* リクペラ・コン・ブルー 第22話 *


 ハイアード王国では、冬の季節がはじまっていた。
 夏よりは大人しくなりがちな国民も、突如湧いた朗報に数日前から浮かれ気味だ。飲食店の至るところで、結婚にまつわる唄が演奏されている。
 王家の中でも、一際変わり者の航海王子が身を固めたのだ。しかも、滅亡したはずのエラゥル王家の生き残りである王女と偶然に出逢って恋に落ちたという、前代未聞のロマンチック・ストーリー。国民は皆、好き勝手に空想を広げて盛り上がっている始末。
 当の本人たちは、ハイアード王国で無事内々に婚礼を挙げることができてホッとしていた。気の良いハイアード王家の計らいで、親より託された伝統の純白ドレスで結婚式を行なうこともできた。翌々日には民衆へ向けての結婚パレードが行なわれることになっている。
 エラゥル王家の形見もすべて回収され、役目に区切りがついたローランはロッカ王国に戻るかハイアード王国に行くか悩んでいたが、結果的には一緒についてきてくれた。陰には、ほんのりと互いに好意を寄せるダイの説得もあったようだ。彼女も新しい立場をもらい、今までどおりシャルネのそばにいられるようになっている。
 侍女の用意した着替えと付き添いを断ったシャルネは、純白のドレスのままアドルフィトの待つ部屋へ向かっていた。
 廊下の間も暖かなハイアード城は、冬が長い王国らしい暖房技術と文化を備えており、厳しい寒さを知らないシャルネでも気持ちよく過ごせている。これから冬の洗礼を受けるのは大変だ、とからかい混じりにアドルフィトから言われたが、彼と一緒にいられるならば、どんな気候でも平気だ。
 この国に住むようになってから何度も通ってる部屋の前に着く。事前に彼から来るよう言われていたのだから、ノックせず豪奢な扉を開ける。
「アドルフィト、入っていい?」
「ああ、おいで」
 広い二間の寝室のうち、手前にある安らぎの間で、彼がグラスを傾けていた。すでに婚礼の服装から、城にいるときの普段着に戻っている。少し残念な気持ちで部屋に入ると、アドルフィトも気づいたようだ。
「着替えて来なかったのか」
「ええ、……貴方に、ちゃんとドレスを見せたくて」
 昨晩から婚礼準備で拘束され、二人が顔を合わせられたのは儀式のあった祭壇の前だけだったのだ。当然完璧に整えられた花嫁衣裳をアドルフィトがじっくり見られる時間は無きに等しかった。シャルネが婚礼の段取りをすべて終えてからも、ドレスを脱ぐのを拒んだのはそのせいだ。
 エラゥル王家伝統の刺繍が散りばめられた婚礼用のドレスは、役目を終えるとまたシャルネの寝室に封印される。きちんとしたかたちで着ていられるのも、本日かぎり。
「そうか。君は本当に、かわいいな」
 苦笑交じりに彼が目の前へやってくる。手を伸ばすと抱き締めてくれた。
「着替えていたほうがよかったの?」
「いや、よく似合っているよ。でも、脱がせ方がわからないな」
 素直な気持ちを返されて、意図がわかると笑みがこぼれた。
「シャルネのご両親のためにも、もう少しこのままでいようか」
 ブルーベルベットの長椅子へ腰かけると、ハイアード王家の香りがふんわりと二人を包んだ。エラゥル王家の婚礼ドレスを身につけていても、シャルネはすでにハイアード王家の人間だ。これから毎日彼と同じ香り水をつけ、その慣習は一生変わらない。
 見つめられ、頬を撫でられる。両耳に揺れる大粒の銀細工、胸元で編まれた琥珀のネックレス。本来のブロンドに戻った髪には、ホワイトパールの飾りがいくつも差し込まれている。豪奢な宝石たちをあしらえられて恐縮してしまったが、結婚パレードではもっと派手に着飾ることになるという。
「とても綺麗だ……それをまとう君自身も、」
 彼に言われ、とても満たされた気持ちになった。くちづけを交わし、晴れて夫婦となった余韻に浸る。
「また、俺のために歌ってくれないか」
 そっとアドルフィトが望む。穏やかな表情をしていたシャルネは、少しだけ視線を落とした。
 小さく首を振る。気持ちに応えたいけれど、これだけは今も無理だ。ゴドールの悲劇を知ってから歌声が出せなくなっていた。
「今は、色んなことを思い出してしまうから」
 歌うとたくさんの過去たちが押し寄せて心が塞いでしまうのだ。唄は記憶を引き連れる。今はただただ、未来だけを見ていたかった。
「そうか」
 抱き寄せたアドルフィトが、癒しのキスを降らす。愛しい夫の気持ちに添いたい想いで、シャルネは彼を見た。
「……もっとここの国の、唄を教えて。聴くことならできるから」
 そうしたらまた、歌えるかもしれない。
 素敵なアイデアだといわんばかりに、紫青の瞳が輝いた。
「それならば、唄の指導係をつけよう。またセリアとニルダも呼んで」
 無邪気な物言いに、沈みかけていた心が浮き上がる。
「ありがとう。本当に、貴方に逢えてよかった」
「ああ、俺も……君のために俺は生まれてきたんだと、今は思えるんだ」
 シャルネも同じ想いで微笑む。夫の指に手を添えて。
「愛しているよ、俺のかわいいお姫様」
 アドルフィトのぬくもりに、シャルネは口元を寄せた。




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