* 独白(或いは私室)【第1話】 *


「詩帆、よく聞いて。……私たちね、離婚することにしたのよ」
 八年前、姉は両親からこう切り出された。彼女がまだ高校生になったばかりで、部屋にいたところを呼び出されたらしい。私が眠っている時間を狙って告げられた言葉に、姉は目を見開いたまま、なにも言えなかったのだという。
「あなたは、受け入れてくれるかしら?」
 ……そんなふうにね、お母さんの声は静かだったの。
 そう付け加えた姉の台詞で、私はその口調を容易に想像することができた。そもそも私たちの母親は取り乱すことがないひとだ。両親が感情的になって離婚を決めたのではないのだろう、と、姉の話を聞いたときに私はすぐ思った。父親も、母親の隣で姉を穏やかに見つめていたという。父も根っから穏やかな人だ。仲がいいというわけではない夫婦だったが、私の目から見て悪い関係ではない。八年経った今もそうだ。
 当時の姉も、どこに離婚する原因があるのかまったく判らなかった。
 なぜ、という、問いかけすらできず、両親の決断に呆然としていたそうだ。何の反応もない長女を見て両親は、冷静に聞いてくれている、と勘違いしたのかもしれない。姉はそのとおり、幼いときから温厚でやさしい性質だった。母は私が物心ついたときから喫茶店を切り盛りしていて、姉はいつも忙しい両親の代わりに唯一の妹である私をとてもかわいがってくれた。家族が諍いをはじめたときは、真っ先に仲裁役をかってでるほど争いごとが嫌いなひとだった。子どもの目から見ても、姉は両親に信用されていて、相談ごとも気前良く受け止めてくれる自慢の姉だった。
「すぐに受け入れろとは言わない。けれど、詩帆には一番に伝えておきたかったんだ」
 真琴は、まだちいさいから。
 姉いわく、父は、そう次女である私のことを付け加えたのだそうだ。確かに、私が八つの時にこうした話が持ち上がっていたことなど、姉から教えてもらうまで知る由もなかった。
 ……それでも、この話を聞いて驚きが薄かったのには理由がある。姉から聞いたときに、ピンときた光景がひとつあったのだ。幼い私がリビング越しの廊下から姉と両親が対峙する構図を眺めている映像だ。あの記憶が正しければ……私はなにも知らないまま、姉の話す衝撃的な場面を目撃していたのかもしれない。今思い返しても、姉の話したことと私の見つめていたリビングの様子は一致していた。そして、あの親は、当時の私があの場面を見ていた事実を今も知らない。
 私自身も、記憶に残っている光景でありながら、ふだん寝ている時間帯に、なぜリビングを覗いていたのか、その理由を思い出すことはできなかった。おそらく、トイレに行く道すがらだったのか、母親や姉に頼み忘れたことを思い出したのか。ささいな理由でリビングへ赴いたのだろう。そして、私は不可解な家族の姿を見てしまったのだ。
 親と姉が対峙する位置は遠く、交わす会話は聞こえなかった。しかし、いつもとは違う三人の雰囲気に、私は中へ入ることをためらった。リビングにいるのは家族であるはずなのに、妙なよそよそしさがあった。あの場に居てはいけない。そう、とっさに思ったのだ。
 私はあの夜、逃げるように廊下を離れて部屋に戻った。深入りしてはいけないような気がしていた。ただ、両親に呼ばれたのは仲の良い姉だったのだから、いずれ話が私のもとに届くのだろう、と、良いように結論づけて眠りに落ちたのだ。
 翌日の朝は、いつもと代わり映えなかった記憶があるものの、姉が変調をきたしていると気づくのは早かった。生まれた頃から、私は彼女の背を見て育ったのだ。
 やがて、姉の様子が目に見えておかしくなった。
 私にとっては年の離れたやさしい姉であることに変わりはなかったが、彼女がおかしくなっていくほど、あのワンシーンは私の中でタブーとなった。あの場面で何が起こったのかを問うことは、大きなリスクを伴うのだと悟った。家族はあの夜のことを誰一人として語ろうとはしなかった。
 姉だけが一人、あのときから見えない階段を踏み外していくようだ。
 小学生の私がそう思っていたときには、すでに姉のなにかが壊れていたのだ。家族の関係性も日を追うことに変化していた。
 そして、私が長い間、妙なタブーを貼り付けて仕舞いこんでいた情景は、結果的に姉が話してくれたあの夜のできごとと重なった。彼女の語り口を聞いて、あの夜を境に、姉の精神が崩れはじめたのだ、と、私は一瞬で悟ることができたのだ。


