シャルネが王族の席以外で公の場に立ったのは、そこくらいしかない。
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