* リクペラ・コン・ブルー 第19話 *


「私、北部で行なわれる大きな演劇祭にゲストで出させてもらったことがあるの。もしかしたら、そのときに、」
「イスカーラ島のですか? あの王子に言われて?」
 舞台に立ってしまったことを早速咎めるような訊き方だったが、シャルネははっきりと答えた。
「いいえ、アドルフィトではなくて、ロッカ王国の王妃様に」
「マルグレッタ王妃に? お会いされたのですか?」
「ええ、王妃様には……私がエラゥル王家の生き残りだと後に気づかれてしまって、」
 島の演劇に出た経緯と、マルグレッタ王妃とのやりとりも話す。ローランのことを労わっていた旨も伝えると、緊迫していた雰囲気が少しだけ柔らかくなった。
「マルグレッタ王妃様は、エラゥル王家と最後まで親交されていた唯一のお方でしたから」
「ローランも知っているの?」
「はい。王妃様を一度、城内で拝見したことがあります。とても聡明で寛容なお方でした」
「うん、今もそんな感じ。とても素敵なお方だった」
「マルグレッタ王妃様に庇護を求めましょう」
 名案を思いついたと言わんばかりのローランに、シャルネは目を見開く。
「王妃様に?」
「そうです。王妃様は貴女と私の素性を存じています。しかも、ここはロッカ王国内。王宮は北部ですが、今から準備して北に上がれば寒さも追っ手もなく辿り着けるはずです。海賊たちの話と噂を鑑みて、ゴドールに賊がやってくるのは時間の問題。シャルネ、急ぎましょう」
 彼女の決心は早く、シャルネは置き去りにされた気持ちになる。
「けれど、町の人たちには、」
「伝えずに町を脱出します。下手に別れを言いに行ったり、町に留まったりしたところで良いことなんてひとつもないんですよ。私たちの命が脅かされるだけでなく、ゴドールの町自体も賊に襲われる危険性が増えてしまうのですから。……私たちを受け入れてくれていた町の人々のためにも、できるだけ早く、痕跡を残さず逃げるんです」
 強く言われてしまうと頷くしかできなかった。
 その日から、大急ぎで荷物をまとめて逃げる準備をはじめた。
 翌日の酒場のお仕事では普段と変わらない振る舞いをみせた。それでも仮の楽屋として使っていた部屋に、硬貨の入った小籠を残してきた。手紙もローランに禁止されてしまったから、せめてもの感謝として森の花でつくった香油も横に添えた。
 朝、市場でのお手伝いをしてから、暮らしていた家の最終的な片付けに取りかかる。全部捨てるわけではなく、まるで今後も住んでいくのかように食器や家具を残す。だが、シャルネたちの足取りだけは一切わからないようにするのだ。ベッドシーツも替え、水回りも綺麗にする。ローランが細々と動いている間、シャルネは森に入って、静かに別れを告げた。
 ……美しく清らかな森。たくさんの恵みを与えてくれたことを深く感謝いたします。ありがとう。そして、さようなら。
 樹木に触って唱えると、涙がにじんだ。
「シャルネ」
 不意に、遠くから誰かの呼ぶ声がした。
 まるで森が応答するようなタイミングだったが、声に聞き覚えがある。
 ……でも、そんなはずはない。不安のあまり幻聴が聞こえるようになってしまったんだわ。
「シャルネ!」
 一際大きな声が森に響いた。
 幻ではない。振り返って声の主を探す。
 ……うそ。
「アドルフィト? そうなの?」
 信じられない気持ちで、乱立する木々を見渡す。
 家がある北西の方角からガサガサと人工的な物音と色が見えてきた。シャルネも衝動のまま草木を掻き分ける。
 見えてくる人物は、間違いなくアドルフィトだ。
 なぜまた自分を探してくれたのかわからない。嬉しさと躊躇いで心を乱しながら彼の下へ駆け寄った。
「無事でよかった」
 安心したような紫青の瞳が目の前にある。
 決別したはずの愛しい男。もう二度と会えないと思っていた。
「本物なの?」
 訊ねたと同時に涙がこぼれた。
「俺に代わりがいるものか」
 やさしい微笑は、泉でのやり取りを鮮やかに思い起こさせる。
 けれど、あのときと状況は違う。シャルネはアドルフィトの愛を一度拒んでしまったのだ。
   自分から彼に触れることはできない。涙を手で拭って冷静になろうと努めた。
「どうしてきたの?」
 震えた声にアドルフィトが一歩踏み込む。上身を屈めシャルネの顔を覗いた。
「愛している人の危機を、放ってはおけない」
 彼の指がシャルネの頬をなぞり、涙を弾く。
「もう大丈夫だよ」
 壊れ物を扱うように抱き締められると、その香りと体温に堪えきれずしがみついた。
「アド、ルフィト、ごめ、ん、なさい、」
「謝らなくていい。事情はすべて知っている。よく、今までがんばったな」
 髪を撫でられ、ボロボロと涙をこぼして泣いた。
 訊けば、彼はシャルネの出生を数日前に知ったのだという。
 当然、本来は生きてはいられない存在だということも。
「これからは、どうか俺を信じて欲しい」