 私には気がおかしくなった姉がいる。
 そう簡潔に言ってしまえば、人々はどのように感じることだろうか。
 精神病院に入院しているのか、隔離されて生きているのか、などと深刻な連想をするのかもしれない。自分の姉のことを悪く言うな、と、非難する人もいるのだろうか。
 私の姉の場合は、他人の目から見てもふつうの女性にしか見えない。私が祖父母宅に預けられていた期間は入院していたものの、それ以外はずっと一緒に生活している。今も姉と会話が通じないことはままあるが、周囲が扱いに慣れていればいくほど彼女も大人しくなった。最近の姉は、通院も自力で行き来できるほど安定している。どこがどういう風におかしいのかは、一見ではわかりにくいし、今の私の発言を不思議がる人も多いだろう。
 しかし、姉の心はまぎれもなく壊れていた。一緒に暮らしていれば、彼女のおかしな部分をたくさん見つけることができる。ともに生活する家族はそれを知り受け入れていた。意識をしなくても、姉を中心にした家庭生活ができあがっていた。
 姉の名は、詩帆という。二人姉妹の長女で、私より八つ上なのだから、年の差はかなりある。私が物心ついたときには、すでに中学校の制服を着て難しい勉強をしていた。母親が自営業に携わっているせいもあって、姉は私の幼稚園の迎えに来てくれることが多かった。幼稚園の先生たちに、かわいくて良い子、と、褒められる姉のことが、私はすごく好きだった。彼女は大人だった。私の中で、理想的な大人の女性に見えていた。
 だけれど、彼女は高校を早い段階で中退した。それからは部屋に籠もることが多くなり、丈のある痩身は色白さを増した。小学生の私は当初、姉が死に関わる重大な身体の病気になったのだ、と、真剣に思っていた。死への恐怖が渦巻き、とうとう両親に姉の病状を問いかけたが、身体に問題はない、との一点張りだった。姉は日に日に痩せこけていく。誰とも視線をあわさず憂鬱な表情をする彼女を、私はいつも不安な瞳で見つめていた。
 その年の夏休みに、私は一人で祖父母の家に預けられ、夏の間に姉は精神的に大きく変化した。実家に帰ると、知らない姉の部分がたくさん増えていた。
 はじめは、大人しい姉が暴れる様を目にするのがとても怖かった。感情表現が乏しく、刃物を見つければ自分の脚に刺そうとする。幻聴の激しい時期は両親に矛先が向けられ、私は自室に逃げることが多かった。それでも姉が私を攻撃してきたことは一度もない。彼女は、私と接するときだけ最大限の理性をかき集めているように見えた。
 中学生のとき、母に言われたのだ。 『詩帆ちゃんは、真琴がいないとダメなの。真琴のことが本当に大切なのよ』
 その言葉を、私は身をもって実感していた。精神的にああいう風になってしまった後も、姉のことが嫌いになれなかった。恐ろしい形相で壁に皿を投げていようと、頭を打ちつけて血が吹きだしているときも、ふさぎ込んで布団にくるまり何時間もうなり続けている最中でも、私は彼女のことを気味悪く思えなかった。会話がまともに通じず、相談ごとや甘えることが一切できなくなってしまったことだけが残念に思えた。それ以外は、まだ私にとって彼女は『姉』であり続けたのだ。
 感情がコントロールできない彼女は、何年も経てば私たちの日常のひとつになっていた。私には姉が、どこか苦しんでいるように見えた。誰であろうと、好んで精神に異常をきたすわけではない。
 現在の姉は、母の経営する喫茶店の手伝いをすることができるほど落ち着いている。それでも、混雑時の臨時要員になることは適わない。閑散としている時間帯に、人と接する訓練として、姉自身が了承したときに人前へでる程度だ。社会復帰には程遠い。
 そうした姉から、両親の離婚話を聞くことができたのは、一年前ほど前の話になる。
 当初、離婚話があったこともすら知らなかった。ただ、子どもの頃に遭遇した不可解なひとつの場面をふとした拍子に思い出し、姉に覚えているか訊いてみたのがすべてのはじまりだ。精神的に不安定な姉が、そのときのことを覚えているのか、そして話してくれるかどうかはちいさな賭けだった。重大な事実を耳にするとは、思いもしていなかった。その一方で、あの夜のことを直接両親に尋ねることははばかれた。嫌な直感が働いていたのだろう。両親に確認する勇気もなく、あの人たちは今も、私があの場を覗いていたことを知らない。私自身も、あのとき三人の中でどのような話がされていたのか検討もついていなかったが、……とても深刻な話をしていたことだけは気づいていた。鮮明な記憶として残るほど、不穏な空気をはらんでいたのだ。
 姉がそのときしたという、親の離婚話を覚えていてくれたことは、私にとってとてもラッキーだった。姉は話してくれた後の数日間、心あらずの状態になり、部屋でブツブツと独り言を吐き出している様子もあったものの、大きなリアクションに起こすことはなかった。離婚のくだりを話してもらったことで、彼女のか細い精神に負荷をかけてしまったが、同じ家族の一員として、私はこのことを知っておきたかった。
 私は少なからず、この事実にショックを受けた。離婚話に衝撃を受けたというよりも、それが姉の精神をきたす原因になったことは間違いない、と、知ったからだ。しかし、当の両親は離婚話があったと思えないほど、普通の夫婦を続けている。私は親を軽蔑しなかった。彼らの判断で、私たちはばらばらにならずに済んだのだ。
 その離婚話が流れて、すでに八年は経過している。客観的に見ても、夫婦には会話があって落ち着いているように見えていた。
 私は離婚話を聞いてから、二人のことをよく観察するようになった。今のところ、喧嘩する場面に遭遇したことはないし、私たちに隠しごとをしている雰囲気もない。離婚という言葉は、この先でてくることはないだろう。そう、娘として私は勝手に判断していた。実を言えば、姉が私に嘘でも吹き込んだのではないか、と、疑っているほどなのだ。



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