 ハイアード王国の王子に嘆願される。シャルネはもう迷わなかった。
「はい」
 ……庇護を受けるならば、アドルフィトのそばがいい。
「ローランにも伝えないと」
「彼女なら、ダイが説得している。ローランは王室直属の女騎士だったそうだな」
「ええ、ローランが救ってくれなければ、今の私は存在していないから」
「シャルネの命の恩人なら、俺にとっても命の恩人だ。彼女の気持ちも考慮しよう」
「ありがとう。本当に、貴方には感謝しきれない」
「いいんだ、君のためならば」
 彼のぬくもりに包まれていたかったが、のんびりしている時間などなかった。
 二人で来た道を戻り、小さな家に戻る。ドアを開けるとダイに寄り添うローランが目に飛び込んできてひどく驚いた。が、彼女の表情から相当悩んでいることが窺い知れた。
「アドルフィト様、無事お会いできましたか。お久しぶりです、シャルネ様」
「ああ、このとおり」
「お久しぶりです」
 ダイへ軽く頭を下げ、すぐローランに声をかける。
「ローラン、どうするの?」
 緩慢に視線を合わせてきたローランは、その隣にいるアドルフィトへ目を向けた。ハイアード王家はマルグレッタ王妃の在するロッカ王家と同等の権力をもつ。廃された王家の生き残りを匿うのにふさわしい家柄だと、彼女もわかっているのだろう。
 肩を寄せ合う若い二人の姿を交互に見つめ、想いを定めたようにローランがゆっくり瞬きをする。
「ハイアード王国のお力を借りましょう」
 そして、王子に向けて深く一礼した。
 アドルフィトの助けを借りたゴドールからの脱出は、誰にも知られることなくうまくいった。
 ローランが『脱出』と称したのはあながち間違いではない。
 その二日後、ゴドールが本当に賊の襲撃に遭ってしまったからだ。
 痛ましい情報を船内の寝室で聞いたシャルネは、長椅子から身を起こしてアドルフィトの両腕を掴んだ。
「町は、それで、どうなってしまったの?」
 ずっと気がかりだったゴドールのこと。せがむようにアドルフィトを見上げれば、やさしく髪を撫でて隣に腰かけてきた。うやむやに隠すことなく話してくれる彼には感謝したいが、言葉を選んでいる表情に不安は増大する。
「大きな損害にはならなかったということだ。略奪も少なかったと聞いている」
 ゆったりした口調。思ったより最悪の結果ではないと知り、沈んだ気持ちにわずかな安堵が生まれる。
「酒場も無事なのね」
 ホッとしたように呟けば、紫青の瞳が薄く伏せられた。
「いや、酒場は……全焼したそうだ」
 静かに語られた事実。シャルネは瞠目した。
「えっ」
 町で一番お世話になった場所が、もうこの世にない。
 悪寒に似た衝撃が、背筋から全身に響き渡る。
「もっと早く真実を知っていれば、救えたかもしれない」
「うそよ、うそ、そんな」
 鼓動が変な速度で打ちつけて、呼吸がおかしくなる。取り乱したシャルネを彼は力強く抱き寄せた。
「シャルネは何も悪くない」
 パクパクと口を動かすが言葉は出てこない。代わりに大粒の涙がこぼれ落ちた。
「酒場をよく出入りしていた、カロイスとミズローという男が密告者だ。すでに、ロッカ王国の警備隊に拘束されている」
 さらなる事実は、シャルネを深く傷つけた。
 信用していたカロイスが、シャルネと町の人々を裏切ったのだ。
 ギリギリと痛む心を震える指で押さえる。脳裏では走馬灯のようにたくさんの映像が溢れてきた。
 町での生活、歌い手として働いた酒場でのやり取り、カロイスとの歌練習、市場でのお手伝い、唄を聴く皆の顔、拍手、歓声、女将のやさしい笑顔。
 もう二度と戻ってこないゴドールでの日々。
 一瞬にして、全部失ってしまった。
 アドルフィトはシャルネのせいではないと言った。けれど、シャルネ自身はそう思えなった。
 ……私が、ゴドールにいなければ、そんな悲劇に遭うこともなかったのに!
 悲しみと悔恨に埋もれて嗚咽を塞ぐことはできなかった。
 子どものように泣きじゃくるシャルネを、アドルフィトが懸命に慰めた。罪悪感と後悔を分け合うように背をさすり、髪に触れ、あやすようにくちづける。
「もうこんな悲しい目には遭わせたくない。君を、失いたくない」
 切なる想いが、彼の指にも宿る。
「シャルネ、愛している」
 残された唯一の未来を手繰り寄せる行為は、次第にシャルネを悲しみから明日へと向けさせた。
「私も、貴方を愛してる」
 心と心が言葉で繋がれる。
「アドルフィト。もう、離さないで」
 未来への願いと祈りを込めて背に腕を回す。彼は頷いてくれた。
「離さない、二度と君を」
 アドルフィトの揺るがない愛情は、その出生も悲しい出来事も大きく包み込んだ。腕に抱かれながらシャルネは翠瞳を閉じる。
 そして、一生アドルフィトのそばにいることを心に決めた。




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